総括、寄稿による提言の記録
Ⅰ 総 括
これは、会議の最終日に、映像・音声記録担当者を含む本センター委員や協力者をはじめとして、ソウルからの参加大学生そして裏方と学習の両立を成し遂げた高校生3人による、反省と今後への期待を込めての総括(まとめ)です。
(因みに私の語感では、「総括」と言う言葉は1970年前後の学生時代、2000年代初めの最後の奉職時代の経験から非常に違和感そして抵抗感がある語です。)
以下、発言順に要旨を記します。
掲載順
○マギー 梁 安玉(香港日本語教育研究会長・香港大学研究員) ○金 珉炅(ソウル・大学生:2006年第3回交流[上海]に高校生で参加) ○呉宮 多騎(高校生:韓国籍・ソウルのインターナショナルスクール在籍経験) ○松下 与野(高校生:中国系日本人・小学校6年生まで上海在) ○姜 瑜珍(高校生・韓国籍・韓国系インターナショナルスクール〈大阪〉) ○神田 尚人(大阪YMCA国際専門学校長) 小路 清一(大阪YMCA国際専門学校ディレクター) ○野島 大輔(関西学院千里国際中高校) 中村 亮介(関西学院千里国際中高校) ○門脇 薫(摂南大学・日本語教育) ○井嶋 悠(日韓・アジア教育文化センター代表) |
朴 且煥(前・ソウル日本語教育研究会長・ソウル市内高校教諭) 今、このセンター発足の基礎ともなった1993年のソウルのホテルでの出会いから今日に到る時間が、様々な方々のお顔と共に私の脳裏を駆け巡っています。 「ソウル日本語教育研究会」の意識の昂揚と伸展、更には韓国全土を網羅した「韓国日本語教育研究会」の創設。 私の大阪外国語大学(現大阪大学)大学院への家族帯同での2年間の留学とその留学中の本センターの発足。 2007年度『日本語』教育課程改訂に際しての「東アジアへの意識を深めることの大切さ」についての政府への進言。 本センターへの日本語教科書視聴覚教材の依頼と完成、等々尽きません。 私たちは方策を考え、実践しているにもかかわらず、財政問題で、また広報力の不足から交流や会議への動員力等々で難しい課題を抱えています。 しかしこれまでに直接に、間接に力を与えてくださった方々は200人を超えるのです。 私にはその200人超の方々との「同窓会」を実現させたい夢があります。 私は「慎ましくあろう、認め合おう、理解しよう」の心の大切さを改めて痛感しています。 |
マギー 梁 安玉(香港日本語教育研究会長・香港大学研究員) さんさんと降り注ぐ夏の陽光と緑豊かな樹々と溢れんばかりの蝉の声、この静謐な環境で数日間過ごし、心和む私を見い出しています。 それは、香港にあって「文明」「文化」について考えることが多い日々にあるからなおのことです。これは今回のテーマとも強く結びついています。 私が、2000年からこのセンター委員の一人として、また交流と会議の参加者として関わり、幾つもの大きな収穫を実感しています。 この収穫に共通してあることは、「対話」、それも慈悲の心に溢れた対話が、持つ意味、力の大きさです。 家族であれ、国であれ、世界であれ、対話は、すべての始まりであり基本です。 私はここで日韓中の対話から実に多くのことを得ました。 それは先生方との対話であり、日韓中の若者たちとの対話です。例えば、 香港では2009年から教育制度や課程の大きな改訂が行われ、韓国の先生方との対話から得た内容は、私たちにとって大きな力となりましたし、 最近私は、若者たちに「○○人としてのアイデンティティ」といったことよりも、「人間であることがアイデンティティ」が要ではないか、「○○人としての」は不要ではないか、とさえ言っています。 今回のワークショップでも大いに発揮された対話をより大切に、と思っています。 |
金 珉炅(ソウル・大学生:2006年第3回交流[上海]に高校生で参加) 他国でも同じくあるように韓国でも、東アジアでの歴史問題また観光や経済に係る日本への、中国へのイメージがあり、時にそれは先入観として私たちの中にあります。 しかし、対話することで多角的に考える素晴らしさを味わい、先入観から脱け出すことが できると思います。 今回、日本語教育に係るワークショップは、日本語を学ぶ一人として東アジアの日本語教育事情を改めて知る機会となりました。今後より多く学び、積極的な発言が重ねられる、 そんな挑戦の姿勢を大切に、先入観のない私を創りたく思っています。 |
呉宮 多騎(高校生:韓国籍・ソウルのインターナショナルスクール在籍経験) 初めての参加で、どんな雰囲気なのか見当もつかなかったのですが、日韓中の相互理解への貴重な機会を実感し、とても勉強になりました。来年も是非参加したいと思います。 |
松下 与野(高校生・小学校6年生まで上海在) 日韓中の交流とは言え日韓が主になったように思いますが、今後より広い視野でアジア・東アジアをとらえて行けたらと思います。私の日本語力への自信のなさもあってついつい発言が少なくなりましたが、この素晴らしい機会について広める活動を大いに推進して欲しいと思っています。 |
