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2013年11月30日

「上海たより」寄稿の井上邦久さんの人生 ―若い人たちへの、そして私自身へのメッセージとして―

 井嶋 悠

【まえがき―井上氏の58年間を聞く前に―】(井嶋)

私がいたく得心した言葉に「人生は人生論ではない。一見あたり前のことではあるが。」と言うのがあります。詩人の谷川 俊太郎さんの言葉です。

そして、私は随分昔に知った「一切の例外なく人は自身の人生を描けば芸術となる。」と重ねています。

しかし実際はどうでしょうか。

情報社会の証しなのでしょうか、論が先行しているように思えてなりません。日本も「初めに言葉[論理:ここではキリスト教の神の言葉]ありき」なのでしょうか。

不思議で寂しいことです。しかし、言葉なくしては人と人の間は埋まりません。しかし、です。・・・・・・・・・・・・・・・。

それはさておき、古今東西、谷川さんの言葉は真理です。

曰く「経験ある者は、学問ある者より優れている」〈スイス〉

「多く旅した人は、多くのことを経験している」〈中国〉

「経験は長い道であり、貴重な学校だ」〈ドイツ〉

68歳とは言え、私はこういった言葉を支えにもう少し生きたいと思っている一人ですが、このサイトに投稿下さっている駐上海の商社マン井上邦久さんが、先日母校の大学でご自身の58年間の人生を顧み話す機会を持たれ、その文章を発表され、送ってくださいました。

東日本大震災の風化が、ますます懸念され、しかしその分、日本社会の、私たち日本人の歪み、焦燥、不安が露わになって来ています今、井上さんの、人生「論」でなく、少年時代からの夢を叶えられ、日中の架け橋として日々刻々数十年歩まれている人生は、それぞれに思い・志しを醸成し未来に向かおうとされている若い人たちに、更には私のように今もって「後悔先に立たず」を引きずっている高齢者に示唆することが多いかと思い、氏の了解を得て、ここに掲載することにしました。

尚、氏は俳句をたしなまれます。

      【本文】            井上 邦久

○あの日から 胸の振り子は 朱夏を指し

「あの日」と言えば、多くの人が時間軸を揃えてくれる日があります。十年前の九月十一日がそうでした。その前は、日本の一番長い八月十五日でしょうか。今回の「あの日」からのアフターショック(余震に加えて、精神的社会的な衝撃)が続く四月半ば、開講八十五周年記念・中文同窓会で、おこがましくも卒業生代表として、お話しをする機会を頂きました。

○雀鮨 丸い話を 角張らせ

あとから思えば、高度成長の時代に取り残されていたような故郷の大分県中津市から、逃げ出すように山口県徳山市へ移住したのが小学四年生の終わり。その地に大陸から届く北京放送を聴き始めた早熟の中学生時代。万博景気に沸く大阪に再転居した後、父妹の病や離散という流れのなかで、精神的にも経済的にも衰弱した、高校時代のBGMはカルメン・マキや藤圭子の退嬰的な唄でした。そんな黒い緞帳に塞がれた処に、一条の光のように「中国」が現れました。漢和辞典を愛読書とするだけでなく、現代中国に接したいと思うようになった頃、NHK中国語講座を知りました。画面から伝わる高維先先生の温顔と中国語の音の響きにすっかり魅了されました。そして翌春の受験に繋がりました。

○「しかし、それだけではない」と鳩は呟い

柳本の農家に下宿し(三畳で三千円)、古墳群や二上山を見ながらサイクリング気分で通学。また馬術部厩舎に泊り込み、早朝の草刈餌作りをしてから教室へという日もありました。馬の臭いでクラス仲間の顰蹙も買いましたが、真面目に予習復習を欠かさない新入学生でもありました。高先生に直接教わることは嬉しくて仕方のないことでした。桑山龍平先生と塚本照和先生には文学の手ほどきをして頂きました。後に着任された中井英基先生には、日本と中国との歴史について眼を開かせて頂きました。同級の下村作次郎さんからは、自主文学ゼミの仲間として啓発を受け、中嶌和人さんや曹正幸さんとは同人誌『向日葵』を立上げ、社会学・政治学の初歩から勉強しました。また大阪でのアジア市民講座などに出掛けて、リアルな中国への視界を広げていきました。その頃に知り合った先達のなかには、荒川清秀さん(愛知大学教授。NHK中国語講師などを歴任)、坂口勝春さん(アジアセンター21の事務局長として、アジア図書館設立を目標に粘り強く活動中)がいます。そんな大学内外の恩師学友先輩たちの指導や啓発のお陰で、中国を専攻することへの自覚が強くなっていきました。

○毛語録 十九の春の 大博打

一九七一年初め、関西学生友好訪中団に中嶌さんとともに加えて貰うことになり、一ヶ月間の中国訪問の運びとなりました。国交正常化前でもあり、噂を聞いた公安警察から「どうしても行くならブラックリストに載せて、就職できなくさせる」といった圧力が掛かるような時代でした。香港から国境の橋を歩いて渡って深圳へ。当時の深圳駅前は水田で、農耕用の水牛がいたことを憶えています。広州、長沙、南昌、上海、南京そして北京へ、全て汽車の旅。三月三日、人民大会堂に急遽連れて行かれました。周恩来首相や郭沫若氏との延々六時間の交流は、とんでもないオマケでした。更に、二十万円の旅費工面に苦労している貧乏学生の為に、中国国内分の費用免除をしてくれるというお土産付きでした。新卒初任給が五万円前後の時代のことです。

