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2014年2月27日

言葉・ことば・言葉・ことば・・・・・・ [その1]  ―ソチオリンピックとテレビと言葉の美しさ・酷さ(むご)と―

井嶋 悠

ロシアのソチで開催されていた「第22回冬季オリンピック」が、終わった。
私もその一人だが、周辺で「これで、少なくともテレビの喧騒が一つなくなる。」と、安堵している人は少なからずある。
ここで言う喧騒とは、テレビの中継等での視聴者、選手を無視した言葉の乱痴気騒ぎ、騒音公害のことで、それが今回の私の「整理」の一つへの入口である。

安堵している人については、自身の生、生活のリズムを、諦めであれ、意志であれ、成り行きであれ、大切にしている60歳以上の高齢者に多い。
その日本は高齢化にして少子化社会にある。

高齢化の一員であり、政治にも、経済(ビジネス)にも直接与ることのなかった人生の私は思う。
どうして今になって、やれ増税だ、やれ福祉、復興削減だと言うのか。
不思議でならない。
しかも、自然災害国日本の2011・3・11以来、それを口実にしきりに言いだしたように思える。

日ごろ優秀さを喧伝する政治家や官僚や学識者は、21世紀を前に何を言い、何をしたというのだろうか。
これは、身勝手な素人或いは無知の甘えなのだろう。
しかし、と思う。

そしてソチ冬季オリンピックであり、東京オリンピック誘致であり、不祥事からの前代未聞の就任1年にして辞任での東京都知事選挙である。

どんな世界でも一流人は違う。
心身人為の刻苦が創りだす自然体の透明な迫真の力。有為自然の極的姿。
オリンピック選手も然り。ましてやメダル等上位となれば、超一流であり、神の領域に近いとも言える。
だからこそ、私たち観る者の心を揺さぶり、我が身を振り返らせる時間となる。
かつてギリシャ人が、そこに崇高を見出したように。

しかし、一方にある政治性、商業性の喧騒、狂騒。猥雑な人間世界の現実。
そこにまみれ、流されている私たちの日々とそれがための苛立ちに、ついつい彼ら彼女らを時に偶像化してしまっていることも事実である。
文明?社会の縮図?  象徴?

彼ら彼女らに重圧(プレッシャー)こそ勝利への、メダルへの道」かのような、同情ほど愛情より遠いものはないとの意味での、同情の言葉群。その残酷に麻痺している多くの私たち。
その残酷を国民の総意と牽強付会するかのようなマスコミ、芸能人、芸能人を目指す?一部の元選手やメダリストたち、それに便乗する政治家たち、そしてそれを支える企業、受信料支払い者の私たち。

そんな中にあって、今回、私の心に強く焼き付いている二人の日本人がいる。
その理由は、競技終了後の二人の言葉への感動である。

一人は、浅田 真央さん、一人は、葛西 紀明さん。

浅田 真央さん。

妖精ティンカーベルの雰囲気そのままに世界の、中でもここ数年、不可解な困惑を漂わしている東アジア日韓中の妖精であることを示した彼女。もちろん本人の意図とか意志と全く関係なく。
フリー終了直後に見せた天を仰いでの涙。
そしてインタビューでの、ショートプログラムでのことはなかったように爽やかに、驕りの対極にある人々への感謝の優しさ溢れる言葉。
それが自然な心の発露であることが伝わる表情、眼差し。

その彼女に共感、共有し、同様に涙した日韓中の人々。引退する好敵手韓国のキム ヨナさんの彼女への感謝と励まし。
天は、彼女にその使命を、彼女に気づかれることなく植え付け、世に、日本に遣わしたのだろう。
と言っても、人為が関わることのない天性の自然ゆえ、今後も彼女に何の変化もないと思う。だから言える。

自己絶対を猛進する首相や取り巻く政治家、学識者、マスコミが、彼女を悪利用しないことを祈るばかりだ。日韓中、そういった人たちに眉をひそめる人が多いことも知る人は知っていて、杞憂とは思うが。


葛西 紀明さん。

西洋社会では、彼のような経歴、実績を持ち、40歳を越えてメダルを獲得する人物には敬意をもって「legend(レジェンド)伝説、伝説的な人物」と言うそうで、日本のマスコミは例によって早速「レジェンド、レジェンド」の大騒ぎである。