姜 瑜珍(高校生・韓国籍・韓国系インターナショナルスクール〈大阪〉) 裏方の仕事をしながらワークショップにも参加できとてもよい勉強の機会となりました。 「三年計画」の一年目と言うことですが、高校生・大学生そして主に先生の大人たちとの間での、またそれぞれでの確かな意思疎通の、両立に向けて、2年目3年目と継続、発展して欲しいと思っています。 |
神田 尚人(大阪YMCA国際専門学校長) 小路 清一(大阪YMCA国際専門学校ディレクター) 日本の若者の“内向き”性が、次代を託す一人として、とりわけ教育に携わる一人として 非常に気懸かりな昨今ではあるのですが、国や大阪府・市では、若者のアジアへの積極的取り組みを奨励し、様々な構想、企画が立てられています。 この会は、若者と大人の協働を大切にしているとのことですが、主点を明確にすることで、より特性のある会に発展するのではないか、とここ数年来の関わりから思っています。 若者たちの言葉の素晴らしさは言うまでもありません。 その若者たちの言葉が、この会からも一層力強く輝き広がることを願ってやみません。 |
野島 大輔(関西学院千里国際中高校) 中村 亮介(関西学院千里国際中高校) 平和学の研究者であり実践者であるノルウェーのガルトゥング博士が中心となり、地理的環境また非暴力の伝統を持つ文化的歴史的背景から、沖縄に東アジア共同体の本部を創設する構想が動き始めています。 1994年から先ず日韓で始まった交流、そして日韓アジアとしての日本での第1回、韓国での第2回、上海での2006年・第3回、香港での2007年・第4回、そして今回と積み重ねて来た経験と反省を活かして、来年、沖縄での開催が実現できるように努めましょう。 |
門脇 薫(摂南大学・日本語教育) 前任校山口大学での日韓日中交流を担当した経験、また私の子どもをインターナショナル保育所に行かせている経験から、異文化交流の実施には様々な難しい問題があること実感しています。だからこそそれらを乗り越えた時の喜びも大きいかと思います。 私は、大学で「日本語教育講座」を持つ意義を大事に、学生に異文化交流によって得られる成長への刺激を与え続けたく思っています。 |
井嶋 悠(日韓・アジア教育文化センター代表) 私は「日本主義者」といった類の人間ではないと思っていますが、加齢と住環境の変化が一層そうさせるのか、日本の“真・善・美”について考えることが増えています。 そんな私にとって、今回のテーマには、日本の文化とか精神の源流探索への期待が込められています。誤解を怖れず言いますと私の個人主義的共生探しであり、日本再考です。 さて、私の発話は、厳として在る「東アジアの精神文化・心の基層」の基本確認です。 四つのワークショップは、それぞれからの東アジアの現状確認です。 西洋起源の平和学に見る、性悪説に依拠しての東洋思想との融合指向。 韓国、中国の国事情があるとは言え、数値には見えない人々の内奥に在る仏教。 キリスト教の慈愛からの日本人の大人たちと日本の小学生東洋人たちとの協働。 自然・人との関わりを表わす日本語、日本文化への関心が持つ日本の役割と可能性。 私が今回直覚できた五項の接点は、中正・中道・中庸と自律と思えてなりません。 これはあまりに牽強付会・こじつけでしょうか。 |
Ⅱ 寄 稿
これは、会の終了後、本センター委員だけでなく、高校生・大学生をはじめとします参会の
方々に「本会への、本センターへの提言を踏まえての感想」をお願いし、寄せてくださった20人の情愛こもった言葉の数々です。
感謝し、(あいうえお順)で掲載します。
第5回日韓アジア教育国際会議に参加して 逢坂 芳郎(映像作家) 「日本で行われた今回の会議は、第4回の国際会議から4年経過しての開催でした。 今までの会議と違ったのは、教育者と学生が同じ部屋、テーブルでワークショップに参加したことです。 教師と学生が同じ目線で意見交換したり、協力して発表をすることは、上海、香港では見られなかった光景でした。 年輩の教師の方々に親近感が沸き、家族のような雰囲気で3日間を過ごすことができました。各地から集まった参加者をひとつの家族として考えたとき、会議が食卓となり、議論は対話風になり、包み隠さず素直な気持ちを、ひとつの目標にむけて発言、共有できると思いました。これはこの国際会議の魅力です。 東アジアの歴史や関係を語る際に、大人の世代と若者の世代には違いがあります。 これは、お互いが感じていることですが、教育現場では、教える側の教育者の考えが一方的に若者に伝えられていきます。 しかし、積極的に交流をしているのは若者であり、彼等が日常の交流から感じていることと過去の歴史には、ギャップがあるのです。ですから、若者が教育者へ発言することはとても重要であると私は思います。彼等の意見を聞くことは、教育者にとってとても貴重であり、教育者に自身の経験を語ることは若者にとっても貴重な体験であるのです。 第3回の会議で池明観先生が示した未来の若者へ期待、若者の交流は近年さらに積極性を増し、氏のおっしゃった通りになっていると感じます。 そうなった今、先代の大人達はこれをどうみるのか。 交流する彼等の姿が微笑ましいのか、それともまだ彼等の歴史認識は甘いと思うのか、僕はこの辺りに興味があります。 これから大人達はこの若者達に何を与えていくべきなのか。
