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2019年5月26日

若い時の純粋から老いの純粋へ

井嶋 悠


19世紀のフランスの、恋多き男装の麗人作家にしてフェミニストのジョルジュ・サンド(1804~1876)が、老いについてこんなことを言っている。

――老年を下り坂と考えるのは全く誤りである。人は歳をとるにつれてだんだん高く、それも驚くほど大またで上へ上って行く。――

彼女の生涯は72年間で、時代が違うとはいえ、私は現在74歳であるから、高齢化日本にあってなおのこと彼女の言葉には考えさせられる。自照自省の大きなきっかけとなる言葉である。

最近、高齢者の自動車事故・事件加害者が増えている。中には、自身の過失を認めない者もいる。一人で歩くことさえままならないにもかかわらず。 彼女が言う真逆の老人たちである。運転に自信気の笑みを浮かべインタビューに応える輩(やから)も含め。

老いは若い時代の延長上にある。当たり前のことである。老いを終焉と考えるから頭の中がもつれる。老いは一つの経過点に過ぎないと考えればいいのである。難しい極みだが。私には仏教信仰はあるが、仏教徒ではない。しかし、人類誕生以来、だれも死の後を知らないはず?だから、経過点と考えることは許されるのではないか。因みに、私は死後、肉体は土となり、霊魂は宇宙を駆け廻ると思いたい派であるが、未だ不十分段階だ。人間、次の指標があると生き甲斐があるというものだ。閑話休題。

若い時は苦悶の連続で、先人に言わせればその苦悶が人生の肥やしになると。時が経ち顧みれば、美的哀調さえ醸し出した他人事のようになるが、当時は悪戦苦闘の日々である。しかし、時[時間]の力、老いと共に自然に、或いは意図的に苦悶は削ぎ取られ、澄明さが増して来る。恬淡にして枯淡の境。と言うのは一つの理想で、多くは残滓が何やかやと心底に蠢(うごめ)き、頭をもたげようとしているではないか。おぬしはいずれかと問われれば、まだまだ後者である。だから私は一休禅師に親愛の情を寄せる。

仏教では「五慾」「十悪」との、人間探索の言葉がある。
五慾での、「食慾」「色慾」「睡眠慾」「財慾」「権力慾」、「十悪」での殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫、妄語等々。これらは何も仏教に限ったことではない。
人間をとらえようとする時、最もと言っていいほどに複雑にして厄介なことが、「色欲」-「邪淫」ではないか。それは、人間にあって最善、最上に位置付けられる「愛」と、時に表裏に論ぜられるがゆえに。
「エロス」・「エロティシズム」。
現代日本語としてある「エロ・エロい」から、時を、葛藤を経て、老いに向かう道程(みちのり)で直覚し、自問し始める「エロス」「エロティシズム」への昇華。そこでの新たな葛藤…。
ただ、私が使う「エロス」・「エロティシズム」について、澁澤 龍彦(1928~1987・フランス文学者・評論家・小説家)の書『エロティシズム』から引用、補足しておく。

「セクシュアリティとは生物学的概念であり、エロティシズムとは心理学的概念である」
「(プラトンの言葉を引用する形で)エロスとは神がかりであり、魂の恍惚であり、一種の狂気である」
「ドン・ファンの純粋を求める姿勢を、カザノヴァのような、陽気で野卑な漁色家のそれと混同してはなるまい。現実原則に逆らって、永遠の女性(母親像)を求めつつ、つねに裏切られている男の心理を、精神分析学でドン・ファン・コンプレックスと呼んでいる(以下略)」

白人の白は白ではないと思う。アジア人の白こそ白だと思う。タイに行った時、透き通る白い膚をした若いタイ女性を数多く見て感嘆した。日本人も、中国人も、韓国朝鮮人も然りである。 雪白(せっぱく)を思わせる寒色なのだが温もりで包まれた暖色の白。微塵の汚れも感じさせない人肌の白。純白。

作家の優劣は女性描写で決まる、との言説に昔接した記憶がある。なるほど、だから夏目漱石は一流なのだと思ったから、この記憶は間違いないと思う。 作家を志すなら好きな作家のすべての作品を筆写せよ、と説く人があったが、私には作家への志はなかったから頭でその言葉を聞いていた。今にして思えば、作家云々とではなく、人生として、漱石の女性描写だけでも筆写しておれば、私の人生、もう少し彩りが備わったかなと思ったりもする。
かてて加えて、美術・工藝の世界で、完成された作品以上にその作家たちの素描に魅かれる私がいる。例えば、ルネッサンス時の画家たち、シュールレアリストの画家、彫刻家、陶芸家たちにそれを見る。

