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2019年10月14日

33年間の中高校教師体験と74年間の人生体験から Ⅲ 中等教育[時代]後期(高等学校) その2

井嶋 悠

前回、全体的な事と高校卒業して10年後に、我が師となる国語科の先生二人のことを書いた。
今回は、他教科の何人かのやはり個性豊かな先生方に登場していただき、それらを通して、高校教育について考えを馳せてみたい。
劣等生であったがゆえに、ひょっとして考える好材料になるかとの期待も込めて。

【英語】  何人かおられたが、すべて男性日本人教師だった。  
精緻に文法を教授される若手の先生がおられた。先生は、黒板を一杯に活用し、何色かのチョークを使い、時に自問自答を含め、見事なほどに教えられるのであるが、私など到底ついて行けず、ただただ呆然と黒板を眺めていた。多くの生徒は、あの先生はいずれ大学に移るだろう、と大学の授業内容も知らずに勝手に言っていた。そしてどうなったかは知らない。

ここで、別のやはり真面目な婚約中とおぼしき男性英語教師へのちょっとした悪戯を紹介する。 その先生の授業は、見開き1ページで1課構成の英文解釈参考書であった。
先生は、毎時間初めに前回の小テストをされ、その上で次に入って行かれるのだが、「今日は誰にしようかなあ」と呟きながら指名される。そこには、何ら統一性がなく、はてさてどういう形で指名されるのか、一部で話題になった。
そこで、或る生徒の「前回のテスト優秀者が当たるのではないか」との発言が妙に説得力を持ち、その正否を証明しようということになり、実験台に指名されたのが私だった。
授業前日、懸命に復習等小テストに備え用意万端整え、稀有なことに授業を待った。
そして当日。何とそれまで一度も指名されたことがないにもかかわらず、いつもの「誰にしようかなあ」との呟きの後、私が指名されたのである。
数人の私たちの微笑みの眼が行き交った。

【日本史】 50代前後とおぼしき先生がしばしば毅然とした口調で言われた「歴史はうねりだ」との言葉は、その前後は覚えていないが、強く心に残っている。暗記モノの、知識の日本史ではなかったのである。 考えることに大きな影響を与えたが、大学受験とは別だった。
因みに、某私立大学受験で日本史を選択したが、当日見返しも含め最短の30分で退室した。その大学には合格した。

【世界史】 若手(30代だったように思う)の先生は、教科書として某出版社の大部な受験参考書を使い、それで授業をされ、生徒に質問し、答えるとそれは参考書の何ページのどこに書かれているかを確認され、正解だといたく満足げな表情をされていたのが印象に残っている。

他教科にも個性甚だしき先生方がおられたが、際限がないので、最後に数学から一人登場していただく。尚、音楽、美術は教えを受けたのかどうかすら記憶がない。  
その先生は大変きれい好きで、チョークをそれ用の金属の筒状のものに差し込み、黒板消しも静かに使われていた。ただ、私たち生徒から少々軽んじられていた。と言うのは、問題集授業で優れ者の生徒が入手した、「教師用解答書」そのままに、生徒の黒板解答を説明されていたからである。

【英語を第1言語・母語とする外国人教師[Native Speaker]の授業】   
なかったと記憶している。要は、英語の授業は、文法・読解・作文であった。  中高校時代、外国人英語教師に限らず外国人との出会いは皆無であった。
そんな人間が、教師としての最後の10年間、インターナショナル・スクールとの協働校に勤務するとは…!  ただ、そこで「公立英語学習」と“好奇心”が、会話することに有効であったことを実感し、外国人との会話は分不相応に増えた。もっとも懶惰(らんだ)な私、飛躍的進歩とは程遠かったが。

体育館は戦時中の工場跡そのままで、どうひいき目に見ても体育館にはほど遠く、部活動、生徒会活動 も低調で、小高い丘の上にあると言えば聞こえはいいが、登校時は往生した。
そして紹介した個性豊か な先生たち。今と違って(と思いたいが)、先生は先生、生徒は生徒のタテ社会。
受験生としての「四当五落」を切実に信じ、苦悩していた友人。
試験の点数ばかりを気にして、得意と する生徒に点数を確認し(因みに、私のところには国語、それも主に現代文で確認に来ていた)勝った、 負けたの狂騒動の、修学旅行で布団蒸しにされた同窓。
ガールフレンドができて休み時間はいつも二人 で過ごしている同窓男子を横に見て、サッカーや野球で発散していた私たち(一部)。
少々悪さが越して 他校に転校した中学からの同窓男子。
多くの男子生徒が憧れる“マドンナ”から、誰が年賀状をもらえ たか、何でお前がもらえたんだとやっかむ者もいて…。言い出せばキリがないのでこのへんで止める。
まあ青春時代と言えばそうだが、先の附高=不幸が甦る。 そんな中、それぞれに進路を決めて、それぞれぞれの道に。 私は浪人。仕事柄、74歳の今も現役がいる。

思い返せば思い返すほど、我ながらどこまで晩熟(おくて)で、お人好しなんだ、とつくづく感じ入る。情けない 話しである。
小学校、中学校、高等学校、それぞれに色彩があり、高校など灰色イメージがあるが、どうしてどうし て見ようによっては最も色彩豊かに浮かび上がって来る。とは言え、高校時代に戻りたいなどとは微塵 も思わないが、あの3年間は、大人への脱皮の一直線だったのだろう。だからその分憂鬱でもあったの かもしれない。