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2014年3月11日

言葉・ことば・言葉・ことば・・・・・・ [その2] 具体(体験)と抽象(知識)と「私」の言葉

井嶋 悠

 

―「学校」教育を論ずることについて、私の生と教員体験から、今思うこと―

[Ⅰ]

 

今回は、前回(2月27日)、「ソチオリンピックとテレビと言葉の美しさ・酷さ(むごさ)と」と題して寄稿した「言葉・ことば・・・・・」の[その2]である。

要は、あれこれ言う自分の言葉はどうなのか、行き着くところは「無」「以心伝心」世界との直観を伴っての自戒と自問自答である。

 

私は、昨年68歳を迎えた33年間の私立中高校平教員生活で積み立てた年金生活者である。

人品・品性貴からず、功績小さき身にもかかわらずなぜか、60年間の大都会生活から北関東の自然溢れ心浄められる地に住む幸いを得て、「外なる自然」「内なる自然」など開眼すること多く、今、妻と愛犬の二人と一匹で暮らしている。

もっとも、一昨年春、長女が7年間の心身の闘いに力尽き23歳で死を迎えるまでは、三人であった。

この一事は、私に決定的に親として、教師として、またすべての前提たる人として、自省に向かわせ、沸々と自身を整理する私として今ある。

と同時に、「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためだけに生きよ」(原 民喜)の思いも、原ほどの迫力には程遠いが、ある。
「(死者)のために」が時に陥る偽善に注意して。

私は昭和20年(1945年)8月23日長崎市郊外生まれとは言え、戦争を知らない一人であり、原の意思表示の背景とは違うが、しかし、親として、教師として、さまざまな人たち、出来事の出会いから、原が言う「嘆き」に強く共振同意する私がいる。

(なお、彼女の死への要因の一つであった、中学時代の彼女への教師のいじめ、また高校時代の教師への彼女の憤り、不信からの、私が同業であったがゆえにより強く迫る、自省、自責については、昨年2013年9月30日、10月2日に分けて、『先生方、自身の驕(おご)りに気づいてください!―教師の、生徒へのいじめ(パワハラ)』と題し、このブログに寄稿している。)

一人一人の人生は、一つの芸術作品であると言われ、そこにはそれぞれの真善美・哲学がある。

長短関係なく、人生を経た言葉は、海の深さ、天の高さをもって聞き手の心に()み入る。発せられる言葉には、抽象や知識の言葉にない、生の実感、具体があるからであろう。以心伝心の一つの形である。

因みに、その多少深浅は、話し手の人品にも左右されるが、先ずは聞き手の問題ではないか、と思うし、とりわけ教員の場合、児童生徒学生との関係において日々刻々がその場で、「教師の饒舌」の痛切な反省から、「聞き上手は話し上手」があっての「話し上手は聞き上手」であると思う。

そして、私が学校教育に係る言葉を発するときの土壌は、33年間の[私学中学校高等学校国語科教員]生活である。

ただ、教師生活晩年から退職後の今に到る過程で刻印された自身を含めての教師不信については、恐らく現世に別れを告げるまでには払拭されないとは思っている、そんなことも背負っての私ではあるが。

専任教員として体験した勤務校は以下である。

その折々で、それぞれの働きの場に導いてくださった方々に感謝し、記す。

①    明治時代にアメリカ人女性宣教師によって創設された女子校。(18年間勤務)

②    国際派を標榜しつつ、塾との提携での生徒獲得、有名大学進学校を目指す女子校。(2年間勤務)

③    インターナショナルスクールと日本私学「一条校」との協働・共学校。(10年間勤務)

 

[備考]紆余曲折の人生、以下の機関に非常勤講師でも勤務した。

・上記以外の私立校 2校

・塾

・インドシナ難民定住促進センター(姫路)《日本語教師》