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2017年8月8日

中華街たより(2017年8月) 『リハビリテーション』

井上 邦久

この春の横浜は花の祭典が開催されて、街中が一段と潤いに満たされました。山手のイギリス公園から下って山下公園、そして日本大通りへ続く花の回廊は、正に「花の横浜」の象徴でした。県庁・市役所・区役所が集中する中区以外でも郊外の里山や住宅地の花園が整備され、港北区役所からは『ハナミズキ』以来の御縁で、対外開放された個人花園を探索できるコース地図を送って貰いました。

日差しが強まり、緑が徐々に深まる頃、空梅雨の御蔭で杖を使った歩行練習のリハビリも楽でした。しかし、その分「紫陽花日和」の日が少なかったのが残念でした。紫陽花が土の色に戻り、気象庁の梅雨明け宣言などにお構いなく、カンカン帽が無ければたまらない夏の太陽が照りつけて来ると、歩行練習にも給水ポイントが必要となります。名物土産の美味叉焼を楽しみに立ち寄る中華街の老舗『一楽』さんで「冷たい珈琲でも飲んで行きなさいよ」のお誘いを素直に聴いて一息ついたこともありました。
又ある週末の夕涼み時に大桟橋の屋上ベンチに座り、赤煉瓦倉庫でのライブの歌声を遠くに聴きながら、甥っ子夫婦と缶ビールを飲み干す・・・正に「海の横浜」の季節到来です。

7月17日、海の記念日は夏の一つのピークで、港では花火大会、横浜スタジアムでは今年は弱いスワローズに快勝、みなとみらい地区でも記念行事があり、帆船日本丸も錨は上げずとも帆を上げる日でした。更に17日は関羽の生誕を祝うお祭りで、関帝廟を中心に中華街でも賑やかな日々が続きました。

そんな長閑で、屈託のない「花の横浜」から「海の横浜」へ季節が移ろう美しい時期に、国会ではまったく反対の様相を呈していました。議論の中身より先に、人の物言いや所作に潤いのない殺伐としたものを感じました。お互いの言葉から何も紡ぎ出せず、対話はいささかも昇華されないどころか、消化さえできないまま時間制限のなかで「審議」され、賛成多数で決まっていきました。非常に大きな問題を内包する議案があり、クリーニング店のラジオで国会中継を聴きながら話題にするくらい関心は高く、世論調査には明らかな不満不信が数字化されて行きました。

社会の木鐸として警鐘を鳴らすべきメディアは、世論動向に気づいてから動き出す、という後手に回った反応が目立ち「今後を見守りたい」というお座なりの姿勢で日本の言論の頼りなさを露呈した印象を持ちました。
そんな中で、せめて「横浜事件」の地元の横浜では何らかの動きがあろうかと、横浜文化の発信地の一つである老舗書店を巡りました。伊勢佐木町の有隣堂本店、元町の高橋書店には「横浜事件」関連の本が平積みにされていると思いきや、新書やブックレットさえ一冊も置いていないことに愕然としました。書店員も、国会の動きから「横浜事件」を再確認する意義に気づいて居るようでしたが 、「確かに補充していません。版元も絶版のようです。問い合わせも少ないし」とのことでした。

今は長閑で屈託のない横浜の神奈川県警・裁判所や笹下拘置所で敗戦末期に治安維持法の強化、言論統制の徹底目的により、多くの個人が証拠捏造による「共謀容疑」で拘置され、逮捕・拷問自白により獄死や保釈後すぐに死亡された方が記録されています。また中央公論・改造社といった出版社が内閣情報局から代表者が呼び出され、会社解散を「慫慂」されて従わされています。
今回、遅まきながら若い頃に齧った「横浜事件」を少しずつ咀嚼しています。再審裁判を支援する会編集の横浜事件顛末を(株)高文研の書籍によって、戦後長きに及んだ無罪要求の裁判経過も含めて総括的に読むことができました。

同様の趣旨に追悼目的を加えて、上海の媒体の連載欄に小文を寄稿しました。【ご参考ください】

http://www.shanghai-leaders.com/column/life-and-culture/inoue/inoue33/)

7月下旬からボストンに逗留中です。
色々な偶然と要請による急な渡米でした。事前検診で主治医は笑いながら「肉体労働はしない事」という条件付きで渡航許可、検査書類に要件を記入してくれました。研究と資格取得を目的に滞米中の娘夫婦の家で、この夏から小学生になる孫娘のケアアシスタント、趣味の調理等の家事、そしてボストンウォークが主な任務です。
サマーキャンプ通学の道、緩やかな歩行速度、適度の上り下りがある丘の往復はリハビリに最適です。そして又、波士頓(ボストン)中華街には百余の料理屋や商店が軒を連ね、超級市場(スーパーマーケット)の商品も豊かです。美味な叉焼の店も見つけました。                  (了)