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2018年8月21日

『民藝運動』の心を、今、再び・・・ ―柳 宗悦への私感―


内容
その一

井嶋 悠

『日本民藝館』は、和風2階家建築で、建物そのものが柳の言う「民藝」理念と合致しているのか私には分からないが、石造りの見事な門構えとともに泰然とそこに在り、私たち訪問者を迎え入れる。
館内は、8つの部屋に分かれている。[陶磁室][外邦工芸室][染織室][大展示室][朝鮮工芸室][工芸作家室][絵画室][木漆工室]で、私が訪ねた時は、染織家柚木 沙弥郎(ゆのき さみろう/1922~ )氏の特別展示が行なわれていた。

現在、日本には1192品種の伝統工芸品があるとかで、日本工芸会なる機関では、【陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸】に分類している由。因みに、国の伝統的工芸品指定は、【染織品、陶磁器、漆器、木工・竹工芸、金工品、文具・和紙、その他】に区分されているそうだ。

今回、私の主眼は陶芸(陶磁器)である。以下、陶器と磁器では味わいが違うこともあり、合せて大まかに「焼きもの」との表現を使う。

さて、その焼きものを主眼とした理由は、私の日常生活で最も身近にあり、“土”の香り・触感に魅かれるからで、それに加えて、私の中の三つの光景、言葉があってのことである。そしてこれらが、私の中で柳の心と或る部分と重なっている。その三つとは以下である。

一つは、「百均(店)」で出会った、新婚カップルとおぼしき二人が楽しそうに食器類の品定めをしている微笑ましい光景が強く印象に残っていること。

一つは、某大学の陶芸科出身である妻の「陶芸の作品は値段があってないようなもの」との言葉が、染織、漆器や諸工芸世界に於いてはどうなのか知らないが、常日頃その作品群の高価さが気になっていたので心に残っていること、

一つは、テレビ番組『なんでも鑑定団』で、その筋の専門家が、茶器や壺等で云十万時には百万単位で値付けしていることに不可解、疑問を感じていたこと。尚、そのテレビ番組は、私にとって日本語感覚で言う[バブリイ](英語世界では、「bubbly」とは、「泡立つ・女性、人格などが活発な、陽気な」とある)とのマイナスイメージが強く、今では全く見ていない。

柳宗悦は、美学、宗教また芸術に限らず広く哲学の研究者である。彼は民藝(品)鑑賞及び自身の蒐集での「直観」或いは「直観の美」を繰り返し説き、老荘思想を言い、禅を語る。
その禅思想を端的に表わす表現に「不立文字」「以心伝心」がある。
柳は実に多くの著作を遺し、死後《全集22巻》が刊行されるほどである。この一事からも柳が研究者たる所以(ゆえん)と言えるだろう。
そして、私は中学高校国語科の、視点によっては反面とさえ言える、研究者でもなく、更にはその志向性もない一介の教師だったに過ぎず、「私感」とは言え、一文を表わすのは不遜を免れ得ない立場であることは重々承知している。

このことは、『日韓・アジア教育文化センター』の底流に在る禅(思想)研究者鈴木 大拙(1870~1966)からの示唆と相似でもある。とりわけ2006年上海に於ける本センター主催・第3回『日韓・アジア教育国際会議』での、韓国の近代思想研究者・池(ち) 明観(みょんがん)先生の特別講演、更には私たちの仲間でもある若手日本人映像作家・デザイナーたちによる、会議のドキュメンタリー映画『東アジアからの青い漣』制作は、その具体的展開との思いがあった。
尚、鈴木大拙全集は立派な装丁の全40巻が刊行されていて、大拙は柳の高校時代の教師の一人でもあり、柳自身生涯の師として仰いでいた。

余談ながら、或る時、神田の古本屋街で、その全集がばらにして1冊100円で売られていた。旧知の文学を生きがいとし、同人も運営されていた今は亡き方が、「昨今、漱石や鴎外の全集を売却しようとしても数千円くらいになればいいほう」と驚きと残念な表情で言われていたことが思い出される。