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学生と共に 門脇 薫 (摂南大学) 今回、日韓(韓日)アジア教育国際会議に参加しましたが、個人的に、これまでできなかったことができ嬉しく思っています。 それは自分が教えているゼミの学生と一緒に参加したことです。 これまで海外、日本の大学の留学生センターで外国人学習者を対象に日本語教育を行ってきました。 2008年より今の大学の外国語学部で日本人の学生を対象に広い意味の「日本語教育」を担当しています。残念ながら今回の国際会議の期間が、ちょうど大学の学期末試験と重なり、私も学生も期間中全てに参加できませんでした。 今回の国際会議のように、前に勤務していた大学では、韓国・中国・日本の大学の学生が交流するプログラムの企画・運営をしていましたが、3か国のスクールカレンダーが異なるので日程を決めるところから異文化ギャップを体験しました。 最後の報告会での話を聞き、東アジアの若者が一堂に会し、議論しながら交流を深めている様子を見て、私自身も勉強になりましたし、1人でも多くの学生に参加してほしいと思いました。 今後もこのような国際会議が継続され、更に活発な交流がなされることを期待しております。
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「いろんな考えを尊重することの大切さ」 姜 瑜珍 (コリア国際学園高等部1年生) 今回のワークショップに参加させていただいて、私は、自分の考えとは違うたくさんの意見があることに驚きながらも最初は否定する気持ちが多かったと思う。でも、この気持ちが、アジアが一つになれない原因につながるのではないかと思うようになった。 多民族の国家が一つに、アジアの国々が一つになるということは、同じ考えを押し付けるのではなく、それぞれの考えを尊重し、交流することを意味するのではないだろうか。 どんなに小さいことにおいても、どんなに大きいことにおいても、いろんな考えを尊重する姿勢を忘れずにいたい。 自分と違う考えを持っている人との出会いと交流の場は、学びの場である。 来年もまた参加したい。
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今回の会議 河野 祐子 (香港で出生し、一時帰国し、後シンガポール日本人学校小学部卒業後帰国、東京の中学、大阪の高校を得て・・人生構築の旅 または、自分自身と向き合い中。。。) 初日しか参加できませんでしたが、久しぶりの東アジアという事柄についてなかなか頭が回りま せんでした。 やっとあ〜住み心地いいかもなあっと思い始めたところですね。ただ、日本はサービスは細かいし、ご飯はおいしいし、便利なので、居心地が良すぎて厳しさを感じないためもっと閉鎖性を起こす可能性は高いと思います。最近の若者は閉鎖的だと言われていますが、厳しさがなくなっているから閉鎖的になる一つではないのかと感じました。
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先入観、もう捨てて行こう。 韓国 中央大学 日本語学科 金 珉炅 (キム・ミンギョン) 東アジア、その中でも特に外国語を勉強している人なら地域による特徴や文化などについてせめて一回ぐらいは考えたことがあると思います。 しかし日常生活で意識的に東アジアと自分を繋げようとする人はどれぐらいいるでしょうか。 普段ならなかなかふれることの無い会議に参加させていただく度に、気持ちのいい刺激や反省があって本当に感謝しています。 東アジアの国同士で複雑に絡み合っている数多くの問題。 会議のその場で答えが出たわけではありませんでしたが、私達が色眼鏡で見ていたお互いについて、より中身に集中できる一つの種をもらったような気がしました。 これからはその種をどう育てていくかの問題だと思います。 同じ東洋人、地球人、人間として共に生きていく世の中を作っていけたら、と思える時間でした。 「みんなが幸せになることなんて無理」と言われても、屈せずまっすぐにそれを目指していけるようになれたらと思いました。 切なき歴史の中で毎日を生きていた過去の人のために。 今、この瞬間を生きている私達のために。 そして、私達が創った世界でこれから生きていく人のために。 日本語学習者として韓国、日本または東アジアについて誤った知識や考えを持っているところもあると思いますが、今回の会議のような集まりがより活発に行われて、たくさんの人に来てもらえるようになればと思いました。 ありがとうございました。
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アジアの“つながり”の起点 呉宮 多騎(呉 多騎) (大阪YMCA I.H.S 第2学年) 中国、韓国と日本を中心とし、認知度とともに規模、参加者が拡大し増えれば、と思います。 老若男女すべての世代の人々が互いに意見を交換でき、協力し社会に影響をあたえられるような そんな1つの大きな会議、つながりの場になれば良いと思います。 そして、皆の理想のアジアを見つけていきたいです。
