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2020年5月22日

多余的話 (2020年5月)  『煤渡り(ススワタリ)』

井上 邦久

5月半ば、本来なら、サツキとメイの学童姉妹が大暴れする季節です。
お母さんの居る結核療養所まで無理をすれば徒歩でも行ける村へ、新緑の田舎道をオート三輪車で引越しするシーンから『となりのトトロ』は始まります。
埃と煤の溜まった古家の雨戸を開け、二階の奥に風を通すと、二人の眼には真っ黒なコロコロした球体が見えてきます。これが家に住み着く妖怪「煤渡り」です。

「煤渡り」は人に悪さをせず「いつの間にかいなくなる」タチの良い妖怪ですが、世界を席巻している新型ウィルスは生易しくありません。レソト国に1名の感染者が見つかり、ついにアフリカ全土に感染マークが拡がりました。石鹸どころか飲み水にも事欠く地域での防疫の難しさ、それへの想像力を持つこともまた容易ではありません。

2月から「基礎体力の維持増強」と「深く良質の睡眠」を念仏のように唱え、歯医者のお世話にならないように普段より二割がた丁寧に口腔ケアをしました。
3月の一斉休校により、神奈川県からの「縁故疎開」の学童と暮らすことになり、自然に規則正しい食生活が始まり、生活習慣の改善に繋がる予感がしています。たとえ外出自粛で「ヤクが切れても」しばらくは持ちそうです。
感染疫病とは、長期戦・持久戦・神経戦と相場が決まっているので、4月も終息の気配はないと判断し、諦念よりも科学的な達観と工夫の時期だと心得ました。

台湾付近からやって来る低気圧が本州の南岸を通過するたびに花は移ろい、陽気が充ちてきました。
サツキと躑躅の紅白戦が終了した後、ばら戦争が勃発。昨日の雨でランカスター家の赤薔薇は衰退し、ヨーク家の白薔薇は善戦中です。
仮住いから徒歩5分の若園薔薇公園に通いつめ、この3か月で一生分の薔薇を眺めた気分がします。
傷んだ家の建替え工事は「中国からの資材到着遅れの為?」大幅に遅れて入居は八月以降になるとのこと。それでも秋の薔薇をこの無観客公園で観ることはもう無く、来年のばら戦争観戦のために早朝からやって来ることも無いでしょう。
「一期一会」の薔薇の香りを感じながら散歩、ラジオ体操・そしてストレッチ体操。体操には老年十数名が少年野球場に集まります。定位置は深めのセンター、右中間と左中間を広く開けて深呼吸をしています。

 高校時代の友人に「中国からの資材到着遅れ」の話をしたら、事実かも知れないし、そうでなくても客を納得さやすいから業界ではよく使う弁明だと内輪話をしてくれました。
1980年代、中国からの輸入品を日本の顧客に販売する際、「中国からの輸入ですので納期遅延の場合もあることを予めご承知ください」という文言を売買契約書に添えることを先輩から指示されたことを思い出し、ずいぶん古典的な手法が今も残っていることに苦笑しました。古典的と言えば、内憂を外患で糊塗する手法が多くの国で頻発しています。内在していた矛盾や課題が疫病由来の経済停滞で表面化し、内部からの不満や批判をかわすために外部「危機」を煽る手法。
その陳腐化を知らないフリをしているのでしょうか?

そんな折、イタリアからの薬品原料の業務でお世話になり、フィレンチェには共通の友人を持つ先輩からパオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳)を教えて貰いました。
イタリアが危機的状況にあった3月頃までの新聞投稿を纏め、モントットーネ村に在住の飯田氏(雲南民族学院留学時代にベネチア大学からの女学生と知り合い後に結婚)が翻訳して、早川書房HPで4月10日から限定無料公開、4月24日に出版、という迅速な過程を踏んで日本に届いた本でした。(作者あとがきはHP無料公開継続中)。
神田駅からほど近い所にある早川書房ビルにはレアメタル業界で評価の高い友人の会社も入っており、前に訪ねた時はカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞直後で注目を集めていました。
早川書房は演劇・SF・推理小説の草分けとして著名です。個人的には熱心なハヤカワ・ミステリーファンとは言えませんが、ディック・フランシスの競馬小説群やジョージ・オーウェルの『1984年』は愛読してきました。