○馴れ狎れず 慣れて努めた 春もあり 

翌年の国交正常化後、にわかに起こった中国ブームの雰囲気のなか、「先見の明」があったと褒めてくれる人がにわかに増えました。しかし、その声も空疎に聞こえるなか、それ以前から志望していた日中友好商社に就職しました。爾来三十七年、経営危機は一再ならず、人員削減も度々ありました。ただ、中国貿易部門は生き残り、会社全体もこの数年来堅実に成長をしています。営業部配属当初は、まさに通訳技能だけを期待され、自主的に業務を会得するしかない修行時代でした。次に担当業務を引継ぐだけでなく、新たな開発をしていくことで、ウイングを広げる努力を続けました。欧米中心のライフサイエンス事業や中南米と中国を繋ぐ機械事業を立ち上げた頃には、「彼は中国語ができる」というだけの見方から、「中国語もできるのか」という普通の評価に変化してきたようです。

○空を飛ぶ 遣唐使われ クールビズ

現在は、中国総代表として日中往還を繰り返しています。上海を根城に、大連から香港・台北まで、中国圏の16拠点を飛び回りながら、二〇〇人余りの仲間と汗を流しています。北京での「あの日」からちょうど四十年目の今年の三月三日、上海で会議がありました。日中各十名の元気なマネージャー達を前にして、自分は確かに、日中最前線の一点に居るのだなあ、という感慨とともに、自問自答もしました。

高老師や諸先生方からの学恩に、僅かなりとも報えているかな?「あの日」の周恩来首相に受けた借りは返せたかな?

○真水もて 熱帯魚飼う セオリスト

   おのれの次に 中国を愛して(岡井隆)

この四十年、濃淡はあっても何らかの形で日本と中国のことを考える毎日でした。自らにとっては変化や、ましてや進歩もなく過ごした年月のようにも感じます。
しかし、その間に世界の枠組みや思考は随分変わりました。とりわけ、中国は経済的に肥大し、社会も変貌を遂げたと思います。
反面において、従来からの意識構造や政治体制は存外に根強く残っているように感じます。
この中国の「不易と流行」のようなものを、中国に暮らし、中国人と接する生活体験の中から抽出し、出来るだけの咀嚼を試みながら、『上海たより』と称する雑感文を綴っています。
日本と中国との間には、まだまだやるべきことは山積みしております。個人の力は小さいけれど、個人から動かないと何も始まらない、と自らを励ます毎日です。

2013年11月24日

「自死」の重さ 再考 ―併せて自死観に見る現代日本(日本人)の酷薄と軽薄― その4(或いは一つの終わりとして) 「自死に対する現代日本を象徴する発言」について

井嶋 悠

インターネットで偶々見た、自死に関する意見(匿名)で「ベスト アンサー」(!:言うまでもなく、これは掲載団体機関或いは個人の価値観でのベストではあるが)として紹介されていた日本人の発言を採り上げ、最終回の入り口とする。

その類は、インターネット社会の負の側面として、相手にするに値しないものではあるが、海外帰国子女教育や外国人子女教育に関わって来た元教師としての自省からも、いかにも日本(日本人)の酷薄と軽薄を痛感したので採り上げることにした。

酷 薄

□「自殺する人間は自業自得である。」

 「3万人と言うが、総人口1億3千万からすれば物の数ではない。」(要旨)

 これを投稿した人物は、世界10数か国・地域に在留し、経済大国日本へ牽引して来た一人であることを記し、またその自負が、行間に溢れる男性(文の調子から男性と考えられる。)である。

 この人物からすれば、自死は、自身の行いを罪(罪名は、怠惰?無能力?非国民?…)と認め、その報いとして自身が自身に死刑罰を宣告し、処刑したということになる。したがってそれは、「殺人行為」であり、例えばアメリカのアラバマ州、オクラホマ州では犯罪とされているそうだが、自死者は法で裁かれなければならないことになる。

日本の自殺統計が、警察庁からも出されていることに得心できるわけだ。

そしてその数が、年間3万人なのだが、しかし、それがどうした、たかだか0,0002%ではないか、という次第である。

 この人物は、ユダヤ教徒かカソリック教徒かイスラム教徒なのだろうか。

文章にはそれは出て来ないので、要はいっとき風靡した言葉「勝ち組」意識の、人間至上信仰者での自己絶対者としか考えられない。

このような人物があってこそ、日本は敗戦後50年にして経済大国に成り得たということなのだろう。

それは、戦後、アメリカの後ろ盾の中、朝鮮戦争、ベトナム戦争の他国戦争での特需(戦争特需)を、漁夫の利?で得、それを有効活用できるスマートな(賢い!)人たち[理性的人々、合理主義者たち]の働きがあっての現在、ということになるのだろう。

だからこそ、例えば沖縄問題についても、「思いやり予算」、また基地はアジアの安定と平和のためには沖縄しか考えられず、それらは悲惨な地上戦の敵国であるアメリカへの“恩返し”の一環であって、追従ではなく義理と人情の国日本としては至極当然な道義ということなのかもしれない。

 このような人々が、“エリート”として在ったからこそ、更に言えば明治維新以降、約140年の歴史と近代化についての真摯な自省と自己批判がなかったからこそ、歪みが顕在化しているのではないか。

 そして、今、文明は、進歩は、人が人を道具として使い捨ててこそ得られるものであるという、そんな非情冷酷が日常化しつつある日本に、一部の?人々はあわてふためいているのではないか。

「ヒューマニズム」は、そういった文脈でも使われるのだろうか。一つの人間中心主義?

