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2013年11月21日

「自死」の重さ 再考 ―併せて自死観に見る現代日本(日本人)の酷薄と軽薄― その3 「韓国と日本の自死」について

井嶋 悠

用語については、「自殺」の方が一般的かとも思うが、死の持つ尊厳、森厳さから「自死」とする。

韓国の自殺は、OECD30カ諸国の中で最も高い割合であり、OECDによれば2002年以降人口10万あたりの自殺者数では日本を超えている。
2010年のWHO統計では、人口10万人あたりの自殺者数で世界一位となった。韓国の死因に占める自殺は過去10年間で倍増している。韓国の場合、高齢者に自殺が偏っており、60歳以上の自殺率は、2009年は10万人あたり68.25人、2010年は69.27人と極めて高く、その背景には高齢者の生活不安が解消されていないことにあると考えられている。(
これは、[Wikipedia]からの転載である。)

(尚、OECD以外も含めると世界で第1位は旧ソ連邦のリトアニアである。)

 上記では、若者の自死に触れていないが、以下の2つのことからも厳しい問題であることは見て取れる。

 日本でも近い例で言えば、2011年の上原美優の自死による波及があるが、韓国での芸能人の自死による「ウエルテル効果」は、大きな社会的問題となっている。

韓国は、日本以上にインターネット社会であり、他者への誹謗中傷も酷く、それが自死要因となるケースが多々生じていて、「サイバー侮辱罪」成立の動きもある。ただ、この法律は、表現の自由等から賛否両論で成立には到っていない。

その法律提案の一つのきっかけに、2008年、当時国民的女優であったチェ・ジンシルさん(39歳)の自死がある。ちなみに、その法律は「チェ・ジンシル法」とも言われる。

 以下は、チェ・ジンシルさんの自死に係る元日本語教師で、現在日本で言う文部科学省にあって重要な仕事をしている旧知の韓国人女性からの言葉である。

 「井嶋さん、チェさんの死は、貧しい家庭に生まれ、それを乗り越え国民的女優となったチェさんの真摯な生き方に共感していた私にとって、途方もない大きなショックで、それは多くの韓国人女性にとっても同じです。ただ、3年前のイ・ウンジュさん、昨年のチョン・ダビンさんといった人たちとは同じ目で見ないでください。二人は弱さによるものですから。」

コンピューターは、人間が創り出した機械であり、故障は必然で、「想定外」との言葉は、自然災害に対すると同様、人間の傲慢の(あら)われである。

とは言え、私のような旧世代のアナログ人間でさえ、コンピューターなしの生活に切り替えるのは至難である。ましてや国家間、世界領域では想像を絶する存在である。

そのコンピューターでの、匿名による誹謗中傷、風評発信は、少なくとも私にとっては完膚なきまでの悪魔の所業としか思えない。

にもかかわらず、現実は世界の到る所で日々量産され、発信者だけでなくほくそ笑む者がいて、同時に第2第3のチェ・ジンシルさんを生み出し、心未だ成熟途上にある多くの若者の心を切り裂き、自死に向かわせている。

それは現代の汚辱である。「自由と規律」は、永遠の課題かのように。

同じく旧知の韓国人日本語教師も心暗くする「大学入試に係る自死者」の問題。

韓国の大学入試は、毎年日本のニュースで取り上げられるように国民的、国家的大行事である。

学歴社会から生じる「学歴難民」、大学進学率が80%を越える中での、OECDトップの「私教育費(塾等)」と家庭収入から生じている進学格差の問題等々、深刻な問題を抱えながらも。

若者を(むしば)むこの問題は、日本以上とも言える。

別の旧知の日本語教師も、それらの現実に心痛め、どうにもならない世の趨勢に苛立っている。

韓国が、昨年(2012年)、日本を抜いて、自死世界第2位となった問題の背景には、「漢江(ハンガン)の奇跡」がもたらした負の結果との側面があるのだろうか。

やはり「文明」について考えが及ぶ。