ブログ

2020年6月18日

多余的話(2020年6月) 『モスラの唄』

井上 邦久

6月15日、梅雨の晴れ間。久しぶりに大阪に出て予約を一ヵ月遅らせた眼科へ。
昨年春の年一回の定期検査で緑内障と診断され、経過観察をしながら投薬や手術の相談をしましょうという穏便なプランに同意して、3か月に一度のペースで通院中でした。
文楽の桐竹勘十郎似の渋い男前の先生には十年以上にわたり、年に一度の検診をしてもらう息の長いお付き合い、毎回「特に異状はないです。来年の今ごろまた来てください」という言葉を貰って当たり前のように翌春に通うことが続きました。

2011年の春も同じ言葉がありましたが、その年は「来年も無事であったら」という前提を感じました。
その一か月前の3月に上海から東京・大阪を繋いだTV会議をしている最中に東京の画面が大きく崩れて断線、大阪の画面も気持ちの悪い大きな横揺れがして、やがて人が消えました。
詳しい事情が掴めないまま、予定していた内モンゴル自治区オルドスへの移動をして、その夜に乾燥地帯で大津波の画像を観ることになりました。

 来年の今ごろおいでと春の医者(拙)

それ以来、来年の予約という行為に「明日があるさ」思想の楽天性を感じるようになっていました。そして今年二月、別の患者が「次の検診は、コロナが終わったら参りましょう」と軽い調子で口にしたら、勘十郎先生は「感染疫病はそんなに簡単には終わりませんよ」と軽いたしなめ口調で呟きました。
今回、長期戦・持久戦・神経戦を覚悟したのはこの時期のことで、いつも激することのない眼科医師の言葉も作用したと思います。

 2011年春、大阪から派遣された岩手県上閉伊郡大槌町の工場で被災した知人は工場閉鎖後も帰任せず、全く畑違いの本屋、町で唯一の一頁堂書店を開店することになりました。開業の直後に訪ねた時、化学会社の営業マンだった知人は「本が嫌いな自分が本屋を営む」ことになった成り行きを話してくれました。
開業8周年を伝える書状には、「とにかく感染者第1号にはなりたくない」というまわりの空気が前書きにありました。続いて2019年の三陸リアス鉄道や沿岸道路の開通で復興工事が一段落した報告があり、利便性がよくなったことは、地元業者への打撃が想像を大幅に超えたものになっている現実と、感染病による追い打ちの凄まじさが綴られていました。
開業当時の子供たちが社会人になり、子供を連れて来店する姿を見守る言葉に添えて、震災で親を亡くした子供が高校を卒業するまで18年間、学校を通じて店専用図書券を届ける取り組みが8回目になったとの報告がさりげなく添えられていました。末尾の店主という文字の重みが増してきた印象があります。

6月7日、西宮震災記念碑公園で小説「火垂るの墓」記念碑の除幕式が行われました。当日は限定された人数で30分だけという圧縮形で行なわれるとの知らせと記念誌を届けて貰いました。
小説では1945年6月5日の神戸大空襲から逃れた少年とヨチヨチ歩きの妹が西宮市満池谷の親類宅に辿り着いた後、二人だけで暮らした土壁の防空壕で短い命を灯したことになっています。
野坂昭如初期の自伝風小説でありますが、地元の建碑実行委員会の粘り強い調査と関係先との折衝で、作家の親類宅や防空壕の場所が特定され、二人で暮らした様子を目撃した古老の口述記録も留めています。
関西華僑のライフヒストリーを聞き書きして出版を続ける神阪京華僑口述記録研究会があります。毎年1冊出版のペースで先日第10号を受け取りました。その活動の主軸の一人のN氏が「火垂るの墓」記念碑建碑実行委員会の事務局を担っていることで身近に繋がりました。

早稲田大学に進んだものの、とてもラグビー部に参加できる状態になかった野坂昭如が、40歳頃に「アドリブ倶楽部」というラグビー同好会を創設したことは良く知られています。
一方、ラグビー横好きでは負けない大阪府立高校OB達の倶楽部が東京のリコーグラウンドで「アドリブ倶楽部」と対戦したことがあります。前夜、3人のメンバーが拙宅に雑魚寝したこともあり一緒に観戦に行きました。
野坂氏は背番号10のスタンドオフで出場しましたが、トレードマークの黑メガネをしていたか、外していたか記憶に定かではありませんでした。今回、記念誌に倶楽部の応援歌とともに写真が掲載されており、黒メガネ姿でしたが練習風景を撮った記念写真かも知れません。

閉塞した日々に流されるように、印象的な仕事を残した人たちが静かにこの世を留守にして逝きました。勝目梓、ジョージ秋山そして宮城まり子・・・。

ねむの木学園の構想から実行に取組んでいた宮城まり子に対しパートナーの吉行淳之介が伝えた三つの約束、「愚痴を言わない」「お金がないと言わない」「やめない」。継続して実行し難い約束の意味を折にふれて反芻しています。
更に「全作品の著作権はまり子へ」という遺言で三つの約束を支えた切れ味はとても常人俗人の及ぶものではありません。