ノーベル賞に関しては、カズオ・イシグロの後塵を拝した感じもあるかも知れない村上春樹の『1Q84』第3巻を10年ぶりに開きました。
先発(書棚入り)・中継ぎ(段ボール入り)・抑え(委託保管)・戦力外(寄贈・廃棄)に仕分けて引越ししたつもりでした。
冗長さに疲れて曖昧な印象しか残っていなかった『1Q84』が仮住まいの書棚に残ったのは題名のせいかも知れません。更に言えば「Q」のご縁でしょう。

先月、柏原兵三と堀田善衛の日中戦争を題材にした小説を読んだ後、湖南省南部での逃避行を描いた駒田信二の『脱出』に繋がり、続いて評論集『対の思想』を読むことで、増田渉から魯迅へ遡っていったのは自然な成り行きでした。
本の棚卸が終わったところに外出自粛の要請発令(この辺の用語矛盾を実感しています)があり、図書館閉鎖も重なって、その後の閉門蟄居の間に書棚が身近なものになりました。

ⓆQQQQQQ・・・魯迅の『阿Q正伝』の「Q」について、早稲田大学を辞したばかりの新島淳良先生から「Q」でなければダメだ、「Q」だの「Q」の活字を無頓着に使っている翻訳本は捨ててしまいなさい、と教わりました。
辮髪を後ろから見た様子を「Q」で表して中国人の象徴としているという説明でした。
『魯迅を読む』(1979・晶文社)のあとがきに新島先生は1977年5月から毎週火曜日夜に「魯迅塾」を始めた、と書かれています。ちょうど入社して3年目で勤め人生活にフィットできない気分の活路を探していた頃でした。別の恩師の紹介で駒田信二先生宅を訪ねたのもその頃だったと思います。

ところが、改めて魯迅選集(1973・岩波書店・第一巻は竹内好の翻訳担当)で見ると、題名は「阿Q」本文は「阿Q」と活字へのコダワリがないことに今さらながら気付きました。
『魯迅文集』(1977・筑摩書房)は竹内好の個人訳であり、遺著ともなったものですが、そこでは「阿Q」に統一されています。手元にある中国での出版物も「阿Q」となっています。

村上春樹は初期佳作の『中国行きのスローボート』をはじめ、陰に陽に中国に関係する小説を書き繋いでいます。村上春樹が早稲田大学在学中に新島先生の謦咳に接したかどうかは知りませんが『1Q84』の背表紙を見るたびに新島先生を思い出し、小説にも新島先生の影を感じています。

『1Q84』の主人公、天吾・青豆・ふかえりは三者三様の理由で、隔離や閉じこもりの生活をする時間をそれぞれが工夫しながら耐えています。ここでも又小説が現在の状況を先取りしていることに気付かされます。とりわけ、ヒロインの青豆が一歩も外出せず、気配も悟られず、ひたすら基礎体力の維持増強に努める姿は象徴的です。

虫眼鏡で観察するような活字の話ばかりで恐縮でした。
大相撲の虫眼鏡の話で最後にします。
番付表に慣れない内は、幕下より下位力士の醜名(四股名)を見つけるには虫眼鏡が必要です。幕下の下の三段目、山梨県出身の勝武士幹士関は入門後から二十八歳まで太文字で書かれることはなく、虫眼鏡の世界のままで終わりました。来場所の番付にはその名はありません。
相撲部屋の三密の環境や糖尿病が重篤化の理由として強調されていますが、検査も入院も思うようにさせて貰えなかったことが永遠の黒星に繋がったのではないか?誤解せず確認したいと思っています。
茲に哀悼の意を表します。                (了)