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2017年6月6日

中華街たより(2017年6月) 『ハナミズキ Ⅱ』  併せて  【上海の街角で】『接続性』

井上 邦久

【中華街たより】

外国語の習得や読書の環境として独房が適していることは良く知られ、古今東西多くの人が独房での逸話を残しています。4月末から5月下旬にかけて、大阪中之島の住友病院で独房生活を送りました。昨秋以来、波長の合う整形外科医と内分泌内科医と相談や準備を重ねてきた関節部品手術を実行し、並行して生活習慣病の改善も図りました。2014年から続いた半世紀分のオーバーホールの最終修理が終わろうとしています。

 

入院前に持ち込み書籍は厳選しました。加えて有難い事に、見舞いに多彩なジャンルの書籍を持参して頂きました。その一端を挙げて「自選他薦」書物の簡単な読書感想のメモを綴りました。

  1. 『仰臥漫録』 正岡子規(岩波文庫 1927年)
  2. 『此ほとり 一夜四歌仙評釈』 中村幸彦 (角川書店 1980年)
  3. 『ウニはすごい、バッタもすごい デザインの生物学』本川達雄(中公新書 2017年)
  4. 『「接続性」の地政学 グローバリズムの先にある世界』 パラグ・カンナ(原書房)
  5. 『日中いぶこみ12景』 相原茂+蘇明(朝日出版社 2015年)
  6. 『プロ野球2017選手データ名鑑』 (宝島社 2017年)
  7. 『仙人になる方法』舟橋克彦・作 太田大八・絵(赤い鳥文庫・小峰書店 1988年)
  8. 『[新版] 世界憲法集 第2版』 高橋和之(岩波文庫 2015年)
  9. 『自省録-歴史法定の被告として―』 中曽根康弘(新潮文庫 2017年)
  10. 『中国の伝統文芸・演劇・音楽』 赤松紀彦編(幻冬舎 2014年)
  11. 『動物のお医者さん』 佐々木倫子(白泉社 1987年)
  12. 『植物はなぜ薬を作るのか』 斉藤和季(文春新書 2017年)

 

  1. 床に臥す時、枕頭に置き、気まぐれに繰り返し読みます。余命いくばくも無い子規を慰める陸羯南一家の思いやりに感じ入ります。示し合わせた訳ではないのに、俳句同人が見舞いに『病床六尺』や新刊『子規の音』(森まゆみ)を持参してくれました。

 

  1. 蕪村ら四人が、安永年間の京都で、或る一夜に巻きあげた四歌仙(36句x4巻)についての評釈本。実に味わい深く、勉強になりました。今回も入院中に、いつもの連衆とメール連句を始め、退院前日に挙句まで巻き上げました。その創作実作の参考書にもさせてもらいました。

 

  1. ゴキブリが褐色である理由は?蜂の羽の上下動速度の仕組みは?サンゴが生き抜く為の共生手法は?など、身近な昆虫を通した気付きからヒトの股関節生成の玄妙さまで、興味深い説明が続き、発見やヒントが次々にありました。中でも「サンゴ礁学会」は、岡山大学・琉球大学を拠点としており、その源流は戦時下のパラオ熱帯生物研究所に所属した川口四郎さんによって1944年(!)に世界的な発見が為された事に始まる‥等。

 

  1. インド人の冷静な文章で技術の進化と中国の拡大を、できるだけ客観的に捉えようとしています。冷戦終結のあと、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が長く羅針盤にされてきました。しかし既に技術の進歩と国家間のバランス変化は、新しい指針や地図を必要とし、一つの試みがこの著作かも知れないと感じました。病室から寄稿したhttp://www.shanghai-leaders.com/column/life-and-culture/inoue/inoue31/も参考まで。

 

  1. 昨年から指導を頂いている神奈川県立アカデミアの新谷雅樹教授の講座用教科書です。異文化コミュニケーションを「いぶこみ」と略す意味目的が不明ですが、語学を通じて文化を知る姿勢で、相原茂さんが熟成編集されたテキストです。第一回の授業で12章から逆に始めると聞き、独房で11章、10章と声に出して独習しました。6月に入って出席したら、予想通り12章を舞台に新谷教授の「藝」が続いていました。別の時間枠での、佐高講師による『時事中国語の教科書 2017年版』(三潴正道・陳祖蓓。朝日出版社)のテキストリーディング授業が着実に前進しているのと好対照で面白いです。

 