 西洋世界は、一世紀前に猛省したことになっているが、どうなのだろうか。

 海外帰国子女教育から、外国人子女教育から、多くの啓発、ただし日本=劣等、欧米=優秀との俗悪正義ではなく、を受けた一人としての自照自省と重なる。

 その一例として、

海外帰国子女教育での、欧米、それも英語(圏)優先、そこからの上位指向での生徒・保護者の屈折。

外国人子女教育での、欧米(英語圏)発想からの富裕層=“エリート”階層との屈折した差別意識。

 (在日韓国朝鮮人、中国人問題や主にアジアからのニューカマーの問題、更には国際結婚子女子弟の問題等、国際社会のリーダー性を言う日本にとって非常に困難な課題があるが、ここでは敢えて上記に限定した。)

 宗教の時代だ、と言われている。

私の周りにも、生の重みから写経にいそしむ人や新興宗教に帰依している、或いはしそうになった人々がいる。

それに心のどこかで合点する私がいるが、先にも書いたように一部新興宗教を除いたすべての宗教を容認するという意味での「無宗教」の、しかし唯一絶対神宗教に距離を置く私は、或る危険を思っている。

そのこととつながるのが、次の投稿である。

軽 薄

 二つの発言を採り上げる。

 いずれも、海外(欧米のキリスト教圏と思われる)在留経験を持つ女性(母親?)のものである。

1、「キリスト教では自殺は禁止されている」

  これは、信仰の有無とは関係なく、しばしば接する文言である。

  19世紀のドイツの哲学者で、生き辛い世界観[厭世観]を克服することとして芸術的解脱(とりわけ音楽)と倫理的離脱(最良の宗教として仏教)を言ったショーペン
ハウエル
は、その著『自殺について』の冒頭で次のように述べている。

    ―私の知っている限り、自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。ところが旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する
何ら禁令も、否それを決定的に否認するよう何らの言葉さえも見出されえないのであるから、いよいよもってこれは奇怪である―。

  そして、神学者や僧侶を難じ、古代ギリシャの哲学者の生と神と自死容認の言葉を引用する。また、こんなことも言っている。なるほど私は思う。

    ―…(殺人と自死を較べ)前者の場合、なまなましい憤激やこの上もない腹立たしさを覚え、処罰や復讐の念に駆られたりするのであるが、後者の場合に呼び覚
まされるものは哀愁と同情である。……自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっていない人がいるだろうか―。

 

 確かに、西洋キリスト教圏での歴史にあって、自死に関して古来信仰者であり哲学者である人々の間でも、否認容認があり、またイギリスでは強い否認姿勢が最近まであったようだが、それは唯一絶対神の宗教キリスト教の経典である聖書理解の違いであって、キリスト教の否認容認云々とは違うのではないか。

だからこそ、ショーペンハウエルの言葉は、無宗教の私に説得力を持つし、自死を否認する哲学者の言葉は、信仰者としての理解のあり方の一つであると思う。

  因みに、手元にある『聖書辞典』(新教出版社)に「自殺」の項はない。

  先の発言者の女性は、自身の信仰の有無、またどういう考えに立っての発言なのか、明確にすべきで、でなければ、明治近代化以降しばしば見られる西洋社会への妄信的崇拝者、と見られてもやむを得ないのではないか。

そうでないならば、アメリカでのWASP[White Anglo-Saxon Protestant]を中心とした、インディアン虐殺や黒人差別を問われた時、この人はどのように応えるのであろうか。

  アイデンティティという言葉が、昨今しきりに使われる。

 その時、日本のアイデンティティとは何なのだろう?とつい考えるのは私だけなのだろうか。

 宗教は、生と死と自己に真摯に向き合うとき、自然と心に湧き上がる、その人の理性と知性と感性を総動員しての救いを探そうとする思考であり実践であると思う。

  その一つ、苦界の生から浄土を求め、往生に思い馳せる仏教は、キリスト教やイスラム教とは違う柔和さ、中庸を思い描かせる。

 仏の慈悲は神の慈愛であり、祈りの根底にあることに違いはないはずで、仏教史で、例えば武士道との重なりから自死を名誉とする考えは今もあるが、だからといって
仏教が、自死を容認する宗教とは言えないことは、先のキリスト教と同じであろう。

  以前、出会ったアメリカからの帰国生徒が、恥ずかしげに言っていた在留日本人母親たちの会話を思い出す。

 「アメリカまで来てアジア人とはつき合いたくはないわね。」

 今はどうなのだろう?

2.アメリカ在留中、アメリカ人カウンセラーからの「発展途上国(未開地)の現地人にとっては、自殺は考えられません。」に、衝撃を受けた女性。

  短い文なので真意は或る程度推察するしかないのだが、当時のこの女性の精神状態と日本の自殺に係る投稿との前提を考えれば、文明人の贅沢な悩みの傲慢さを思い知
らされ、日本人の一人として自責の念に駆られた、ということなのだろう。

  一見、得心できそうな言葉ではあるが、古来、未開人の自死は報告されていることを思えば、このアメリカ人カウンセラーは、自身を文明人と位置づけた、憐憫からの同情による偏見の持ち主であるように思え、そこに同調したこの女性には、アメリカは先進、成熟した文明国であるとの意識が無意識化しているように思えるのだが、どうなのだろうか。

  この日本の欧米視点に関して、考えさせられる例を一つ挙げ、この項を終えたい。

 それは、最近、素晴らしい教育実践国として採り上げられることの多いプロテスタント系キリスト教国フィンランドの場合である。

 曰く、

  「国際学力比較[PISA]」での上位での安定度」 「国の『教育こそが国家の貴重な資産』との姿勢からの学校教育への物心両面の支援」
「優秀な教師養成と教師へのゆとりへの対応」 「落ちこぼれのいない学校」 「少人数クラス」 「読書環境への対応」
「大学進学率が68%で、入学者の4分の1が25歳以上の成人」
そして「国際経済競争力5年連続世界1位」 「国民の幸福度、教育レベル、福祉でのトップランクの国」………、とそれぞれのすばらしさ・賞讃の連続。

 しかし、

 20世紀、自殺率が世界で最も高い国の内の一つであったフィンランド。

 そして1986年からの自殺予防国家ロジェクトを積み重ね、2012年、人口10万人での自殺率は、19,3で、第14位となった国。

 (因みに、日本が24,4で第8位、韓国が31,0で第2位、ハンガリーが7位、ベルギーが13位、スイスが17位である。)

  国の歴史、風土、社会様相等の違いから、安易に比較はできないかとは思うが、社会様相・事情の反映としての教育(学校教育、家庭教育、社会教育等)との考えに立てば、フィンランドの「国家プロジェクト」の背景にある考え方、視点に日本が学ぶべきことがあるのではないだろうか。確認したいと思う。

