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2022年7月16日

多余的話(2022年7月)   『サラダ記念日』

井上 邦久

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 (俵万智)

 七月六日、直江津 文月や六日も常の夜には似ず   (芭蕉・奥の細道)

西行500回忌の1689年に陸奥を歩いた芭蕉の句は、333年後の今宵も多くの人が口にすることでしょう。
1987年に俵万智が新鮮な衝撃を与えた歌集を35年後の7月6日に多くの人が思い出し、サラダの味を気にしたことでしょう。

300年を隔てた7月6日の意味に気づかせてくれたのは、作家の丸谷才一であったと俵万智自身が呟いています。丸谷才一のおかげで二つのベストセラーが「衆口難調」に陥らず、七夕とサラダが結びつきました。その意味でも、日本の韻律詩文の流れのなかで7月6日は大切な記念日になったと思います。

七夕を翌日に控え、笹を準備して短冊を飾り、星の伝説に思いを馳せる習慣は今も残っています。中国語や中国文化の入門材料として、元旦・上巳節・端午節・七夕節・重陽節という奇数月日が重なる日が使われます。生活習慣に残る節句の言葉の学習を通じて、文化伝統を初歩的に学びます。
西欧化とともに元旦は陽暦の1月1日が休日となり、会計年度の初日になります。しかし西暦の新年ではあっても「過元旦!」という通過点に止まり、陰暦の春節を待って「新年好!」となり、お年玉(紅包)のやりとりをすることは知られてきました。

7月7日は、七夕情人節とも呼ばれ男女のプレゼント交換(主として男から女への一方通行)が盛んです。
上海での駐在時代、古北路・仙霞路の宿舎の近くの「小譚花店」にしばしば立ち寄り、安徽省出身の譚さん夫妻とお喋りをしながら、日本出張の折に頼まれる商品(ベビーミルク・花切鋏など)の打ち合わせをしました。ただ二月のバレンタインデーや七夕情人節の繁忙期は商売の邪魔をしないように素通りしたものです。

上海も漸く封鎖が解かれ、赤いバラの書入れ時に間に合ったことでしょう。
いつぞや、その7月7日に販促イベントを企画した日系企業があり、内外から多くのクレームが発せられ、慌ててお詫びして中止したと聞きました。2012年前後の緊張した時期には、反日感情を刺激しないよう、多くのコンサルタント会社から過剰ともいえる自主的配慮と要注意日のリストが流されました。
「日本語は使うな、英語にしなさい」「お古の中山服を着ていれば安心」などと少々ピントがずれた助言も目にしました。7月7日は、要注意日の上位に位置づけられていました。

過剰反応の反動による気の緩みなのか、緊張感が減っていたのでしょうか?長年にわたり中国市場でビジネスを継続してきた大手の企業が、わざわざ7月7日、七七事変(1937年・盧溝橋事変)の当日にイベント企画をするということは単なるケアレスミスとは思えないことです。
日本本社の海外事業管理部署・中国現地法人の危機管理部・企画会社の幹部には多くの中国貿易経験者がいることでしょうし、日本留学後に入社した中国人社員や現地採用の職員も多く在籍していると想像します。
俗にいわれる「中国通」と目される社員たちの厳しいフィルターに引っ掛からなかったのか?中国人社員の是非判断が為されなかったのか?実に不思議です。
歴史教育の風化、85年前のことまでコミットできない、とする居直りの風潮や趨勢の中での決断とも思えません。想像をたくましくすると、「この日は拙い」「別の日にすればいいのに」という素朴な声が社内で届きにくい体質が主要因だったのかも知れません。そうだとすれば、歴史認識の議論より前の段階、「溝通」(gou tong:コミュニケーション)の問題となります。

6月の異常な酷暑が尽きて、7月も尋常ではない暑さが続いています。ご自愛専一にてお過ごしください。
時間が取れれば喧噪と暑気を逃れて映画館で過ごすのも一手です。
とりわけ『プラン75』や『教育と愛国』を観ると背筋が凍りつくことでしょう。

       文月や六日の次の分かれ道(拙)

2022年7月2日

『老子』を読む(七)

井嶋 悠

第26

 重きは軽きの根たり、静かなるは躁(さわ)がしきの君たり。

 軽ければ則ち本を失い、躁がしければ則ち君を失う。

◇「先生」と呼称される職業は多い。教育者、宗教家、医師、弁護士、政治家……。いずれも弁が立つ。弁が立つのも善かれ悪しかれ、と大人同士の時間が限られている学校世界ではとりわけ思う。雄弁家を不得手とする子どもたち(中高生)は多いのではないか。ただ、女子と男子で傾向は違うように思えるので一概には言えないが。10代から視た父性と母性…。或いは思春期前後期と「先生」。

