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2019年9月18日

多余的話(2019年9月)    『望郷』

井上 邦久

 アジアモンスーンの蒸し器の中で精神修養をしているような暑さから一転して、朝の風を爽やかに感じました。
そして、その夕方に元関脇の嘉風の引退が伝えられました。夜、相撲番付を見ながら随分と細い文字になってしまった西十両七枚目の嘉風雅継の名も今場所で見納め、併せて大分県出身の関取が居なくなることに寂しさを感じました。
大分県佐伯市出身、県立中津工業高校から日体大に進学し、教師になるつもりだった小柄(といっても身長177㎝)な大西雅継青年は角界入り後、新入幕から59場所(10年)かけての関脇昇進は史上二番目の遅さ。「真っ向勝負・飾らぬ姿」で「年齢を重ねるごとに歓声が大きくなった」力士になりました。

同じ中津工業高校出身に中日・日ハムで活躍した大島康徳さんが居ます。
39歳10か月、2290試合を要して2000本安打に辿り着いた遅咲きの選手と言われています。43歳で打率3割、22打点を残しながら戦力外通告を受け引退しています。      
番付表を精読後久しぶりに個人ブログ『ズバリ!大島くん』を検索しました。『ガンでも人生フルスイング』という著書の題名どおり、手術後もNHKに出演し、明るい笑顔と軽妙な豊前弁で語り掛ける大島くんの日常を覗けます。
大島少年の才能を地元の相撲大会?で発見し野球部に勧誘したのが中津工業高校の小林監督でありました。その小林監督が立命館大学を卒業して社会科教師として赴任したばかりの頃、生家の井上茶舗の二階に下宿し、その家の軟弱な小学生を野球小僧に仕立て上げてくれました。
以来、高校野球の地方予選の報道が始まると真っ先に「中津工」の小さな文字を探しています。  

そんな故郷中津の赤壁合元寺の住職さんから盆前に頂いた便りに一冊の本が紹介されていました。檀家の一人でもある植山渚さんの新著『日本と朝鮮の近現代史「征韓論」の呪縛150年を解く』です。
小倉タイムス「街かど歴史カフェ」欄に連載された肩の凝らない短文が集成材かパッチワークのように交流史として構築されています。
「私たち日本人が態度決定する際に、少なくともこれだけは知っておくべきという、共有すべき常識を示し」(渡辺治一橋大学名誉教授の推薦文より)、150年前・100年前の交流や折衝そして葛藤が現在に繋がっていることを知らされます。  

折しも大阪開催G20でのモノ別れから始まる両国間の批判葛藤が「政治的断絶」→「経済的制裁」→「外交的齟齬」→「軍事的離反」へ向かい、止まらない汽車に乗ってしまったように関係が悪化した時期に重なりました。
植山さんの著作と経済産業省発表の安全保障貿易管理に関する通達を冷静に読み返すことが増えました。  

大阪高島屋での山口蓬春展で『望郷』を観ました。今回は小下図・小下絵そして本画を三枚並べて展示されているので制作過程がよく分かりました。
両極に棲むシロクマとペンギンが、同じ場所に居ることは自然界にはありえないことですので、この絵の成り立ちについての解釈には諸説あるようです。
ここは素直に上野公園での光景を描いたという説と、遠い故郷を思うシロクマとペンギンの淋し気な視線に『望郷』という画題を託したとの説を受けとめます。
1943年8月からの戦時猛獣処分対象にホッキョククマも含まれており、1942年から山口蓬春も南方戦線に従軍して戦争画を描いています。10年後の動物園でどんな想いで『望郷』の構想をしたのか?
また『望郷』といえば、今では湊かなえのベストセラーや映画が連想されるのでしょうが、高校の頃は黒板に『望郷』と落書きしただけで江田島海軍兵学校卒の高木先生や予科練出身の飯塚先生は機嫌よく反応して小半時、ジャン・ギャバン主演、植民地アルジェリアを舞台にしたフランス映画のエトランゼ気分方向に脱線してくれました。
なお、山口蓬春は小下図を名優中村歌右衛門へ贈り、小下画を後進の東山魁夷の新築記念に届けたとのことです。

前号『新聞記者』で触れた1931年に早世した北村兼子について、第一稿で命日を9月18日と誤記していることをご指摘いただきました。お詫びして以下に補足訂正させて頂きます。
 1931年7月6日 飛行士免許を得る     
      7月13日 盲腸炎の手術のため、慶応病院に入院     
            7月26日 腹膜炎のため死去。享年27歳。  
     8月2日  人見絹江、肺炎のため死去。享年24歳     
            9月18日 中華民国奉天(瀋陽)郊外の柳条湖 関東軍が南満州鉄道
                      線路を爆破                                                                                                                                                (了)