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2016年6月23日

春来・夏来・秋来・冬来そして再春来……朝来・昼来・夜来そして再朝来…… ―来月は七月・文月、七夕―

井嶋 悠

春夏秋冬四季、梅雨季・台風季を加えて六季の方がより日本らしいと言う人もあるようだが、ここでは四季とする。
私たち日本人は、また日本に長く生活する外国人は、四季を自然から肌で実感する。例えば風。
春、私たちを歓声と哀しみに誘う桜吹雪の風。夏、大輪のひまわりの間を吹き抜ける夏(なつ)疾風(はやて)。秋、野分、薄(すすき)の穂が奏でる銀波。冬、木枯らし、「冬蜂の 死にどころなく 歩きけり」(村上 鬼城)の突き刺す風。
その四季に私たちは自身の人生と重ね合わす。
今、老若問わず、どれほどに己が心に四季を映し入れ、留め、「哀しみ」と「愛(かな)しみ(慈しみ)」の時を持ち得ているだろう? 持ち得ていないならばなぜだろう?と、夜半のひとときに自問自答する心の余裕(ひだ)を確保できているだろうか、と老いの証しかのように思ったりする。

私は、「浮生(ふせい)(浮き世)は夢の如し」と承知しながらも「酔生夢死」の(但し、道徳説諭の意味ではなく、文字通りの意味)我が人生、「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを」(在原 業平)が、そこはかとなく実感迫り響く年齢となり、古稀越えのかくしゃく老人を横目に、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」(孔子)などと分かったことを口ごもり、おそれおののくことの方がはるかに多い。
現在の拠点・居室で、私の生母は89歳で、娘は23歳で、憂き世から旅立ち、2年ほど前のことだったろうか、深夜に、寝床の傍(そば)の壁面を直径10cmほどの、青紫がかった半透明のゼリー状のものが二つ連なって這う姿を目撃し、やはり霊は在るとの念を強くし、そのことを賢妻に言い失笑を買っている。
二つの霊を私への激励ととらえる余裕などなく、二人に失礼ながらついつい百鬼夜行を浮かべ、或る時は併行して私の人生を捻じ曲げた人々(教師)への憤りが、はたまた自責、後悔がふつふつと甦ったりする。ねちねちとした妄念に憑(と)りつかれた、絵に描いたような小人ぶり……。
波瀾万丈の人生を送った或る日本人女性作家(1904~1998)は、「深夜の妄念の中で私はあたりに対していいかげん辛辣であり、女ぽっく意地悪である。」と言っている。“鬼婆”はあるが“鬼爺”をほとんど聞かないことと関係あるのだろうか。その私は母性に限りなく信を置く男である。

私の朝昼晩春夏秋冬の今の生活地は、10年前から、首都圏のリタイア組が憧れる一地、栃木県那須高原の裾野の8畳の和室で、それは豊潤な自然に囲まれた清閑な地にあっで、犬と花壇と畑に生の力を与えられ、二歳違いの老賢妻と日々を過ごしている。才覚並びに刻苦勉励無縁の私ゆえ、この「過ぎたるは及ばざるがごとし」の贅沢の極みに罪悪感はあって、謙虚さを心に銘じてのことはもちろんである。

この機会に私の百鬼夜行を確認したく、市の図書館におもむき『絵巻物に描かれた「闇」に蠢(うごめ)く妖怪たち 百鬼夜行と魑魅魍魎』(洋泉社編集)を借り出し、私のは「牛(うし)鬼(おに)」や「おとろし」系であるかな、と或る私的好悪体験から得心している。母と娘の苦笑が浮かぶ。

私にとって今も「人間のはかなきことは、老少不定さかひなければ、たれの人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏まうすべきものなり。」(室町時代の浄土真宗の高僧・蓮如の言葉)は、遥か彼方のことではあるが、詣り、唱える世界に純一に溶解できる自分を夢見る。信仰とか信心といった宗教に係る言葉を持ち出すのではなく。
娘の「独りであることでの哀しみには向き合えるが、絶対の孤独が怖い」との晩年の言葉が過ぎる。
何とか一時(いっとき)でも、「闇」に彷徨(さまよ)うことのない安らかな眠りを願い、晴れた夜空を、もちろんこの地はあのこぼれんばかりの夜空で、眺め、「星月夜」との美しい言葉[雅語]を持つ日本の古代人(こだいびと)に思いを馳せる。