神田の古本屋街を特に何かを探し求めると言うのではなく彷徨っていて、1994年3月号の『芸術新潮』、特集「常識よさらば―日本近代美術の10章」なるものに目が留まった。店頭に雑然と並べてある雑誌の一冊である。価格は100円。
その中の一章[彫刻史に仲間外れにされた人形・置物]と、もう一章[貧乏画家の飯の種は何だったのか?]で、釘付けにされた二つの作品(写真)。
一つは、人形作家・平田 郷陽(二代)(1903~1981)の『生人形・粧』と、一つは、洋画家・渡辺 与平(1888~1912)の挿絵「キッス」。 前者から放たれている清楚な妖艶。後者の赤子をあやす女性の無償の愛の姿。

『粧』は、浮世絵に材を得て、江戸時代後期の20代半ばの商家の新妻をイメージして創作された由。 丸髷に、「顔は弥生の桜花の吉野の山に馨れるが如く、眉は中秋の新月の明石の浦に出づるに似たり」(興津 要『日本の女性美』所収「目の美しさ」より江戸期の作家・曲亭 馬琴の言葉を孫引き)で、目は無表情の下向き加減、「口紅は、矢張り、指先で軽く溶いて月の輪形に下唇にさし」(同上書での「くちびる・くち紅」の項での『おつくり上手』(平山芦江著・大正5年刊)より孫引き)、右足の膝からほんのわずか大腿下部がのぞく左立て膝姿とその足指。家事を重ねていることを示すふくよかな、左手は左膝に静かに置かれ、右手は挿したかんざしに添えられている。着物は麻の単衣で幽かに両の乳房が見て取れる。
何という清楚なエロティシズム。美。

後者は、明治時代に正岡 子規によって創刊され、夏目 漱石が『吾輩は猫である』『坊ちゃん』を発表した俳句雑誌『ホトトギス』に掲載された挿し絵。一筆書きがごとき見事な筆致で、赤子を慈しむ母をとらえている。プロの画家としての技がきらめき躍動する線と面、そして対象への愛に、私は思わず魅き寄せられた 。
その二つに共通するものとは何だろうか。
一つは、女性への慈愛の眼差し。
一つは、余計な装飾がどこにもない、必要にして十分なものだけで構成され、決定的美が醸し出されていること。

幾つもの呻吟を経て、己が人間的心から、何をどれほどに削ぎ落としていくことができるか。
若木の樸(あらき)から老木の樸へ。青い樸から玄(くろ)い樸へ。
歳を経ているがゆえに錯綜する幾つもの葛藤。苦悶。 だからこそ、ジョルジュ・サンドの先の言葉、一休禅師が最後に愛した盲目の女性森女に言った辞世の言葉とも言われる「死にとうない」が、響いて来る。

やはり老いは難しい。 高齢化社会をひた進む日本。個人の集合体としての社会が、今までの考え方、発想で通ずるとすることでの大きな不安と危険を思ったりする。言葉だけの同情の氾濫世情。 老いの一人の戯言、杞憂ならいいが。

2019年5月15日

日日是好日・一期一会

井嶋 悠

小学校の運動会で、50メートル(だったと思う)徒競走は、ゴールまで誰よりも速く走ろうと一目散だった。今もこの種目は行われているのだろうか。
一時、足が速い遅いで順位をつけるのはいかがなものかというので、順位をつけない学校も出たそうだが、今はどうなのだろうか。
障害の有無とは関係なく、子ども心理としては順位がある方が楽しいというか、張り合いがあるように思うが、勝って驕り、負けていじけたりするのはいただけないとの上でのこととして。
なにせ小学校でさえ、「学級崩壊」がある時代だから。なんともはやではある。

年を経て、老いの段階に入り、小学校同期会などに参加すると、欠席者の生死とか入院の有無、また出席者でも先ずは健康の話題から入り、今通院していないと言うと感嘆の声すら漏れる。
ところで、歳を取ると、幼い時のゴールに向かう姿勢が180度変わるというのは、人生、遅きを善しとする天が送った暗示なのだろうか。