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私を考える大切な機会となった交流会 佐々木 成美 (摂南大学 外国語学部)
私が参加できたのは7月30日(土)の初日だけでしたが、このような場に参加するのは初めてでしたのですべてが新鮮でした。 |
里才門 (映像作家・英語教育制作者) またしても、超個人的な視点にて書かせて頂きます。 日韓中国際交流[第五回日韓・アジア教育国際会議]。僕にとっての初の少人数会議。椅子を円形に並べ、場をつくる。これがまた良い。 ディスカッション中にも少々ふれたが、僕は未成年の頃から節目節目にセンターによる交流があり、今は30代になった。若者側と大人側のちょうど真ん中あたり。いや、大人側だろう。どちら側にいるというのは対して重要なことではないのだが、30代という響きが新鮮で、ここに書いてみる。 他にこの様な形で書く場所もないので、あえて東アジアの者として書く。その東アジアだが、普段の生活の中で「あえて」使う機会も少なく、試着とでも言おうか、認識の認識とでも、わかっているけど、わかっていないような(「解る」というのも不思議なもので)そんな感覚なのだが。いつも。 それが、標題の「The map
is not the territory.」訳すならば「地図は場ではない。」どこかで読んだのだろうと思い調べたところ、案の定様々な分野で使用されているフレーズである。 僕の何が共鳴してこのフレーズが出てきたのだろうか。おそらく僕がよく陥る「知った気」を警戒してのことだと思われる。 地図を見てその場を知った気になる。悪く言えば、その場を知らなくても良いだろうという方面に流れる思考。地図というとても便利な枠で、場を表す。 これは人にも当てはまる。様々な経緯よりその者を表す「地図」を入手し、その者を知った気でいる。もちろん何事にも最低限の「地図」は必要なのだが、要はそれが「場」ではないということを念頭に置おかなければならないということ。 とても難しいことであり、地図を見ないという力を伴う選択には、勇気がいることに再度気付かされる。そして、椅子を円形に並べ場を作った今回の会議により、自分がほつれていくのを感じた。 行き先を失ったほつれはどうなるのか。それは次の場によるのだろうが、うすうすとその「次の場」が僕に地図を見ない勇気があるかどうかを確かめる気がする。ほつれの先端からその場を形成するものとの繋がり。 インスピレーションはIN-SPIRATION.
SPIRIT(魂/息)がIN(入る)。そんな東アジアを呼吸して活力を得ている。
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天涯比隣 小路 清一(ショウジ キヨカズ) 大阪YMCA 国際専門学校 国際高等課程 人が集まり、ある一定の時を共に過ごせば、様々な問題が起きる。誰か1人が利己に走れば周囲は迷惑を被る。親切の積りが迷惑になることもある。己を利するために合従連衡、徒党を組んで他を圧することもある。しかしまた、1人では思いも依らないことが出来たり、1人悩んでも解決しないことが、ふとした周囲の人々のやりようがヒントになったり、またちょっとアドバイスをもらったりヘルプを受けるだけで乗り越えられることがある。 これは、国(地域)どおし異文化どおしの関係でも同じである。特に東アジアに位置する中、韓(・朝鮮)、台、香港、日は、文字を共有しながら互いに長きにわたり上記と似たような接触・からまりを地図上限られた地域の中で繰り返してきていて、時に戦となり、時に共に栄え、などの歴史を経て今日がある。 そのような時の流れの中で培われた互いの互いに対する感覚は極めて複雑なものがある。外国人?隣人?同じ(東)アジア人?彼らはアジア人(自分は違う)?また、自分は日本人だ(韓国人だ/中国人だ)!などと頑なに言うほど尚更複雑な響きがいや増す。昨今のように国境を越えての人の移動が加速していると尚一層である。 要は、同じと思えば同じだし、違うと思えば違うのである。或いは、同じと思っても違うし、違うと
思っても同じである。そのような感覚を我々は互いに関して持っているのではないだろうか?「イギリス人」とか「カナダ人」とかをイメージする時のはっきり自分とは切り離された明快な感覚は私には持てないのである。同じことを韓国の人や中国・台湾などの人に尋ねたことはないが、きっと似た感覚があるのではないだろうか。そうだとすると、これは、アイデンティティーの根幹に関わる大切な感覚である。例えば、「日本人」という時、その響きの中に否応なしにより大きな広がりをもった「(東)アジア人」の響