  国際化が加速する今日、日本がどのようにあろうとするのかを考え、「自殺(自死)大国」の汚名返上のために。

【参考】国際比較

  ◇平均寿命(男女平均)[WHO 統計 2013年]

    1位  日本 83歳       17位 フィンランド・韓国       81歳

  ◇GDP(国内総生産)[IMF統計]

    13位 フィンランド (48,783ドル]  17位 日本 [45,870ドル]         34位 韓国  [22,424ドル]

2013年11月22日

東アジア・心の交流に向けて ―「徳感良民(りょうみん とくに かんず)」―

二宮 聡

(二宮 聡先生との出会いは、
先生が広域制私立通信制・単位制高等学校八洲学園の校長をされている少し前の時代ですので、10有余年前のことになります。
それは、「関西日本語国語教育研究会」であり、「帰国子女教育を考える会」であり、「日韓・アジア教育文化センター」の活動の場で、でした。
私にとって通信制高校は、千里国際学園在職時に生徒の転向希望で初めて具体的に知ることとなり、7年前には娘が、教師からのいじめや無気力な教育姿勢等で退学を決
意した時に直接知ることとなりました。
そして、先生や現場の先生方を通じて、昔風の通信制高校イメージが通じないこと、また憐憫や同情で見ることの傲慢など、改めて“現代日本”について教えられました。
その二宮先生は、今春から大阪YMCA学院高等学校に移られ、積み重ねられた実績を基に、学校広報や生徒獲得といった運営面及び国語指導、更には居合道8段を活か
して時には体育でも指導されています。)                                                                                                                                                                                                                [井嶋 悠]

徳感良民

表題の言葉は、私の父(85歳・昭和2年生)の実家・私の本籍地(広島県山県郡北広島町)に残る、父の兄(故人)が戦後復員した際、出征した中国の村の長老から贈られた書の言葉です。表装され広間に飾られていたので、幼少の頃から此処を訪れた時は必ず目にしていました。

この敷地内に曽祖父母・祖父母の墓があり、毎年お盆には墓参していますが、伯母(昨年逝去)やいとこ達は、この中国山地の山奥から広島市内など都会に移住しているため、今年8月15日終戦の日(2011年)、私のいとこ(伯父の長男)が掃除に来ていたので久しぶりに家の中に入り、6年ぶりにこの書を見ることが出来ました。

 「徳感良民」

日本軍の警備隊として、中国の村(郷)を守った伯父に贈られた書の言葉。伯父の背嚢に当たり軍隊手帳に突き刺さった八路軍の銃弾とともに、今でも此処に残っています。

生前の伯父の話では、他部隊がある村に入った際、村を挙げて歓待を受けた料理・酒などに毒を盛られ全滅した噂話が流布し、この村でも村の長の住宅で最初に接待を受けた際、その懼れがあったが、意を決して出された酒肴を何事もないように食したので、それから一気に友好関係が築けたと述懐していました。
その村を警備した月日と友好の証としてその書を贈られたそうです。「良民」は中国の民を差し、その民が徳を感じている相手は、敵国の日本軍警備隊長だった伯父とその隊でした。良民と伯父たち日本軍の交流。

今ではその事実を知る由もありません。しかし、「良民」や「徳感」という言葉からは、少なくともマイナスなイメージは湧いてきません。

しかし、中国をはじめアジアでは、今でも日本に対する敵意に満ちています。2006年、上海で開催された「第3回日韓・アジア教育国際会議」に、パネリストの生徒と共に参加した際でも、日本の過去に対するネガティヴなイメージは前提に置かれ、日本とアジアの歴史を語るには、まずここから入ると言っても過言ではないでしょう。

私は広島で生まれ育ちました。父は被爆者なので、私は被爆二世です。平和の尊さはいつも強く感じていますし、東日本大震災で起こった原発の被害は他人事ではありません。そして、世界中に広島で起こった悲劇を伝えなければならないと思っています。

   「感じる」

この感覚が東アジアのこれからを考え行動する上で必要ではないでしょうか。東アジアには「感じる」「共感する」「感じあう」、言葉だけではなく、このような心のふれあいこそが大切なのです。戦火のアジア大陸で、伯父と中国の良民とが「徳感」しあったように。

過去の恩讐や歴史を超えて、東アジアの地に集い、交流する素晴らしい空間。

 その空間と交流の歴史を若い人たちに残さなければなりません。

 そんな空間になるように日韓・アジア教育文化センターの活動と歩調が合わせられればと思いますと同時に、通信制高校で出会った呻吟する高校生たち、更には広く教師の姿勢について、この場等を通して発信できれば、と願っています。

2013年11月21日

「自死」の重さ 再考 ―併せて自死観に見る現代日本(日本人)の酷薄と軽薄― その3 「韓国と日本の自死」について

井嶋 悠

用語については、「自殺」の方が一般的かとも思うが、死の持つ尊厳、森厳さから「自死」とする。

韓国の自殺は、OECD30カ諸国の中で最も高い割合であり、OECDによれば2002年以降人口10万あたりの自殺者数では日本を超えている。
2010年のWHO統計では、人口10万人あたりの自殺者数で世界一位となった。韓国の死因に占める自殺は過去10年間で倍増している。韓国の場合、高齢者に自殺が偏っており、60歳以上の自殺率は、2009年は10万人あたり68.25人、2010年は69.27人と極めて高く、その背景には高齢者の生活不安が解消されていないことにあると考えられている。(
これは、[Wikipedia]からの転載である。)

(尚、OECD以外も含めると世界で第1位は旧ソ連邦のリトアニアである。)

 上記では、若者の自死に触れていないが、以下の2つのことからも厳しい問題であることは見て取れる。

 日本でも近い例で言えば、2011年の上原美優の自死による波及があるが、韓国での芸能人の自死による「ウエルテル効果」は、大きな社会的問題となっている。

韓国は、日本以上にインターネット社会であり、他者への誹謗中傷も酷く、それが自死要因となるケースが多々生じていて、「サイバー侮辱罪」成立の動きもある。ただ、この法律は、表現の自由等から賛否両論で成立には到っていない。

