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2019年4月19日

桜・観桜

井嶋 悠

我が家にはソメイヨシノとヤマザクラとシダレザクラがある。どれも心ほのぼのする樹で、愛(いと)しい情愛を寄せている。贅沢なことである。
一週間ほど前、ソメイヨシノは7分咲きほどで、後二種は未だ蕾状態であった。ところが三寒四温の一方の極みとでも言おうか、先週10日、昼頃から夕方まで雪が降った。積雪は1㎝ほどだが、桜の花弁と枝に重ね合った。
厚い雲を通して射す薄光を背に、淡い桜色と枝の黒茶色と静かに注ぐ雪。

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」(紀 友則)の陽射しを、桜の叙情と美と思っていたからなおのこと、初めての感銘を知った。
およそ風流とか風雅とは縁遠い私だが、その打ちひしがれたようにも思え、しかしじっとたたずむ姿に、かな(悲・哀・愛)しみの美が過ぎった。加齢(来月高齢者運転表示のための講習)の為せる美感なのかもしれない。もっとも、この感銘が風流風雅とつながるのかどうか分からないが。

桜は菊と併せて日本の国花で、その桜は今では、中国や韓国、また欧米の世界に広がっている。これも日本発の国際化であろう。そこに関わった自然をこよなく愛おしむ多くの日本人たち。
因みに、他国の国花について、中国は現在検討中で牡丹・梅・菊・蓮・蘭が候補だそうで、台湾は梅、韓国は木(むく)槿(げ)である。
両「中国」で梅が選ばれているのは、古代国際化の奈良時代[青丹よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり(小野 老(おゆ))]の花と言えば梅であったことを思い起こすと歴史の感慨を持つ。

日本は南北約3000㎞の長い列島国で、“桜前線”の北上は1月の沖縄に始まり、5月から6月の北海道へ、と約6か月にもわたって移動する。桜=入学式と言う固定観念の勝手を思う。
遠い昔に何かの機会・時期があって長い歴史を持っていたり、観光施策等で知名度が広がったりして、名所は全国到る所にあり、そのような場所は人の群れでごった返し、観桜繁華街と化す。中でも、高齢化時代を迎え、老人の出掛け率は相当な数に昇る。
近来の特徴と思うのだが、重厚なカメラや三脚を携えた老人[主に男性]が、列を為してと言わんほどに並び、機械音痴の私など、その人たちは、自身の眼で味わうより、レンズを通して美的考察?をしている時間の方がよほど長いのでは、と思ったりする。事後の制作?も含め、趣味を持つことの素晴らしさは思うが、あまり増えて来ると、偏屈な私など意地でも撮るまいと思ったりする。

蛇足ながら、この老人と言う表現、具体的には今日やはり70歳以上かと思う。従って65歳から69歳までは或る種空白のような微妙さを思ったりする。先日「お年寄り夫婦の火災死」との文言報道に接し、私たちと同年齢であることを知り、複雑な思いだった。

そして樹下宴席。これなど、有名地では早朝から席取りで競い、これはこれで他人無用のちょっとした呑み屋街と化す。

【余談】ブルーシートがござ替わりはいただけないと思うのだがどうだろう?江戸時代の版画(浮世絵)にあるような紅い毛氈で、とまでは言わないが。レッドシートなどどうだろう?

今では、桜を味わいたいなら、敢えて知られていない場所、つまり近所の公園等無名の場所、に出かけたり、花屋で満開の枝を買って来て家庭内で雰囲気を醸し出したりするようだ。また、最近「エア花見」飲食店なるものも盛んになっているとのこと。自然を前にしての人為(人工)の時代、現代。

私の観桜“繁華街”体験を2つ記す。
「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」は、与謝野 晶子の代表的な歌の一つで、私自身、この“艶”なる漂いに魅かれる一人である。
もうずいぶん昔のことだが、八坂神社から清水への道を歩んだところ、そんな情緒を味わうどころか、人と土産物店や露店等に圧倒された。
同様に、私が小学校前半時代にあっては(後半は東京に転校)、葵祭も祇園祭も時代祭も、時空に余裕があったように思うし、20代になって父親(京都人)の影響から正月料理のために年末に出かけた錦市場も、当時はまだ地域の台所であったように、私の記憶にはある。
これは単に郷愁なのか、現状は国際的観光地の避けて通れない宿命なのか。また、先の歌は与謝野晶子のあくまでも創作[虚構]なのか、或いは時代が進むということはこういうことなのか。
いずれにせよ、何かそこにひっかかるものがある。昔は良かった、ではなく。

福島県三春町の国の天然記念物「三春の滝桜」は、一本のシダレザクラの大樹で有名で、昨年夫婦で訪ねた。自宅から車で2時間ほどのところにある。
桜の大きさはチラシによると、高さ13,5m  幹回り8,1m  枝張り 東へ11m 西へ14m 南へ14、5m 北へ5,5m、の滝の名にふさわしい雄大さで、樹齢1000年以上とされている。
当然、ここも人、人、人で、駐車場からその桜に辿り着くまでに左右に飲食、土産、植木の店が並ぶ。
確かにその誇り高い桜に感動するが、どこか落ち着かない私たちがいて、行った見た帰るといった滞在。
ただ、帰路、近くの人もまばらな公園の横を通った時に見掛けた桜空間が、心に染み入ることに、思わず夫婦で笑みがこぼれた。この笑みは一体なんなのだろう?

