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2020年4月10日

井嶋 悠

桜は心を和ませる。その折、足元に野に咲くすみれを見出せば至福の時である。春は柔和な静だ。
桜は日本人としばしば対となる。そこに日本人の何が秘められているのだろう。
桜の黒ずんだ幹、枝が、冬を越え、桜色の花弁を生み出す。大地と自然の厳しさと優しさ。5枚の花弁は大きからず小さからず、微妙に重なり、満開時は群れをなし一樹(いっじゅ)一花(いちか)のごとし。色は日本の伝統色(名)桜色。濃からず淡からず。花茎にいつまでも執着せず、花開き数日もすれば、春風に乗って舞い落ちていく。幽かに、時には春嵐の吹雪のように。同じく伝統色(名)水色(人によっては水浅葱(あさぎ)色というかもしれない)の空を背に。散りばめられた白雲の添景。運が良ければ群れ為す桜花から響き渡る鶯の声。

童謡「さくらさくら」

さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん

「匂い」との言葉に現代人が失ってしまったものを感じたりする。もっとも、現代っ子はこの歌自体知らないだろう。学校でこの類の歌を知る機会がないそうだから。明治時代の滝 廉太郎の『春』はどうなのだろう?

森山 直太朗作詞・作曲『さくら』(2003年)は、若者を中心に愛唱されていて歌詞は以下である。

僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる
さくらさくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って
さらば友よ 旅立ちの刻(とき)
変わらないその想いを 今
今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移りゆく街はまるで 僕らを急かすように
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間(とき)を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ
さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠(とわ)にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で

この歌は卒業(式)の思いを歌っているとのことで、孤独を意識する現代人の叙事歌とも言え情況が違うが、卒業から随分経った今、私は童謡「さくらさくら」の情緒に、さくらを、春を直覚する。ただ、この直覚は「生」を前提としていて、「死」を意識することも増えた老いにあっては郷愁的感慨とも言える。

と言うのは、「さくら」の歌詞に接したとき、初め私は死を、それも自死を思ったからである。私の中では、卒業→別れ→死、桜散ると結ばれ、それが私の現代人の叙事歌との表現になっている。その精神構造を裏付けるかのように、春(新暦4月5月)は自殺が多い。
その日本は以前ほどではないが、先進国にあって自殺が多い国でもある。

この自殺について付言すれば、「(悲・哀・愛)かなしみ」の重層としての自殺の批判者にはなれない、非合理を大切にしたいと思う私は、日本の自殺の多さに、自然、四季(南北に長い列島国日本とは言え)が培った感性の為せる業ではないかと思う。儒教国韓国の自殺の多さとは原因、背景が違うように思える。

平安時代の歌人紀 友則は歌っている。

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」    

前半の柔和で光明な春溢れる姿に比し、後半は死を見つめる眼差しを感ずる。自然の新生の春と老いの或いは人の、生より死を意識せざるを得ない命との対比。
海外の地は、限られた時季の限られた街しか知らないが、この春の美、感性はやはり日本独特だと思う。
同じく平安時代の在原 業平の歌「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」に通ずることとして。

桜色は数百種あると言われる桜樹(さくらぎ)の原点とも言うべき山桜の色を表わしているとのこと。白色に限りなく近い桜色。ここでピンクと言ったり桃色と言ったりするのは野暮そのものだが、私の限られた語彙では白色に限りなく云々としか言いようがない。

江戸時代の古代文学研究者で、こよなく桜を愛した本居 宣長のやはり著名な歌。

「敷島の やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花

「やまと心」とは、日本人の心ということだろうが、それが「朝日ににほふ 山ざくら花」と言うのだ。
私は「武士道」とも「大和魂」とも無縁な一人の日本人だが、だからこそこの表現に魅かれる。それも奈良県吉野の群れ為す山桜ではなく、かすみに煙る小高い山に一本咲き誇る山桜を思い浮かべ、私の描く日本人像と重なている。

そもそも宣長は、武士道も大和魂も言っていない。後世のそれも明治時代後半以降の帝国主義化、軍国化する中で、日本精神、大和魂そして「武士道とは云ふは死ぬことと見つけたり」との『葉隠』のこの一節だけが、作為的に利用されたのではなかろうか。あの散華との独特な言い回し。
宣長は母性の人だった。だからこそ「もののあはれ」の美を、源氏物語に、日本人に見出し、それを知ることこそ人の心を知ることであると説いたのであろう。
そう思い及ぶとき、「朝日ににほふ 山ざくら花」との秀逸な表現が心に迫り来、山あいに在って優しく、厳然と己が存在をかすみの中に主張している世界に私を導く。

平安時代後期から鎌倉時代にかけての歌人西行法師は「願はくは 花のしたにて 春死なむ その如月の 望月のころ」と歌い、念願通りその季に生を閉じたと伝えられる。

やはり桜は日本人にとって特別の花だ。日本には国花はないとのことだが、桜は国花にふさわしい。菊を言う人もあるようだが、天皇、皇室云々とは関係なく、桜の方がふさわしい。

日本人は、人は孤独であるとの自覚(それがたとえ感傷的なものだとしても)、どこまでも自然と一体であることの安堵(時に脅威)を、そこから醸し出される和み[平和]への希求を古代より学ばずして知り得ていると思える。それが大和民族の特性なのか、アイヌ等少数民族を含めた日本全体の特性なのかは不勉強でまだ私には分からないが、日本が誇ることとして言い得るように思えてならない。
だから今日の近代化の一面である、工業化、カネモノ化、軍国化、人の疎外化、またネット社会の功罪等、なぜか大国指向の日本は、大きな不安に覆われていると言っても過言ではない。老いの杞憂ならお笑い種で済むのだが、そうとも思えない私をどうしても打ち消すことができない。

これを書いている今、日本は、世界は、コロナ・ウイルスでとんでもない局面に立たされている。