その葛西さん。団体戦の日本最終ジャンパーとして果敢に、しかも冷静に飛び、銅メダル獲得に貢献した、その直後のインタビューで。
「若い彼らが頑張ってくれたおかげ」と、個人戦後にはなかったこみ上げるものを抑えきれず言った、その優しさ溢れる“おじさん”の言葉。人柄。文(言葉)は人なり。言葉の美しさ。
葛西さんの着地後、駆け寄って来たその若い人たちの姿が、そこに到るすべてを表わしている、
言葉無用の一瞬。

 

敬愛の形容語が正に相応しいスポーツ選手たち(いつの頃からかアスリートと呼ぶが、やはり昨今音楽家をアーティストと自他共に呼ぶことと同様、滑稽さ漂う不可解を思うのは、これまた老世代の愚痴なのだろうか、は措くとして)が躍動する、スポーツのテレビ中継番組。

そこで繰り広げられる、男女アナウンサー(或いは、知的さの見栄えをよくしたいのか、今はキャスター?)の、はたまた芸能人(タレント)の、更には何らかの元全日本代表やメダリストであることを錦の御旗にして、素人でも言えることを得々と言う一部の解説者たちによる騒音公害。“たぬき”も唖然呆然のメダル獲得予想に見る井の中讃辞。他国への無礼。ひいきの引き倒し。
視聴者への、選手への、無神経。無視。言葉の暴力。

とりわけ民放局。NHKも大同小異である。強制受信料制ゆえ、一層質が悪いとも言える。ただ、民放にはない落着き、安定感のことについては後で触れる。

多くの視聴者は、選手の心身鍛錬の成果を、熱く、静かに、見つめたい思いにもかかわらず、間断なく垂れ流される、画像説明や選手や監督、コーチの私的人情噺等々による自己陶酔の興奮、喚き(わめ)

しかも、何局もが、何人もの上記人物やスタッフを派遣し、我が局独占とか称して競い放送する。
その経費の出所は、スポンサー企業であり、受信料ではないのか。そのツケは、結局国民に、消費者に回って来るのではないのか。行政等の無駄遣いを指弾する姿勢とは、どう整合するのだろう?

これは、ことオリンピックに限らない。
国内のさまざまなスポーツ中継でも同じである。或るスポーツ愛好者は、音声を切って観るという。
もっとも、その人はNHKの中継では切らない。理由は簡単。静かだからである。解説者も要を得ていることが多い。
このことは、多くの人が認めていることだろう。スマートなのだ。
もっとも、大相撲中継では、国技意識からなのか、妙に倫理観の強いアナウンサーが、視聴者を意識して解説者(元力士)を我が田に引き込もうとする尊大さに出会うことはあるが。

学校教育に相通ずるところがある。(これについては、以前このブログに書いた。)先生はアナウンサーで、解説者で、生徒は視聴者。

私はNHK信奉者ではないし、この技術高等社会にあって、なぜ、今も視聴番組、時間だけの受信料にしないのか、不思議に思っている一人である。
それに、数十年前、受信料契約に際し、当時70歳くらいの、太平洋戦争兵役経験者から「非国民」との恫喝を受けた者としては、複雑なものがある。
この時代様相は、言葉への畏敬の現代版なのだろうか、それとも単に言葉の軽侮なのだろうか。

ヨーロッパ留学の経験があり、首都圏の大学で教鞭をとる1946年生まれ(私は1945年生まれ)の哲学者(男性)が、『うるさい日本の私』なる書を、1996年に著している。言葉の氾濫と轟音に苛まれ、反骨露わに抵抗している自身をルポルタージュ的に書いた書である。
ただ、その対策法については、やはり西洋文化経験者がそうさせるのか、私の毛穴に円滑に入っては来ないのだが、氏の神経逆撫での日々には大いに同意する私である。

1968年(昭和43年) 川端 康成は、ノーベル賞受賞(66歳)講演で『美しい日本の私』と題して、言葉と日本文化と個我の追及について、禅と文学、芸術から語り、6年後の1972年、72歳で自殺した。