後1週間ほどで七月。旧暦の呼称、文月。そして七月七日。七夕。秋の季語。新暦では夏の盛り。
文月と言う由来には幾つかの説があるそうだが、文(恋文)のやり取りなどあろうはずもないとは言え、織女と牽牛の、哀しく、切々とした聖い恋に心が向く。愁いの恋。やはり秋。
この駄文を綴っている昨日、夏至だった。この日以降、陽光時間はわずかずつしかし確実に、短くなりながら冬至(半年後の12月)に向かう。身体の感覚に季節が、人為(理知)と一切関係なく溶け込んでいる私にふと気づかされる。歳時記が日本人の聖典とも言われることに、近年「24節季」や「72候」についての書に衆目が集まっていることに、現代人の心の反映を我が事として、古人の智慧・知情意の大いさに得心している。何という遅まき!

老いの生き方として敬愛する奈良時代の歌人・山上憶良は『萬葉集』巻八に12首の、織女に身を置いた歌を遺している。内、どきっとさせる微笑みの1首、星空の華(ロマン)に想いを馳せる2首を引用する。

「天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設(ま)けな」

「袖振らば 見も交(かは)しつべく 近けども 渡るすべなし 秋にしあらねば」

「彦星の 妻迎え舟 漕ぎ出(づ)らし 天の川原に 霧の立てるは」

三首目の「霧の立てる」の意とはつながらないが、中国・四川大学に留学経験を持つ俳人・原 朝子氏(1962年生)の著書『大陸から来た季節の言葉』の「七夕」の項から、二人の切々たる思いを表わした中国古詩の一節に「泣涕(きゅうてい)(涙)零(お)ちて雨の如し」との表現があることを知る。雨の七夕、涙雨。

中国伝来の七夕伝説に心向かわせた古代日本人だが、星そのものには神話世界で2、3神登場するぐらいであまり関心が向かなかったとのことである。それについて或る研究者は、日本人にとって夜は鎮魂の時であった旨言っているが、農耕民にとって昼の重労働からの安息⇒鎮魂と言う見方もあるのでは、と勝手に想っている。
そのことと関連して、高温多湿の風土で鮮やかな星に巡り会うことが少なかったとの説明にも触れたが、現在の栃木県北部での居住経験から言うとこれは関西風土からの発想かもしれない。以前、「紅葉・黄葉と東・西」の表現に係る指摘に興味を持った私の、これまた勝手な想像である。
その日本人(と、朝鮮半島からの渡来人が多かった時代であるが一応こう言っておく)が、七夕伝説に心魅かれたところに、合理より非合理、科学より文芸の日本的ロマン性を思ったりもするが……。

閑話休題。

もう一つ、古人(いにしえびと)から。次の時代(平安朝)の清少納言『枕草子』(236段)

「星は昂星(すばる)。彦星(ひこぼし)。夕づつ(宵の明星)。よばひ星(流れ星)、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」

「山は」「河は」等、また「すさまじきもの」「うつくしきもの」等と同じく、感傷を排したロマン性(と言えるのかどうか分からないが)はすごいと思う。彦星を採り上げてはいるが、物語(ロマン)的視点はない。

また、七夕が機縁となってはいるが、七夕伝説を離れた名歌もある。
『百人一首』に採録された、大伴 家持(山上 憶良の大宰府時代の僚友・大伴 旅人の子で、奈良時代晩期の歌人)の歌。

「鵲(かささぎ)の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける」

或る研究者によれば、ここで言う、「鵲(かささぎ)の 渡せる橋」とは、七夕伝説(織女と牽牛の間に横たう天の河に、翼を広げ出会いの橋渡しをしたと言われる鳥・かささぎ)から転じて、宮中の庭から屋内にのぼる階段(階:きざはし)を表わしていて、七夕伝説を心に留めながらも、貴族人の別の想像の広がりと説明され、それがあっての「おく霜」であるとのこと。
このかささぎ、20年ほど前、ソウルの或る方のお宅(豪邸)に伺い、群生している姿を見たのが初めてで、日本にはいないと思い込んでいたこともあって(後に、佐賀県の県鳥であることを知った)、魅入った私が今も鮮明に残っている。