第27

 善く行くものは轍迹(てっせき)なし。

 聖人は、常に善く人を救う、故に人を棄つることなし。…是れを明(明智)に因ると謂う。故に善人は不善人

の師、不善人は善人の資なり。

◇良い学校、優れた教師が、これである。しかし、現実の多く(或いはほとんど)は、言葉[理念]で終始するか、進学実績を競う学校も多い。教師の個人性に委ねられている場合は多々ある。絶対評価との見地に立って、全員をAにする教師がいた。私には、生徒[人]に大小高低長短等区別がないことの前提は得心できるが、その教師の真意は未だに分からないままでいる。

第28

 雄を知りて、雌を守れば、天下の谿となる。天下の谿となれば嬰児に復帰す。

白[光明]を知りて、黒[暗黒]を守れば、天下の法[模範・徳]となる。天下の法となれば無極[茫漠・無限定の世界]に復帰す。

栄を知りて、辱を守れば、天下の谷となる。天下の谷となれば樸に復帰す。素朴

◇公立学校はもとより、私立学校も教師になるには、採用試験を受けなくてはならないのが今日である。(私など例外中の例外である。だから若い人には常に私の轍を踏まぬよう注意して来た。)その試験はなかなか難関でもある。とりわけ公立学校採用試験に合格するのは、希望者の中でも学力優秀者が多い。
先日、教員希望者が減少し、質の低下を招く旨の危機感を表わす報道があった。教育委員会か文科省の役職人の発言なのだろうが、相も変らぬ官僚性で馬鹿馬鹿しいそのままだ。量より質。デモシカ時代は疾うに終わった。
この質、公立での、多様な私立での「良質」は千差万別。例えば「天下り」教師を見れば明白だ。無風、温室育ち(世間知らず)の、時には情報(知識)お化けの若者が、教師になって、多様な学校に赴任し、たまたま水が合えば順風満帆なのだろうが、その率は少ないと思う。
企業や官庁等も含め、学校卒業(終了後)1~2年の“モラトリアム”時間が、必要なのではないか。
度々主張、提案している《体験からの小中高大改革:6・6+2の14年間で20歳終了(中等教育修了)、大学の教養課程廃止、専門学校・大学の徹底した専門化等々》案、良い樸が生まれ、社会は落ち着くと思うのだが。

第29

 天下は神器、為すべからず。……聖人は、甚を去り、奢を去り、泰(泰侈)を去る。

◇どこの学校でも「個性の伸長」を言う。私の偏りなのだろうが、その時、積極性・主体性→アメリカ的個性、のイメージを描いてしまう私がいる。我ながらおかしいと思う。
こんな経験をした。「船頭多くて舟山に登る」。それを自然な巧みさで操るのがベテラン教師。もっとも、学校世界(大学も含め)、主体性への固執が最も強いのは教師世界かもしれない。山に登るどころか解体、雲散霧消し、まとまる話もまとまらない。墨守世界としての学校。これも体験からの話題。
教師で単純明快、理路整然としているのは、予備校と進学塾かもしれない。

第30

 果(勝)ちて矜(ほこ)ることなく、果ちて伐(ほこ)ることなく、果ちて驕ることなく、果ちてやむを得ずとす。

 物は壮(さかん)なれば則ち老ゆ、これを不道と謂う。不道は早く已(や)む。

◇学校の盛衰は教師にかかる。或る学校は進学で誇り、或る学校はスポーツで誇り、或る学校は更生で誇る。誇れる結果を導くのは教師であり、それを支える学校組織である。公立学校にない私学の多様と言っても過言ではない。
しかし、私が最初に勤めた学校[女子校]は、近年進学(全員が付設の大学か、他の大学に進学する。進学校を標榜していないが、進学実績は相当なものである。それは、彼女たちの自我意識と塾・予備校に因るものである。)の結果を意識的に公表しなくなった。学内改革である。その改革は、明治時代の創立理念に戻る、ということであり、結果としての進学であり、社会での彼女たちの働き、存在である。言ってみれば本末転倒を糺し正そうということである。
これをもって、その学校は終わったとの軽薄極まる感想を持つ者は、卒業生を含め内外にあるだろう。
どこか、現代日本の縮図を見るようである。