柳の美の直観。それが1924年(35歳)『朝鮮民族美術館』開設での、また1936年(47歳)『日本民藝館』開設の、更には30代での「木喰(もくじき)上人」の発見や「大津絵」の再認識の根幹にある。
その直観と探求と行動に、焼きもので言えば、陶芸家の河井 寛次郎(1890~1966)、濱田 庄司(1894~1978)そしてイギリス人画家バーナード・リーチ(1887~1979)らが共鳴し、作陶している。

では、そもそも美とは何ぞや、と誰しも思うのではないか。理知を越えて心揺さぶられるもの。主観であって同時に客観としての対象、存在……。
因みに、『美学事典』(1969年8版 弘文堂)の「美的直観」の項をひもといてみると次のように書かれている。

――一般に直観(もしくは直覚)は対象の直接的な(概念によって媒介されない)観察ないし認識の作用を意味し、したがって本来直接体験たる美意識に関してはその重要な本質的契機をなすものである。(中略)美的直観は直観一般の区別に応じて種々の段階あるいは形式にわかたれる。これを大別すれば、1)直覚的直観と2)知的直観とあり、1)はさらにa)知覚によって直接に外的対象に関係づけられるばあい(知覚直観)とb)想像によって対象の内的感覚像を現前せしめるばあい(想像直観)にわかたれる。云々――と。

「美学」が「芸術哲学」と言われることを得心させる説明で、私の伯父(父の兄)が美学者だったから?かろうじて!分かる説明ではある。この説明に拠れば、柳の美的直観は「知的直観」と言えば、氏から叱責を受けるだろうが。

天与の才と学習と己が関心への開眼、そして絶え間ない研鑽があっての「表現」であり、私が言えば身も蓋もない以前のこととなると思いつつも、柳の言葉に響くものがあって、浅薄にもかかわらず私なりの整理として表題のようなことをしている。だから『日本民藝館』に行った際にも「己が直観(感)」を試したいとの思いもあった。
柳自身、『木喰上人発見の縁起』(1925年36歳時)の中で次のように言っている。

――私は長い間の教養によって、真の美を認識する力を得ようと努めてきました。私は漸く私の直覚を信じていいようになったのです。(直観が美の認識の本質的な要素だという見解は、もはや私にとっては動かすことの出来ない事実となって来ました)それに私は美の世界から一日でも生活を離したことが無いのです。幸いにも美に対して私の心は早く速やかに動くようになりました。かくしてこれまでこの世に隠れた幾つかの美を、多少なりとも発見して来ました。――

[Ⅰ その外形]で、彼自身所属していた「白樺派」に関して、その出自なくしては為し得ないような批判をする人のことを記したが、彼は当時大学講師等を勤めていたこともあり、やはりその批判にどうしても与し得ない私がいる。

柳は、培った美への直観力を活かして、彼が言う「民藝」を、日本だけでなく朝鮮[李氏朝鮮]を巡り、蒐集し、民藝館での展示は言うまでもなく広く展示会を開き、世に問い、併行して彼の能弁さ、雄弁さを彷彿とさせる文章で人々に伝えた。
ただ、民藝館での展示では、柳の配慮と意図から作品に添えてある説明は最小限に止めてある。例えば、私が魅かれた一つ、平安時代の大きな壺には[灰釉(はいゆ)蓮(れん)弁(べん)文(もん)壺(つぼ)・渥美・平安時代・12世紀]とあるだけの知の侵入と直観へのこだわり。
そのような環境での鑑賞と自問自答の時間。部屋と部屋をつなぐ幅広い廊下に、心身に蓄積された疲れを包み取る大地のような、4,5人は座れる木製の重厚な長椅子が置かれていた。これも柳の蒐集なのか確認を忘れたが、そこにしばし座り、展示作品群を思い起こしながら、今回の訪問主眼や先述の三つのことに自問自答し、幾つかの自己発見を得た。次のようなことである。

一つは、「民藝」と言いながら、それは柳が蒐集している時のことで、今では彼の意図とは違って「美術工芸品」として在るように思えたこと。
それは、やむを得ない対応とは言え、ガラス張りの中に陳列されていることで、柳が言う「雑器の美」「用の美」また「無想(無心)の美」から離れ、やはり柳が言う茶道史での初期の茶器観と後代の退歩堕落のようにも思え、しかしそれは時の流れの必然なのか、私の想像力の欠如なのか、との自問。
美術家・岡本 太郎(1911~1996)が、驚愕讃美した縄文土器と現代での存在性をも思い浮かべながら。

