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2017年4月5日

中華街たより(2017年4月)  『ハナミズキ』

井上 邦久

「茨城キリスト教大学への出張が金曜日にあるので、大阪に戻る前に会いませんか?」という連絡が直前にありました。高校時代からの付き合い、しかもバスケットボール部で共に汗を流し、ベンチを温めた者同士の関係は、蓮根の糸ほどには粘らず切れずに長続きしています。二十歳の頃に住んでいた京都市藤森の疎水沿いの小路で、「洗礼を受けてきました」と唐突に伝える神田氏に、「受洗した人にはどんな言葉を?」「おめでとう、で良いのです」「おめでとう」という会話を交わしたことを一昨年のクリスマスくらいの感じで憶えています。

毎月第二金曜日は、明治大学キャンパスでのWAA(We Are Asian)の例会の日だったので一緒に参加しました。明朗闊達・融通無碍の主宰者の田辺教授を紹介してくれたのが井嶋悠氏(NPO法人日韓・アジア教育文化センター主宰)でして、井嶋氏が運営するセンターのHP(http://www.jk-asia.net/)に上海たより、北京たより、中国たより、そして中華街たよりを長年に渡って掲載して頂いています。その井嶋氏を紹介してくれたのが大阪YMCA校長時代の神田氏ですから、御縁がぐるりと一回りしました。

翌朝、中華街の寓居から関帝廟・媽祖廟を経て、みなとみらい線の始発駅の元町・中華街駅ビルのエレベーターでアメリカ公園に登り(昇り)ました。港が見える丘から霧笛橋に向かう途中に石碑があり、唱歌『みなと(湊、港)』の歌詞と楽譜が刻まれていました。日本初のワルツ(四分の三拍子)の作曲者の名は、吉田信太とありました。傍らの老婦人が「この歌の出だしはどうでしたかね?」と問われたので、神田氏は讃美歌と吉田拓朗のフォークソングで鍛えた喉を披露して「空もみなとも夜ははれて 月に数ます船のかげ」と歌ってさしあげました。ここでもマタマタ吉田姓に遭遇しましたが、寄り道はせず外人墓地に向かいました。

外人墓地、正式には公益財団法人・横浜外国人墓地の記念館だけを見学するつもりでしたが、3月からの天気の良い土曜日曜のみ内部見学も可能とのこと。幾ばくかの寄付金を箱に入れて、墓地整備のボランティアの方から公開順路案内図を貰いました。その図の著名人墓石リストの一番目にJohn Trumbull Swift氏の名前を見つけて興奮している神田氏からYMCAの最初期の功労者であることを教わりました。C.Griffin(日本ボーイスカウト創始者),H.J.Black氏(外国人初の落語家)の墓や戦没者慰霊碑(第一次世界大戦に横浜から出征し戦死した外国人の慰霊碑)とともにElizabeth Scidmoreさんが母親や外交官だった兄と眠る墓と顕彰碑を拝見しました。1991年にワシントンから里帰りし、墓前に植えられた「シドモア桜」の蕾も硬い、3月11日の記念日のことでした。

日本ではエリザ・シドモアと呼ばれているElizabeth Scidmore(1856~1928)、、19世紀末からの日米交流の貢献者として知られ、彼女がワシントンのポトマック河畔に日本の桜を移植開花させる事業の土台を作ったことから、普通品種の桜も「シドモア桜」と呼ばれています。開港間もない時期に来日し、記者・文筆家として桜を含む日本文化を欧米に発信し、『Jinrikisha Days in Japan』(1891年。『日本・人力車旅情』恩地光夫訳) などの著作が出版されています。
文筆家、外交アドバイザーとして社交界のトップレディとなったシドモアさんは、親密だったタフト大統領夫人を通じて働きかけました。向島の桜をポトマック河畔にも咲かせようという個人的な願いが外交ルートに乗り、害虫問題などを克服して、1912年3月27日に植樹した桜が健全に育ったようです。
1915年には、米国からハナミズキが花言葉通り「返礼」として東京市に贈られています。2015年、日米両国で桜とハナミズキをデザインした切手シートが発売され、東海岸の友人と交換したことを思い出しました。

今年の3月27日は朝から氷雨、横浜の桜は開花未満でした。元町・中華街駅から東横線に乗り入れて20分の大倉山駅。駅から急坂を登りつめた場所に大倉山記念館があります。その前庭で、里帰りしてシドモア家の墓前に育った桜の植樹式がありました。挨拶に立った横山日出夫港北区区長から篤実なお話しを聴くことができました。先ず今回植樹する桜の苗木を準備した池本三郎樹木医の紹介。そして1915年に米国から贈られたハナミズキの最後の一本から接ぎ木をさせてもらうまでのご尽力の経緯を知りました。池本氏ら樹木医の手で接ぎ木を守り育てて頂き、二年後には桜の隣に植樹したいとの決意を語られました。

記念館での講演会では「シドモア桜の会」の恩地薫会長からシドモア女史について、池本三郎樹木医から「シドモア桜の接ぎ木について」のお話を興味深く聴きました。恩地会長は前述したシドモア著作品の翻訳者夫人であり、漫画家の小林治雄氏が作成した『エリザ シドモアとワシントンDCの桜』を配布紹介され、講話も資料も詳細で分かりやすい内容で理解が進みました。
池本氏は、接ぎ木でしか桜は殖やせないことや接合部に芯を残した穂木を台木のマザクラに固定させる手法などを穏やかな口調と実技で説明されました。中でも、古来種マザクラは自身の花は咲かせないが、強い品種で水をよく吸い、根が出やすい。しっかり台木としての役割を果たしつつも、穂木の性質に何ら影響を及ぼさない、という解説に強い説得力を感じました。
講演後にご挨拶し「マザクラは自己主張をしない性格の好い品種ですね」と話したら、明るい笑顔で応えて頂きました。2年後のハナミズキの植樹が益々愉しみになりました。

横浜出身の美空ひばりの『ポトマックの桜』。一青窈の『ハナミズキ』。花の下、どちらも歴史への思いが籠った歌であることを改めて感じています。