6月15日は、ザ・ピーナッツの伊藤エミ(本名:沢田日出子さん)の8回目の命日でした。
東レが岩谷時子らとタイアップしてバカンスという言葉を定着させた「恋のバカンス」は、今ものど自慢で月に一度は孫世代が歌っています。宮川泰の贅沢な編曲で輝きを増した「恋のフーガ」は、日本の音楽シーンの最高傑作だと思います。
更に東宝怪獣映画「モスラ」(原作:中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)の主題歌「モスラの唄」にはいまだに強烈なインパクトを感じます。インドネシア語がベースと言われる歌詞と早慶・阪神巨人の応援歌や軍歌‣反戦歌・反原爆曲・オリンピックマーチまで萬承って破綻のない古関裕而の作曲です。

言わずもがな(多余的話)ですが国会議事堂での抗議デモの渦中に命を落とした樺美智子の命日も6月15日です。

                          (了)

2020年6月4日

看護師・日本

井嶋 悠

現在、看護婦とは言わない。男性にも担う人が増えている。だから「婦」を使えば差別ともなり、男女平等、協働社会の現代にあっては時代錯誤である。ただ、その意味するところはもっと深いように思う。

看護師は、絶対の母性の仕事である。
これは医師にも言える。ことさら女医との言葉があるのは何の残滓だろうか。いずれ女医との言葉は消えるだろう。では医師も母性の仕事なのだろうか。母性の側面を持つことは否定できないが、(そもそも医療自体、教育世界同様、母性の行為とも言えるが、この感覚は日本人的なのかもしれない)父性を思う。

この母性と父性について、母性=女性、父性=男性の、しばしば見受ける形式的発想を疑問に思う機会が増えている。その等号に得心が行かないのである。今更ながら、母性を女性の占有のように言う私が、非現代的偏重人と思える。母性・父性に男女性は関係がないはずだ。ただ、母は女性がなり、父は男性がなるという、その生物的だけのことではないかと思う。
そこで、手元の国語辞典[新明解国語辞典 第五版]から確認してみる。

 [母性]:女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的性質。

 [父性]:父親として持つ性質。

個性的と言われている国語辞典でさえ、そうなのかといささか愕然とする。分かって分からない。いわんや父親の説明など思わず?が起こる。
そこで、女性・女性的、男性・男性的を同じ辞典で確認してみる。

 [女性]:おとなになった、女の人の称   

 [女性的]:やさしさ・美しさ・包容力などを備えたりしていて、女性と呼ばれるにふさわしい様子。

 [男性]:おとこになった、男の人の称

 [男性的]:たくましさや行動力を備えた上、さっぱりした性格を持っている様子。

女性的、男性的は、この辞典らしくなかなか踏み込んだ語釈かとも思うが、旧来の女性・男性のイメージに立った上での苦心が偲ばれる。中でも、「美しさ」とはなかなか微妙だ。
それに、「おとなになった」「おとこになった」の意味するところは何であろうか。
上記の説明に基づいた、女性的な男性、男性的な女性は、決して珍しくはない。とすれば母性・父性の再定義が必要になるのではないか。ここで、「女」「男」の項を見てみるが、出発点の母性・父性から離れ、堂々巡りになるようなので省く。

臨床心理学者河合 隼雄(1928~2007)は、その著『母性社会 日本の病理』の中で、母性・父性に関して次のように述べる。

―母性の原理は「包含」する機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのもが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係ないことである。(中略)
これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子どもを平等に扱うのに対して、子どもをその能力や個性に応じて類別する。―

私には強い説得力がある。先の女性的な男性、男性的な女性も大いに納得できるではないか。

私はこれまでに何度も、多くの看護師に(ただ、すべて看護婦であった)世話になって来ているが、その看護師たちの仕事が私に激しく迫ったのは、わずか数分の、テレビニュースの中の一端として放映されたドキュメント映像である。
場所は、コロナ・ウイルス患者受け入れ病院の治療室である。防護服に身を包んだ何人かの看護師と何人かの医師。たまたまであろうがすべて看護師は女性で、医師は男性だった。看護師は常に患者に寄り添い、声を掛け、患者の声に耳を傾けながら、同時に医師の指示を受け、所狭しと務めに集中している。

看護師は、コロナ・ウイルス感染確率の最も高い立ち位置で、慈愛の眼差しを絶やすことなく、目まぐるしく動いているのである。その間、医師はデータを確認したり、指示を出したり、病院内部からと想像される電話に、「私たちは医療崩壊との言言葉は使いたくないんです」とやや声高に応えている。
騒然とした、しかし心を引き込まざるを得ない、何か聖なるものを直覚させる気が横溢している一室。
看護師が、出て来て防護服を脱ぎながら言った「ああっ、あついっ」の一言の重み。そして次の準備へ。

私は、無性にこみあげるものにうろたえ、ただひたすら敬愛の眼で看護師を見た。協働世界を思い、その現実、現場を重々承知しつつも、「医師あっての看護師」ではなく、「看護師あっての医師」との言葉を、思い起こした。
診察し、診断する医師の一言の影響力は途方もなく大きいが、看護師のあの自然な優しさ溢れる一言が、どれほどに生きる力を与えることか。
やはり看護師は母性の仕事であり、医師は父性の仕事であると思う。