今の生活ぶりを恥じて、参加したくとも遠慮する人もなくはない。それをおかしなものだと言うのは簡単で、いわゆる“上から目線”、同情の危ういところである。
一切の例外なしに、その多少とは関係なく(そもそも多少とは、何をもって言うのかも含め、人がとやかく言うことではない)お国に身を投じて来たのにもかかわらず、その国は老人を、美辞麗句だけで結局は放置、捨て置いていると言えば言い過ぎだろうか。
或る近しい人は「老人はさっさと死ねということなんだろう」と言っている。

私自身でさえ憤る、老人側の“老い”を錦の御旗がごときにした身勝手な言(ふる)行動(まい)、倫理観・独善観のあることは重々承知して言うが、
例えば、 車が無ければ生活が成り立たない[生きて行けない]地域があちこちに在る現状の一方で高齢者運転事故の多発。これを解決するには、それらの地域の公営バス[コミュニティ・バス]の濃やかな普及しかないが、実状はどうだろうか。私の現居住地でも然りである。
また、老人養護施設入所に際して、或いは老人医療に際して、負担が1割であれ2割であれ負担自体の発想が解せないのだが、どうしてあれほどに経費を当然のように徴収するのだろうか。
備考ながら、韓国の50代の知人ががん手術の後、医療費負担が5%になった旨聞いて愕然としたし、日本の1級障害者に対して医療費還元の有無が市町村によって異なるのも不可思議に思う。

世界に冠たる借金超大国日本の、政府、行政側の反応はほぼ決まっている。「予算がない」。 国家防衛、国家名誉を口実に、自衛隊に(自衛隊に係る憲法論争が喧(かまびす)しいが)膨大な予算が使われ、併行して「思いやり予算」への現アメリカ政府のますますの要求に“ゴルフ”で応え、名誉ある日本を担う、と自尊する政治家とりわけ国情を左右する首相、大臣が外交と称する外遊での巨大な出費とその成果に、無関心に或いは麻痺しつつある私たち。
以前、現首相の外遊経費について、某前国会議員が情報公開を請求し、それに関して以前にこのブログに投稿したが、どうしてマスコミはそのことに触れないのだろうか。それとも、既に追求があったことを私だけが知らないだけなのだろうか。(私は定期的に新聞を読まない上に、週刊誌、月刊誌もほとんど読まないので、私の無知は十分に予想される。)

本末転倒も甚だしい『愛国心』。日本と言う国は、そういう国なのだろうか。

「平和」との語彙で捉えれば、なぜ本末転倒なのかとの疑義が出されると思うが、私が抱く平和とは、先ず国民一人一人の心の平和、安寧であって、〇○国の、××国の脅威による自衛、との視点からの戦争と平和の、その平和ではない。順序が逆なのである。 だからなおさらのこと、アメリカの核の傘の下とか在日米軍の現状に、甚だしい疑問を持つ。
私は、浅薄な性善説や性悪説、また自民族・自国絶対の寂しさに陥らぬように留意しているつもりだが、最近の日本・アメリカや中国・ロシアを見ていると、私の留意をことごとく覆しているように思える。
北朝鮮問題で、私の旧知の韓国人に今もって親族が北にいる人がいるが、その人たちは今の動きを、各国首脳の更には一部ヘイト的言説をどのように受け止めているのだろうか。
このことは、やはり旧知の香港人[中国人と自称せず、香港人と称する人は多い]にも思い及ぶ。

古代中国の思想家、例えば老子とか孔子は『小国寡民』の前提に立って、人間に、社会に叡智を発し、それは今もって、少なくとも私たち日本人の力、栄養となっている。
日本は、国土面積の4割が森林・山岳地帯(要は人の生活地域は国土の6割)で、年々少子化、高齢化は進み、GDP等世界の経済領域で、過去は過去のこととなりつつある。過去の栄光を再び浴することこそ使命と考える人(とりわけ政財界人?)は多い。
しかし、だからこそ経済大国復活を目標とせず、且つ現状を善しとする危険な道に埋もれることなく、未来構想を持つに、今は千載一遇の機会と私には思えてしかたがない。 これは、余りに非国民発想、或いは精気をどこかに置いて来てしまった老人発想なのだろうか。

日日(にちにち)是好日(こうにち)。[この読み方には、ひびこれこうじつ等幾つかあるがここではこの読み方にする]
これは、10世紀唐の時代の雲門禅師の言葉で、出典は、公案集(禅師が弟子に問い掛け、答えを求める事例を集めた書)の『碧(へき)巌(がん)録』。
この言葉の要(かなめ)は「好」にある。
禅思想では、善悪、美醜、高低、長短といった相対の視点を持たない。これは老子も言っているところである。そのもの、ことがすべて、一切なのである。だから「好」を良いとか悪いの意で取るとこの禅師の言葉は矛盾する。
その日その時がすべてなのである。だからこそ、いついかなる、どのようなこと、ものであれ、それらに対して愛しみ、慈しむ心が芽生えると言うのである。