この小さな本は座右の書であり、生活の一部です。全選手の経歴・記録が
載っており、年俸の推移を見るだけでも味わい深いものがあります。

ここまでが「自選」のものでした。

⑦から以降は、それぞれの方から頂いた書物です。⑧だけは憲法記念日の前にリクエストしたものです。主宰するアジア塾での今期開塾講話(先生は「放談」と自嘲)として渡辺利夫先生は各国の基本理念と憲法制定の歴史を知る必要を述べられました。韓国憲法の前文などを読むと、その感を強く持ちます。⑪は話題の獣医学部(北海道のH大学とされています)の世界を坦々と描いた傑作漫画でした。

そして、⑫の植物の本です。・・・それは「動かない」という選択をした植物の「生き残り」戦略だった・・・ポリフェノール、解熱鎮痛剤、天然甘味料、抗がん薬まで―――。なぜ、どのように植物は「薬」を作るかを、植物メタボロミクスの専門家が最先端の研究成果で説きあかす、と帯に書かれていますが、③の表現を借りれば「ケシはすごい、ニチニチソウもすごい」ということを丁寧に分かりやすく伝えてくれます。

米国国立がん研究所が行った植物成分の抗がんスクリーニングによって見つかった化合物・・・1966年中国産のキジュ(喜樹)という樹木のエキスから発見しました、と88頁に書かれたカンプトテシンの項を読んで、思いは15年前の四川省楽山の山中に戻りました。
ライフサイエンス事業を本格的に立ち上げようと、医薬関連の資格と知見を持たれた三人の方に入社していただいて組織を整えました。上海での創薬事業に着手、イタリアからの肝臓薬原体輸入に続いてカンプトテシンの原料を中国から輸入して、日本で精製した後に米国の巨大医薬メーカーに届ける事業に注力しました。喜樹(インドハナミズキの一種と教えられました)を求めて、成都へ通い楽山の山中に入り込み、米国のFDA規制の世界で鍛えられた日本の専門家が、蜀国の農村工場の皆さんに製薬業務の基本ルールであるGMPとは何かを伝える第一歩から参画させてもらった日々が鮮やかに甦りました。

「呆気なやこれが告知かハナミズキ」2年前の拙句です。がん告知の時にハナミズキを思い浮かべた理由は言うまでもなく中国の山奥での体験に基づきます。

歩行練習の散歩の折、横浜公園の一隅に喜樹を見つけました。説明プレートにはキジュ(別名カンレンボク)、・・・横浜ゆかりの生物学者、木原均博士が77歳の喜寿のお祝いに喜樹を贈られた。・・・その後に、実生苗木を昭和天皇に贈って喜ばれ、横浜市にも一本を寄贈された。近年、この樹に含まれているアルカロイドに制癌作用があるというので注目されています。(1996年)と書かれています。

身近な処に縁のある事柄があり、それを見つけては喜んでいます。
(了)

 

【上海の街角で】

3月下旬、第115回の華人経済・文化研究会で、今年も「中国。この一年」と題する報告をしました。2013年から毎年3月に同じタイトルで定点観測を意識したお話をさせてもらっています。今年は、次の三項目を柱にしました。

(1)北京の掏摸(スリ、小盗)が減った
(2)「海」への進出が目立った
(3)華南の産業構造改革が注目されている

(1)人民日報以外の多くのメディアに寄稿や出演をしている、著名なジャーナリストの陳言さんから教わった話です。最近の北京では人が外出しなくなった。外出しても現金は少ししか持っていない。だから掏摸の採算性が悪くなり、掏摸の数が減少した、ということです。もちろん陳言さんがデータを公安警察で調べたわけではなく、彼独特の表現方法で、大気汚染・宅配サービスの急成長・モバイル決済の急拡大などを分かりやすく指摘したわけです。 自動販売機が急拡大していること、自動販売機の盗難が激減していること(モバイル決済のため、販売機の中には現金がない)と同じ理屈です。

(2)大陸国家であった中国が海洋国家に急激に変貌しています。沿岸警備船舶の増強と人民解放軍における海軍の地位向上(それも従来の北洋艦隊優先から南洋艦隊の重視へ)世界の海運物流市場で圧倒的なシェアを確立し、ギリシャ、パキスタン、スリランカ、ジブチなど世界各地で港湾拠点の確保を推進中。旺盛な魚需要を満たすための遠洋漁業船団の急膨張(魚の消費量も、漁船20万艘も断トツの世界一)。海軍・海運・海外拠点・漁業すべての面での「海」への進出が顕著となった一年でした。