今、医療に携わる人々またその家族に、中傷や拒絶の言葉を、人間崩壊とでも言おうか、己が正義で発している人のことが連日のように報道されている。看護師や医師の、怒りを越えた哀しみ、寂しさを、所詮他人の感傷的同情と言われようと、想像する。
ブルー・インパレスへの感謝も、見知らぬ人々からの手紙等への感謝も、確かな励みとなるであろう。また、国が待遇改善を提案することも従事する人の確かな励みとなるだろう。
その上で、看護師の、医師の、正に無償の愛と言っても過言ではない行為を改めて知ることで、世の多種多様な営み[職業]への慈しみの眼差しを忘れてはならないと、ドキュメントフィルムは語っているように私には思えてならない。

どれほどの人々が、会社・事業所が、困窮に、破産に、死の間際に、(否既にその一線を越えざるを得ない選択をした人もいる)追い込まれていることだろうか。その人たちにその責任を問うことなどあろうはずがない。その人たちに多くは、ほとんどは「弱者」「脆弱者」である。それに具体的な救いの手を差し伸べるのは、先ずその人々が所属する国家である。その国家は国民の税金の上に成り立っている。脆弱さを突き付けられた人々にその税金を使うことに誰が反対するだろうか。反対する人がいるほどに日本は腐ってはいないと信じたい。

4百数十億投じてのマスク配布を英断とし、愛犬との姿に癒しを誇示することで、国民の多くの顰蹙(ひんしゅく)をかった首相は言う。「日本ほど手厚い援助をしている国はない」と。もしそうならば多く聞かれる悲鳴、憤慨は一体何なのだろうか。切々とした声が届くには官邸は遠過ぎるのだろう。悲しいことだ。
政治家は常日頃「身を切る改革」との言葉を使う。どれほどに実行しているのか、ほとんど言っていいほどに、私たちは言葉の弄びと思っている。あの歴代首相断トツの外遊費(資料公開請求をした野党政治家があったが、国民はどれほどに周知しているだろうか)、国際化・グローバル化世界にあってリーダーシップを発揮するために或いは大国日本の責任を果たすために、との絶対正義かのような理由でどれほどの税金が使われているか、国民は心地良くそれらのことを承知しているだろうか。

「その国民が私たちを選んだのではないか」も政府の、政治家の常套句で、「嫌なら投票するな」とまで暴言を吐く人種もいる。そして議論はそこで終わる。
そんな日本の貧しさを、今回のコロナ・ウイルス禍は露わにした。

第二波、第三波も予想されている。今回について謙虚に反省[猛省]し、「あの時私は委員でなかった」といった無責任な専門家などに委託せず、看護師の、医師の献身を心に刻んでこそ彼ら彼女らへの心からのねぎらいになるのではないか。

弱者・脆弱者を一人でも出さないためには、結局は国民に借財を跳ね返す発想ではなく、何をどう削ればよいのか、その視点に向かわせる国の新たな出発点としてもらいたいものだ。新たな生活様式を考える時代としたい、と世界の良心は言っているではないか。
横に並んで食事し、食事に集中するといったことが新しい様式ではなかろう。ラッシュアワーの背景には何があるのか。オンラインで解決するのか。

弱者が切り捨てられる日本はもう十分だ。日本が母性の国と言われるその本領を、その是非或いは長所短所の観念的論議に陥ることなく、発揮してもらいたいものだ。

締めくくりとして、ナイチンゲール(1820年~1910年)の代表的著書『看護覚え書』から、看護婦の時代を経て、看護師の時代になった今日でも、真理と思われる幾つかの言葉を引用する。
尚、彼女は後半生の50年間、感染症の一つブルセラ病(マルタ熱)で病床生活を余儀なくされたが、その間、多くの著作を遺した。

「病気の行き末を決定づけるのに、注意深い看護が重大な役割を果たすということは広く経験されているところです。」

「患者は四六時中敵と顔を突き合わせ、内面でその敵と格闘し、頭の中で延々と言葉を交わしているのだということを肝に銘じてください。これは病気でないものにはわかりません。“速やかに敵から解放せよ”これが病人に対する第一原則です。」

「すべての看護婦は、頼りにされ得る、すなわち“信頼のおける”看護師であるべきだということを肝に銘じてほしいと思います。いつ何時、そのことが要求される立場に置かれるかしれないことを、看護婦は自覚できていないのです。」

「私は女性たちに、医師への絶対的な従順の必要はないと思わせようとしているわけではありません。ただ医師にも看護婦にも、知的従順ということの重視、すなわちただ従順なだけでは意味がないという認識が不十分だと言っているのです。」

優れた看護婦は厚遇すべきである。
ナイチンゲールは19世紀に既に言っている。

「構成員の自己犠牲のみに頼る援助の活動は決して長続きしない。」

「犠牲なき献身こそ真の奉仕である」

誰が優れていると判断するのか。医師であり、患者であり、病院経営者であり、それに応える国がある。
それは医師も全く同様である。それが協働だと思う。