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2023年7月9日

『老子』を読む(十八)

井嶋 悠

第71

 知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病(へい)[欠点・短所]なり。夫れ唯だ病を病とす、是を以って病あらず。

×「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れを知るなり。」(論語)の合理主義

◇どこまでも人間自覚を毅然と持つ謙虚さ。老子の謙虚さの無限性と孔子の謙虚さの現実性。在るべき教師像。

 学校が持つ現実の合理性と、教え育むことが持つ無限としての知への、感性の練磨の悦び。

第72

 自ら知りて[明知]自ら見わさず、自ら愛して自ら貴しとせず。故に彼[法家の厳罰主義]を去てて此れ[無為自然]を取る。

◇自らを信じない者に限って、事が起こると抑え、罰則をつくろうとする。時間は限られている中、この発想は一見正当と思えるが、長い未来を考えれば愚策である。信頼関係のためには「上」が「自」を誇るべきではない。学校にあって、常に上である教師ゆえの低い所に在る教師。

第73

 天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召(まね)かずして自ずから来たし、繟(せん)然[泰然]として善く謀る[為し遂げる]。天網恢恢[広大]、疏[粗い]にして失せず[漏らさず]。無為自然[天]の大きさ。

◇教師は生徒の範であり反。その調和を意識化した時に生まれる学校の誉、伝統。大らか過ぎず、細か過ぎず。

第74

 常に殺[死刑]を司る者有りて殺す。夫れ殺を司る者に代わりて殺すは、是れ大匠(たいしょう)[大工の名人]に代わりて削るなり。

◇教師が生徒を処罰することの難しさ。宗教系私学の二重の難しさ?

第75

 民の治め難きは、其の上[お上]の為すこと有る[あれこれ干渉する]を以って、是を以って治め難し。

 唯だ生を以って為すこと無き者は、是れ生を貴ぶ[生命を尊重し重視する養生一派]より賢(まさ)る。

◇理想の学校としての、それぞれがそれぞれの自然態に委ねて営まれ、そこに生徒教師それぞれの、両者の調和が醸し出される姿。