その法律提案の一つのきっかけに、2008年、当時国民的女優であったチェ・ジンシルさん(39歳)の自死がある。ちなみに、その法律は「チェ・ジンシル法」とも言われる。

 以下は、チェ・ジンシルさんの自死に係る元日本語教師で、現在日本で言う文部科学省にあって重要な仕事をしている旧知の韓国人女性からの言葉である。

 「井嶋さん、チェさんの死は、貧しい家庭に生まれ、それを乗り越え国民的女優となったチェさんの真摯な生き方に共感していた私にとって、途方もない大きなショックで、それは多くの韓国人女性にとっても同じです。ただ、3年前のイ・ウンジュさん、昨年のチョン・ダビンさんといった人たちとは同じ目で見ないでください。二人は弱さによるものですから。」

コンピューターは、人間が創り出した機械であり、故障は必然で、「想定外」との言葉は、自然災害に対すると同様、人間の傲慢の(あら)われである。

とは言え、私のような旧世代のアナログ人間でさえ、コンピューターなしの生活に切り替えるのは至難である。ましてや国家間、世界領域では想像を絶する存在である。

そのコンピューターでの、匿名による誹謗中傷、風評発信は、少なくとも私にとっては完膚なきまでの悪魔の所業としか思えない。

にもかかわらず、現実は世界の到る所で日々量産され、発信者だけでなくほくそ笑む者がいて、同時に第2第3のチェ・ジンシルさんを生み出し、心未だ成熟途上にある多くの若者の心を切り裂き、自死に向かわせている。

それは現代の汚辱である。「自由と規律」は、永遠の課題かのように。

同じく旧知の韓国人日本語教師も心暗くする「大学入試に係る自死者」の問題。

韓国の大学入試は、毎年日本のニュースで取り上げられるように国民的、国家的大行事である。

学歴社会から生じる「学歴難民」、大学進学率が80%を越える中での、OECDトップの「私教育費(塾等)」と家庭収入から生じている進学格差の問題等々、深刻な問題を抱えながらも。

若者を(むしば)むこの問題は、日本以上とも言える。

別の旧知の日本語教師も、それらの現実に心痛め、どうにもならない世の趨勢に苛立っている。

韓国が、昨年(2012年)、日本を抜いて、自死世界第2位となった問題の背景には、「漢江(ハンガン)の奇跡」がもたらした負の結果との側面があるのだろうか。

やはり「文明」について考えが及ぶ。

2013年11月17日

子 育 て

(筆名の「翡翠」さんは、ドイツ系京女です。かれこれ10年ほど前に、私・井嶋は彼女に出会いました。爽やかなそして子どもと夫への愛に溢れた、それこそたおやかな女性でした。しかし、私は、彼女がその裏側で、国際結婚によることから、また学校社会の閉鎖性から苦渋し、苦難の時間を幾年も過ごしていることを知りました。私は、自身の教師体験からも彼女の思いを広く知ってもらいたく寄稿をお願いしました。その最初の寄稿が以下です。
ただし、次回をもって“いじめ”のことは終わりです。なぜなら書くことでその日々をリアルに思い出すことが、彼女をどれほど苦しめるかは、皆さん重々共感、同意いただけるかと思います。
以後、彼女の優しさと気品溢れる文章を、少しずつ掲載したく思っています。[井嶋 悠])

 

翡翠

子育てとは、社会に出た時に自己中心でなく思いやりのある人物の基礎を作り上げる、一つの職人芸に似たところがあるように思えます。

私は息子を授かった時「ヨシッ!」と真正面から気合を入れ、(て)育てて来ました。

彼はドイツ人なので、日本の学校ではなく日本にあるドイツ系の学校とインターナショナルスクールに行かせました。彼は周りからドイツ語・英語・日本語は当たり前と皆に言われ、小学校2年生までは3ヶ国語を話せたのですが、インターナショナルスクールでは英語が中心となり、ドイツ語は自然に話す機会が少なくなり、残念ながら遅れをとってしまいました。

それでも2ヶ国語は中途半端にならぬよう、アンチ教育ママな私ですが、不本意ながら彼の一番好きなのびやかば外遊びの時間は減らさざるを得ませんでした。

しかし、限られた遊びの時間は思いきりドロンコ遊びや空き地での子供ならではの想像空間でのびやかにはね回っていたことが、どれ程今日社会人となった今、役に立っているか、親も息子も納得しています。

彼は私達の理想通り、自然とのふれ合いを日常とし、動植物への慈しみの心と、海、山、天体で得た情景の感動は、いつまでも脳裏に焼き付き想い出の引き出しを開けた時、それは癒しのエッセンスとなってしばし心地良い時が流れているようです。

とは言え、ここに到るまでに国際結婚であることも重なって、どれほどのイジメを受けたか思い出したくもありません。

(でも、この機会にそのことについて知っていただくことも大切かと思い、次はそのことについて書いてみるつもりです。)

私は、彼がドイツの森林管理の仕事が一番向いていると密かに思っていたのですが、あくせくといわゆる日本のモーレツ仕事人となったので少し残念に思っています。

彼が納得しているのだから私は口出し出来ませんけれども、人生の先輩としてこれからも見守りアドバイスできれば幸せだと思っています。

 

2013年11月17日

「自死」の重さ 再考―併せて自死観に見る現代日本(日本人)の酷薄と軽薄― その2の2 「自死は畏怖であり同時に身近なことであること」について (2)

井嶋 悠

□『自殺について―日本の断層と重層―』 唐木 順三[哲学者]

