活動報告

交流事業

日韓、そして日韓中(台湾を含む)の交流(国際会議)実践と主題
【以下の交流・会議の主催団体】

  • ◯1994年~2003年 関西日本語国語教育研究会 [この研究会については、当センターについてを参照ください]
  • ◯2004年~2011年 NPO法人日韓・アジア教育文化センター
    →詳細(発話表題・講師等)は、【1994年2005年までの交流・2006年上海での交流・2007年香港での交流・
    2011年宝塚(神戸)での交流】及びFilm:『東アジアからの青い漣』の各項をクリックしてご覧ください。

尚、上記、2006年上海での交流では、2種類の映像があります。

  • ①交流ドキュメンタリー映画『東アジアからの青い漣』
  • ②交流での学生日本語スピーチ

(注:下記主題については、講師の講演、発話及び日韓また日韓中からの参加教員、学生による討議で構成)

1994年 第1回 日韓韓日教育国際会議[神戸]

  • 日本と韓国の中等教育の現状と課題
  • 教科授業を通しての日韓の高校生に伝えたいこと
  • 映画に観る日韓の若者の昔と今
  • なぜ今日本語教育?

1995年 第2回 日韓韓日教育国際会議[ソウル・慶州]

  • 21世紀に向けての韓日交流の新しい図式
  • 新しい教育、これからの教育~日本語教育・国語科教育を視座~
  • 本会議と日韓相互理解

1996年 第3回 日韓韓日教育国際会議[神戸]

  • 古代、近世日韓交流史
  • 日本語教育、韓国語教育、外国語教育
  • 高校生の社会意識
  • 高校生と大学生によるシンポジューム「相互交流と相互理解」①
  • 日韓の幼児教育に見る伝統文化
  • [特別主題]「阪神淡路大震災と在日韓国朝鮮人の人権」(長田区内での講演と見学)

1997年 第4回 日韓韓日教育国際会議[ソウル]

  • 特別講演
    「韓国から見た日本人・日本から見た韓国人」 池 明観
    「『民話』にみる韓日の文化意識」 窪田守弘
  • 日本語、日本語教育
  • 高校生と大学生によるシンポジューム「相互交流と相互理解」②
  • 韓日高校生の生徒指導の実状と背景
  • 近現代史と韓日

1998年 第5回 日韓韓日教育国際会議[神戸]

  • 日本語教師、国語教師として
  • 日韓近現代史教育を考える
  • 漫画文化、アニメーション文化[日本・韓国・香港・タイ]
  • 国際交流[日韓交流]の現在
  • 特別企画「奈良見学旅行で感じたこと・考えたこと」(高校生・大学生・教員)

2000年 アジア教育国際会議[神戸]

  • アジアでの日本語教育と母語教育[日本・韓国・中国・台湾・香港]
  • アジア地域の日本人学校での国語科教育と日本語教育の現状と課題[北京日本人学校・台北日本人学校・ソウル日本人学校]
  • 日韓韓日教育国際会議とアジア教育国際会議を考える
  • 日本語を媒介とした若者の交流(日韓中台からの参加学生による意見交換)

2004年 第1回 日韓・アジア教育国際会議[神戸]

  • 日本語教育、国語科教育と海外帰国子女教育、外国人子女教育
  • [特別講演] 「韓国での海外帰国子女教育と母語教育」
  • 外国語教育としての日本語教育現在からの日本の課題、役割
  • 日本の中等教育での韓国朝鮮語教育
  • 座談会「日本の大学への留学、入学希望者の現在」[ソウル・香港・長春・台南]
  • 今回の会議と日韓・アジア教育文化センターの今後

2005年 第2回 日韓・アジア教育国際会議[釜山]

  • 日本語教育での「日本事情(文化)」教材[韓国・香港・台北・北京]
  • 日本での韓国語教育
  • 韓流ブーム、韓日修交40周年、韓日の若者[講演と高校生大学生による意見交換]
  • 海外帰国子女教育

