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2013年10月5日

生きる意味、いのちの尊さ

マギー 梁(リャン) 安玉(アンギョク)
(本センター委員・香港日本語教育研究会長)

すべての「生」には意味がある。

何らかの原因で亡くなった幼い子の短い生涯でも、その周りまた社会や国、しいて言えば人類へ何かの示唆になるものを残してくれると思われる。
従って、自分と他人のいのちを尊重し、大事にしなければならない。それに、あらゆる生命のあるものとの共存共栄も心がける必要があると思う。

先日、夜明け前の暗い山道を散歩しているところ、引っ越している蟻たちを踏んでしまって、申し訳ない気持ちで一杯だった。
私の足が、蟻たちにとってどれくらい巨大な異物に見えるであろうか。おそらく、それは人間にとって崖から転がってきた巨大な岩石のような恐ろしいものの如くであろう。
わたしは蟻の気持ちになって、はじめて私の足が、蟻にはどれほど災難であるか、悲しいほど解った。

生きる意味といのちの尊さは、自分と自分以外の存在との関係から成立したものではないかと思う。そして、私は「同情」という表現を「自分以外の存在と同じ感情を持つ」と言う意味として理解している。
現代社会、特に都会の孤独な人間は、この「自分以外の存在と同じ感情を持つ」気持ちと能力が、段々希薄になりつつあるゆえに、さまざまな想像のつかない事件が発生したのであろう。
例えば、若い母親が、幼児を餓死させたり、少年が親や親類を殺したり、子どもが自殺したりするような痛ましい事件の根底にある原因は、自分と自分以外の存在とのつながりが分からなかったり、失ったりしたからだろうと思う。

生きることはとても大変なことであるからこそ意義がある。
人間一人ひとりそれぞれの力で懸命に生きていることによって、人類が継続できる。私たちが、自分以外の存在と同じ感情を持って精一杯生きていれば、人類がますます繁栄していくと確信している。

若い方の皆様、ぜひ自分と自分の周りの人々とのきずなを大切になさってください。