1994年(平成6年) 大江 健三郎氏は、ノーベル賞受賞(59歳)講演で『あいまいな日本の私』と題して、森での対話や息子光の小鳥との会話と音楽について、また自身の社会への眼差しについて、川端康成の存在を認めた上で語り、憲法9条擁護、反核などを基軸に国内外に社会的言葉を発信している。

2014年。
二人が、自己の生から世界に向けて発した言葉を入口に、今改めて日本観、言葉観を考えるに良い機会、時機ではないか、と川端の個我追求の姿勢に憧憬が強くなりつつあるも、同時に大江氏の社会的姿勢にも共感する、そんな私は思ったりする。

そもそも人間はどれほど進歩したのか、それ以前に私にとっての進歩とは?もままならないのだが、と思う一人としてはなおさらである。

2014年2月23日

「体罰・学校・問題行動―学校世界の暴力事例から学校を再考する―」 序

[寄稿者のご紹介] (井嶋 悠)

二宮先生は、昨年(2013年)11月22日公開で、『東アジア・心の交流に向けて ―

「徳感良民(りょうみん とくに感ず」―)と題して、寄稿くださり、その際、私との

出会いを記しましたので、重複を避け、一言、お伝えします。

先生は、その貴重な教師体験から、2年前、私の娘の死に到るその経緯に、実感の言葉を伝え

てくださった一人です。静かに、淡々と、寡黙に。

親であり、教師であった私にとって、どんなにか生きて行く励みになったことでしょう。

今回から、表題のテーマで、或る定期性をもって寄稿くださいます。

二宮 聡

(YMCA学院高等学校・教諭(前八洲学園高等学校・校長)

昨年末の新聞報道などで、「体罰処分訓告を受けた教員は計2253人」という数字が公表された。異常である。
体罰は法治国家の我が国では禁じられている。それにも関わらず、「訓告」である。しかも、少なくとも2253人もの教員である者が、である。
昨年のこのころには、大阪の高校で部活動における顧問教師による体罰が原因で、部員である生徒が自殺し、その教師は逮捕された。

私は体罰をはじめ、学校・教育現場における暴力はすべて排除しなければならないと思っている。
生徒や児童による対教師への暴力も含めてである。
体罰を含めた教師の対生徒・児童への暴力は、抵抗できないものへの暴力であり、人権の完全否定であると位置づけなければならない。
体罰での報道のたびに必ずと言っていいほど出てくる、「体罰擁護論」がある。その中の一つに、指導するにあたっての「愛の鞭」と呼ばれる暴力がある。

一方、公立中学校の多くでは、成立しない授業・教室に入らない生徒など、問題行動や指導が成立しないという事態がおこっているという。
また、所謂「茶髪」などの染髪・長髪、ピアス・変形制服などの「異形」の生徒については、教室・校内に入れないという決まりがある学校もあると、学校側・生徒側双方から聞いている。
異形をした生徒が校内にいると規律が保てない、いや存在自体を排除しなければならないということなのか。
私はその「異形」について、肯定はしないし、奨励もしない。
どちらかというと、否定したい方だが、基本的に個人に関する事項であると考えるので、少なくとも性格や人柄と結び付けることはない。

しかし、その異形だけで、義務教育である小中学校、しかも市町村区の教育委員会が管轄する「公立学校」で起きていること、これが、体罰の多発と関連していないとは言い切れないのではないだろうか。
いや、寧ろ「異形」の者を排除するという点では、相通じることなのでは?とも思うのである。

(ここでは、公立学校のことをあげたが、「私学はそうでない」と言い切れないのである。これについては別に筆を割きたいと思っている。)

つまり、自らの基準、自分の指導に従順なもの、自らが考える基準の髪型・服装であること、これに当てはまらない人間を排除する、この究極が体罰であり、登校・授業拒否ではないのか。
私の周りでは、前述のような「判りやすい」事例はほとんどない。
しかし、生徒のこころの機微の中に時折引掛りのある言動が現れることがある。

教育の最前線にいる中で、少しずつこの場をお借りして、事象を開陳していきたいと思う。

 