   「思想が思想として芽生え、自己が他との区別において自覚されてくる青年期において、多少でも思索的傾向をもつものが悩まずにはいられないところの、理性と本能、意志と感情、思想と骨肉、合理と伝統との対立の問題は、社会的にも決して解決されていない。常識という便利にして無方向なものが、それを曖昧化することによって、まあまあという場所へ追いやっているだけである。多くの思想人を苦しめ自殺せしめた原因は、除去も治癒もされてはいないのである。……思想と感覚の乖離に苦しんだはてに自らを殺していった人々は、我々の苦しみを典型的に苦しんでくれたのである。そういう点で僕等と無縁ではない。」

 

 【これは1950年(昭和25年)に書かれたものである。2013年(昭和が終わって25年)と書いても誰も疑わないのではないか。

   氏は、戦没学生の手記、A級戦犯、近代から戦後の、歴史に名前を刻んでいる8人の自殺した文学者、学生等を採り上げ、日本を考えようとする。

   例えば、「東京裁判」に掛けられたA級戦犯の内、広田弘毅と松井岩根をさすがと言い、戦没学生の辞世の歌に心打たれ、他の戦犯者の3人の辞世の歌の無責任さに
憤る。

   (戦没学生とA級戦犯を「自死」とすることに違和感を持つ人もあるかとは思うが、当時の、また個としての状況を考えるとき、「強いられる死」[斎藤貴男
『強いられる死―自殺者三万人の実相―』]として、私は得心している。

               尚、斎藤氏のこの著作では、教師による生徒への「いじめ」の報告も書かれていて、前回の私の投稿への力となっている。)

    「我々の苦しみを典型的に苦しんでくれた」。この言葉に共感同意し、そこから靖国神社への政府要人の参拝の、権力者の傲慢、無恥を益々もって思い知らされ
ている私がいる。

           意思表示の(すべ)や機会も持ち得ず、また一語だけを残して、否敢えて一切語らず、公歴史に名を留めることなく自死した青年たちは、8人の何百倍、何千倍、否何
万 倍といる。

  そこには、彼ら/彼女らの「生き辛さ」「警鐘」を幾つも見ることだろう。私たちは、改めて謙虚に、しかし貪欲に、それらに耳を傾け、思いを馳せるべきではない
のか。

       そして、そのために必要なこと、それは立ち止まる若者を容認し、何度も機会(チャンス)を持ち得る社会を、にやはり行き着く。

  今日本は、とりわけ『2011,3,11』以降、その時にあると思えてならない。しかし世は、更に一等国へ、金メダルへ、の高所からの大合唱である。円谷 幸吉のことが
鮮 明に過る。】

□『虚無と絶望』所収 「絶望・頽廃・自殺」 埴谷 雄高[哲学者]

    「広島出身の被爆者で、45歳の時、鉄道自殺をした原 民喜の、原爆の惨状を切々と静かに語り掛ける詩の中の、[「助ケテ下サイ」 ト カ細イ 静カナ言葉]
に焦点を合わせ、西洋人の自殺観を述べた後、最後に次のように書く。

    …自殺者を自分自身よりの脱出以外をなす能わざるひたすらの希望者としてのみでなく、また、自殺のみしかなす能わざりし可能的な変革者の列の一方のはしに置くこともできるのである。わが国は、少なくとも、青年の自殺者の出来得るかぎり数多くを生のなかへとりもどさなければならないが、そのためには、主体内部の分析的な姿勢をとりもどすばかりでなく、現在、流血と迫害と死へ向いている眼前の頽廃の基本を、どれほど緩やかな足取りにせよ第一歩と世の側へとりもどし改変してゆくのがその第一歩であると思われる。」

 

 【哲学者小林道憲氏は、その著『二十世紀とは何であったか』で、「文化の頽落」として、西洋近代文明の没落と弊害、そして産業技術文明の矛盾を厳しく指摘
する。

        その時、私は「東アジア」視点の可能性に考えを及ぼすのだが、氏は、東アジア近代史をひもとき、その欺瞞を指弾する。正に我田引水の私を改めて思い知らされる
のだが、「それでも」と私は小声で自問自答を繰り返す。

       氏は、続けて「巨大な物質文明の世界大的拡大の中に、…あらゆる文明が組み込まれ、精神的頽落を起こして、安楽死するかもしれない。」と言い、

「…たとえ文明が滅んでも、大地と大地のもとに生い立つ生命は永遠である。大地と生命の永遠、これのみは信頼しうる。この地上の愚かな人間の文明の営みも、大地のもとに生い立つ生命のように、死と再生を繰り返して、なお永続するのであろう。」と結ぶ。

         地球の滅亡を言わないだけでも救いはある、とも言えなくもないが、「二十世紀の頽落」の表現の凄さにたじろいでしまう。自死に心を向かわせ、選択しようとし
ている若者は、これをどのように直覚するのだろうか。選択した者との連帯を確認するのだろうか。それとも「生の中にとりもどす」ことができる縁となるのだろ
うか。】

2013年11月12日

「自死」の重さ 再考ーその2の1  「自死は畏怖であり同時に身近なことであること」について (1)

井嶋 悠

用語については、「自殺」の方が一般的かとも思うが、死の持つ尊厳、森厳さから「自死」とする。

自身の青少年時を振り返り、自死を考えたことは一度ならずある。そして今68歳である。私の場合、投げやり的な理由であったからであろう、ふと考え、恐れおののいただけのことである。しかし、私との距離の遠近は問わず、未遂を含めた他者のそれに出会ったことは幾つかある。

 生まれ出で、生きて、それも自分らしく生きて、在ること、それはすべての人の願いである。しかし、それは大変な、否至難なことだ。

だから例えばテレビでの夢追う言葉や映像に、また刹那的お笑いに、瞬時であれ、惹きいれられるのかもしれない。もっとも、直ぐにそんな自身をさびしく思い、嫌悪する若者は多い。若者のテレビ離れが起きて久しい。

こう言う私は、テレビの欺瞞、偽善に、そして「間」など異文化のごとき言葉の洪水に身の危険を感じつつも、ついつい見てしまうことでの苛立ちを何度繰り返していることだろう。