【補遺】家持の父、山上 憶良の僚友の大伴 旅人のこと。
私は、休肝日など意に全くと留まらない酒好きで、それでの失態を凝りもせず数限りなく50有余  年続け、ごまめの歯ぎしり風で言う高額納税者で、愛酒家の聖地の一つ、東京・新橋の生まれ育ち  のカミさんに言わせれば、単なる酒好きで酒豪でもなんでもない、噴飯ものの脆弱な酒好きである  が、大伴 旅人の有名な「酒を讃える歌十三首」(『萬葉集』)に触れた時には、思わず笑みこぼ  れ、親愛と憧憬の心を寄せた。肖像画がこれまたいい。

例えば、次のような歌。(  )は現代語訳(訳者不明)。

「験(しるし)なき 物を思はずは 一杯(ひとつき)の濁れる酒を 飲むべくあるらし」(くだらない 物思いをするくらいなら 一杯の 濁った酒を 飲むべきであろう)

「世間(よのなか)の 遊びの道の かなへるは 酔ひ泣きするに あるべかるらし」(世の中の 遊びの道に 当てはまるのは 酔い泣きをする ことであるらしい)

「生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくをあらな」 (生きている者は いずれ死ぬと決まっているから この世にある間は 酒飲んで楽しくやろう)

生老病死。
最近、一か月でも一年でもなく、一日の時間の速さに圧倒され狼狽(うろた)える私がいや増している。平安時代末期から鎌倉時代にかけて大きな足跡を残した西行法師が、1118年の何月に生まれたのかは分からないが、1190年2月16日(新暦で3月31日)春、かの「願はくは 花のもとにて 春死なん そのきさらきの 望月のころ」の歌そのままに72年間の生涯を終えた。
春夏秋冬。朝昼夜(晩)。生まれ、生き、命輝き、愁い、鎮魂し、新たな生に引き継がれ……。

長寿化は「寿」にもかかわらず、家族の有無とは関係なく不安とおののきを抱いている人は多い。私もその一人である。その心身介護を担う人々への社会としての保障、支援の何と付け焼き刃的なことか。文明、先進とは?と重ねて反芻する。政治家のあまりのていたらく。寂しい国。他にどのような表現が?

私は独り在ること、死を泰然と迎えられるよう、「旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻る」(芭蕉)の気魄が少しでも持てるように、と小人は小人なりに努めてはいるものの、はてさて。賢妻曰く「男は不甲斐ない。女、それは母性の強さよっ」と。

沖縄の音楽グループ「りんけんバンド」に、曲調も歌詞も天の広がりを直覚させる、叙情性豊かな名曲『黄金(くがに)三星(みちぶし)』がある。[「三星」とは冬の星座オリオン座だが、七夕伝説に通ずるギリシャ神話での哀しみの恋がある。]
初めて聴いたとき、こみ上げる叙情の激しさに胸突き上げる私があった。そういう人は多い。詞としてそこで沖縄の歴史、太平洋戦争、戦後の叙事は何も語られていない。しかし、その歴史に自ずと迫る。

最近、誤解と指弾を怖れず言えば、「子どものため」には、一切の疑問、反論を許さないかのような空気を感ずることがあるが、では、沖縄戦の時の子どもたちの悲惨と現代日本、とりわけ本土(やまとんちゅう)の私たちは、そのことをどこでどう紡いでいるのだろうか、と言葉を紡ぐだけの私は自問する。
日本語を代々(よよ)母語とする者にとって「宗教」との言葉は複雑微妙な心象を与えることは否定できない。少なくとも私はその一人である。
その点、唯一絶対神を仰ぐキリスト教・イスラム教(二教を同列に並べることの是非は今は措く)の国・地域の人々には、疑問を抱いている人もあろうが、心身一体自然な心象があるように思える。

私のお気に入りの映画の一つにアメリカ映画『ノエル』(2004年・チャズ・パルミンテリ監督)がある。文化度の高い人からは、感傷的(センチメンタル)と一蹴するかもしれないが、神への信仰を持ちつつも老いに人間として向き合っている姿が描かれている。教条的なそれではなく、人の心の優しさと切なさの行間の余情綾(ド)織り(ラマ)として。私はこの映画にアメリカの良心、奥行きの深さを思い知らされている。(現在のアメリカ大統領選挙で思う別の奥行きとも、私の中ではつながっている。)
因みにこの映画は、才能豊かなスタッフとキャストの一体があってこそ名画(形容語はその人の価値観を表わす意味では、私の名画)となる、との当たり前のことを静かに強く知らしめる作品でもある。

いつの日か、これまでに仕事場で出会ったアメリカ人を思い浮かべ、私のアメリカについて少しでも内の整理ができたら、と思ったりする。「アメリカ病」と「日本病」を併せながら。