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2017年12月8日

若者の保守化 ―その賛否を言う前に―

井嶋 悠

「革新」はその目標が達成された瞬間「保守」になる、との言葉に以前接し、甚(いた)く得心したことがある。いわんや精進とはほど遠いナマケモノの私だからなおのこと。と併せて加齢(72歳)の為せることかもしれない。
ただ、『智恵子抄』の詩人にして彫刻家の(当人からすれば彫刻家にして詩人と言うべきだろう)激情と波乱の人生を歩んだ高村光太郎(1883~1956)の辞世の言葉と言われている「老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。」と言えるほどには達し得てはいないが。それでもほんのりと伝わって来るものがある。
私が居た教師世界(中高校)には、文系理系問わず、中でも男性教員に、理想(夢)を熱く子どもたちに語りながら、自身は保守的な人は意外と多い。
そもそも、保守=後衛的マイナスイメージ、革新=前衛的プラスイメージがあるのはなぜだろう。
二つの辞書で意味を確認してみる。

『日本語国語大辞典』

「保守」:①正常な状態などを保ち、それが損じないようにすること。
②旧来の習慣、制度、組織、方法などを重んじ、それを保存し
ようとすること。

「革新」:習慣、制度、組織、方法などを改めて、新しくすること。

『新明解国語辞典』

「保守」:①(機械などの)正常な状態が保てるように絶えず注意するこ
と。
②伝統を守り、物事を急に変えようとはしないこと(態度)

「革新」:(因習的な)古い体制をやめて、新しいものに変えること。

日本の国語辞典は個性に乏しいが『新明解』は例外的、とのことだがなるほどとも思う。具体的には「保守」の「急に」と、「革新」の「(因習的な)」の形容語。形容語には価値観が表われる。尚、念のために「因習」を同じ『新明解』で確認すると「昔からの習慣のうち、今は弊害を与える以外の何物でもないもの。」とある。
どうだろう?
自民党の正統王道保守政党との矜持とそれへの嫌悪の輿論をなるほどと思う人は多いのではないか。

批判は、言葉の巧拙、多少、深浅はあるが、容易(たやす)い。現に私の投稿は批判(愚痴?)が随所に現われる。革新には途方もないエネルギーが求められるが、肝心要は批判、実現のその後である。

若者のテレビ離れ、新聞離れが顕著なことはつとに知られたことである。インターネットの方が容易に且つ表裏広く情報が得られる。ただ、そこでは醜悪なサイトや個(プライバシー)への傍若無人な侵害等、発信する側の、受け取る側の自由と倫理が並行線をたどりうやむやとなり繰り返される。しかし、私のこの物言い自体そのものが保守的なのかもしれない。
日々是好日、大過なく過ごすこと、人生快不快ゼロで終えることこそ全うの道、と現代の若者は覚醒しているのかもしれない。大人の老いは「刹那的」と説諭するが、若者の感性は刹那=その瞬間なくして過去も未来も更には現在もない、と釈迦の教えを無言実行して異論を唱えているようにも思える。一日生涯。一日一生。大志を抱くことへの一歩退(ひ)いた心根。平凡であることが非凡なのではないかとの直覚。

高校現代文教科書に必ずやといっていいほどに採録される中島 敦(1909~1942)の、内容と文体いずれも秀逸な作品『山月記』や『名人伝』を現代の多くの高校生は、そうとらえているのではとも思ったりする。
公私一線をはっきり画する指向。「ああはなりたくない」との、大人や社会を反面教師として視る視線。それらができず呻吟する若者は弱い者なのだろうか。人間(じんかん)の渦中での孤独。現代への無言の疑問。
だから大人たちの批評句「三無はたまた五無主義」でも、浅薄な虚無でもない、敢えて言えば「空」感。

尚、私が中高校生と言う際は、例えば既に志をもってそれに向かっている者や天賦の才を与えられた者といった生徒ではなく、学校教育理解度表現で使われる[七五三]の数的に最も多い生徒を描いている。補習塾やそれに類する私設教育機関の存在意義を思う一人だが、進学塾・予備校については、生徒在籍学校教育内容と進学先入試内容に教師から視た疑問を持っている一人である。もっとも、根本的変革はほとんどゼロに近い不可能の現状は承知しているが。