きが含まれていることになるからである。 まさしくそこに、「日韓・アジア教育文化センター」で私たちが「交流」を進め、互いを励まし合う意味があるのではないだろうか。互いに通底するものを感覚的に確認しあいながら、(東)アジアというより大きな枠組みの中の自身を再確認し、今を再評価し、今後に資する「何か」を共に紡ぎだそうと想いと力を合わせる。 今回、久しぶりに実施された国際会議に部分的ながら参加できて、上記のようなことを想い、「天涯比隣」という言葉が思い出されました。 離れていても近しく想えることの大切さ。
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交流会を想う 田浦 海 / (一応)社会人 はじめに、場所が好きでした。 駅から瀟洒な住宅街を通りぬけ、石畳の途を登りつめた先の、学園内の庭にある離れで会を催すのがよかったです。神戸という場所かもしれません。 初日のみの参加でしたので、感想はそれに限定されますが、少ないながらも異なる生活背景をお持ちの人が集り、各々の紹介が丁寧になされたのは当人にすれば恥じらいがあるかもしれませんが、会の意図を踏まえると必然でしたのでしょう。 ただしそうした生活背景を知るに留まり、謂わばその人のそうした枠組みに収まった、或ははみ出した、その生活背景を原因とする詳細・具体に触れる時間が、慾をだすならば、食事の間以上にほしかったです。 異文化間の接触をまず理論として整理するよりも、なまの状態での異文化の接触をまのあたりにしてから理論を探すという意になりますが、前者はもちろん先生方の講演であり、次回は後者に対する時間をも楽しみたいという意見になります。 僕自身、SIS(千里国際学園中高校)という、異種の背景をもつ人間を受けいれる環境をそなえていた場所にいた為、逆に、真摯に異種の背景を持つということを考えることが少なかったですが、それは日本においては非常に特殊な環境だと今は思います。 漢籍や、日本の古典を鑑みることは、それら時代や人と書を通して対話し、対話することで自分を見直す機会になり、その意味では異文化交流を行う上での指針を提供する材料となり得るため、先生よりお話のあった資料は興味深かったです。 あるいは、そうした対話から銘々が導いた指針を、あの会場にいらした人をもって互いにぶつけ合えたなら、より真摯に、もしくは親身に、異種背景の問題を捉えられたかもしれません。 元より真摯・親身に考えておられる人にとりましては礼を失する言葉ではありますが。ただしこのような事を考えること自体、この交流会という場がなければ突き詰めて思うこともないですので、貴重なきっかけをありがとうございます。
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今後への期待・願い・提言 関西学院 千里国際中等・高等部 中村 亮介 今回の会議は少人数ながらとても密度の濃いものだったと思います。 何よりも、各ワークショップの後に、講師である我々と参加者である高校生や大学生などの若い人たちと意見交換をした事でした。 今までのセミナーや会議は講演や発題を聴く事がだけ、というようなものが多かったように思います。ところが、今回は参加者の人数的なものもあって、お互いがとても良く見える会議であったように思えます。 提言(アイデア)としては、次回もこのような時間や場所を設定できる企画を入れると良いと思います。最終日の総括のところでも話したと思いますが、若い人たちの意見や考えを聴きまた、若い人たちも年長者の色々な考えや思いを知るという事は良い事だと思いました。 案としては色々な年代の人が一つのグループになり、テーマ毎に集まり、話し合い、意見を出し合う分科会的な場があってもいいかなと思います。 次回はもっと多くの年代を越えたみなさんに参加してもらえたら、と願っています。その為にも、私も助成金や企画の事、色々と今から考えて行こうと思います。
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第五回 国際会議に寄せて 八洲学園高等学校 二宮 聡 -東アジアの輝く未来に向け若者が集う、交流の空間- 第五回会議、大変お疲れ様でした。今回は1日(8/1三日目)だけの参加となりました。 過去の恩讐や歴史を超えて、東アジアの地に集い、交流する素晴らしい空間。 その空間と交流の歴史を若い人たちに残さなければなりません。 その輪を広げていきたいと思います。 第6回は、そんな空間になるように、微力ながら協力させて頂く所存です。