ここで、彼が言う「雑器の美」「用の美」「無想(無心)の美」について、前回1[外形]で引用したので、要点の部分のみ引用し確認しておきたい。その出典は柳の著『民藝とは何か』(1941年〈昭和16年〉52歳)からである。

■雑器とは、
珍しいものではなく、たくさん作られるもの、誰もの目に触れるもの、安く買えるもの、何処にでもあるもの。

■用とは、
不断使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々。

■無想(無心)とは、
「手廻り物」とか「勝手道具」とか呼ばれるものが多く、自然姿も質素であり頑丈であり、形も模様もしたがって単純になります。作る折の心の状態も極めて無心なのです。

それらの美というわけである。

因みに、この書の刊行は6月で、6か月後、日本は太平洋戦争に突入した。
その太平洋戦争に対して、柳はどのような反応を示したか関心はある。と言うのは、次回[その二]で触れる朝鮮[李氏朝鮮]との交流から、複雑微妙な心が動いたのかどうか。白樺派の中心人物であった武者小路 実篤や多くの文人たちのように、昭和天皇の詔(みことのり)を聴き、胸打ち震え感動したのだろうか。居住市の図書館に柳の全集がないため、いつか上京することがあれば確認したいと思っている。

ところで、「美」の漢字での成り立ちは、羊の体を表わす象形文字で、神に生贄として捧げる立派な雌羊を表わしているとのこと。神への人の無心の祈り、その場全体を覆う神的世界、神々しさに思い到ると、日常と非日常、聖と俗の接点としての美を考えた古代中国人の心が感じ取られ、柳の民藝主張の根幹「用」「無想(無心)」と重なるようにも思える。

自問[自己確認]を続ける。

一つは、直接に手にするができないので、「土の香り」を味わう体感性が持ち得ず、あくまでも「作品」として観ている自身。これも、私の想像力の欠如が為せることと思いつつも、私にはとどのつまり焼きもの(陶芸)は賞味し得ない領域なのだろうとの思い。それは、妻の言う「値段があってない世界」や「テレビ番組への違和感」に私の中ではつながって行った。
この線上に、新婚とおぼしきカップルの光景は、××焼○○焼でなくてはとの、或いは「百均」であることでの抵抗感も含め、こだわり、固執がないならば、生活に逼迫していない一老人の勝手な視線ではあるが、やはり微笑ましく思う感情は拭い去れない。
柳自身、時代の推移[近代化]と機械化での量産について、或る揺れを感じさせる文章を遺しているが、そのカップルの光景をどう見ただろうか。

そんな焼きものへの心に乏しい一人だが、兵庫県の出石(いずし)焼に感銘した記憶はある。
因みに、『日本陶磁器産地一覧』によれば、全国で××焼○○焼と称されている産地数は、163焼あるとのこと。また、柳たちによって世に広められた焼きものの幾つかの産地は大勢の人・観光客でにぎわい、これも必然なのだろうか、非常に高価な焼きものとなり、現地に赴いても予約済み等々で入手できないこともあるとのこと。

一つは、バーナード・リーチの幾つかの陶芸作品を観て、彼の紙に描かれた絵と焼きものに焼き付けられた絵の印象の違い。バーナード・リーチの『日本絵日記』(1955年)で、前者に画家であることの高い専門性に感嘆していたので、陶芸の製作過程や技術に疎い私だからだろう、絵に魅かれる私を確認した。

更に加えると特別展示をしていた染織家柚木 沙弥郎氏の作品群を見ることで、「現代(作品)」という言葉が過ぎった。「モダン」ということ。伝統と革新ということ……。革新はさほど遠くない中で伝統となる……。保守と革新のように?

次回、[その2]では、その深浅、多少は措き、先ず言葉ありき(観念ありき?)的私だが、表題の現代日本を再考するに直截的に響く柳の言説を断片的に採り上げたい。
それは『日韓・アジア教育文化センター』にとっても有効であることを願いつつ。