2013年11月8日
「奈良の二の舞を演じるな。」「東京は異日本!?」
井嶋 悠
昨年娘が他界し、当たり前のことに夫婦で、また個々に考えることも多く、井嶋の郷土で娘の生の基盤であり、娘自身が訣別の意思決定をした関西に、奈良の知人の家(空き家)を拠点に使えることになり、予定をはるかに超えて3週間ほど夫婦と愛犬で滞留した。
その家は、生駒と法隆寺の間にあって、静かなしかし商業施設や病院等公共施設の揃った田舎町である。標高2、300mのなだらかな稜線の山に囲まれ、その中を鉄道が走り、川が流れ、山裾まで民家が密に張り付いている。
そてその川が「龍田川」であり、駅名が「額田」であったりする。全国至る所、歴史にまつわる場所はあるが、穏やかな秋の日差しにも恵まれたこともあって、奈良の落ち着きが一層身に沁み入って、心ふくよかに、在原業平や古今亭志ん生や、裳裾を翻しながらそぞろ歩く額田王が思い描かくひと時を持った。
それができるのが奈良の魅力だと思う。
それは、法隆寺といった世界遺産の地であっても、東大寺などがある奈良市内中心部であっても、人出の数の違いはあるが、根っこにある自然を、旧跡を心身一体、他に惑わされることなくおのが心に収められる魅惑とでもいえようか。
井嶋の菩提寺は、京都今出川の近く鞍馬口にある。曹洞宗の寺は京都らしさ漂う小路にあるが、ひとたび市内中心部や有名地に出ようものなら自身の体感、リズムで在ることは至難である。神社仏閣より人人の顔が、その夜の寝床で過って行くありさまだ。墓参の帰路に立ち寄る楽しみであった「錦市場」など、東京の渋谷だ。
京都を訪ねる国内外の老若男女は、心満たされて帰路についているのだろうか。ほとんどが疲労困憊、失望を持ち帰っているのではないか、とも思ったりする。
以前、テレビで、観光客へのインタビューを交えながら、奈良では旅の楽しみでもあるその地ならではの美食やお土産探しに苦労するといったことが、京都との比較もいれて、楽しげに……映し出されていた。私、また私の周辺の人は、だから奈良が良いのだとの意味で同意していたが、奈良っ子はどうなのだろう。少なくとも代々奈良っ子の知人の女性は言うだろう。「そうよう!だから良いのようっ!」と。
京都生れの京都育ちで、京都の大学を出て、京都の大学で社会学を教え、京都と大阪を偏愛し、それが故に直截の苦言を呈している、「関西人」を自負するI氏は、コラムでこんなこと書いている。
ー奈良の二の舞を演じるな。明治の遷都以後、京都ではそう言われつづけていた。(中略)だが、奈良になってしまって、いったいどこが悪いのか。おちついた暮らし。のんびりした日常。都市の没落にも、すばらしい側面はある。なにも、無理をして、東京とはりあうことはない。むしろ、東京的発展の侵入はくいとめるべきではないか。ー
奈良っ子はどうなのだろう。
東京都に大阪都。日本はどこに行こうとしているのだろうか。
こんなことを言うのは、非現代老人の繰り言でしかないのだろうか。
東京の巣鴨と武蔵小山の商店街を行き交う老人の違いの、いずれを重きに置くのが日本なのだろうか。
後者で見かける孤独、かなしみ(悲・哀・愛)は、明日の私である。
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