「好」との漢字は、甲骨文では[母]+[子]の会意文字で、それが[女]+[子]の会意文字となった旨、漢和辞典の「解字」で説明され、続けて「母親が子どもを抱くさまから、このましく、うつくしいの意味を表す」とある。 母性は女性専有のものではなく男性にもある。逆も然りである。しかし、出産し、母親となるのは女性だけである。 このことを知れば、子どもを抱く母の、純粋で、絶対的慈愛を思わずにはおれない。その時間が好日である。そこに東西異文化はない。絶対愛。永遠と表裏の無の境。
と、直覚できるのだが、私は今もって心身は、全く別の方向、相対世界にどっぷり浸(つ)かっている。

この感覚を、先述した日本の在りように当てはめてみる。 アメリカがあって、中国があって、ロシアがあって、韓国があっての日本ではない。日本は日本である。もちろん、これはすべての国に当てはまることである。
釈迦が言う「天上天下唯我独尊」の本来の意味。自身が、自国が一番偉いとの相対的考え方ではなく、それぞれの自己、自国を唯一とする禅思想に通ずる考え方。
一人一人の心の平和、安寧がすべてとする世界、地球である。『国際連合』の理念に通ずることだが、それが機能していない。なぜか。
大国意識[指向]×小国意識[指向]、指導×従属での恩義と安心から、それぞれの思惑が働いて、最後の最後に「拒否権」とのエゴが貌をもたげ、結局は大国間競争に堕する。
日本は禅思想が12世紀以降、急激に広がり、浸透し、今も或いは今だからこそ人々の心を捉えているにもかかわらず、悪しき渦中に巻き込まれている。否、自身から渦中に飛び込み指導(リーダー)云々と頻りに言う。
一部の、その中に私もいるが、現代日本人は、敗戦、占領下を経て、70有余年経った今も、日本が自律し、自立[独立]した国と思っていないのではないか、とさえ勘ぐってしまう。
因みに、老子は先のことの記述の後に次のように言っている。

――生じて有せず、為して而(しか)も恃(たの)まず(何かをあてにしない)、功成って而も居らず――

その時、その一瞬がいかに大きな意味を持つか。 私など、顧みれば後悔先に立たずばかりの小人以外何者でもないが、だからこそ先人(古人)の言葉に、同じ人間の“気”を感じ、どこか安堵し、前を向こうとする。

「一期一会」は、茶道の心得を言った言葉が源である。それは以下である。

――茶の湯の交会は、一期一会といひて、たとへば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会なり。――

いずれか或いは共々、人生の、そして教育[教えるということ]の「座右の銘」にしている人は多いのでは、と思う。

2019年5月1日

多余的話 (2019年4月)  『桜花春天』

井上 邦久

去年の4月28日は弘前で見ごろの櫻に間に合いました。
弘前城の堀の花筏はケーキナイフで切り取れそうな分厚さでした。地酒を鯨飲しながら夜櫻を眺めるような贅沢は、霞山会・陸羯南研究会そして東奥日報社の皆さんの御蔭でした。  
今年の桜は身の丈にあったもので、京都の建仁寺境内で手造りのお握りを頬張り、通学電車の窓から大和郡山城址の名残りの桜を追いかけるといった素朴なものでした。  

そのような坦々とした日々のなかに、昨年の夏に豪雨土砂崩れで大変な被害に遭った広島県呉市の知人から映画『ソローキンの見た桜』の推薦メールが届きました。
ソ連時代からロシアへの造詣と憧憬を持ち続けている方が、軒まで埋まった住宅は修復しても壊れた集落の生活は戻らない近況を綴ったあと、「広島県では上映されない。大阪まで見に行く余裕はない」という言葉が続いていました。  
日露戦争の俘虜となった士官や兵が日本各地で収容されたことは知られており、それを題材に五木寛之は金沢を舞台にしたロシア士官と日本女性のつづれ織りのような『朱鷺の墓』を書いて、NHKの銀河ドラマにもなっています。  