[1994年〜2005年までの国際会議概要]PDF

2006年 第3回 日韓・アジア教育国際会議[上海]PDF

  • 特別講演「東アジアの過去・現在・未来」 池 明観
  • 東アジアでの日本語教育の現在 [韓国・上海・台湾そして日本の役割]
  • 日本の高校での国際理解教育
  • 上海日本人学校での国際教育、海外子女教育
  • 東アジアでの海外帰国子女教育

《ドキュメンタリー映画『東アジアからの青い漣』制作[監督:逢坂芳郎]》

2007年 第4回 日韓・アジア教育国際会議[香港]PDF

  • モノリンガル、バイリンガル、トリリンガルと自己表現と言葉の教育[日本・韓国・香港・台湾]
  • 香港でのメディアと言語教育
  • 香港での生涯学習としての日本語教育
  • 特別講演「文化と言語~国際化の中での言語教育~」
  • 『東アジアからの青い漣』の上映と意見交換

《ドキュメンタリー映画『私を求めて(仮題)』制作[監督:逢坂芳郎]〈予告編のみ完成〉》

【別記】

2008年 日本語教育学世界大会での[ポスター発表]

発表主題:「東アジアの学生交流に見る異文化体験」
開催地 :韓国・釜山
発表者 :本センター日韓中台関係者 7名

2011年 第5回 日韓・アジア教育国際会議[宝塚(神戸)]詳細

  • 東アジアと私たち
  • 平和学から東アジアを考える
  • 宗教から東アジアを考える
  • 小学校教育から東アジアを考える
  • 日本語教育から東アジアを考える

【注:第5回開催が、第4回の4年後に開催となった理由】
「東アジア」」を主題に、2008年台湾での開催を計画しましたが、助成金不可で実現しませんでした。
2009年日本で開催を計画しましたが、助成金不可で実現しませんでした。
そして、2011年、個人[韓国人実業家]からの助成を得て実現しました。

【フォーラムの開催】

2009年 「東アジアの若者たちからのメッセージ―日本語とドキュメンタリー映画『東アジアからの青い漣』を基に―」PDF
→詳細は、当日のプログラムをクリックしてください。
「東アジア・アジア・文化・日本(語)」をキーワードに、より明確な言葉を私たちは、紡げるのか紡げた言葉を私たちのどういう行動として提示できるのか、それは講師として来てくださった段 躍中氏が言われた「言葉の巨人、行動の侏儒」について改めて自問します。

教育事業

《日本語文章表現教室(通信)》

小学生対象

指導者は、本センター委員であり、小学校教員生活40年の森本幸一です。
彼の教師(指導)理念は、自然に向き合って生まれる子どもの感性と、そこから編み出される表現を大切にすることです。
そこには醸し出る優しさが、溢れています。それは親子が自然に感得しています。
その彼の思いについては、いずれ本センタ―「ブログ」に、彼の指導実際を掲載したく思っています。

ところで、最初に指導した生徒(女子)は、3年前、作文試験が課せられる希望の学校に入学でき、来年(2014年)アメリカの高校に公費留学することが決まっています。

中高校生対象

指導者は、本センター代表で、専任教員として30有余年、関西地区3校の私学を経験した元中高校教員の井嶋 悠です。
本人が言うには、自身の発見また国語科教師としての自覚を促したのは3校での以下の出会いだそうです。

  • 最初の勤務校での、海外帰国子女(親子)や高校への外国人留学生との出会い(1980年代)
  • 2番目の勤務校(新設校)での、塾産業との日常的出会い(1990年代)
  • 最後の日本私学とインターナショナルスクールとの日本最初の協働校での、外国人子女(親子)とインターナショナルスクールでのIB(国際バカロレア)高校日本語との出会い(2000年代)

