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2022年5月16日

『老子』を読む(五)

井嶋 悠

第16

 虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作(お)こるも、吾れは以って復(かえ)るを観る。

⇔「虚静」「虚心坦懐」「無心無欲」

常を(常道不変)を知れば容(包容)なり。……天は乃ち道なり。道は乃ち久し。身を没うるまで殆(あや)うからず。

◇私が現職中半ばくらいまで、中学校の進路指導で、某私立男子高校を言われると、多くのヤンチャは「オレはここまで堕ちたか」と泣いたと言うほどに忌避されていた学校がある。そこの或る教師からたまたま聞いたことが、今も鮮烈に残っている。
同類が集まって学校の態を為していて、1年次はバラバラな暗鬱状態であるが、2年次になると自省、覚悟ができて来るのか、落着き、徐々に団結力が生まれ、3年次の文化祭や体育祭で、それが極に達する。その光景、そこに到る彼らと接していると途方もない感動が私を襲って来る、と。
その教師は、無心無欲の教師なのか、教育愛に徹した教師なのか。「同情ほど愛情より遠いものはない」[私が今もできていない重い言葉。]愛情と同情は違う。愛情は無心であるが、同情はタテの距離がある。とすれば先の両者は表裏一体なのか。
その教師が感動を体感している時、私は小学校時より特別に学力優秀で、それがために中学1年次1学期に挫折を知る、そんな生徒の集まりの女子中高校に在職していた……。と言って恥じているわけではない。私は私なりに感動を味わっていた。
尚、その学校は、或る時を境に、今では普通の?進学校に変じている。その教師はどうしただろう。

第17

 信(誠実・信義)足らざれば、乃ち信ぜられざること有り。悠として其れ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂げられて、百姓は皆我は自然なりと謂わん。

「無為自然の政治(政治の跡を残さない政治)」⇔「仁愛の政治」「厳刑(法家)の政治」

◇専任として2年目、右も左も分からないまま、中等部3年のクラス担任をした。初めての経験である。今の時代なら問答無用の幾つもの失敗、失態も多かったが、精魂込めてした。生徒がそれぞれに、言葉を最小限にする私について来てくれた。凄い一年だったと今も思う。そして高等部1年に持ち上がることを頑なに拒否した。怖かったのである。
三校目の赴任校に“金八先生”的熱情そのままに話す先生がいた。彼をカリスマ的に慕う生徒(多くは女子生徒)もあって、当然高校2年、3年と持ち上がるつもりだったようだが、一部の保護者、生徒から反発が出で、2年次で交代した。交代したのは私だった。交代した初めの内、彼を支持する生徒たちから散々反撥された。生徒の中には、私のクラスには厄介者ばかり集められたとひがむ者もいた。

『老子ノート』を書くに相応しいかもしれないといささか自負している。と思い返せるのも、最初の勤務校以後の多くの経験、苦難がそうさているのだろう。

第18

 大道廃れて、仁義あり。智慧出でて、大偽あり。六親和せずして、孝慈あり。国家昏乱して、貞臣あり。

 「大道」と老子・老荘⇔「仁義」と孔子・孔孟

◇公立学校はいざ知らず、私立学校広報は言葉の洪水である。都会に出れば、有名無名問わず、どの学校もアピール(セールス?)に余念なく、カタカナ言葉を交えて、一大狂騒合戦のよう。はてさてどの学校が良いのやら、そもそも何を以って良いとするのかに始まり五里霧中、結局は“有名校”に流れ、高偏差値で安心の支柱を得る……。これを当たらずとも遠からずとすれば、この範疇に入らない生徒たち、そして教師たちの心はどのように揺れ動いているのであろうか。
羊頭狗肉とまでは言わないが、勤務した学校のモットー[信条、指標]と実際が全き合致している教育機関は、先ずない。それを承知で説明会に行き、豪華な学校案内に魅入る。中には、入学後「話と違う」と苦情申し立てをする保護者に何度も出会った。
学校でも然り。ヒトが生きるということは、可能な限り自身の心に忠実に、他者と、社会と、接点(或いは妥協点!)を作るしかないのではないか。それが自身に許されないなら、「好きにしたら」と突き放すか、突き放されるか。と、私は私を顧み[省み?]思う。
ところで、ここでの「智慧」の使い方。学校教育では、「智慧」と「知識」を、生の骨組みに於いて意図的使い分けているので、少々違和感がある。改めて老子に提示されると考えてしまう。それぞれを[wisdom][knowledge]と英語で綴るとなおさらだ。
知識人・知識階級とは言うが、智慧は使わない。「智慧者」とはあまりいい意味ではなく、老子に近い?また「智慧賢しら」とは言うが「知識賢しら」とは言わない。
この使い分けは、道理の多少、深浅に関係ありそうだ。なぜなら知識に道理(心)は関知しない…?

第19

 素(そ)を見(あら)わし樸を抱け、私を少なくし欲を寡なくせよ。学を絶ち憂いを無くせよ。

⇔聖(叡知)を絶ち智を棄つ。仁を絶ち義を棄つ。巧を絶ち利を棄つ。

◇不登校が増えている。中学生では35人に1人が不登校の由。老子の言葉は、文明化、近代化への楔である。
しかし現実は留まることを知らない。美しい校舎、充実した現代設備・施設、そして自由。
「学、学、学…」何を学ぶのか。
不登校生とは、登校を拒否することで、そのことを無言で提示しているのではないか。
老子ならどう応えるのだろうか。孔子の方がまだ応えが分かりやすい。

こんな学校を経験した。
一部の?インターナショナル・スクールの、一部の日本人生徒・保護者の心身の豪奢心に強い違和感を持った。インターナショナル・スクール本来の心ある外国人生徒、保護者があるにもかかわらず。
現在、日本型?!インターナショナル・スクールが乱立し、IB,IB(国際バカロレア)とかまびすしい。
老子は極端に言うことで論旨を明確にしているのだろうけれども、あまりに軽薄な日本の今が怖ろしい。国際社会での「日本らしさ」とは何か、インターナショナル・スクールや外国人子女、海外・帰国子女教育に係わった、係わっている教師、生徒・保護者はよく視えるはずだ。

第20

 俗人は昭昭たり、我は独り昏昏たり。俗人は察察たり、我は独り悶悶たり。……衆人は皆用うる有り。而るに我は独り頑にして鄙(能無し、無力)我は独り人に異なり、而して母に食(やしな)(養)わるるを貴ぶ。

◇教師と坊主(東西の)は、酒癖が悪いと言う。私的経験では説得力はある。理由は今では日常用語となっていと「ストレス」である。そこに聖職者意識と人間者意識の間に揺れる姿があるからである。私は無類の酒好きであるが、己がそれまでと己への謙虚さ、と言うか前者意識の気恥ずかしさから、後者に徹していた。ただ、老子の言葉を借りればそれは「沌沌」であり、「昏々」であり、「悶々」で、徹するにはほど遠かった。そこに生徒からの、同僚からの、保護者からの教師・人間評価の分水嶺があったように、今にして思えば思う。
宗教系の学校の、その宗教の信徒は意志が明確であった。「母」を持っていた。だから動じることはなかった。ただ、人によって酒の加力で悶々が爆発することを何人かに、何度か見た。その人にとって、それは切々たる思いであったろう。私にとっては単に深酒の二日酔いが。
そして今、私は「母」を求め、あちこちで母を言っている。父は出て来ない。