2014年2月16日

北京・上海たより  2014年『春節』点描 その2 ― 旧暦「正月」― 『初1(元日)』~『初五(2月4日)』

井上 邦久

Ⅰ.北京にて

 初一(元日)は、先祖へのお参りの日。雍和宮で初詣、そこから北隣へ歩き地壇公園の「廟会」で正月気分を、それも混雑を避けて朝早めに行こうと心積もりをしていました。
しかし、爆竹によって急遽寝正月になりました。午後になってから、地下鉄で再び王府井へ。老舗の帽子屋で新しい帽子を買い、新華書店で平積みになっていた『断舎離』(山下英子著・中文翻訳)と『単飛』(李娜著)、PM2.5入門書、中日文化交流学術論文集(2013年版)そして政府発表の関連テキストなどを買いました。

『断舎離』は、日本でのブームが台湾そして中国の雑誌『知日』に波及、『1Q84』までは3階の文学コーナーに沢山並んでいた村上春樹らの日本関連本が語学コーナーの片隅に追いやられる中、1階入り口近くで堂々の平積み販売でした。
全豪オープンテニスでアジア人初の優勝をした李娜選手の自伝は4階のエスカレーター付近で大会のビデオ画面とともに平積みされていました。

1階の職員に環保関係の本は無いの?と尋ねたら、「環保?ああ環境保全のこと、うーん、1階にはないけど、5階に行けばあるはず」との返事でした。たしかに5階の専門書コーナーに環境関係の学術書、資格検定用テキストが重厚に並んでいました。唯一見つけた一般入門書を買いました。
「腐敗防止・倹約令」「重要会議の要点」などの政府関連テキストはペットボトル1本分くらいの価格であり、正確を期すために便利なので買っています。レジでクルクルッと紐で結んで一纏めにする馴染みの包装をしてくれて、合計163元でした。
奇しくも帽子が160元(1元=16.5円)。ともに頭に載せるか、頭に入れるかのものですが、新年の記念になりました。

東安市場の地下食街で最も繁盛している店で小豆粥と混沌(餛飩=ワンタン)の夕食。店の兄ちゃんが5元の計算ミスをしているのに気づき、春節だからいいかと引き下がらず、強く・きっちり・笑顔で訂正要求。
兄ちゃんが人だかりする客を置いて、会計まで行き精算修正する間の商機損失は5元以上だったでしょう。その5元でペットボトルの水を準備して、地下鉄二駅分の腹ごなし散歩。
建国門駅近くの長安大戯院で京劇の新春公演を聴いて帰りました。

初二(春節二日目。2月1日)の『新京報』などの地元紙には、辛口の大晦日のテレビ評が満載。
各紙とも同様に不評で、小品(話芸・コント)が40%しかなくて歌曲ばかり、名物コントもマンネリ(蔡明演じる毒舌婆さん=青島幸男元東京都知事の意地悪バアサンのイメージ)、清華大学の先生までが駆り出されて大物プロデューサー批判、いっそのこと日本の『紅白歌合戦』のように歌に徹すべきとの提案も・・・

1960年代NHKの怪物番組だった『紅白歌合戦』を毒舌評論家の大宅壮一が「一億総白痴化の夜」と評した事を思い出します。ただ、その大宅先生が苦言の数年前に審査員として番組に出ていたという皮肉な事実を紅白歌合戦と日本人』(太田省一・筑摩書房)で教わりました。太田さんも有名大学の先生のようです。

番組批評の次には、250人の環境衛生集団の活躍で、爆竹のゴミが41・57トン処理され、昨年の43・04トンを下回ったとの記事。
市政府は大気保全、煙火自粛の要請に市民が応えてくれたことに対して「感謝状」を発表したとの事です。とても精緻なゴミの重量計測といい、「感謝状」といい、深読みしたくなる話です。
その『新京報』は、ほぼ一年前の2013年1月14日から唐突に大気汚染報道を展開し始めました。霧(FOG)と霾(HAZE)の説明、PM2.5の解説などはすぐに庶民レベルまで拡がりました。それまでも大気状態が悪いことを感じていても、一部の人が米国大使館のデータを入手して憂慮している状態だったと思います。