尚、これらについては、これまでに本人が書いてきた「ブログ」を改訂掲載することになっていますので、それを参照ください。
この経験、とりわけ最後のIB日本語指導から、これまでに3人の海外在留IB受講希望の日本人高校生を指導しました。
(尚、直接指導では「ハイアーレヴェル]が可能ですが、通信では「スタンダードレヴェル」です。」
ただ3人の内、終了試験(高校3年次末2月)までの2年間継続できたのは1人(女子)で、彼女は高校(東欧の、ブリティッシュスクール高等部)を卒業後、首都圏の有名大学に進学しました。

(注:国際バカロレアについては、日本では、ここ何年か一部教育関係者で関心が高まって来てはいるが、欧米善し偏重からの紹介であったり、まだまだ正負周知されていない。いずれ本サイト「ブログ」で、井嶋の体験からの私感私論を、上記インターナショナルスクールでの生徒論文と併せて掲載することにしています。)

《韓国語・韓国文化教室[アカデミア KOREA]の開校》

2007年大阪に、元韓国教育院長を主幹に、現役韓国人教員も加わり、大阪の教育機関の協賛協力を得て開設しました。
しかし、主幹がご家族の急な問題から帰国することとなり、後継者も見つからず、協力くださった教育機関にも迷惑をかけ、半年で閉室を余儀なくされました。
韓国の本センター員や日本語教員との連携も含め、特色ある展開を構想していただけに、非常に残念な顛末となりました。
尚、その主幹のソウルでのインタビューが、本サイトFilm[映像]の『韓国訪問』に収められています。

《外国人留学生による創作絵本の制作》

これは、30年ほど前、1980年代、本センター代表井嶋が、当時在職していた高校(2年生)への、1年間の留学生徒に行った日本語教育の一環である。
帰国2か月前頃から、企画、制作(日本文作成、描画等)をあくまでも留学生自身で行った。
全部で5作品(5年間)あるが、その内、現在ますます日本に示唆を与える3作品をスライドで紹介する。

『動物たちのゆめ』1982年 アメリカ[文:ベブ・ケンプ/絵:スーザン・オライリー]スライド

【あらすじ】
日本で生活する犬・猫・ねずみ・うさぎ・セキセイインコは、それぞれアメリカでの自由で伸びやかな生活を夢見ている。
或る時、彼ら(彼女ら)は出会い、船でアメリカに渡ることになる。
しかしアメリカで待っていた現実の日々に打ちのめされ帰国し、日本で共に生活する。

『きっと どっかに』1983年ベネズエラ[エミリア・マス/(協力)金田摂子(ベネズエラからの帰国生徒)]スライド

【あらすじ】
日本人の少女が、世界で絶え間なくある戦争を解決するために、鶴や亀にまたがり、ヨーロッパ・アフリカ・南米大陸を巡り、仲間を集め、地球の平和に力を尽くす姿を描く。

『日本とタイ』1985年 タイ[ベンジャワン・プームサン]スライド

【あらすじ】
二人の宇宙人が、地球を訪れ、一人はタイに、一人は日本に、という設定で、タイと日本の文字・仏教・生活習慣・食について、画面を二分して比較し、また宇宙に戻って行く。

《韓国・中学校及び高校教科書(検定)『日本語』映像教材制作》

韓国では、中学校・高等学校での第2外国語学習(第1は英語)として「日本語」が、採用されています。
ちなみに、「日本語」以外に6か国語が設定され、その開講学校数、受講者数は以下です。(2003年度)

  • 中学校  第2外国語開講学校数 395校[内、日本語312校]
  • 高等学校 全校約2000校のほとんどで開講し、受講生徒数は約55万人

もちろん世界1の数です。

尚、ソウルの高校での日本語授業風景が、本サイトFilm[映像]の『韓国訪問』に収められています。
日本での韓国語開講校の不均衡の問題にもつながりますが、上記の数字を日本はどう受け止め、どう応えれば良いのでしょうか。
しかし、ここ数年、確実に日本語受講者は減少し、中国語受講者が増加しています。
或る韓国人は言います。「日本語受講での進学、就職そして経済でのメリットはもうない」と。
そして「韓流ブーム」は、終わりを迎えつつあります。
本センターのこれまでとそこからの今後に、存在理由があると思うのですが、いかがですか。
そのような現状にあっての教科書『日本語』の映像版制作です。