(3)歴史的にも開明的であり、東南アジアなど海外に開かれた土地柄である華南。海外進出の伝統の担い手である華僑の故郷としての華南。従来から国有企業比率が東北や華北に比べてとても小さい華南。その華南では1992年以降、深圳を中核とする「特区」としての成長と巨大なサプライチェーンの構築が継続されてきたのは周知の通りです。この基盤の上に、活発なR&D投資による新産業の創生気運が党・政府の政策と相まって醸成されてきました。そこへ米国発祥のメイカー・ムーブメントの聖地としての深圳への投資人気が集中し、過剰なまでの期待が寄せられています。

以上のような切り口で、それぞれの具体的な事例を挙げて、中国各地からの湧水が集まって川になり、その水がナイヤガラのような瀑布ではなく、赤目四十八滝のようなカスケードを形成していることを私見も交えて報告しました。 恣意的な情報処理や世界的な視野から中国を捉えていない反省が残りました。
五月になって読んだ新刊に『「接続性」の地政学』パラダ・カンナ(原書房)があります。副題として「グローバリズムの先にある世界」とあります。 1977年インド生まれで、現在シンガポール国立大学上級研究員の著者は、従来から世界経済フォーラムにおける次世代リーダーの一人と見做されていましたが、CONENECTOGRAPHY Mapping the Future of Global Civilizationと題する原著により、更にその評価を高めているようです。
日本では、尼丁千鶴子・木村高子両氏の滑らかな翻訳で出版されるや否や、多くの書評に取り上げられ書店に平積みされています。多くの方が既に手に取られていることと思いますが、屋上にミニ鳥居を重ねるような私見と印象を以下にメモします。

(1)サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で冷戦後の世界を捉えなおし、長く一つの標準として語られてきた。しかし、その標準だけでは冷戦終結から四半世紀が過ぎた現在の大きな政治的変容や技術的変革を説明できなくなった。パラタ・カンナは「文明」に代わって「接続性」を強調。

(2)新たな標準はサプライチェーンであり、グローバリゼーションの未来を語るのは「接続性」の度合いである、としている。

(3)経済が深く相互依存している世界のシステムの内実を解明して、表面的には政治的、軍事的に対峙しているように見える国家間の緊張した外貌とは異なる経済と技術の連携を説明。この点でかなり楽観的な印象が残る。

(4)この新しい世界を組み立てているのは中国であり、中国は新植民地主義者でなく新たな重商主義者である。経済合理性に合わない「領土」や「扶養家族」を増やす気がないとする。孫文が『三民主義』の中で「中国は列強の植民地ではない。(インドのような)植民地にもしてもらえない半植民地である」と喝破したことを想起し、孫文の曾孫たちがアフリカや南米を植民地にする気がないことに気付く。

(5)中国の華南地区の「特区」に着目し、華僑の存在に過剰なまでの可能性を期待している。・・・中国が4000万人の華僑の一部に二重国籍を認めれば、それは国内に新たな優秀な人材を呼び込み、高齢化する人口に活気をもたらすきっかけになるだろう・・・(上巻97頁)

(6)インフラとサプライチェーンについての記述が繰り返してなされている。通関手続きを半減すれば、貿易量は15%、GDPは5%上昇するが、輸入関税撤廃はGDPを1%上昇させるだけとか、中国の可動式の深海用掘削プラットフォームであるHYSY-981は、今日の地政学においては移動可能なサプライチェーンの島であるといった具合。

(7)「マラッカの罠」回避の為、中国はタイのクラ地峡運河構想、ミャンマーやバングラディッシュの港からの陸路建設、北極海航路開発に熱心。

グローバルという言葉が日本にもたらされて半世紀以上が過ぎていますが、未だにカタカナ表記のみで、中国語の「全球」のようには、日本語の適訳がありません。それでいながらグローバルという単語が独り歩きして、頻繁に使われています。しかし、グローバルとは何ですか?という質問をすると返答は色々です。その解を探す意味でも、この本はグローバルというものを逆照射しているので、国際化や跨境化(ボーダーレス)とは異なる視点が参考になりました。
「真水もて熱帯魚飼うセオリスト 己の次に中国を愛して」という岡井隆の有名な短歌にもある通り、中国に対しては好悪両極の評価をしがちな日本人と比べて、インド人は「中国とは文化も価値観も違うけれど、しっかり中国のことを把握する価値はある」という覚めた(醒めた、冷めた)見方ができるようです。世界を実地に歩く著者のカンナ氏もその一人であり、実に多様な中国を歩いて、知って、考えているようです。

カスケードを発見するだけでなく、全地球的な見地から源流と下流域を分析することが大切であることを学びました。来年3月の定点観測は少しだけ深みのある報告ができるかも知れません。                (了)