唐突な報道前日の日曜日、昼から暗い街を歩いた時、白塔は煤けビルは霧の中に浮かんでいました。紙面はセンセーショナルな写真と大気汚染の解説記事で埋め尽くされ、『南方周末』の年頭社論への規制に端を発し、盟友の『新京報』に飛び火した民主報道規制への論陣は霧散しました。
その後、PM2.5計測器や空気清浄機の売れ行きが急増する一方、移民を勧める広告が溢れ、雲南などの清浄地へ赴く人も身近にいました。

当局からは政策指示が出され、各種セミナーも増え、環境関連企業の新設も続いています。ただ、残念ながら先の爆竹のような庶民の年に一度の楽しみまで規制しても、中重度汚染の頻発は収まりません。
そこに在る汚染をどう処理するかの議論は活発です。
しかし予防医療的発想で根源を抑制断絶する発想には関心が薄い印象があります。ある日中合同セミナーで中国政府水利局幹部から環境を身体の健康に喩えた発言があったので、賛意を示したところ、とても熱心に持論を開陳してくれました。
残念ながら、そのセミナーでの反応は冷淡で、またぞろヒト・モノ・カネが動く即応対処の下流方向の話題に戻っていきました。

庶民のけなげな個別的対策や風任せで霧が晴れるのを待つのではなく、政治経済の上部に科学を置く発想が必須だなと初歩的に思いました。

初五(24日)は「破五」とも称され、春節期間の禁忌を忘れて動き出して良い日ということになっています。
快晴の北京から上海へ移動する飛行機の窓から、その日も天津・唐山、そして泰山周辺の空に拡がる黄白色の大気の層が見えました。機内で開いた『南方周末』の読者投稿欄に掲載された「I want to enjoy the fresh airと題する文章に惹かれました。

――教科書にはI  enjoy the fresh airとあり、空気はタダだとされている。しかし霧霾に塞がれて、正常な空気を呼吸するのにお金を払うことになりそうだ。私が住む臨平鎮では経済繁栄の為、誰もがスッポン養殖に走った。コスト削減の為、石炭を燃やしてスッポンの暖を取る。教室からも濛々とした暗黒色の煙が空一面を覆うのが見える。大人は先に経済発展を言い、環境問題を思わない。何故問題が発生するまで対策を待たねばならないのか分からない。政策は、初めに周到十全な考慮をしてから決定できないのか?――  (沈依楊・運河中学初二)

杭州近辺の農村部の中学二年生、沈さんの「上有政策・下有対策」の伝統を超越した発想に新鮮な空気を感じました。

 

Ⅱ.上海にて

今年も上海の隣家からの新年会のお誘いがあり、お土産とスリッパ持参で5メートルの移動、ご主人の両親、弟とその娘、奥さんの両親という大人数で丸テーブルを囲みました。
山東から息子の家での年越しに来た68歳のお父さんは、見事な呑みっぷりで座を仕切っていました。こちらも「破五」らしく果敢に応酬、話題が日本の清酒になったので、部屋に戻り大吟醸を取ってきて何度も試飲してもらいました。
奥さんのお母さんも負けずに今年は春巻ですよと、手作りの春巻きを三皿も揚げてくれました。

山東では餃子、北京ではワンタンかも知れないけど、上海の春節はやはり春巻を食べなくては始まらないと、笑って押し付けていましたが、口にするととても美味くて山東人も日本人もよく食べました。
日頃から仲良しのエリックも四年生になり、従妹に大きい方のチョコレートを渡すくらいの成長ぶり。
その彼が唐突に、仲良しのオジサンは日本人、その日本が中国に悪いことをしている、僕はどう考えたらいいの?と言い出して、周りの大人たちから一斉に制止されました。何も無かったように話を戻し、お父さんは盃を重ねました。
ただ小学四年生はしばらく解せない顔で黙々と箸を使っていました。

大人たちは「破五」の日でも触れないことを善としましたが、小学生には解けない糸を引きちぎることなく、早い機会に笑顔で解(ほぐ)してみたいと思います。

 

2014年2月11日

北京・上海たより  2014年『春節』点描 その1 ー 旧暦「除夕」(大晦日)ー [嗚呼、爆竹]

