ブログ

2014年11月1日

私が「学校」「教育」を“語る”ことの大切さと虚しさと疾(やま)しさと B.新たな教師挑戦期 その1 「教師は人間である……」

井嶋 悠

まえがき

前々回までの3回、A.で「教師原点習練期」としての17年間を自照自省して教育私感を書いた。

その27歳から44歳までの17年間で、私は、最初の赴任校にも恵まれ、教師としての基本―教科指導、学級指導、部活指導、課外指導、校務分掌等―を、同僚の教職員、生徒、保護者から、体験的に学んだ。

そこで私が得た一つが「生徒が教師を育てる」。
どういう校風・特性を持った学校の、どういう生徒が、どういう教師を育てるのか。

私は時に共感され、時に反発され、時を過ごし、偶然にも就いた教師ながら私の教師像を考え始めた。
それが、私を新たな世界での挑戦に駆り立てた一因である。

今回から、B.「新たな教師挑戦期」としての、その17年間後半生を記す。
尚、この副題は、自身を不遜にも信じ、新たな教師を目指して(夢見て)の挑戦期との意味である。
終了は59歳での自主退職とその後の2年の臨時である。

後半生顧みての包括的言葉、「よくぞ生きながらえた。」との長大息交じりの感慨の他に何があろう。
生きながらえた理由のすべては、それまで以上に与えられた、妻・子どもたちと幾人かの人々の愛と骨折りである。
言葉の限界を完膚なきまでに痛感する過分な幸い。
支えた一人、私の破天荒な生を理解し、励ました娘は、2年半前の2012年春、仏・神の下に還った。
その還浄・帰還への一端を突きつけたのは、あろうことか私と同じ教師である。

人は神でも仏でもない。当たり前のことだ。
しかし、人によっては多少の“超人”意識(或いは願望)を持っている節を直感することがある。なかでも私が知る教師職に多いようにも思える。
或る人は、それを聖なる自我、と言うかもしれないが、その無恥、傲岸さを言う人も確実にある。私は後者に与する。
その人物を何らかの形で知る数人が認める「仁者・君子」でない限り、あり得ないことだから。
そもそもそういう人々は、聖職意識などと言う言葉そのものを知らない。

人が人と生きる「人間」であることの苦、中道・中庸の至難、がそこにあるように思う。
「君子の交わりは淡くして水のごとし」との言葉は、それゆえの理想を言っていると取れる。
因みに、これを言った荘周(荘子)の源流となる老子は「上善は水のごとし」と言う。

先日、数か月前にひょんなことで会話し、共振共感以心伝心を直覚した東京で長年宝石商を営む喜寿を迎える男性と、とりとめもなく話している時、こんなやりとりをした。
「人との付き合いは、付かず離れず、ですね。」と私が言うと、
氏は間髪入れず、明朗快活な響きで応えた。「そうですっ」。
商いをして来た人ゆえに沁み入る説得力。

この私の発言は、世に言う性善説に立った、先の荘周の言葉の続き、「小人の交わりは甘くして醴(れい)〈甘酒〉のごとし」の、べとべと、艱難辛苦を経て、「孤独に耐えろではない。愛せよ。」に少しは近づいたかなと思える昨今の私が、やっと自身の言葉として言えたもの。

更に、荘周は続ける。
「君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って絶つ」と。

しかし、私は今も小人で、「絶った」ことを逆手に、人のことをしばしば批評した弟子に、孔子が皮肉った「お前は偉いね。私にはそんな暇がないのに。」(貝塚茂樹訳)を横目に、私をとんでもない試練、波瀾万丈に向かわせた二人(一人は、「新たな挑戦期」の初め2年間、一人は、59歳で退職する前の5年間に出会った二人)のことを書こうとしている。

これは「義を見て為さざるは勇なきなり」(孔子)、私の義を信じ充分に戦わなかった私の不甲斐なさの悔悟であり取り繕いと言われて返す言葉はないが、
二人が、それぞれ教育の理想を声高に唱える教師で、しかも生殺与奪の権を持つトップダウン方式での管理職、私の上司であり、その人物ゆえに私と同様退職し、私以上に辛酸を嘗めた人たちがいること、一方でその時、手を差し伸べてくださった方、心寄せてくださった方々があること、更には何年か後、二人それぞれの非が明らかになったことであり、天罰を畏れず、小人そのままに書くことにした。

ただ、これらの事実から、改めて人間なるものについて、69年間の人生から何が考えられるのか、これも自照自省として、ほんの一端だけであっても考えてみたいとの思いがある。

「人間らしい・人間性・人間的:human」、そしてヒューマニズム[人間主義・人文主義]を言うときに使われる言葉「自然」「高貴」「理想」と「現代」の後ろに在る私の、人々の思い、意識について。

私の器量では、せいぜい感情に走らず事実を述べるだけになるだろう。
しかし、A.の「教師原点習練期」、この「教師は人間である」、また断続的でも続けたい「新たな教師挑戦期」で体得した教育諸領域私感と併せて、少しでも学校教育を考える一材料になれば、との僭越な願望もある。