私は、吉田兼好が『徒然草』の有名な「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」で始まる137段の、以下の言葉に、私なりの人生、日々の生活から心に過ぎることと重なる。私自身が、兼好の言う「よき人(身分教養のある人)」ぶって「片田舎の人」を蔑(さげす)むのではなく。

[以下、研究者の口語訳を転写する]

――身分教養のある人は、いちずに風流人ぶった態度もなく、またおもしろがる様子も淡泊である。片田舎の人に限って、何事もしつこくもてはやすものなのだ。花見のときは、花のもとに人を押し分け身体をねじるようにして割り込み、よそ見一つせず見守って酒を飲み、連歌をして、そのあげくには大きな枝を考えもなく折り取ってしまう。――

《私注》ここで言う連歌は当時流行していたとのことで、今で言えば「カラオケ」だろうか。
次のような説明に出会った。

――明治に入ると、桜が植えられていた江戸の庭園や大名屋敷は次々と取り壊されて桜も焚き木とされ、江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕した。東京・駒込の植木職人・高木孫右衛門はこれを集めて自宅の庭に移植して84の品種を守り、1886年には荒川堤の桜並木造成に協力し、1910年には花見の新名所として定着。(以下略)――

それが一つの起点となって国内国外に広がり今があるとのこと。破壊から新たな創造へ……。
明治の初め、近代化の始動期にあって、桜は焚き木にされたということである。富国強兵、殖産興業を国是として、滅私奉公的愛国による自然を忘れた施策の一つとしてとらえるのは間違いだろうか。
このことは、幕末維新で権力を掌握した新政治家たち、その後の膨張主義志向、そして太平洋戦争での敗北、戦後の諸外国からの援助や朝鮮動乱特需、ベトナム戦争特需等があっての復興にもかかわらず、不遜な自意識過剰の私たちの先人にさえ思い及ぶ。
昭和の二つの大きな転機、1945年と1960年~70年にかけて、に私たちはどれほどに先人の叡智を知り、自省し、先見の明を持ち得ていただろうか。

桜は100~200種もあると言われるが、ソメイヨシノが代表格であろう。そのソメイヨシノ、寿命が60年~100年とのこと。東京・駒込の植木職人・高木孫右衛門の尽力については、先に引用したが、今年は2019年、その新名所定着から109年。東京オリンピック・パラリンピックの来年、110年の節目を迎える。
何かと節目をつける世相、政治に倣うわけではないが、桜の寿命と併行して、日本の寿命を過去と現在と未来から再考すべき時が来ているのではないか。
既に「反近代(化)」の潮流は、近代化の源流であるヨーロッパにあっては、とりわけ第1次世界大戦(1914年~1918年)後、深まりつつあると言うではないか。西洋偏重、尊崇を言うのではない。「対岸の火事」を花火でも見るような自身の無知、無恥、軽薄さを思うのである。

最近、成熟は爛熟となりいずれ腐食する旨の、日本の或る政治家の発言を何かで知った。
「一億総活躍社会」「男女協働社会」の実態と自画自賛の能天気、教育無償化の負の側面への放置、個の教育の実態と嘘。10代から20代の自殺増加への対症療法で良しとする自己満足、賃金格差の偏リ、高齢者福祉での“ビジネス”との用語が平然と使われる非先進性、若者への将来不安を煽り「自己責任」で片づける責任転嫁、毎年繰り返される災害での自然への畏敬を忘れた同情的その場しのぎ、自由を言葉巧みに標榜しながら管理化への拍車、外国の脅威を盾に組まれる膨大な軍備費等々。
にもかかわらず先進国の、経済大国?の、矜持による外交成果の膨大な費用[税金]を使っての、摩訶不思議な誇示そこに見て取れる国民への愚弄、国税の私物化。
確実に腐食に差し掛かっているとしか思えない。近代化は、社会に、人々に幸いをもたらすと信じられて来た。今、果たしてそう言えるだろうか。
やはり「日本の近代化は、西洋社会、中でもイギリス、フランス、ドイツと違って、上からの近代化」との指摘が響いて来る。
「上からの」の途方もない重み、「上」の人々の独善的で偽善的権力性。
もう100年も前に夏目漱石が喝破した「内発的」ではない「外発的」の限界。要は日本の底が、確実に見え始めている。

政治世界での、オレがオレがの、与党の「○○一強」とか、暴言、妄言、はたまた野党の同じ穴の貉(むじな)。その滑稽さがゆえにますます募る虚しさ。この感性で次代を担う若者に何を託そうと言うのだろうか。
このことは、外国人労働者、外国人観光客誘致での、人を人として見ていないとも思える、拝金主義=資本主義の害毒、にも明らかに見出せると言っては過言であろうか。
尚、甚だの蛇足ながら、私は共産主義国家を善しとするほどの安直さはない。

桜の、冬を耐え、あの黒い幹、枝から、可憐な桜色を生みだしている姿をあらためて静かに見つめたい。
個も、国も、そしてその基盤となる教育も、実利を求める効率と「上からの」に身を委ねた画一指向の安心感から、本質的(ラディカル)な自省、脱却が求められているように思えてならない。
それとも、漱石が言ったように「できるだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。」と感知、認識するのが生きる事の真髄なのだろうか。