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2015年7月24日

初めに心があって…… ―二人の詩人から老いを、日本を観る―

井嶋 悠

私は今、静けさをたたえる“作品”に、これまで以上に心打たれ、浄められ、そこから己をかえりみ、独り、自身に溜息をつく時間が多い。
その後ろ側に2015年の日本社会があって、私の歴史があって、高齢化社会の末席に私はいる。

“作品”のまずは、神の造化「ひと」であり、「自然」であり、そしてそのひとが創った「作物」である。
「作物」を、人々は芸術と言うかもしれないが、要はそのときどきに己が感・理・知性で真善美を直覚した「作物」である。
もう45年ほど前、当時新左翼の先鋭派に属していた高校時代の先輩の言葉が、ふと甦る。

「芸術の芸の字は藝の方が合うなあ」

その先輩は、20代後半に心臓の病で旅立った。

私は、“作物”の一つである詩(和歌、俳句を含め)に魅かれる一人だが、静かな情感の底に秘めた激しさ(激情)を、やさしい(易と優の両意があるが、芸樹にあって優は当然自明だから、ここでは易の方)言葉で紡いだ作物(難解との響きに近い難しい言葉は、私の感性、想像力では遠過ぎる)に出会うと、書いた人(詩人)をあれこれと想像する。
既に追体験した人ならば、再度、再再度……その人の生を振り返り再追想する。
作品(作物)からその人(詩人)の生を知った後、私の性向か、心の焦点はその生にもっぱらとなる。

そんな詩人が何人かいるが、ここではこのブログへの投稿契機・背景から近現代詩人二人を挙げる。
一人は、高村光太郎(1883~1956)
一人は、天野忠。(1909~1993)

二人に共通してある限りなく深い優しさ。葛藤、苦難を経、行雲流水がごとき濾過された優しさ。
私が、ここ2,3年執心している「悲・哀・愛[しみ]」につながる直覚である。

二人について、少し説明を加える。

 

高村 光太郎。

小中高校の国語教科書では必ずと言っていいほど採り上げられる詩人で、彼の人生のすべてでもあった妻(旧姓長沼)智恵子の心の病にひたすら寄り添い、最期をうたった詩『レモン哀歌』を引用する。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう

この詩の説明を、ここで繰り返す必要はないだろう。
「昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして  あなたの機関はそれなり止まつた」
この一節に込められた、愛の深さ、激しさ、哀しみ。

その高村光太郎、太平洋戦争時、「文学報国会詩部会長」として、戦意高揚、戦争協力の詩を創作したが、戦後、その悔悟から1945年に岩手県花巻で自炊独居生活に入り、7年の時間を過ごした。
その4年後の1956年、永遠の旅に立つ。その時の言葉。

――老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。まったく人間の生涯というものは苦しみの連続だ。――

彼の顔は、ことのほか安らかで、おだやかな美しさをたたえていた、とのこと。

優しさ、慈しみそして哀しみ溢れる彼の生からの魂の発露に、心揺さぶられない人はいないだろう。

以前、何かの本で読んだ、彼と交流のあった或る文学関係者(名前は忘れた)は、花巻の彼の元を訪ね、その田舎生活を目の当たりにし、直ぐに東京に戻るだろうと思った由書いていたが、研究にも創作にも縁のない私ながら、その人のさびしさを思い、そのような人が文学関係者で、彼と交流のあったことが不思議だった。

 

天野 忠。

彼は体質から酒が呑めなかったとのこと。そのことを書いた随想『酒の恨み』の一節。

――談論風発、天国の界隈を逍遥しているらしい風情の、清興悦楽の人士を、はたから健羨の眼で、ときには憎悪の眼で眺めやるしかない。こういう場面での、さらりとした分別を持ってもよい年齢に、とうになっているはずなのだが、情けないことにそれもない。
「酒のどこがいいか」問われたとき、孟嘉という人は「酒中に深味あり」と答えた由。――

彼は、京都のど真ん中の職人の家に生まれ、実に多様な職を転々とし、1932年に第1詩集を、1974年65歳の時『天野忠詩集』を出し、確かな反応を得た。
朴訥淡々と、夫婦愛と親子愛の日々を重ねながら、京都人の気概高く生きた人で、本人の受け止め方は知らないが、“天野忠翁”と親愛と敬意をもって呼ばれた人である。
三つの詩を引用する。

『伴侶』

いい気分で
いつもより一寸長湯をしていたら
ばあさんが覗きに来た。
――何や?
――いいえ、何んにも
まさかわしの裸を見に来たわけでもあるまい…。

アッと思い出した。
二三日前の新聞に一人暮らしの老人が
風呂場で死んでいるのが
五日後に発見されたという記事。
ふん
あれか。

『帰り道』

夕方
公園の橋の上を
五つぐらいの女の子と
二つぐらいの男の子が
ならんで歩いてきた。
すれちがうとき
私に聞こえるように
女の子が呟いた。
――ちっちゃい子を連れて帰るのは
しんどいな
振りかえって私はニッコリした。
むつかしい顔をして
女の子は
私を見返した。
ちっちゃい子の手をひきながら。

