ブログ

2022年1月27日

多余的話(2022年1月)   『骨正月』

井上 邦久

正月早々の題名にしては少々物騒ですが、正月用の鯛や鰤の骨を食べ尽くして、正月気分に区切りをつける二十日正月を骨正月と呼ぶようです。関東での正月も幾度か過ごしましたが、骨正月は聞いたことがありませんでした。
大阪日本橋、文楽劇場の正月興行では舞台の高い処に一対の大きな鯛が向かい合わせに飾られ(張りぼてです)、ロビーには本物の鯛が睨み合って置かれています。
元は江戸時代の京や大坂の商家の「始末」の習慣の名残でしょうか、骨まで愛されれば鯛も本望でしょう。

人形浄瑠璃の近代化は繁華な道頓堀から大阪市西区に座を移させ松島文楽座と命名した1872年1月を画期とする、その強引な移転は新政府の渡辺昇(大村藩。1872年~権知事、1877年~知事)の威嚇誘導による、との後藤静夫さんの説を聴かせてもらい共鳴しました。されば、今年は文楽座命名150年となります。

川口居留地址から木津川を挟んだ江之子島には大阪府庁址の石碑があります。府庁舎も渡辺昇知事により本町橋の西町奉行所(現マイドーム大阪・商工会議所)から西区へ移設、正面玄関もあえて大阪港、川口居留地という開国開化側に開き、旧大阪市街に背を向けていたことは以前に触れました。
幕末の剣豪で、桂小五郎や新選組とも縁のあった渡辺昇の大阪近代化過程での剛腕ぶりが想像されます。
その渡辺昇の名も出てくる『五代友厚傳』(五代龍作著)の一節に「当時君は大阪開港の為め、内外百般の重要事務を一身に負ひ、威望勢力遙かに知事を凌げると、松島遊郭の設置に関しては、之に反対せる者尠なからざりし・・・」とあります。
1868年、慶応から明治へ、京都から東京へ時代が激変する中、五代友厚は神戸事件や堺事件という外国人殺傷問題の対応収拾に奔走し、大坂開市開港にともなう外事・税関を束ね、外国人居留地運営の傍ら、年末に松島遊郭を設置しています。
居留地近くの松島に遊郭を集約化させる行動が出身地薩摩の保守派・武断派に燻っていた五代友厚への嫉妬・羨望を批判・炎上に繋げたようです。
19世紀の半ば、欧州から極東にやってくる海千山千の外交官や冒険商人そして兵隊の実態について、堺事件を通じて思い知った五代流外国人封じ込め策が居留地隣接の松島遊郭設置でなかったかと邪推しています。

一年前、大河ドラマに連動して渋沢栄一周りの話題が増え、映画『天外者』により五代友厚にも注目が集まりました。
途中報告でも伝えた渋沢栄一の聞き語り『雨夜譚』や『徳川慶喜公伝』を丁寧になぞった大森美香の脚本は実直な書きぶりで好感を持ちました。
脇役扱いの五代友厚については豊子夫人が保存した書簡と、葬儀にも名を連ねた片岡春卿(来歴不詳)による略伝を基にしていました。

山に降った雨が数日の内に海に注ぐ国には大陸のような大河はありません。そんな島国での「大河ドラマ」であります。ドラマであって歴史ではないことは「多余的話(言わずもがなの話)」です。

東京商工会議所を創設した渋沢と大阪商工会議所の初代会頭となった五代を大まかに眺めると、まず寿命の長短の差が大きく、遺した著作の多い渋沢と書簡私信だけの五代の違いがあります。
財閥とは言えなくとも企業グループを形成した渋沢家と養子の龍作らも実業界には雄飛しなかった五代家後継の流れは交わっていません。

1868+77=1945 1945+77=2022

維新から坂を登り続けて77年、分水嶺から転げ落ちてから今日に至るまでの77年、足し算は単純ですが、歴史的には少し考え込んでしまう77年の重みです。
旧真田山陸軍墓地も文楽座も保存や支援が必要になっています。
この国にも疫禍の過程で蛻変と始末が必要だと思っています。
今年は「蛻変(ぜいへん)」と「始末」について書き下したいと考えています。

2022年1月17日

『老子』を読む(二)

井嶋 悠

今回は『老子』の第2章から第5章までです。

第2

 美の美たるを知るも、これ悪(醜)のみ、善の善たるを知るも、これ不善のみ。
有無。難易。長短。高下(高低)。音(楽器の音色)声(肉声)。前後。
聖人は無為(無為を為す)のことに拠り、不言の教えを行う。
辞(ことば)せず。有せず。恃まず。居らず。(栄光・誉)去らず。

◇絶対評価と相対評価。凡々たる人間教師が絶対評価することの難しさ。「秀」としたいが、何をもってそうできるか。平生評価と試験(レポート等提出を含め)評価、例え25人学級でも可能か。それが1学年3クラスとして75人。絶対評価に挑むことで高まる教師力?
偏差値評価の再学習の必要?或いは「ヒトがヒトを評価する」ことの必然性と成績評価について。
教師と生徒、その一期一会は可能か。平凡な教師と非凡な教師、と考えた時、私が出会った非凡な教師は唯一人?

第3

賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争そわざらしむ。
無為を為せば、即ち治まざるなし。←民をして無知無欲ならしめ、その知者をして敢えて為さざらしむ。

◇教育における欲望とは何か。上になること。競争という欲望。そこで問われる学力観。塾・予備校の学力観は、社会の、学校社会の学力観があって成り立つはずであるが、今逆転しているのではないか。
敢えて塾・予備校を廃し(禁止)すれば、そこに何が起きるだろうか。教師一人一人の、学力観、競争観が問われることになるのではないか。その時こそ、客観的且つ総合的入学試験改革が視えて来る。

第4章

道は虚しきも、これを用うればまた満たず。淵(えん)として万物の宗たるに似たりその光を和らげて、その塵に同す。⇔「和光同塵」

◇真に優れた者は、際立ったことを為さない。50年ほど前、数学の研究者を目指す、長崎県の離島出身の人物と出会い、懇意になった。温厚篤実、実に穏やかな人物であった。親しく話さない限り、彼が途方もない優秀な道程を歩み、だからこそ苦悶することもあった人物であることを誰も気づかなかっただろう。彼は10年後任地で没した。

第5

 天地は仁ならず、万物を以って芻狗(すうく)と為す。聖人は仁ならず、百姓を以って芻狗と為す。多言はしばしば窮す。⇒「学を絶てば憂いなし」、中を守るに如かず。

◇「あの学年は、クラスは云々だった」と学年やクラス概評を教師はよくするが、これほど“個”を切り捨てた表現はないとも言える。
多言(おしゃべり)は醜い。生徒は黙って瑞々しい感性で見抜いている。生徒たちの馬耳東風。先の話題も多言の一変形。