井上 邦久

除夕の昼下がり、遠雷のように爆竹や花火の音が聞こえ始めました。

北京事務所から見える西大望路の車の流れが速くなるに連れて、音はだんだんと近づいてきました。北京の交通渋滞は凄まじく、巳年の初めには「CHINA DAILY」紙にLIKE SNAKEと揶揄されました。
渋滞のため超低速度を余儀なくされてきた車も春節期間は「流れ」と表現できる程度の速度となり、巳年も残りわずかになりました。

農暦(太陰暦、月暦、旧暦)の一年の終わりの12月30日が除夕
昨年までは休日でしたが、なぜか今年は出勤日にするという政府通達が直前にありました。ほとんどの民族系企業が休日、或いは午後休業としているので、ビルの保安部から「あと何人居るのか?」と圧力を受けながらの仕事でした。
日本時間での終業時間の16;30に合わせて、北京人の職員も帰宅させて店仕舞。他社のオフィスは灯りを落とし、扉という扉には保安部名での封印が貼られていました。
封印貼りは面白くて、「牡丹灯篭」や「耳なし芳一」を連想しました。幽霊に憑かれたり、トイレまでも封鎖されると困るので早々にビルを出ました。

日頃なら退勤混雑のピークとなる17;30前後。
地下鉄は閑散としていて、最寄りの大望路駅から王府井駅まで座って行けました。この地下鉄1号線は長安街を中心に東西に一直線、東単・天安門・西単などを結ぶ中央幹線です。
2号線も歴史は古く、北京城市の城壁のあった場所を、地上には環状2号道路、地下には地下鉄2号線がほぼ四角形に走っています。駅名も前門・和平門・阜成門・西直門・東直門などの門の名前が多く、城壁に囲まれた都市であったDNAを感じます。
初めて北京を訪れた1971年には、まだ城壁取り壊し作業から日も浅かった記憶がぼんやりあります。今は幾つかの門と記念公園のような形で城壁跡がわずかに残されています。

広東語や閩南語が北京語を圧するかのような王府井では、観光客以外は人出も少なく、目当ての帽子屋や書店も18;00までで早めの閉店でした。
往時から北京超一級ホテルの格式を誇る北京飯店には、中国第1号の本格日本料理店『五人百姓』があり、天安門に最も近い日系合弁企業でもあります。ベテラン総経理はワイシャツを袖まくりして「19;00にお節料理が仕上がるので、それをご贔屓さんに配達」とのことで、書き入れ時の邪魔をしないよう、年末の挨拶を簡単に済ませました。

中国での大晦日の夕食は年夜飯と呼ばれ、大勢で円卓を囲みます。倹約令下の今年は「家宴」が多く、大盤振る舞いの公的宴会は、少なくとも政府のお膝元の北京飯店では無さそうでした。
ホテル地下の「食街(FOOD STREET)」で年越しの餃子麺を注文。紹興酔魚を肴に、小瓶のビールも久しぶりに解禁しました。一人では食べきれない料理はいつものように「打包」です。どの店にもプラスティックのケースが準備されていて、快く詰めて、箸は何膳分と聞いてくれます。時には店の名前を大書した洒落た紙袋を持たされ、歩く宣伝員をやらされます。

中華料理は残さなければ主人の面子を潰す、といったテーブルマナーは、賢い消費者やECO重視の思想によって時代遅れになりそうです。

社宅の庭に紅い灯篭(ランタン)が宵闇に浮かぶ頃、爆竹や花火は間歇的に聞こえました。
以前とは異なり、時間と場所の点火指定が守られているようで、胡同の角から爆竹が飛んでくるような悪戯には遭遇できなくなりました。
20;00前に猛烈な勢いで「集中砲火」が上がり、その後は休戦状態となりました。
中央テレビが長年高視聴率を誇る国民的番組『春節聯歓晩会』が始まる時刻でした。総合司会者が世界中の華人への呼び掛けと決まり文句の挨拶をしたら、サブ司会者が公安・軍への感謝が足りないと軽く咎めた事と、注目の幕開け役がウイグル族の男性歌手であった事の他は印象に残らず、転寝をしていました。