【参考】『山月記』から、この拙文で是非引用したいと思った表現を二つ記
す。

「この気持ちは誰にも分からない。誰にも分からない。おれと同じ身の
上に成った者でなければ。」

「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」

 

『働き方改革』によって多様な若者はどう変わるのだろうか。呻吟する彼ら彼女らは救いを見い出しているのだろうか。日本経済の、社会の行く末について、その主導者たちは具体的に何を語り、「財界」はどう導こうとしているのか。一方で起る[時短ハラスメント]問題は、かの“痛みなくして改革なし”の単なる一過性に過ぎないと考えているのか、その主体である若者と、どこで、どのようなう和を持ち得ようとしているのか。個我と国の関係の日本的なあなあ性の怖ろしさ。「いつか来た道」とここで言うのはあまりに早計に過ぎるか……。
以前の投稿でも挙げた、私の出会いでの貴重な事例を2例再び出す。

或る大手企業(この企業は学歴志向が強く、限られた私立大学以外、主流は国立T大と国立K大)の一部署での新人歓迎会の逸話。部署長が歓迎会企画をしたところ、主人公は欠席。曰く「どうしてアフター5まで行動を共にしなくてはいけないのですか。」

もう一つ。

やはり大手企業での製品開発に係る責任者の体験談。尚、この事例は、個としての受身性及び自由さと偏差値教育の視点から出している。
「某国立高名大学出の社員の指示に対する遵守と仕事の緻密さ、と某高偏差値でもない私立大学出身のユニークな発想、この二つの組み合わせが生み出す企業成果。」

上記の事例に、個我としてのエネルギーの強さは想うが、社会変革へのエネルギーとは結びついていない。あくまでも今自身が置かれている個の問題としてあって、それを善しとすれば、社会変革?は自然な心で、刹那の本来的釈迦の戒めとは全く異質なそれでしかない。
しかし、次の刹那[近い未来]で、私が(と同時に、職業としての有無から離れればすべての人が)係わった、係わっている教育から視て、はたして変革は不要だろうか。

例えば、少子化と高齢化(長寿化)時代にあっての、
制度と内容両方からの構造改革の時機にもかかわらず緩慢な保守改革でしかない教育課題。(具体的私案は既に投稿したので省略)
また「教育の無償化」が、どれほどに富裕階級をほくそ笑ますか承知してのことなのかどうか。
老人介護と介護士等待遇に係る国家としての敬愛心のない施策。
施策実現のための財源不足を理由に増税を正論とする安易な政治。
超借金大国日本の不可解。
西洋⇔欧米観ではないアメリカ追従(ついしょう)の被嘲笑外交と、日本の風土と歴史を水に流すかのような国際観。

これらは己が生時間内で解決解消することができるのだろうか。

人は多く利己にして功利それがあっての利他、を笑殺するほどの“智”など無い私だが、これらは負の遺産以外何ものでもないのではないか。
保守とか革新を超えた必然、普遍と思うのも、老いの大人の鬱陶しいお説教なのだろうか。
私の周囲に上記の幾つかの理由を挙げて「日本は終わった。一旦原点(ゼロ)に戻してやり直すべきだ」と呟く母親は何人も居て、それに同感する私が居る。

 

現代は情報社会で、玉石混淆そのままに片時も休むことなく押し寄せ、氾濫し、青息吐息で、いつ窒息しても、主客顚倒してもおかしくない。
電車内でひたすらスマホを降車ギリギリまで見入る青/中年は(ゲームも情報の一つと考えても)、そうでない人を数えるほうがよほど早い。
知識人[インテリ?]は世を善導する人として期待されたのは昔のことと思えるほどの〔一億総知識人〕社会の現代日本。或いは世界の趨勢。
だからこそ知識の内容が問われ、マスコミに繁く登場する「専門家」「知識人」「有識者」の発言は、時にそのお粗末さ(誰でも言える内容)で、何であの人が?と、若者、中高年の嘲りの対象となる。知識の言葉と智慧の言葉は10代の若者も直感的に聞き分けている。私自身、教育関係で何であの人が?と思うこと多である。