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この会議への、平和学の着床について 野島 大輔 (関西学院千里国際中・高教員、立命館大学博士課程) 今回のセミナーにて、初めて「平和学」のワークショップを担当させていただきました。 当センターは、日本語教育のつながりを原点として発足したため、社会科や国際関係の専門である小生のご貢献は常に色物・脇役として、と心得て参りましたが、今回の参加者の皆さまの「平和学」へのご関心を期待していた以上に強く得られたことを喜ばしく存じております。 世界の多くの地域では、EU、アフリカ連合、などの様々な共同体が創設され、それぞれの課題に向けて奮闘しておりますが、東アジア地域には今もってそのような機関はなく、東西冷戦、ともすれば二次大戦当時の遺構がそのまま残存し、今日の東アジアの人々の友好的なつながりを妨げております。また、近年は領土・領海をめぐる古典的な国際紛争があちこちで再燃し、各国内部では極端な自国中心主義的な思想が次第に頭をもたげ、大きな懸念となっております。 平和学の創設者の一人である、トランセンド国際・共同代表のガルトゥング博士は、世界の様々な紛争の調停に関わる中、東アジアの中央に位置し、独自の非暴力の文化を持つ沖縄に本部を置く(米軍基地の撤退後の労働者を積極的に雇用)東アジア共同体の構想を以前から提唱しています。またこの構想が現実的ではないとする諸批判にも答えて、対象となる諸国の人口・経済などの規模の不均衡はEUのときにもあった、としています。さらに、この秋には中国を訪れ、NGOからのアプローチで東アジアに平和をもたらすためのプロジェクトを試行する、とのことです。 ワークショップの前半では、平和学の基本概念や、紛争解決法の基本的なトレーニングをご紹介し、帰属について争いのある孤島の共同利用の方法についての案を考えていただきました。後半では、漢字文化、コメ食、など分厚い東アジアの文化的共通点を好材料と捉え、民間サイドから東アジアの平和的な動きを創るという意味で、参加者の皆さまに「東アジア共同体の歌」の作詩にトライしていただきました。残念ながら、小生の力不足にて完遂することができませんでしたが、これは今後の課題とさせていただきます。 賛同者、準備・企画、参加者の皆さまに御礼申し上げると共に、東アジアの若者や教育者が創り上げていく今後の知的共有財産がさらに実り豊かになることを祈念いたします。特に、想像力豊かな、若い人々の可能性に大いに期待いたしております。
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今回の印象を基に今後への、期待・願いまた提言 朴且煥(韓国、ソウル市、高校日本語教員) ソウル日本語教育研究会に加入した初年度の1993年、ソウルのど真ん中のあるホテルのロビーで井嶋先生に出会ったのがきっかけになり、20年近い長年日韓または日韓・アジア教育国際会議に微力でも力を尽くすことが出来たのは大きな幸いである。 1994年からの11回の国際会議(5回の日韓教育国際会議、1回のアジア教育国際会議、5回の日韓・アジア教育国際会議)に、準備、発表、討論などの形で参加したソウル日本語教育研究会の教員たちは日本語力の向上、視野の拡大、専門性向上などができ、日本語教員として質的に成長することになった。 国際会議に参加した教員たちの積極的な活躍により、ソウル日本語教育研究会は発展され、韓国日本語教育の全般に係わることになったので日韓・アジア教育文化センター主催の国際会議は韓国の日本語教育に至大な影響を与えたと思う。 7月30日(土)から8月2日(火)にかけて3泊4日間開かれた今回の会議は例年とは違って、少人数のワークショップの形だったので多くの方の意見を耳にすることができた(特に若者たちとの意見交換ができ、お互いに相手の立場を理解する大事な経験ができた)のでとてもよかったと思う。 今回の会議に参加させていただき、平和学から、日本語教育から、宗教から、小学校教育から、東アジアを考えるというテーマの講演、討論を通して一人の東アジア人として地域に貢献しなければならないということが分かった。 また参加者たちと話し合っているところ、頭に、心に「慎ましくあろう、認め合おう、理解しよう」という言葉が刻んできた。 先ずは自分の主張が正しいと一方的に強く主張しないこと、相手の意見を尊重し、認め合うこと、それが理解への第一歩であること、そういう考え方で東アジアの人々と交流していきたいと思ったのである。 今回の会議の問題点としては予算の確保と参加者の人数があげられるのではないか。 いくらすばらしい会議であっても予算がなければ開催自体が不可能になるから予算の確保は何より大切である。そういう面から今回の会議は予算の確保が開催の目前までできなく開催が不透明だったのは改善されなければならない課題である。 また11回の国際会議に参加された方々の数だけでも数百人になるのに今回の参加者は20名にもならなかったのは考え直さなければならないと思う。 ‘人間は生まれてから死ぬまで時間と環境に支配される動物であるが、人間が万物の霊長と言われるのは与えられた時間と環境の壁を乗り越えようと努力することにある’と大学時代の恩師から聞いたことがある。 今回の会議では足りない予算と少ない参加者の問題が挙げられたが、それは東アジアの平和と地域共同体時代の到来を期待して迎えている私たちが力を合わせて頑張れば乗り越えられると思う。 各自が自分の位置で日韓・アジア教育文化センターや国際会議のために一歩一歩進んで行きながら予算の確保や参加者の募集などに関心を持って広報し、努力すれば来年の沖縄会議、ひいてはこれからの国際会議が成功裏に開催できると思う。
