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2017年9月4日

中華街たより(2017年9月) 『波士頓(Boston)』

井上 邦久

 

腹筋を絞り夏の雲引き寄せる

7月23日にボストンに到着した翌朝から、朝8時と夕方5時の送迎が始まりました。なだらかな丘を二つ越えて学園まで20分前後、9月から小学生になる孫のペースで歩行訓練です。日本出発前日まで使っていた杖は持参せず、やわらかい土や草の小道を踏みしめる毎日は、リハビリテーションが規則正しく続く環境です。

気温が30℃に近づいても木蔭に吹く風は乾いて、汗拭きハンカチはほとんど使わず仕舞いです。四人分の朝と夜の食事、三人分の弁当のオカズ用の食材購入は二軒のスーパーマーケットで、各々の店の得意技を比較検討しながら慣れていきました。20ドル札一枚だけを握りしめて、大きなカートではなく手提げカゴを利用して、棚に並ぶ豊富な物資の買い過ぎに気を付けました。経済感覚を慣らす為と、両手一杯の紙袋を運ぶ負荷を避ける為でした。

これまでの処、献立は日替わりで続けて来ました。
上海や北京での自炊や来客接待より、「客層」と予算の違いに工夫が必要です。調理台に長時間立ち続ける事で足腰がかなり鍛えられた自覚があります。一方では、慣れない器具類(野菜屑粉砕器、食洗器)を故障させたり、強力な電圧のトースターやコンロでパン袋などを熱融着させたり、失敗の連続です。良かれと思って洗った弁当袋が手染めの逸品で白物を染めた事もあります。

テレビ、新聞そして携帯電話(成田空港への途中で機能不全になったまま)無しの生活です。清教徒文化の本場のせいではないでしょうが、若夫婦の家は略々禁酒令下にあり、酒屋や野球場等でも身分証明書なしではビールも買えない厳格な社会の一面もあります。

出発前に住友病院の主治医から「肉体労働」をしないことを条件で渡航許可をもらったことを思い出しつつも、外地での家事がかなりの「肉体労働」であることを改めて体感しました。
家事の合間に、街の中央公園の芝生や河畔のベンチで寝転んだり、宿題の筋肉トレーニングをしたり、来場者の少ない美術館をゆっくり歩いたりしている内に歩行距離が伸びていきました。

ボストンの天心園で昼寝かな

始動後二日目にボストン美術館の年会員になり、三日目にフェイウエイ球場の場内ツアーに参加しました。昨年夏の甲子園球場以来のスタンド入りで、階段昇降も久しぶりに試みました。
その後、隙間の時間帯にハーバード美術館やイサベラ・ガードナー美術館を歩きました。どの美術館も多くの名作名品を収蔵していることで有名ですが、その過半は保管倉庫で眠っていて、一般人が簡単に見たい時に見たい作品を鑑賞できるものではありません。

ハーバード美術館は教育の場として素晴らしく、考古学や美術史の教科書的な陳列が印象的でした。一方、ボストン美術館には忙しい観光客の為にか、懇切丁寧な各言語のパンフレットにハイライトコースが明示され「一通り見てきた」と満足して貰えそうです。
そんな冷笑的な見方も8月11日開幕の「歌川国芳・歌川国貞浮世絵展」を一瞥して吹き飛びました。「実に多くの作品」の「刷りの具合がシャープ」で「保管もしっかりされている」ということに圧倒されました。
初日にはNHKのクルーが学芸員の解説を撮影している場に同道させて貰いました。幕末・明治に横浜港から米国に運ばれた逸品が10月に放映されるとのことです。ボストン美術館の公園側の一角に、岡倉覚三(天心)の号から名を採った石庭があります。静かな空間で、訪れる人もほとんど無く、蝉の声が染み入る中で眠りに誘われました。

ハーバード秋リスまでも賢げに

大学の学食や校庭に中国語が飛びかう中で、ついつい悪戯心から「ハーバード栗鼠も漢語を口真似し」という川柳まがいの句が浮かびました。ボストン中華街や在住中国人の生活の一端については、上海に届けた小文に綴りました。

(ご参考:http://www.shanghai-leaders.com/column/life-and-culture/inoue/inoue34/

 

首筋に年季の入った日焼けかな

街中の地下鉄駅などの公共施設の所々に「SUMMER REPAIR」という看板があり、補修作業をしています。住宅街でも壁のペンキの塗り替えや庭の整備が行われ、剥がした壁に見えるデュポン社の「タイベック」の文字を見ると、断熱建材を貼り詰めて冬の備えをしていることを想像させます。
その作業者が使う言葉は様々で、肌の色も異なります。白人労働者も多くて、「Red Neck」に気付かされます。自分自身が一生住むことはないような豪邸の修理や庭の整備をしている人たちに「匠の職人」の雰囲気はなく「肉体労働者」そのものの様子です。

「Red Neck」の同義語に「Hillbilly」があり低所得者層の白人労働者、そして田舎者という語感があるようです。
『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(光文社)を先輩から勧められ、NPOのパネルディスカッションや書評でも取り上げられていたので、ボストンに持参して毎日ほぼ一章ずつ読み続けました。
逗留地のBrooklineスミス書店で拙い発音で訊いたら『Hillbilly Elegy A Memoir of a Family and Culture in Crisis』(J.D.VANCE)なら去年によく売れたと言いながら取り出してくれました。英文では一日一頁にスローダウンして眠ります。

読み進めながら、石川好の『ストロベリーボーイ ストロベリーロード』を思い出しました。伊豆大島の高校卒業後、カリフォルニアのイチゴ農園に労働移民した体験記です。「Red Neck」と一緒に底辺から米国を見据えた人、そして書物です。トランプが当選して混乱した翌朝の各紙コメントの中で、石川好の低い視線からの論評だけに得心しました。

予備選挙段階でトランプが冗談候補でなくなりそうになり、その根強い支持層が五大湖沿岸からアパラチア山脈の石炭鉱区へ延びる「Rust Belt(錆びついた工業地帯)」に住む白人労働者たちであることに気付いた米国人が慌てて『Hillbilly Elegy』を教科書的に読み始めたようです。(Rust Beltにも新興の先進産業が成長中で、石炭採掘・発電16万人に対して、太陽光発電:37万人、風力発電:10万人が全米で従事中との日経記事もあり、一概に判断予見ができません)

歯ブラシの穂先広がり夏は往く

器具修理に来た家主は、気持ちの良い話し方をする人で、素人っぽい手付きで直していきました。日本に度々行ったという家主は「日本で野菜屑処理器は見かけなかったな」と言いながら使い方のコツを教えてくれました。
大阪が好きだ、東京はNYと同じで大きい(嫌いとは言いません)という慎重な物言いの割に、接触の悪い照明が直らないと、「中国製だからね」と言うので「貴方まで何でも中国の理由にするのか?」と鎌をかけたら、「いや、EVERYではないMANYだ」と笑い、蘇州で工場を運営していた上海生活時代を懐かしげに語っていました。
「マサチューセッツの印象はどう?」と訊ねてきたので、「まだ一か月じゃよく分からないけど、光と風と緑が良いね」と応じると「加えて、SMILEだよ」と微笑み返しをされました。

ずっとBGMのように頭の中に流れているBEEGEES60年代のヒット曲、高校英語で歌えた数少ない曲の一節がまた浮かびました

Talk about the life in Massachusetts, Speak about the people I have seen,And the lights all went down in Massachusetts, And Massachusetts one place I have seen.

鳥去りて風と木の実の音をきく

(了)