ところが深夜、直撃弾が至近距離で炸裂し始め、ビルの側面を閃光が走り、市街戦の映画を観るようでした。
そして00;00近くには間断なく轟音が響き、安眠妨害といった生易しいものではありませんでした。それから、明け方まで寝たり起きたりの時間に、雑誌を見ていたら春節の心得が載っていました。
それには、春節は旧暦12月23日の「小年」から始まり、24日は大掃除、25日からはそれぞれ豆腐・豚・鶏・麺・饅頭の準備の日が決まっているようです。
そして30日の爆竹の音響の中、家族一丸となって飲み食い、歌舞音曲で夜を徹する「除夕之夜守歳」に備えて、数日前から十分に睡眠を取っておく事・・・と書いていました。

 

 

2014年2月4日

快い生のために「仁」をもう一度考えたい ―韓国・検定日本語教科書映像版制作に携わって日本を考える―

井嶋 悠

昨年(2013年)に首都圏で撮影した韓国の検定日本語教科書の3冊目と4冊目が、先月(2014年1月)韓国で刊行されたのを機に、私見をまとめてみた。

私たちセンターとして、2011年から、韓国の中学校及び高等学校で使用する検定日本語教科書の映像版制作に4回携わった。
【参照:本センターホームページの「活動記録」の[教育事業]の項】
その年次別と、協力学校は以下である。

2011年 中学校[協力校:埼玉県川口市立の中学校]
2012年 高等学校[協力校:東京都内の私立高校]
2013年 高等学校(2種類)[協力校:埼玉県立高校・都内の私立高校]
                         ※それぞれ教科書の完成は、各年翌年の1月前後

【参考】韓国の中高校での日本語学習状況は次の通りで、これは世界1である。
・中学校   第2外国語開講学校数 395校[内、日本語312校]
・高等学校  全校約2000校のほとんどで開講し、受講生徒数は約55万人

高校での日本語授業風景また先生、神戸韓国綜合教育院長等へのインタビューを含めた映像『韓国訪問』(2008年)は、
ホームページの「映像」
に収められています。

日本が、どこの国・地域よりも永い交流史を持つ中国と韓国、その韓国の中学校・高等学校で使用する検定日本語教科書の映像版を日本人として制作することは、途方もない名誉であり、光栄なことである。
ましてや、アニメ文化の影響の大きさが言われてはいるが、
確実に日本語受講者は減少していて、(一方で中国語受講者が増加)、
或る旧知の韓国人に「日本語受講での進学、就職また経済でのメリットはもうない」とまで言わしめ、
「韓流ブーム」に翳りがみえ始め、“嫌韓国”派が私の周りでも確実に増えつつある(これについては、狭小のナショナリスト政治家とマスコミによる意図的偏重報道も少なからず影響しているように思えるが、ここでは触れない)、
その日韓関係の現在にあっては、である。

(尚、個人的に、近々、韓国と中国(香港)の、世代、男女別考慮して現地日本語教員10名前後に対して、[日本語教員を目指した理由]と[日本の何に関心があるか]
との二つの項目で、韓国と中国の仲間の協力を得てアンケート調査をしたく準備を始めている。)

私たちに依頼があった根本は、本センター20年の歴史で培われた親愛と信頼以外何ものでもない。
そこには、韓国側に権威を頼ることも、事業利益に腐心する発想もない。
在るのは、1993年の出会いとその後の時間が、創り上げた「有為自然」としての親愛と信頼である。

それは、1993年からの仲間で上記3冊の教科書中心的執筆者(ソウルの高校・韓国人日本語教師)とここ5年ほどの間に出会った数人の30代の映像作家、写真家、デザイナーたちの、異文化を越えての制作(調和)の賜物である。

「仁」の解字にある、人と人の間に通う親しみ、信頼。
その人と人は、並行し交わっていない。間に通い合うものは、言葉で言えば白々しい概念に堕してしまう親愛と信頼の情、心。
底流にある「己の欲せざることを人に施すなかれ」。土足で他者の心に踏み込まない配慮。その自尊と自尊を通わせる静謐な関係へのキーワードは謙譲。謙虚。

親しき仲にも礼儀あり。最高の徳を仁とする孔子は言う。「己に克ち()て礼に(かえ)るを仁と為す」。
「大道廃れて仁義あり」(老子)の視点に共感する私ではあるが、個の生き方、律し方として謙虚さを説く儒教にも共感する私がいる。