2011年以降、2013年までに4種類(2出版社)、制作しました。
2011年 中学校
2012年 高等学校
2013年 高等学校(2種類)

本センターに制作依頼があった背景

  • 本センターの中心的韓国委員[元ソウル日本語教育研究会長 (パク)且煥(チャファン)]が、教科書執筆者の一人であること
  • 2011年からの実績が、出版社(ソウル)で評価されていること
【概要】
[教科書の基本的スタイル]
  • 1年間の日本留学での、学校及び引き受け家庭での生活、友人たちとの交流を通して学ぶ、話し言葉を中心とした日本語と日本文化。(4種類とも、留学生は女子)
[制作]
  • 本センター員の映像作家、写真家、デザイナー
  • 撮影協力学校、生徒、家庭、撮影地の会社、店舗関係
  • 撮影地[首都圏](理由は、会話での発音、抑揚の関係が主)
  • 撮影日数:3日~4日
  • 編集等日数:2週間~3週間
[発見或いは課題]
  • 撮影受け入れの学校、家庭探しの難しさ=学校協力(現場・管理職の協働)の難しさ
    (尚、公立校の場合は、教育委員会への学校からの届けが必要)
  • 受け入れられた場合の、生徒の積極的協力
  • 日韓の経済格差からの契約までの難しさ
  • 事前相互理解を含め制作過程での、国民性(文化)の違い

研修事業

《韓国文化研修》

第1回 2006年
  • 慶州と扶余訪問(見学)
  • 慶州ナザレ園(韓国植民地支配下での日本人女性と韓国人の哀しみ)
  • 現代青雲中高等学校訪問(韓国企業「現代」が運営する、高度大学進学を目指す実験私学校)
  • 独立記念館訪問
  • ソウル訪問(見学、古典芸能鑑賞、日本語教員宅にホームステイ)

以後、諸事情から実施していませんでしたが、韓流ブームの終焉を迎え、本センターの特性を活かし再開を、とも考えています。

《海外帰国子女教育研修》

第1回 2006年

概要:参加校(神戸から3校・東京から1校)の学校説明会を兼ねて
訪問地[上海・香港・シンガポール]の各日本人学校及び主要塾の訪問と関係者の意見交換(セミナー)

第2回 2010年[協賛協力:香港日本語教育研究会]

概要:香港とインドの日本人学校訪問と現地見学及び現地保護者、教員との交流
日本で教職にある旧知のインド人教員や、本センター幹事の「香港日本語教育研究会」長 マギーリャン梁 安玉の尽力で現地関係者との準備を進めていましたが、下記、突然の3事項のため、香港での在留保護者へのセミナー[主題:海外帰国子女教育と表現そして日本語教育・国語科教育]のみで実施しました。

[突然の3事項]

  • 2006年に実施できた日本人学校にもかかわらず、「前例がない」との理由で不許可
  • 香港でのセミナー会場について、香港日本語教育研究会内で事前了解されていたにもかかわらず、在香港日本公共機関から許可の取消し
  • インド日本人学校責任者からの本センターへの誹謗中傷により開催不可
【今後について】

海外帰国子女教育の、日本の学校教育また日本社会の現在を映し出し、考えさせる力は、非常に具体的で、衝撃力を持っていることは、強く社会問題化し始めた1970年代から今も変わっていません。

しかし、現実は「隠れ帰国子女」との言葉が象徴する歪んだ一面もあります。
それを前に、よって立つ場があいまいであれば、「高学歴にして英語高能力=エリート、国際人」の図式か、「諸事情から学力、家庭問題で苦境にある生徒」の切り捨てに乗っかり、流されることになります。私たちは、どこに立つのか、再考しています。

井嶋は1980年代から海外帰国子女教育に関わり、それがゆえに自省することも多く、いずれ「ブログ」で意見を表明するべく、その準備も進めています。その上で、本センターとしての第3回以降が組み立てられることを願っています。