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2019年11月27日

多余的話(2019年11月) 『米と菊』

井上 邦久

今年も越前福井の友人から「いちほまれ」が届きました。
競走馬の血統図風に書くと、父親:イクヒカリ(越南176号・コシヒカリの孫) 母親:テンコモリ(富山67号・コシヒカリの曾孫)であり、 父系のもっちりした粘りと母系のきれいな粒を結合させた「いちほまれ(越南291号・コシヒカリの玄孫)」は、整粒率が70%以上、粒厚1.9mm以上、玄米タンパク質6.4%以下の基準に合格したものだけが称することができる、そして産地出荷以外の個人販売はないと説明書に書いています。  
新米を丁寧に研ぎ、硬め好みに合わせた水加減で炊きました。実に旨い米であり、削って削って酒にしたくない、千枚漬けや生卵の黄身といつまでも食べ続けたくなりました。

あたかも新嘗祭のころ。この天皇家の祭祀を行う11月23日を、敗戦後に勤労感謝の日と名付けた官僚は米国のThanksgiving Dayを意識したのでしょうか?
一昨年、ボストン近郊のプリマス港を訪ねた折に米国感謝祭起源に関する諸説を聞きましたが、先住民が餓死寸前の入植者を救ったことへの感謝という美談だけではなかったようです。たかだか400年前、1620年代の米国建国前史のお話です。
一方、日本でも出雲の千家と並ぶ古い家の一連の祭祀は、宗教的秘儀も含めて内々に身の丈でやるべきでしょう。

 越前米への御礼電話をした折、地元北陸の美男力士の遠藤が横綱白鵬のかち上げで流血したことに相撲好き(美男好み)の奥さんが 抗議の投書を出したとか、出そうとしているとかの話になりました。
NHKのアナウンサーは「荒々しい相撲で白鵬が勝ちました」と表現した一番を観戦していて、白鵬の姿が隣国の習近平政権にダブりました。実力権力に自信を失くし、勝ちにこだわる姿勢が「荒々しい、或いは粗々しい手段」を選ばせているのではないか?
吉岡編集委員は香港のベテラン記者の弁として「習近平政権はあいまいさを許さない。敵と味方に二分する手法は文化大革命の時代を思わせる」と伝えています。(「金の卵」を恫喝するな:朝日新聞「多事奏論」より)  
一方で、アリババの香港株式市場への上場が迫っています。公募価格が決定し、1.2兆円の調達見込み。機関投資家を中心に募集の5倍の申込の由。2014年にニューヨーク証券取引所に既に上場済みでありながら何故? 深圳でも上海でもない株式上場は何故? 八月に不穏な状況を理由に挙げて香港上場を見合わせたのが何故今になって? 
北京とアリババにとって政治的・経済的な計算は?・・・ 香港は恫喝しようと恫喝されようと、やはり「金の卵」なのでしょう。  

日韓の摩擦が一息入れました。些か旧聞に属することなので恐縮しながらこの機に綴ります。
文大統領が日本に対して「盗人猛々しい」という表現を含む発言をしたと報道されたことを受けて、8月18日付の日経文化欄に掲載された宮下奈都さんの「言葉という生きもの」を読み返しました。
チョクパンハジャン、漢字で表現すると「賊反荷杖」で、「居直る」という意味合いのハングルを「文大統領がどんな意図で選んだのか、わからない。まるで日本を『盗人』と呼んだかのような誤解を招きかねない訳にした新聞やテレビの意図もわからない。わからないところにロマンがあるとは、私にはとても思えなかった」と綴った言葉・外国語・翻訳・文化に関する根源的な問題提議の文章です。
宮下さんは福井出身であり、越前米同様にふっくらした文体でしっかりした意思を伝えてくれる文章家です。  

再読と言えば「2018年8月25日、白井聡」と著者サインを貰った『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)を一年ぶりに手にしました。
・・・「アジアの先進国は日本だけでなければならない」という、戦後の「平和と繁栄」という明るいヴィジョンに隠された暗い願望がある。それは、明治維新以来の日本人の欧米に対するコンプレックスとほかのアジア諸国民に対するレイシズム(人種差別)の表出に他ならない・・・ (第二章 国体は二度死ぬ 50頁)  

10月号で触れたおたふく手袋㈱が設立された1951年10月19日には日本製品はMade in Japanとして輸出はできず、Made in occupied Japanと表記する必要があったことを各処で話しています。
1951年9月のサンフランシスコ講和会議、条約締結、そして1952年4月の条約批准発効を待って日本は独立、晴れてMade in Japanと表示できるようになりました。
時の吉田茂首相が新生国家を代表して各国の外交代表や日本を代表する文化功労者らを招いた第一回「櫻を観る会」を開いたのも講和条約発効の年の四月でした。                                     (了)