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2018年4月14日

貧すれば鈍す 或いは 「ありし日に 覚えたる無と 今日の無と さらに似ぬこそ 哀れなりけれ」(与謝野 晶子)

井嶋 悠

主に首都圏の人々が羨む、北関東の自然豊かな地に移住して10年が経つ。一中高校教師(校長でもなんでもない)だった身として、あまりに分不相応とは思う。寒さが苦手な私にとって冬は堪(こた)えるが(一方で、雪国の人々の生活、鬱々とした生活により実感的に思い及ぶ)、春夏秋の、草花、樹々、菜園に時を忘れる至福。怠惰な私の私なりの晴耕雨読生活。

大人の都合からの幼少時の寂しい日々、思春期での継母や父との葛藤、生母への思慕と現実、引きこもり等々、確かに翳(かげ)があって今があると言ってくださる人もあるが、私のような10代、20代を過ごした人が、すべて今の私のようとは言えるはずもない。ただただ、人々に恵まれた結果である。
それでも、現職期(中高校教師)は、それまでの自身への負い目もエネルギーとなって、結果としての「一日一生」(この語については、「一日生涯」を1年ほど前から使っていたが、源は天理教にある旨知り、広く宗教信仰者ではない(非・反宗教者との強い意志ではない)こともり、今後は「一日一生」を使う)そのままに、或る人が「まぐろ」と呼称するが如くに、過ごして来た。
時にふと無に思い及ばせる慌ただしい日々。
そのためもあってか、移住後の数年間は、40代以降に発症することの多かった偏頭痛、うつ病に襲われ、不安定の波にさらされた。そして、娘の心身悪戦苦闘の末の23歳での他界。

私自身への、その私が見知った教育への、憤怒は一通りではなく、その時私に冷静な力をもたらしたのが『日韓・アジア教育文化センター』活動であり、ブログ投稿と言う「書く」ことでの自照時間である。何度となく立ち止まる私。「まぐろ」は群れを離れ独居を愛するようになる。まぐろそのものはそこで死を迎えるが、私は生きるもう一つの姿を知った。

つい先日のこと。
妻が見ていたテレビ画面の下に出ていた数字72、175(165?)歳の文字。それ見た瞬時、私の中の心の、肩の力が洗い流され、自責し、叱咤し、かつてとは明らかに違う「無」を自覚した。
その数字は平均寿命ではなく、恐らく「健康年齢(寿命)」のことなのだろう。しかしその理由づけは、私にとってなんでも良かった。その数字は昨年72歳を迎えた私の数字であった。72年×365日×24時間×60分…との膨大な時間。

「一日一生」の真の実感。死生一如。「自然」[天と風土・気候の両意]の直覚と、そこに一切を委ねることへの得心。その瞬間現在が、私であるとの体感。過去への、未来への思いの一切の消滅。
私の中の「まぐろ」の終焉。大仰に言えば解放と自由の味わい。
種田山頭火(1882~1940)の句「何処でも死ねる体で春風」の境……。
昨年秋の全身を襲った数度の痛みは、この予兆だったのかもしれない。

十全に到れるかどうかはこれからの己次第だが、確実にその一端に入ったとの、或る悦びと安堵。そこから視えて来る周辺の、社会の様々な事象。放棄でも切り捨てでも自棄でもない眼差し。
その感覚は「不老長寿(不死)」を希う人々にとって冒涜であり、失笑冷笑をかうことを承知しつつも、私の健康寿命(家族を含め他者に負担・迷惑を掛けることなく自身一人で生きられる年齢)を平均寿命としたい身勝手な安らぎと喜び。その上で今日がある。今日がすべてで明日ではない。
暴論を重ねれば、「不老長寿」の願いは「自然」に背くとの意味において人間の驕りとも取れる。
改めて人の人であることの「哀・悲・愛(しみ)」の清澄が広がる。
何という晩生(おくて)!