 私の父は、大正生まれの、被爆地長崎で、軍医を含めた一部軍上層部の醜悪極まりないエゴを眼前にしたがゆえに原爆の一層の悲惨さを体験した、頑固一徹の医者であった。その父の口癖。「軽率に楽しいなんて言葉を使うな。」この言葉の重みが、最近やっと分かり始めている。

(私の愛読書に、いろいろな人たちのエッセーや日記を集めた『生きるかなしみ』(山田太一編)というのがある。その中の、夢野久作の子息で、陸軍軍人であった杉山龍丸の「ふたつの悲しみ」など、戦争の愚かさ、(むご)さ、かな(悲・哀)しみが、静かに、激しく、心深層に染み渡るエッセーである。)

 私が、自死を哲学と結びつける理由は、その生、生きて在ることに、ふと疑義を直覚する、そんな若者の生き様からである。

厭世哲学とか、虚無哲学とかいったものものしいことを言っているのではない。

結果としてそういった名称を識者は与えるのだろうが、自死を選んだ若者の、それも感性豊かに懸命に生きようとする、その心の経緯を想像するとき、そこに「哲学」を直覚するからである。時に、私自身のこととして。

生きることが哲学である、である。

そんな私の、畏怖にして身近な生と自死観を、これまでに読んだ自死に係る書から、一部幾つか引用し、私見を記したいと思う。

記載方法は、書名・著者名・引用・私見(【 】部分)の順である。

尚、それらの書での用語はすべて「自死」ではなく、「自殺」であるので、引用に際してはそれを使う。

□『ひきこもる小さな哲学者たちへ』 小柳(おやなぎ) 晴生(はるお)[臨床心理士]

 (ここでは、「重大な危険」といった表現はあるが、「自殺」という言葉は使われていない。)

 

  「…「ひきこもり」にしろ「閉じこもり」にしろ、「こもる」という言葉が使われているのは意味深いと思われます。「こもる」は、「隠る」と「籠る」の二通りの表記があります。……「籠る」は寺社に参籠し祈るという意味です。……「籠る」と取れば、個人的に確保した宗教的な時間ととらえることもできるのです。」

 【私は、或る意味典型的日本人で、一部の新興宗教を除きすべての宗教を容認するという意味での、無宗教者であるが、広く宗教の持つ精神性は生きる力となると考える一人である。

  その意味で、前後期思春期にある若者に、また老人にとっても、筆者の言う「籠る」の意味の巨きさを思う。○○教主義の学校といった場にある制度としてのそれではなく、個としての時間として。しかし、世は、その立ち止まり、自問し、自己学習する時間をどれほど容認しているだろうか。だから、○○教主義の学校に在籍しても、多くは慌ただしく時に追われる若者がほとんどである。

(そんな中で、カソリック系の女子高在籍者から聞いた、同敷地内で生活するシスターの日々、一挙手一投足が、生徒に与える思考の時間については、非常に考えさせられるものがあるが、今は措く。)

食や医療事情の伸展から平均寿命が伸びている今、高齢化社会の良い面に目を注ぎ、2回目の、3回目の機会(チャンス)を、にどうして消極的で、今もって「18歳人生決定観」如きがあるのか、不思議でならない。】

□「文化と自殺行動」[『自殺学』現代のエスプリ別冊「自殺と文化」所収] 大原 健士郎[精神科医]

 

  「……わが国の青年によくみられる純粋自殺(哲学的自殺)は、思弁的に死を純化し、合理化し、理論化した自殺であるが、これを純粋自殺とよび、自殺の代表的なものとみなす慣習は、外国ではあまりみられない。」

 【死を純化するとの心に、東洋の、鈴木大拙の言う韻文性、抒情性での透明、また仏教、道教の無の心を思う。そのことが、西洋(欧米)近代化、合理化社会にあっての西洋文化を懐疑し、東洋文化を再発見する、或いは憧憬する西洋人が増えていることにつながっているように思える。

そして、その東端に位置する日本は、欧米化、国際化=アメリカナイゼーション(それもWASP[White Anglo-Saxon Protestant] を基盤とした?)を真善美の基準に置くが如き世相にある。

偏狭な地域主義、ナショナリズムは否定されるべきものにもかかわらず、日本はアメリカの覇権主義、ナショナリズムに追従し、主体性なく安直に共同歩調を採るのはあまりに哀しいことなのではないか。】

2013年11月8日

「奈良の二の舞を演じるな。」「東京は異日本!?」

井嶋  悠

昨年娘が他界し、当たり前のことに夫婦で、また個々に考えることも多く、井嶋の郷土で娘の生の基盤であり、娘自身が訣別の意思決定をした関西に、奈良の知人の家(空き家)を拠点に使えることになり、予定をはるかに超えて3週間ほど夫婦と愛犬で滞留した。

その家は、生駒と法隆寺の間にあって、静かなしかし商業施設や病院等公共施設の揃った田舎町である。標高2、300mのなだらかな稜線の山に囲まれ、その中を鉄道が走り、川が流れ、山裾まで民家が密に張り付いている。

そてその川が「龍田川」であり、駅名が「額田」であったりする。全国至る所、歴史にまつわる場所はあるが、穏やかな秋の日差しにも恵まれたこともあって、奈良の落ち着きが一層身に沁み入って、心ふくよかに、在原業平や古今亭志ん生や、裳裾を翻しながらそぞろ歩く額田王が思い描かくひと時を持った。

それができるのが奈良の魅力だと思う。

それは、法隆寺といった世界遺産の地であっても、東大寺などがある奈良市内中心部であっても、人出の数の違いはあるが、根っこにある自然を、旧跡を心身一体、他に惑わされることなくおのが心に収められる魅惑とでもいえようか。

井嶋の菩提寺は、京都今出川の近く鞍馬口にある。曹洞宗の寺は京都らしさ漂う小路にあるが、ひとたび市内中心部や有名地に出ようものなら自身の体感、リズムで在ることは至難である。神社仏閣より人人の顔が、その夜の寝床で過って行くありさまだ。墓参の帰路に立ち寄る楽しみであった「錦市場」など、東京の渋谷だ。