今回の映画は、松山を舞台としてロシア士官(秘かに反政府活動要員として疑似投降?)のソローキンとロシアとの戦いで弟を亡くした看護婦が結ばれ別れるストーリーで、元は南海放送によるラジオドラマとして高く評価され、原作者でもある田中和彦南海放送社長が映画化を推進しています。
松山城を中心とした桜を大画面でたっぷり観ました。これからも地元の愛媛県でロングラン上映、続いて大阪十三の第七芸術劇場、京都シネマなどで散発的に上映予定です。  主演女優の阿部純子はスケールの大きさといい、自然な英語科白といい今後 日本を代表する国際派女優になるのではないか?と自分勝手に思っています。  

呉市には映画のパンフレットに『大阪俘虜収容所の研究 大正区にあった第一次大戦下のドイツ兵収容』を添えて届けました。  
渋谷駅近くの金王八幡宮境内の桜は、一重と八重が重なり江戸三桜として名高いと教えてもらいましたが今年は間に合わず残念でした。
土曜日の午後、その境内でCさんと落ち合い、大鳥居を潜って桜横町に渡りました。信号を渡る所に銅板を壁全体に張った造りのしもた屋がありました。
東京の古い町に少しだけ残された濃緑色の防火(?)建築で、人形町・小伝馬町・北品川旧宿場町そして鳥越界隈にあり、この造りを発見すると妙に興奮する癖があります。桜横町に入ると左手すぐに加藤周一の記念碑がありました。Cさんは坦々と語りました。 「井上さん、今歩いてきた道は、加藤周一が常盤松小学校に通った道ですよ」

意識は大阪の四条畷高校の校舎にスリップします。山口から転校して河内弁にもペーパーバックの英語本にも少しずつ慣れてきた高校二年生は、複数の同級生が手にして口にする岩波新書『羊の歌』に驚かされました。
著者の加藤周一の名前は目にしたことはあっても、高校生が日常的に親しむような対象ではないと思い込んでいました。全くと言って良い程、学ぶことや努力することから逸れていた十代が終わり、これではいけないと「改悛」してから先ず『羊の歌』を手にしました。今も手元に残るのは1971年1月30日第8刷発行本です。
そこから評論は加藤周一と竹内好、小説は福永武彦そして吉行淳之介の季節が始まりました。実におくて(奥手)であることを自覚しつつも、余命半世紀は残っていると二十代より三十代・・・と自らを励ましてきましたが、その半世紀も残り少なくなってきたことに気付きます。
桜横町を案内してくれたCさんとは横浜中華街や東京の友人が経営する老舗中華料理店でご馳走になり、その折々に得難い書籍を見せて貰い、昨秋には長崎華僑の重鎮の皆さんとの面会調整をして頂きました。

今年の春節会にも誘われたところ、その会は中国にもご縁がある一方、加藤周一を敬愛する人たちの集いでもありました。その方々が活動する拠点「陽風館」は桜横町の松岡理事長のご自宅ビルにあり、2016年その建物脇に設置した加藤周一の詩文を刻んだ記念碑は親しみの湧く素材と造形でした。
Cさんからの「一度、陽風館へお越しくださいませんか?」のお誘いで伺った部屋は加藤周一の著作と中国関係書籍が溢れんばかりに並んでいました。
その 願ってもない環境で「日中愛国貿易時代」からの貿易商のYさんを交えて、尽きせぬ加藤周一にまつわる半世紀分の事柄を語りました。
弘前の櫻は贅沢なものでしたが、桜横町には桜並木は無くなっても胸の内に咲く花は見事でした。

関西での活動では常に次の世代へのリレーゾーンを広く設けた発想を心掛けていますが、桜横町では自分自身が次の世代と目されていることを自覚し、背筋を伸ばしてお暇しました。帰りに常盤松小学校まで歩き、今秋に生誕100周年を迎える加藤周一の90年後輩にあたる小学生の姿をしばらく眺めていました。

たまたま上海の恩師から届いた文章に「歳月不老,人生易逝」とありました。 「桜花春天」を日本語に訳すと「さくらの春」となり、競馬用語で解すると、 桜花賞から春の天皇賞に連なる春競馬となります。
28日、その「春天」の好レースに続いて、香港では国際G1レースの「エリザベスⅡカップ」で日本産駒のウインブライト(勝出光采)がレコード勝ち、父のステイゴールド(黄金旅程)に続いて父子の継承となりました。
天皇賞の一着賞金は1億5,000万円ですが、香港の英国女王杯の一着賞金は2億164万円とか、以上T女史からの速報です。
香港の「一国二制度」は、競馬の世界では機能しているのでしょうか?(了)