その儒教を色濃く残す韓国、日本。また本家中国での文化大革命後の復権。
伝統と革新と人間。古典の古典たる本義。

克己。自身を省み、律する姿勢。「謙譲・謙虚」。
自身をどこかに隠蔽しての己が神とするような他者批判、非難の軽佻浮薄。おぞましさ。尊大。
私もその余りに人間的な?一人ながらこのように言える唯一は、「あった」へと、過去の自身を自然体で恥ずかしく思い始めた私
がいるからで、それが、己れと己が足下への凝視こそ他者との「仁」となる核心ではないか、との思いにつながっている。

そして、今の日本では、謙譲は「嗚呼、勘違い」よろしく後退し、尊大が闊歩しているとしか思えない。
身の丈を知らないがゆえの衰滅さえ直覚する人
がいるにもかかわらず、この闊歩が、日本の安定と隆盛であると大半?の人は明言する。
私には、今もって文明について、近代化について、自照自省のない大言壮語のように思えるのだが……。

私が思う日本の(日本人大人の)尊大を幾つか挙げる。

○「命を犠牲にさせた」との、国内外の兵役者に対する反省、悔悟など微塵もなく、「された」と他人事のように言う首相の靖国神社参拝正当化に視る尊大
○福島原発問題での、相も変らぬ人間絶対観での首相以下「原子力ムラ」の人々と首相が率先する「死の商人」海外行脚に視る尊大。
○無駄予算との指摘を受けたにもかかわらず数百億円復活と国内外での“ばら撒き“に視る尊大
○東京オリンピック施設建設のための外国人労働者の一時的増員を当然とすることに視る尊大
○都心と欧米指向の発想で日本を考えることでの地方の過疎化、高齢化の社会格差に視る尊大
○現代日本大人社会の反映としての学校、との吟味もなく、進められる概念的道徳教育導入に視る尊大
○自殺大国日本に対して、背景の社会変革はそのままに対症療法的で解決できるとすることに視る尊大
等々……。

これらは私の独善なのだろうか。周りを見ればそうとも思えないのだが。

韓国や中国に対して、首相は「私はオープンにしています」と、すべては韓国、中国側に問題と責任があるかのように言うが、門前まで来て中に尊大、驕りを直覚したとき、誰が入るというのだろうか。少なくとも私には、そのような勇気?はない。
「二」は、並行からそれぞれに別方向を目指すだろう。「近くて遠い」の新たな繰り返し。展開。
この首相の発言も尊大そのものではないのか。

日本人の一人として私は、私の不遜を承知しながらも、日本の良き理解者である日本語教師、良き理解者となろうとしている日本語学習者が、自国に対して嫌日本・反日本ではなく、また右翼とか左翼といった分類でもなく(この用語については、定義の再検討が必要な時にあると思っている)、そして支持政党なしの、こんな日本人がいる(結構多いのだが……)ことを知ってもらいたいと思う。
と同時に、そこから韓国や中国の人々との相互理解、相互啓発ができれば、と私たち「日韓・アジア教育文化センター」の過去からも願っている。

《備考》

映像制作では、韓国との、また改めて日本国内での「異文化」を体験した。
そのことについて、いつか私的なまとめを、とも思っているが、幾つかメモ書きで以下に列記する。

【韓国との異文化】
◇準備から制作までの時間の使い方
日本の、早め早めの長期展望からの計画と実行
韓国の、直前からの猪突猛進的計画と実行

   ◇経済差
日本の物価高  それに悲鳴を上げる韓国
例えば、見積額に関して、韓国の希望的予測はおおむね日本提示の半分
韓国の出版社の担当者曰く「その額ですれば我が社はつぶれる」(注:その額は、映像制作業界の平均値)
その時、日本人が改めて実感する[自国の物価高・収入安]

【日本内での異文化】
◇学校現場での、管理職と現場職員の理解、協力への多様な意見或いは乖離
そこから生じる上意下達を避けたいがための協力校探しの難しさ
個人情報に対する公私立の対し方
公立学校の対教育委員会を含め、手続きの緻密さ、丁寧さ、(煩雑さ)
生徒の醸し出す雰囲気の公私立の違い、或いは都心まで電車で20分余りの距離が作り出す格差