 

時は春。
「水色」と「白雲」の空(天)を背景に、「久方の光のどけき春の日に」静かに咲き誇る「桜色」は、私たち日本人を陶酔させる。
先日、樹齢1000年以上と言われる枝垂れ桜の銘木、福島県三春町の「滝桜」を観に出かけた。(我が家からは車で1時間半ほどの所)さすがにその威容に魅入られた。
桜は見下ろすより見上げる方が大自然との一体感に浸れる。これまた何という晩生。

 

桜の種類は何百種類もあるとか。あの「染井吉野(そめいよしの)」は明治時代に改良された品種だそうだが、山間(やまあい)に一樹広がる山桜の得も言われぬ気品漂う存在感に魅かれる。
与謝野晶子の「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」の桜は何だろう?淡い紅色の枝垂れ桜だろうか。もちろん「人」は、女性でなくてはならない。
江戸時代の古典文学研究者にして思想家の本居 宣長の、しばしば引用される歌。

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

春の澄明な久遠に思い馳せる朝日と静寂。
桜の「潔く散る」姿と日本人(武士道?)を結び付る人が多いそうだが、桜はただ自然に委ねているのであって、だからこそ諸国を漂泊した12世紀の西行法師の、

「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」が、今も人々の心に響くのではないのか。

西洋の代表的春の花であるバラも自然に委ねて落花するが、桜の落花が醸し出す羽衣のイメージとは程遠い。淡泊と濃厚。和食と洋食の違いと言ってもいいかもしれない。水と油。

桜は、花弁が道一面に広がった後若葉が陽光に映え、そして夏陽の下の緑樹と輝き、やがて紅葉し落葉し冬を迎える。その間樹内では次の花弁のための準備が進んでいる。樹皮からは桜色の染料が採れる由。
その桜を古今日本人はこよなく愛する。

 

観光地(国)としての日本。「爆買い」も一段落して、地方探訪・再発見組が増えていると言う。工業化、近代化、合理化、国際化の狭間での安息願望…?外国人観光客だけでなく、国内日本人観光客も…。
私が居住する地の20代の、大学や就職で首都圏体験をした青年たちは異口同音に言う。「東京は住むところではないですね。」
しかし、東京に行かざるを得ない現実。専門学校・大学進学や就職の一極集中。
これは日本だけではないだろうが、そのこととは別に、日本の主体は今、ますますもって国際化=西洋(欧米)化の二番煎じになりつつある…。

日本は古代以来、久遠の平和国家であったと言うほどに、無恥にして無知ではないつもりだ。酷い権力闘争、内戦、異民族排斥、海外侵略等、そして戦後生まれ(1945年〈昭和〉8月23日)の結果論言辞であることを思いながらも、あまりに無謀で、驕慢で、哀切極まりない太平洋戦争と敗北。
そして、漁夫の利よろしく他地域の二つの戦争[朝鮮半島・ベトナム]特需の恩恵での高度経済成長を遂げ、更にはアメリカの核傘下があっての平和国家であることを認識し、再確認すべきと思っている。
それがあってこその日本の戦後であり、現在であり、今後ではないか、と。

そこに日本の「伝統と革新」を考える重さを思うのだが、最近それと裏腹の三つ+一つの「現在事実」を突きつけられた。ますます諦めと政治離れに拍車がかかるのではないか。それをほくそ笑むの誰なのか。

【三つの事実】

○心肺停止の高齢者を救急搬送した消防機関の内、46機関で蘇生措置を希望しない意思表示があった、との事実の背景にあること。

○貧困対策としての『子ども食堂』が、全国に2286か所あり、一位が東京の335か所、以下大阪の219か所、神奈川の169か所と続く事実が表わしていること。因みに私の居住県栃木は23か所。

○税制改正関連法が成立したが、M新聞の長期視点での、富裕層にとっては減税、貧困層にとっては増税になるとの指摘通りならば、政治家が目指す日本とは一体何なのかとの疑問。

これらの根底に在る姿勢を考える時、北欧三国[スエーデン・ノルウエー・フィンランド]の、税制、国の(或いは政府の)指向が比較される。しかし、税の在りよう、税率の大きな違いが比較され、或る解説では、「三国の『大きな政府』と日本の『小さな政府』の根本的違いを言い、日本ならではの良さがあるのも事実である」と記してある。
しかし私は思う。
日本の目指す『小さな政府』は現在の姿が、そうなのかどうか。
少子化と高齢化の現代日本、教育と福祉の津々浦々徹底した充実への税使用が明確ならば、増税(例えば消費税増税)もやむを得ないと言う人は、少なくとも私の周りには多いが、これは誤った認識なのか。

【+一つの事実】

自身の身辺で複数の重要な問題が顕在化しているにもかかわらず、訪米しゴルフをする我が国の宰相。このことに世界の、日本の良識ある人々は嘲笑しているが、もし強行するならば、せめて以下のことを公表してもらいたい。もっとも私の現職時の体験では、出張報告は必要不可欠だったので、いわんや宰相となればではあるが。

