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2021年9月5日

日韓・アジア教育文化センター 回帰? ―私の5か月の空白から私に問う―

井嶋 悠

今年3月以来の投稿です。

私(わたし)的には2か月くらいの空白時間と思っていましたが、5か月経っています。光陰矢の如しです。
ひたすら驚いています。11か月後に迎える喜寿は、何事もなければ、これまで以上にいや増して速いものになるかもしれません。ますます厳しく時間と体力が問われることでしょう

表現に必要な諸々は底をついていますが、それでも投稿し、『日韓・アジア教育文化センター』の新たな継続の可/不可を自身に叱咤し、これまでに関わった人々に意見を聞く願いが、今回の主題です。

「隠れ○○」との表現があります。周知のそれに「隠れキリシタン(切支丹)」がありますが、私の場合は、その衝撃度からも教師体験で得た「隠れ帰国子女」を借用することが多かったです。その「隠れ○○」を模しますと「隠れ日韓アジア・教育文化センター:ブログファン」がおられたことを思い知らされました。何とその方(旧知の方ではあるのですが)から、つい先日に「3月30日をもってぷっつりですが云々」の便りをいただいたのです。

その方はドイツ系の血を持ち、私の悪評高き文章[長い!屈折している!理屈っぽい!等々との鋭角評を少しは改善したつもりなのですが]を読んでくださっていたのです。小躍りしました。
とは我田引水ではないか、この数年毎月、日中文化・社会を様々な視点で、今日までに蓄積された叡智からのぶれない投稿『多余的話』をくださる井上 邦久氏(元商社マン、現若い人への還元と更なる蓄積に東奔西走されています)のファンと言うのを躊躇され(その隠れファンと井上さんとは面識がありません)、私への配慮からそう書かれたのではないか、との思いに到ったのです。事実、井上さんのブログ投稿を楽しみにしておられる方があることを承知していますので。

5か月の空白は、心と身体が加齢について行けずの息切れによるものですが、76歳の誕生日[8月23日]以降歯車への給油(もちろん軽油です)も徐々にでき始め、錆びつき、部品の破壊も緩み、今回に到った次第です。

ありがとうございます。お二人にひたすら感謝しています。

『日韓・アジア教育文化センター』発足は、1994年に神戸で開催した『日韓韓日教育国際会議』に遡りますが、その背景の一つに中高校の一国語科教師であった私の日本語教育への関心がありました。
それは日本語以外の言語を第一言語とする人のための、第二言語としての日本語教育[JSL]という言わばタテの関係を、ヨコの関係からみようとするものでした。
私には、その視点が国語科教育をより豊かにするように思えたのです。そこで私的な研究会を立ち上げ、いささかの活動を始めますと、共感する人が何人か出て来ました。
そのような折、ソウルで日韓国際理解教育に係る国際会議があることを知りました。好奇心だけは一人前の私は、当時属していた学校法人理事長に打診したところ何と許可くださり、校(公)務出張で行けることになりました。

そしてせっかく行くなら外国での日本また日本語の実状をこの眼で確かめたく、人間(じんかん)発想そのままにソウルでの韓国人日本語教育教師との出会いを求めました。1993年のことでした。
決まるときは決まるものです。そのときの韓国人日本語教師の一人は、その方なくしては本センターの存立は考えられないほどまでに、学校での要職と併行し尽力くださっています。

そこから数年後、日韓中台による会議と発展させ、一時期NPO法人にまで昇格?させる等紆余曲折ありましたがとにもかくにも今日に到っています。
尚、会議開催の数年後、台湾との縁は切れました。中国本土は北京と香港の日本語教師とネットワークができたのですが、「香港問題」を含め諸事情から現在は疎遠になっています。

このような活動途次で出会った青年映画人等の尽力で制作されたドキュメンタリー映画【東アジアからの青い漣】など、詳細は、その映画制作者たちの手になる本センターホームページ《jk-asia.net》を見ていただければ理解いただけると思います。

世界の科学者が新型コロナの収束に向けて奮闘されていますから、きっと来年には収束するのでは、と期待していますが、そうなれば本センターも是非活動を、空白期の時間をエネルギー充填期ととらえ、新たな展開がならないかそれとも役割は終わったのか、いずれかを一層考えるようになりました。
もし再興できるならば、とこれまで続けて来た事実を大切に、勝手に思い巡らせていますが、いざ意見をと言っても容易に出て来ない、集まらないのも世の常です。

そこで個人的仮想を挙げます。
この発想は今も続く、時にはこれまで以上に叩き合いの予感もある日韓の軋轢、日本での(日本だけではないですが)コロナ禍での誹謗中傷、差別はなぜ起こるのかを自問するところに根っ子があります。こんな仮想です。

以下の主題による学生[高校生か大学生]同士、教員[大人]同士によるシンポジュームです。

◎主題は、老若を越えてどこかたがが外れたとも思える一見自由な社会にあって、Lookism[外見尊重或いは外見至上主義]と整形文化について、両国の若者と社会人(大人)で意見交換し、そこから共有できること、できないことを確認し、それぞれの「現在」を見るというものです。
ここでの講師[基調講演兼コメンテーター]招聘は思案中です。

もう一つは、
◎両国の、或いはいずれかの、先進的取り組みを行っている高校訪問です。
ただ、ここで言う「先進的」の意味・内容については、類語としての「イノベーション」とも関わり、事前に日韓・アジア教育文化センター(理事)間で、「私にとってのイノベーションとは?」といったことについて意思疎通を図る必要があります。

会場はシンポジュームとも関係しますが、韓国が良いようにも思います。いずれにせよ助成金獲得との難題が待ち構えています。

いかがでしょうか。

私は冒頭に記しましたように後期高齢者で、ことさら口出すことではないとも思ったりはしますが、一方で、1994年来続けて来た交流、とりわけ日韓交流が、一つの成果を持ち得ているように思いますこともあって、今ここで完了とするのはもったいないような気持ちがどうしても起こって来ます。

是非ご意見をお聞かせください。