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日韓中国際交流【第五回日韓・アジア教育国際会議】参加記 マギー 梁 安玉 (香港大学研究員・香港日本語教育研究会長) 井嶋先生の発話の中での幾つかのキーワードをもとにして、「国際会議」について私なりの感想を述べさせていただきます。 1「言語教育と文学教育」との不可分な関係への重視: 文学は言語と文化が結晶した表現なので、語学教育・多文化理解に無くてならない。また、素晴らしい文学作品は人類の共通している精神、感情を表現するものでもある。従って、日本語教育と日本文学教育を通して、日本とアジア、それに世界とのつながりと理解が高められ、世界平和に貢献できると思う。 私事で恐縮ですが、去年『方丈記』を読んで、たいへんな感銘をうけた。800年前の日本にはそんな素晴らしい作品があることで、当時の世界はいかなるものかまで、考えさせられた。そこで、一つの試みをした。『方丈記』についての紹介の文章を書いてみたが、その中で、同時代の中国や欧州での出来事も紹介し、いわば「個」の存在から、「世界」への試みだった。目的は『方丈記』の紹介を通して、他の国々の状況も多少垣間見できればと願っている。 拙文は「香港留日学友会」会誌に掲載されましたが、この度「日韓・アジア教育文化センター」のサイト「ゼロ」[http://jk-asia.net/0/zero.htm]にも転載されましたのでご一読いただければ光栄です。 2「対話」の意味 これから、個人と個人の間、または共同体の間、真心の「対話」がますます必要になっていくと思う。21世紀は人類にとっては未曾有な多文化接触の可能性を与えてくれる時代なので、「対話」によってこれまで、全く知らない文化についての認識と理解を得ることによって、誤解や紛争は避けられると期待している。言葉に限界があるからこそ、「対話」をしなければならない。沈黙は何もならない。「対話」はコミュニケーションの真髄ではないかと思われる。 3 国際の「際」 この「際」は私にとっては「すきま」という意味がある。特に多言語と多文化の社会に生きている人間は、時々、肩身狭く「すきま」に生きていると感じさせられるのではないか。 4 文化と文明 これから私たち、そして、若い皆さんの仕事は「日本語」のような「文化」をいかに生かして、世界平和という文明の境地に貢献することにあると思う。 これから、世界における東アジアの重要性が高まると考えられる。センターは発揮できることがたくさんある。 今後センターに望むことは、より多くの若者の積極的な参加と発言である。それによって、より多くの人々の参加と支持が得られると期待している。 次回の国際会議ではできれば、若者によるワークショップと発表も計画にいれたらうれしいと思う。それこそ、真の「大人・教師」と「若者・学生」と対話ができるのではないか。
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胸に同じ鼓動が弾む私たち 松下 与野 (大阪YMCA国際専門学校国際高等過程1年) 今回このような活動に参加できてとても光栄に思っております 限られた時間内でしたが私はこの活動がとても有意義だと思います。 私の日本語の表現がまだまだ未熟なのでうまく表現できませんが、 一言で言うと「普段学べないことを学べて色んな考え方を聞けて共感を得て楽しかったです!」 元から普段経験できないことを経験することがとても好きなので本当に楽しかったと感じます。 若者たちが参加できなかったところもありましたが、次回から改善したらもっと有意義に出来ると思います。 生まれや育つ地は違うけれど、胸には同じ鼓動、同じ人間の赤い血が流れているので、国や政府、民族や言葉の違いなどさほど関係ないです。 心さえ持っていれば、いつか分かり合える日が来て、争いの無い世界に近づけるはずです 帰国子女はいろんなバックグランドを持っており、普通の学生と同じなはずなのに、まったく異なっていることも多く、いろんな面で共感してもらえないところがたくさんあります。 でも、今回はその共感してもらえないということは無く、みんな心を持って聞いて共感に近い経験が出来てとてもうれしかったです
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『プロセスによる平和』 三ツ橋 敏史(筑波大学大学院生) 平和の定義は、「直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力を出来る限り無くす」ことである。出来る限り無くすという文言を言い換えれば、この世界で、全ての人や環境が平和な状態、また平和な状態が持続することはないのではないかと考えられる。では、平和とは一体どの状態が平和であるのか。それは直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力を出来る限り無くすように、多くの人々が平和について考え、議論し、答えを探ること、このプロセスを行っていることこそが『平和』と言えるのではないだろうか。 