□随行者全員の氏名と所属
□一切の経費詳細及びその際の税金使用の有無

(心)貧すれば(心)鈍す、の日本になってもらいたくないのは、国民すべての至極当然な願いである。
これも我が自照自省自戒からである。

2018年4月14日

中華街たより(2018年4月) 『未来を共有』

井上 邦久

今月もWAA(We Are Asian)主宰の田辺孝二先生から、以下の会合案内を届けて頂きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<WAA4月会合のご案内>

皆様、今月からWAAは23年目に入ります。
アジアの未来を共有する人を増やしたいと思っています。
3月3日の上海WAAツアー講演会で講演していただいた産經新聞上海支局長の
河崎眞澄さんが3月12日朝刊にWAAの記事を掲載されました。

http://www.sankei.com/world/news/180312/wor1803120012-n1.html

4月会合は19日(木)に開催します。
日中関係研究の第一人者の劉傑先生(早稲田大学)に、中国習主席が目指す未来についての洞察とともに、劉傑先生が取り組まれている21世紀のアジアにおける「知の共同空間」への活動についてお話をしていただきます。

経済大国・政治大国になった中国をどのように理解し、どのように「未来を共有」していくべきか、劉傑先生のお話を基に考えたいと思います。

代表世話人 田辺孝二、潜道文子

ご参加ご希望の方は、4月17日(火)までに田辺までお名前とご所属をご連絡ください。先着30人ほどが参加できます。

■開催日時 2018年4月19日(木)講演・意見交換 18:30~20:30

二次会     20:45~22:15頃

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WAAの目指すイメージが湧いて来るような簡潔明瞭な案内状と記事です。
中国から帰任したばかりの頃、長年拙文を校正し、www.jk-asia.netへ掲載して頂いている井嶋悠さんの紹介でWAAを知りました。
その自由闊達で、且つ、目的の芯が通った会とその運営に馴染み「精勤」しています。アフリカに駐在中だった外交官のNさん、会社経営者で平和活動家のZさん、詩人のOさんらの社会人や留学生の未来志向と歴史認識に触発されてきました。

そのご縁から3月初めに上海でのWAA活動に若干のお手伝いをすることができました。田辺先生の意向を咀嚼してから、上海の友人に協力を打診しました。京都で留学、大阪で弁護士修行をした金杜法律事務所のパートナーと河崎眞澄産経新聞支局長にWAAへの協力を快諾して貰いました。初日にビジネス街にある金杜法律事務所を訪問しました。日本への留学や日系企業で働いた経験のある若手チームとWAAメンバーとのランチミーティングを挟んだ交流は率直で闊達なものでした。三日目、上海理工大学日中交流センターでの学生交流の後、河崎支局長による講演において、強調されたのは「日本と中国の間にもセカンドトラックを創造しよう」という呼びかけでした。

講演後の交流で「言論NPO」のアンケートについての私見を述べました。
「言論NPO」は工藤泰志氏(元東洋経済新報社)が設立運営している独立系の組織で毎年1回「東京・北京フォーラム」を開催して13年。北京での開催時には参加していました。東京でも何度かフォーラムや研究会に出席しました。

2017年秋の調査方法や結果は以下の通りです。
「第13回日中共同世論調査」

http://www.genron-npo.net/world/archives/6837.html

次の三点のコメントを皆さんに伝えました。

  1. 有効回答数が少ないので結果がぶれるおそれがあるのでは?
  2. 日本の印象を訊かれて、本音では好きでも「良い」と回答できるだろうか?
  3. 他にも調査方法に改善点があるにしても、「言論NPO」による継続的な調査の労を多としたい。問題は、言論NPOの調査結果をそのまま丸写し報道し、それを基にした解説記事を恣意的に流すメディア各社の姿勢ではないか?
  4.  複数のメディア関係者から「中国ではメディアは信号代わりと見做される。日本では報道を概ね鵜呑みにしている」との指摘があります。

さすれば、どう対処すればよいか?

アウェイのフィールドへ行き、セカンドトラックを一緒に走ってみることが大切になると思います。並走しながら「未来を共有」できる想像力と創造力を醸成できれば、何よりの収穫でしょう。
渡航往来がそれほど容易でなければ、どうするか?
WAAを覗いてみることをお勧めします。              (了)