国語科教師に就いたときの、恩師の初めの注意「授業の終了時に三分の一が、お前から眼を離さず、傾聴していたら稀有の大成功と思え」が思い出される。そして33年間の教師生活で恩師の墓前で報告できるのは一桁数でしか記憶がない。
では、そう言う私は何者で、何者像に向かっているのだろうか。
【日本の保守主義―『心』グループ】(『戦後日本の思想』久野収・鶴見俊輔・藤田省三著〈1995年刊・岩波書店・「同時代ライブラリー236」に出会った。その時、かつて高偏差値国立大学出身・岩波書店・朝日新聞はインテリ三要件だったそうだが、今やその神話は崩れているとはいえ、古世代の私は少なくともインテリでないことが確認できた。と言うか客観的?に立証ができた安堵。
本題に戻す。

雑誌『心』に1948年、参集した知識人は42人で、国語・社会・美術の中高校教科書に少なからず登場する人は、内26人。その中には、先の高村 光太郎や韓国でも信頼度の高い民芸論者・柳 宗悦(むねよし)もいる。(尚、この雑誌は1981年に終刊する。)

教科書には新旧の時代の知性が映し出されるとすれば、42人中6割強の先人から生徒時代、教師時代に人格陶冶の時間を持ったと言える。いわんや教師時代は予習と複数回の授業(生徒との対話による復習)。その驚愕と影響力。
改めて視えて来る或る同意共感と異議申し立て。私の限界、矛盾。幾つか引用する。

「反俗的エリート主義」

「本物か贋物かを見分け、大衆を代表して何かものを言う連中を嫌う、自分た
ちを最高の文化層と考えるインテリ主義、一流主義、指導者意識」

「人間の文化が経済や政治を動かすという文化主義」

「国民の中にある超政治主義や秩序感覚」

「個人主体を認めた上で、その相互の具体的な結びつきの仕方、体験の結びつ
きの理解を深める方法が伝統」

「伝統を有として所有しないという特色が、日本の伝統で、逆に伝統は絶対無
としては、一切の外来物を消化しつくし、自分のものをそれから生み出す」

「理論を軽視する思想=教養主義」

「分裂や対立は悪で、超対立、超葛藤が善で常態とする共同体的民主主義」
では私はどういう自身像を理想としているのだろう?

―山路を登りながら、こう考えた。  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生  れて、画が出来る。  人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。―

「高踏派」と称された夏目漱石『草枕』冒頭部分  (下線は引用者)

 

1970年、比叡山延暦寺千日回峰行(ほうぎょう)を成し遂げた大阿闍梨で、2005年70歳で逝去した、光永 澄(ちょう)道(どう)が著した書の標題は『ただの人となれ』である。(ただ、今回、この書が在住市の図書館になく未読)
(下線は引用者)

「ただの人」とはどんな人だろう? 改めて老子に心が向く。

日本の若者は、感性鋭く絶対無を直覚し、超政治的社会的生=保守に在ることが伝統的自然態なのかもしれないが、ボーダレス化し、同時に求められている「国際(化)」=「西洋・欧米(化)」の偏在的視座を正す中で、日本形成者の一人としての個我の刹那とその積み重ねへの次代を考えるべきだと思う。
その私の願いも含め一端を表わす詩を一部分現代仮名遣いにして引用して終える。

引用元は高村 光太郎の詩集『典型』(1950年・死の6年前)所収の『暗愚小伝』(戦後、岩手県花巻で疎開独居生活を送る中で作られた自照自省の詩。尚、この詩編は当時強い非難の対象となった由)

                  山  林

私はいま山林にいる。
生来の離群性はなおりそうもないが、
生活はかえって解放された。
村落社会に根をおろして
世界と村落とをやがて結びつける気だ。

(中略)

美は天然にみちみちて
人を養い人をすくう。
こんなに心平らかな日のあることを
私はかつて思わなかった。
おのれの暗愚をいやほど見たので、

(中略)

決して他の国でない日本の骨格が
山林には厳として在る。
世界に於ける我らの国の存在理由も
この骨格に基ずくだろう。

(中略)

過去も遠く未来も遠い。