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2023年6月7日

多余的話(2023年6月) 『読書会』

井上 邦久

第4土曜日朝からの講読会は感染症の拡大時期も毎月継続した。米寿の老師による対面解説や板書説明が講読会の存続価値であり、楽しみでもあるので、オンライン開催への移行はしなかった。
全5集、150編余りの文章を毎月1編のペースで読み継いで、今は第3集の半ばを過ぎた処、先はまだまだ長い。再校正を施した原文と訳文に加え、関連する画像や時代背景の説明文を「ひとそえ」して、HP(http://www.kajinken.jp)に継続掲載している。

博覧強記の鄧拓は古い時代の引用が多いので、古文の読解が壁になる。予習段階での各人の試訳への添削指導の多くは、古文に関するものとなる。先日も「皆さん方は辞書を利用して熟語解釈をしようとする。現代文はまだしも古文の場合は一つ一つの字に注意をすべき。
辞典ではなく先ず字典を開きなさい」とお小言を頂戴した。1960年代社会の閉塞感に風穴を開けようと仕掛ける鄧拓の意図が、昨今の権威主義の復活とともに時代を越えてリアルに感じられる。

茨木市立図書館の掲示に読書会の案内があった。3月の課題は、『インビジブル』(坂上泉)。罌粟を通じて摂津と大陸が繋がれる世界を描いた作品を採り上げていたので読書会に初参加した。続く4月の課題は井上靖の『氷壁』ということで、こちらも地元茨木に縁が深い作家なので下調べをした。
図書館に併設されている富士正晴記念館で井上靖の特集展示が催されていたことを思い出した。
うろ覚えの記憶で、井上から富士宛ての就職紹介の書簡や井上が富士のノートに国鉄茨木駅から間借り先への略図を描いたノートを複写したいと申し込んだ。富士・井上両家の著作権継承者の承諾が必要とのことで、各確認先を教えてもらい往復葉書で要請した。
富士家からはすぐに応諾返信葉書が届いたが、司書の方は両家からの応諾が揃わなければ駄目と職務に忠実だった。一か月後に井上家からも丁重なお詫びとともに応諾の連絡が届き、できれば収蔵品に加えたいとの要請があった。御礼代わりに届けた。
敗戦直後も茨木駅近くに井上靖が住んでいたことが、本人直筆の略図により確認できた。後年、『闘牛』での芥川賞受賞から、『氷壁』などの新聞小説で流行作家になるずっと前のことである。ノーベル文学賞の発表毎に話題になる村上春樹に似た存在でもあったようだ。

1945年8月16日の大阪毎日新聞に井上靖記者が記事を書いたことは夙に知られている。その日付が印象に残るばかりで、どんな内容か知らずにいた。1907年旭川生まれなので記事執筆当時は38歳、ただ29歳で新聞社に入り、中国戦線に従軍もしているので、記者としての実績はそれほど長くない。また入社してすぐに「麻雀でいえば『オリタ』」と書いているように、毎日新聞社の懸賞小説受賞が縁で入社してからも猛烈な記者ではなかったようだ。その井上靖記者の

「玉音ラジオに拝して」 忝けなさ・にじむ感涙・脈打つ決意 一億祖国再建へ
 
と題する記事が表裏一枚だけの紙面の裏頁トップに掲載されている。
中之島図書館でマイクロフィルムから複写してもらったが、タイトルはまだしも細字の記事は滲んで読みにくかった。
毎日新聞社大阪本社に電話で問い合わせると、3回目に転送された部署から打てば響くような対応で、複写の入手方法を懇切に教えて貰えた。約束の時間に訪れると、予めセットされたパソコン前に案内され記事の確認と拡大複写サイズを懇切に相談してくれた。
記事は二つに分かれている。
初めて耳にした「玉の御聲」に畏まり、ひたすら勿体なく、申し訳なさを繰り返す前半。後半では、大阪毎日新聞社内部の対応説明を綴ったあと、「一億団結して己が職場を守り、皇国再建へ新発足すること、これが日本臣民の道である、われわれは今日も明日も筆をとる!」と結ばれている。

一方、同じ毎日新聞西部本社版では、空白の多い紙面が8月20日まで続いた。
公的機関からの発表と事実の推移のみを載せ、戦時下のストック原稿は使わないことにした由。
大阪毎日紙では16日にも「特攻百首」の黒枠欄に時世の歌を載せている。西部本社で空白の多い紙面作りを指揮編集したのは、高杉孝二郎編集局長だった。
「昨日まで鬼畜米英を唱え、焦土決戦を叫び続けた紙面を、同じ編集者の手によって180度の大転換をするような器用なまねは到底良心が許さなかった。”国民も今日から転換するのだ“など、どの面下げていえた義理か」と後に高杉氏は振り返ったという。
この間の経緯については、池田一之『新聞ジャーナリズムの思想・行動』に詳しい。

高杉の弁が誰に向けられているか?開戦のとき、疑いもなく勇ましい紙面を作った猛烈記者としての高杉自身に対してかも知れない。彼は職を辞し、浪人生活の後、千葉の小新聞で働いたという。
「白紙」による意思表示は10年前まで愛読していた『南方周末』などでも見たことがある。