ブログ

2016年10月12日

中国たより 2016年10月   『青島会』 

井上 邦久

この季節、中国の市場や観光地でサトウキビ(甘蔗)を買うことがあります。50センチくらいに切って、黒っぽい皮を削ってもらい、端からしゃぶっていくと徐々に甘味が増えてきます。佳境に入るという字義には、甘蔗の甘い部分へ近づいていくこともあると教わった記憶があります。

今まさにプロ野球は佳境に入ろうとしています。今年は秋まで鯉のぼりが応援スタンドで泳ぎ続けた広島カープが様々な話題に包まれています。
創成期の市民の支えなどの美談を読むと、こうの史代さんが2004年度メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞した『夕凪の街 櫻の国』を思い出しました。
原爆スラムと呼ばれた簡易住居で健気に暮らす女性たちが「今日のカープは勝ったかね?」「長谷川良平が投げて、金山二郎が打ったよ」というような会話を交わす場面が印象的でした。心身に原爆後遺症を抱えながら倹しい生活の中でも、カープを応援することで明るく生きようとする人たち。元祖カープ女子のような主人公を同名の映画では麻生久美子が好演していました。
広島カープが創設された1950年前後の混乱期を経て2リーグ制が開始。戦力の平準化のために、松竹ロビンスから国鉄スワローズに移籍させられた選手のなかに千原雅生内野手がいました。

営業駆け出しの頃、社運とまでは言わずとも「部運」をかけた大切な中国出張に、鞄持ち兼通訳として参加したのは1982年の夏でした。酸化鉄磁石用の化学品原料の供給元を青島、北京、武漢、南京、上海と巡る出張には、TDKの購買担当役員を筆頭に技術部長らが脇を固める物々しいご一行でした。事前に団長の役員は元プロ野球選手だったらしい、という話を代理店関係者から教えて貰いました。早速、野球名鑑を調べて千原さんが国鉄スワローズの正三塁手であったことを確認しました。出身は同郷の大分県ということで、大分市出身の伯父にも問い合わせたところ、「千原さんは大分市の有名な料亭の息子さん。戦前の大分商業のスターで、門司鉄道局大分の野球部からプロ野球に引っ張られた」ことを知りました。享栄商業中退でスワローズに入団し、すぐにエースになった金田正一投手とも一時期は一緒にプレイしたはずです。
初対面の時、大柄な千原さんは優しくも鋭い眼差しで挨拶され、「田村駒さんは元気ですか?」と同じ関西系商社の名前を唐突に口にされました。戦前から野球チームのオーナーとして著名であった田村駒(株)の社長の田村駒次郎氏が、戦後にチームの愛称をロビンス(駒鳥)とし、京都の衣笠球場を本拠地としました。千原さんも一時期ロビンスに所属されていた御縁がありました。野球と故郷大分が触媒作用をしてくれて、千原さんとの距離が一気に近づきました。

青島での業務もほぼ終了した午後、千原さんから「井上君、たっての頼みを聴いて欲しい。迷惑だったらハッキリ断ってくれ」「青島神社の跡地に行きたい。中国の身元引受公司を困らせることは承知している」「1945年8月15日の午後、青島駐屯の兵士が青島神社に結集した。その中に決死の思いをした一人として私も居た」・・・色々と考えて、親しくしている公司の実務担当者に率直に伝えたところ、「その場所は子供の頃に遊んでいたので良く知っている」「仕事も終わったし、三人だけで海岸ドライブに行きましょう」と車を手配してくれました。
当然ながら鳥居も社殿もなく、石の階段と手水場が名残として見つかりました。千原さんは公司の担当者に「ありがとう」と一言お礼を伝え、あとは寡黙でした。

日本が青島に駐留したのは、第一次大戦の後であることは知られています。
以前に奈良岡聡智『対華二十一カ条要求とは何だったのか・・・第一次世界大戦と日中対立の原点』(名古屋大学出版会、2015年)から色々と考えさせられ、とりわけ山東半島や青島がキーワードであるとの感想を綴ったことがあります。

この夏、加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2010年)が新潮文庫に入り、続いて同じ八月に『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』が出版されて、ともに刷数を増やしているようです。
日清・日露そして第一次大戦が流れとして繋がっていること、そして山東半島や青島がその繋ぎ目として重要な土地であることが改めて解明されています。
二冊の本は、中高生に授業形式で話を進めるスタイルが共通しています。優秀な中高生が鋭い指摘や回答をしていることも共通しています。後書きで加藤さんは、中高生とともに中高年にもどうぞ、とお誘いをしています。

「近代史、現代史を授業では習っていないからなあ・・・」という言葉をしばしば耳にします。何故、授業で教えないか?本当に教えていないのか?についてはよく分かりません。ただ、仮に授業での印象が少なくても、知る・学ぶ方法は色々あることを加藤さんは示しています。

スタンドを紅葉に染める安芸の陣

    米国の木陰に憩う原爆忌

    9・18それでも選ぶ戦(いくさ)みち

野球中継のあと、興奮を鎮めるために読みだした歴史の本が佳境に入って、秋の夜長を満喫するのも良いですし、催眠効果によりすぐに熟睡するのもまた健康的だと思います。                                          (了)