『叫び』

草の中に神経質な虫が一匹いた
世界中でいちばんちっぽけな奴で
うまれつき風が恐くてならない
風から逃げるために
彼は汗を流して勤労し
一年かかって穴を掘った

穴の中に楽しく縮かんでいたら
世界中でいちばんやさしい風が
そっと吹いて
穴の上のちっぽけな土を
落してしまった
虫は
世界中でいちばん小さな哀しい叫びをあげて
往生した

寡黙な優しさ。慈しみ。京都のおっとり風土。鷹揚とした時の流れ。愛(いと)しさ。漂う哀しみ。ユーモアの真骨頂。
正に「詩中に深味あり」だ。
(因みに、私の本籍は京都で、菩提寺は烏丸今出川の近くの曹洞宗寺である)

顔(貌)は創られる。高村光太郎と天野忠の老年の顔は一級品だ。

キリスト教文化圏の西洋人は、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」と言う。
日本人は初めに心があって、神(天)を想い、言霊という清澄な思いを編み出す。(私は偏向な神道信奉者でもなんでもない。)

『古今和歌集』の「仮名序」を、再び思い起こす。

「やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける ……力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」

近代化は合理主義の裏付けなくして成り立たず、理に合うことが論理であり、言葉は論理として、時に神の論理として、知性の象徴となる。
日本は、明治「維新」との言葉が示すように、文明開化のためには脱亜細亜であらんとし、富国強兵、殖産興業に邁進した。邁進し過ぎて?1945年、歴史上初めての敗戦を経験した。しかし。好奇心と勤勉さとそのときどきの世界事情(朝鮮戦争であり、ベトナム戦争等)から、半世紀で「戦後は終わった」と言わしめ、世界一等国になった。

一等国? その前に独立国?

心と頭と身の三位不一致に悩まされる人が増えに増え、これも半世紀近くなる。
世界は、ボーダレスを言い、グローバル化を言う。聞けば聞くほど、我が身を振り返る。柄にも似合わず、そこにつきまとう広と狭のナショナリズムも併せて。
歴史の曲がり角には、己を、地域を、国を振り返る時と場が不可欠なのは古来実証済みのはずだ。
安息所[踊り場]のない螺旋(階段)発展は、人を、自然を破壊する。いわん猪突猛進そのままの直線的上昇志向は、である。

学校教育も然り。
知識の言葉から智恵の言葉への教育が、どれほど次の時代を創るか、と中高校のささやかな国語科教師体験から思う。
奈良時代からの日本が繰り返して来た「国際化」と「国風化」の歴史を顧みれば明らかだ。
そのために必要な、「あれもこれも」を善しとする偏向からの脱却と教師の意識改革。時間を人の手に。
1時間は、人類誕生以来同じ1時間だが、長寿化の現代にあっては、悠然たる1時間なのではないか。
少子化と長寿化と個の尊重を言うならばなおさらのこと。

文明と文化を問う材料がここにもあることを、私は思う。
しかし、このような考え方は、非現代人の、それも高齢者の、去って行く者の、感傷的(センチメンタル)な心に過ぎないのだろうか。
帰国子女教育・外国人子女教育に携わった教師体験と、娘の死に到る経緯からそうは思えないのだが。

高村光太郎の、天野忠の、老いの心映え・心模様は、過去の、文学世界だけでの、しかも私的なこととしてのみ輝いているのだろうか。

いつの時代でも人がある限り繰り返されることかとは思うが、現代の都市文明の醜悪さの一側面を象徴しているようにも思える、権力と権威と独善に陶酔し、自身の意に沿わない人物はサディスティックに排撃する、先の二人とは真逆の、しかし本人は詩人を自称し(何冊か詩集を出版し、サイン会もどきもしていた)、ヒューマニストにして博愛主義者を公言し、一部での絶対的尊敬を当然かのように振る舞い、しかし一方で、日々恐れ戦(おのの)き、事ある毎におどおどしていた心貧しい人・エゴイスト(職業は教育者)とも出会っているがゆえに、一層、言葉の前の心の在りように考えが及ぶ。

蛇足を重ねれば、この人物の詩を読もうとは全く思わない。幾つもの生の層を潜り抜け、研ぎ澄まされた言葉の集積である詩への冒涜を思うから。
もちろん他山の石のこととして。(もっとも、私は詩は書かないが。正しくは書けない?)