京都を訪ねる国内外の老若男女は、心満たされて帰路についているのだろうか。ほとんどが疲労困憊、失望を持ち帰っているのではないか、とも思ったりする。

以前、テレビで、観光客へのインタビューを交えながら、奈良では旅の楽しみでもあるその地ならではの美食やお土産探しに苦労するといったことが、京都との比較もいれて、楽しげに……映し出されていた。私、また私の周辺の人は、だから奈良が良いのだとの意味で同意していたが、奈良っ子はどうなのだろう。少なくとも代々奈良っ子の知人の女性は言うだろう。「そうよう!だから良いのようっ!」と。

京都生れの京都育ちで、京都の大学を出て、京都の大学で社会学を教え、京都と大阪を偏愛し、それが故に直截の苦言を呈している、「関西人」を自負するI氏は、コラムでこんなこと書いている。

ー奈良の二の舞を演じるな。明治の遷都以後、京都ではそう言われつづけていた。(中略)だが、奈良になってしまって、いったいどこが悪いのか。おちついた暮らし。のんびりした日常。都市の没落にも、すばらしい側面はある。なにも、無理をして、東京とはりあうことはない。むしろ、東京的発展の侵入はくいとめるべきではないか。ー

奈良っ子はどうなのだろう。

東京都に大阪都。日本はどこに行こうとしているのだろうか。

こんなことを言うのは、非現代老人の繰り言でしかないのだろうか。

東京の巣鴨と武蔵小山の商店街を行き交う老人の違いの、いずれを重きに置くのが日本なのだろうか。

後者で見かける孤独、かなしみ(悲・哀・愛)は、明日の私である。

2013年11月5日

「教育再生実行会議」への元中高校教員からの質問

 

井嶋 悠

10月31日に、安倍首相に会議委員から、知識偏重を是正し学力と人格を観る大学入試とそこに至る高校教育(中等教育)の改善に係る具体的提言が提出された。

現代文化を考えるキーワードは、或る社会学者によれば、「都市」「消費」「情報」とのことで、人社会での文化とはその構成者である人の、歴史、地域、国、民族、風土等々を絡めての生き様であるから、先の3項と私を組み合わせ思い巡らせるとなるほどと思う。

人生の大半を都市で生活し、今田舎にあって、都市と地方と私を思い、消費に躊躇すること多く、情報について行けない68歳。

そんな私の、33年間の私立中高校での専任教員として3校での、他の私立中高校3校での非常勤講師経験での自照自省から体得した疑問、不可解、苛立ちが、今回の提言で改善されるのか、それともそれらは私の単なる感傷(センチメンタル・dreamer夢見る夢子性)なのか、確認したくこの場を借りる。

なお、私の背景にある時代観は、高齢化(長寿化)での心の余裕化の必要、少子化での質の吟味と深化、そこからの学進学率が50%を越えたことでますます強くなりつつある大学の大衆化の正負である。

⚪格差社会に関する  良識と良心を併せ持つ或るジャーナリストの次の発言(要旨)。

    「高所得者の子どもの高学歴化での、スタートラインの違いへの疑問と懸念」

  そこに都市圏と地方との格差、東京一極集中が重なることで、保護者、とりわけ母親のなりふり構わない独善的言動、行動が、これまでの良識、常識が通じないほどになっているそんな日本は、沈静化し、落ち着くのでしょうか。

⚪日本で最も難関とされているT大学医学部で、もう20年以上前になるでしょうか、医師としての人格を危惧する教授会での発言が新聞に掲載されましたが、やっと本道に戻るのでしょうか。

⚪先のT大と並び称され、同時にいろいろな面でその大学への反骨心のあるK大教授の、20年くらい前の新聞投稿にあった、T大に行けなかったからK大に来たと恥ずかしそうに、否時として堂々と言う新入生が多くなった、ことへの寂しさを記した言葉。

   これは、入試とは関係のない問題でしょうか。

⚪或る大手企業の学歴観。世に言う有名国立大学以外での採用は、これまた世に言う有名私学W大、K大以下は門前払いとしている由。それも私の知っているだけでも数社。

  偏差値という世間常識?では、W大とK大と同等或いはそれ以上はJ大ともう一つのK大で、とすればそれらはすべて首都圏で、先の企業の一つは本社が関西という、この現実も現代にあってはいささかも理不尽ではないことなのだろうか。

 或いは、今度の改善で、それがより確かに深化するということなのだろうか。

  こういった私学の、或いは大学の序列化、更には大都市集中と地方との格差に対して、今回の改善はどのような影響を与えるのであろうか。

とにもかくにも上記は現実であり、そこに10歳前後から多くの若者は、家庭は渦中にあり、悲喜こもごもが繰り広げられている。

OECDの学力調査結果に、その上位国や問題内容の吟味もなく一喜一憂し、すぐさま欧米の事例を引き出し、憂慮を繰り返すことが、今回こそなくなるのだろうか。

こんな話にも最近接した。中高校大学で教員経験豊かで、人格的に優れた人物が1年間、或る伝統のある著名高校で教えた時のこと。1年間を顧みての感想文を求めたところ、大手予備校の、しかも2校の便箋を使って書いて来たとのこと。

これも現実であり、その学校生徒の、予備校通学はほぼ100%で、結果としての有名大学進学実績は群を抜いているとかで、生徒の学校差別感の鼻息は荒く、少なくとも私の価値観からは非人間社会としか思えない。しかし、その学校、生徒からすれば、この私の感想こそ非現代的で、問題であり、敗者のの歯ぎしりとしてかたづけられるのだろうか。

改めて今回の提言は、これからの日本社会像があってのことであり、広く世に問うて欲しいし、その時、学校社会での母性と父性と教育についても既成観念にとらわれることなく、吟味、再検討して欲しいと思っている。