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2019年8月19日

多余的話(2019年8月)  『新聞記者』

井上 邦久

・・・三都のうちで一ばん暑くて人と家とが詰って樹木の少い大阪は 九月になっても秋らしい気分が見當たらない。・・・

山がないから鳥も虫もゐない、虫はゐても南京虫では仕方がない、山はあっても天保山では八文にも通用しない。・・・街路樹はあるが煤煙で黒くなって春でも秋でも同じやうな色で、落葉しないのは常盤樹であるためではない、枯れて落ちる勢ひなく枝にしがみ付いてゐるのである。 浪花風景としては川端柳が風に揺曳して、一と吹き毎に一とつかみの枯葉を散らして掃除夫を困らせてゐる。・・・  

1931年8月2日肺炎で早世した「炎のスプリンター」人見絹枝に少し先行して同年7月26日腹膜炎で逝った「炎のジャーナリスト」(大谷渉氏の評伝題名)北村兼子の絶筆『大空に飛ぶ』(改善社)の一節に綴られた78年前も暑かった大阪のスケッチです。
これに続く「大阪風物詩」の章には、満州事変の前夜、日貨排斥などの緊迫した日中間にあっても、川口居留地跡を拠点とする華商と浪花商人が仲よく対策を講じている様子がユーモラスに描かれています。  
北村兼子は、創成期の同志社で教えた祖父北村龍象から続く漢学の家に生れ、居留地の外国人から技術を習得し大阪初の洋服学校を経営する母北村勝野のもと府立梅田高等女学校(大手前高女)を卒業。官立大阪外国語学校英語科から関西大学初の女子聴講生として法学を履修(当時女性の本科生進学は不可)。続いて高等文官試験の受験を志すも司法・行政ともに請願は叶わず、女性への門戸開放はされていません。
しかし、発表した法学論文がきっかけとなり関西大学在籍のまま朝日新聞に招聘され、瞬く間に花形記者となっています。  

大阪開港・居留地・川口華商を調べている過程で北村兼子を知り、中之島図書館に戦前から保管されている作品を閲覧してきました。 歯切れよい文体と小気味よい論旨の文章を発表し、市川房枝らと汎太平洋婦人会議や世界婦人参政権会議にも参加しています。台湾・香港や上海・南京レポートも含めて先駆的な文章群ですが、大谷渉氏の著作を除けば忘れられた存在であることを残念に思っていました。
ところが8月4日朝日新聞が「夭折の女性記者 色あせない勇気」と題して北村兼子の個性的な略歴を紹介し先駆的な主張を高く評価していました。
ただ一見正論に見えそうなその記事には大切な一点が抜け落ちていることに気付きました。
1929年在欧中の北村兼子は世界一周途上の飛行船ツェッペリン伯号でドイツから霞ケ浦へ飛ぼうと、「若い筆で飛行船アジア入りの一番筆をやってみたいと、乏しい旅費のうちから6月12日にツェッペリン坐席預約料を支拂った」(『新台湾行進曲』1930年婦人毎日台湾支局)。
自費で自席を確保した北村兼子に対し、体験取材記事の独占を狙った東京毎日と大阪朝日の有志連合が妨害工作を画して横槍を入れ、多勢に無勢の北村兼子を引摺り下ろしてしまいます。人気と筆で敵わないなら組織力と金銭力で、という印象が残ります。
この汚点に今の朝日新聞の後輩が触れないのは残念であり、恣意的に避けたとすれば正論の骨格がオカラ構造(2010年頃、中国で頻発した「豆腐渣・オカラ」の如き手抜き工法)に見えてきます。
因みに傷心の北村兼子を癒したのは、欧州在住の支援者たちで、なかでも藤田嗣治は北村兼子の肖像画を描き、後にこの絵は『新台湾行進曲』の表紙に載せられています。  

多くの読者や支援者を得ることで、小面憎く思われることに本人も自重自戒する文章を書いているのですが、溢れんばかりの才気と行動力と健筆を目障りに思う同業者たちからは辛辣な批判を浴びています。
出る釘は打たれ、出過ぎた杭は引っこ抜かれるこの国の習い。
単独飛行操縦のライセンスを取得し、三菱に発注した自家用飛行機で欧州の大空に飛ぶ直前に早世したのは無念であったと思います。  

話題の映画『新聞記者』を立見席で観ました。
東京新聞の記者が書いた原作は読んでいませんが、映画は自立したエンターテイメントの要素も含めて中だるみのないものでした。北村有起哉が演じる新聞社社会部デスクにリアリティを感じました。
中だるみのない展開といえば、米国映画の『ガラスの城の約束』も素晴らしい骨格と主張が心地よい緊張感をもたらせてくれました。
著名なコラムニスト、ジャネット・ウォールズの回顧録の映画化で、米国社会の常識に「まつろわぬ民」であった一家の生き方に奇妙な共感を覚えました。

 「不易と流行」を見極めることなく、浅薄な付和雷同に陥りがちな 昨今の日本の日常のなかで、北村兼子の自立的な生き方を知り、北村有起哉の勁草のような演技に己の硬直した心身を反省し、米国社会で孤立を怖れず面倒な生き方を選択する人が居ることを頼りにして、決して簡単には「イイネ」のボタンを押さず「ただそれだけではない」と考える姿勢を大事にしたいと思います。                                          (了)