今回のアジア教育国際会議でも様々な人々が集まり、東アジアの平和や連携について考え、議論し、そして答えを探った。だから、会議に参加している人々は、会議自体は、平和であった。そして、その平和は持続的であった。しかし、東アジアの人々は、私たちだけではない。より多くの人々が、このプロセスを、我々と共に踏まなくてはならない。そのため、きっかけはなんにせよ、例えそれが漫画やアニメ、アイドル等であっても、まずはそれを媒介として、より多くの人々を集める必要がある。そして東アジアに対する考えを、思いを、ほんの一輪でも持って帰っていただけるようにしなくてはならない。参加した一部の人が、ほんの一輪さえ、考えや思いを持ち帰って頂ければ、その一輪は種を播き、より多くの人々が、東アジアの平和や連携について考え、議論し、答えを探るようになるのではないかと考えられる。これこそが東アジアの平和や連携ではないだろうか。 東アジアの平和や連携の先に世界の平和や連携が待っている。世界の平和や連携のためには、まず地域ごとでの連合を作り上げていく必要がある。既に欧州やアフリカでは、地域連合や国家連合が結成されている。しかし、東アジアにおいては、まだ連合が結成されていない。国家レベルにおいて、議論をしていくことも大切なことである。しかし、現在の世界情勢を見ても、市民の力は結束すれば、国家を揺るがすことさえできる。東アジアの人々が平和のプロセスを踏み、そしてより多くの人々がつながっていくことで、東アジアの平和、そしてその先の世界平和が見えてくるのではないだろうか。
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第5回 日韓・アジア教育国際会議を終えて 森本 幸一 (小林聖心女子学院小学校) 私にとりまして、開催が危ぶまれたこの会議が、日本の日韓・アジア教育文化センターを支えてくださっている皆様のみならず、韓国朴且煥先生、香港マギー先生等の熱い思いに支えられ、また金玉禮さんの財政支援を得て、ここ日本宝塚で開催されましたことは大変嬉しいことでした。 人数こそ二十名弱と少なかったですが、この会議の核となる先生方が集い、ワークショップ形式で語り合うことができ、実に有意義であったと思います。それは、毎回思うのですが、この会議に参加した若い学生さん達のめざましい吸収力と、会を終えた後の表情にも表れているのではないでしょうか。 ありがとうございました。 この会議の中心テーマを私は、「東アジアにおける平和と共生」と考えていますが、これは、最近の国際情勢特に、欧米の金融不安等を見ても分かりますように、ますますアジア、特に東アジアの重要性は増していると言えるでしょう。 その一方で、日本は予期せぬ東日本大震災や政治の混迷、中国の軍事力強化、北朝鮮の不透明感、東アジア間での領土問題等課題は山積みです。 そんな中で、とにかく3年ぶりに若い人たちも交えて「集い、分かち合う」ことを通して、互いに共有する歴史や文化に気づき合えたことは、今後のこの会にとって、いや次代を生きる若い人たちにとって実に有意義でした。 これからも、若い力が、柔軟な思考力と豊かな感性を発揮して、今までの日韓アジア教育文化センターのネットワークをフルに活用し、「集い、分かち合い」、そして、「ともに東アジアの感性(共生の歴史・文化)を共有する」会として発展していけば、これほど嬉しいことはないと思います。 そして、この会を通して、東アジアの若者達が、「よきライバルとしてともに手を携えて歩む」友を見つけてくれることを願っています。
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東アジアの学生達が日本の最も南で集まるということに大変自分自身も興味があります。 助成金のこともありますが、できるだけ多くの様々な国の子供たちが交流できる事を希望しています。 東アジアのことをより強く考えているのは僕ら大人なのですが、東アジアの繋がり考えると、時代背景はありますが、若者達の方が純粋に色々な角度からアプローチしているのではないかと思います。 そのためにも僕や映像作家の逢坂君による記録媒体は今後また必要とされていく気がします。 来年度のことも考えて少しづつ草の根活動をしていければと思っている次第です。 また、僕個人、今回は学生達の世話役を仰せつかり、面倒も見なくてはいけなく、それぞれ国籍など様々なバックグラウンドをもった学生達だったので、最初どのようにまとめようかと思ったのですが、そんな必要もなく、若い子たちはすぐに馴染んでくれました。 やはり研究者の偉い方々が、講壇でいろいろと述べるで講義形式ではなく、こうして『出会い』、『話し』、そして『触れ合う』ことが東アジアの繋がりを考えた時により分かりやすく、また考えさせられる気がしました
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