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2015年11月28日

叙情があっての叙事を想う ―初めに叙事(言葉)あり、の現代日本の息苦しさ―

井嶋 悠

11月9日投稿のブログで、八甲田山、八幡平で出会った全山もみじ〔紅葉・黄葉〕で覆われた、その樹々の統合が私たちに迫り来る「秋の気魄」について書き、前回(11月18日)、政治と私の不可解から最後に犬と現代人のことに触れた。 それから2週間経った今、居住地栃木県北部のもみじ期は、そそくさと遠くに去って冬の気配が濃厚になって来た。 かねてから「人間冬眠必要」提案者である私は、(因みに、娘も、心身悪戦苦闘進行中であったこともあってか、苦笑しつつ賛同者であった)、「冬来たりなば、春遠からじ」との心の余裕などなく、冬嫌いの愛犬共々、ストーブの前にまどろむこと多の日々である。

『三夕の歌』の一つ、藤原定家の「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ」を借用すれば、「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 鄙(ひな)の我が家の 秋の夕暮れ」である。
そして、私も含め多くの日本人は、『三夕』のもう一つ、西行法師の「心なき 身にもあはれは 知られけり しぎ立つ沢の 秋の夕暮れ」に、「しぎ立つ沢」を眼にしたことがなくとも、その情景をそこはかとなく想像し共感同意する。

「あはれ」「もののあはれ」の秋、晩秋、とりわけその夕暮れ時。 ドボルザークの交響曲『新世界より』の第2楽章『家路』に陶酔し、唱歌『赤とんぼ』の詩[三木露風・作詞]とメロディ[山田 耕筰・作曲]の哀しみ溢れる叙情に心の琴線を震わせる人は多い。もちろん私もその一人である。
「あはれ」の叙情は秋を基本にし、そこには哀しみ、寂しさが自明のように通底する。
しかしこの語は、『萬葉集』の時代からあり、識者は集での「親愛」「賞讃」の意の用法を引き、意味の多様を説明する。「あはれ」語源説の一つに感嘆を表わす「天晴(あっぱ)れ」があることも考えに入れれば、春夏秋冬それぞれにあって然るべきであろう。 しかし、秋の哀しみであり、澄明さに心が向くその強さは他の季節のかなうところではない。

江戸時代の著名な文学研究者・本居宣長は、『源氏物語』を頂点にして日本文芸を基に「もののあはれ」との美意識を編み出し体系化したことで知られるが、文芸は、人が自身を取り巻く人々、自然、社会、森羅万象を見据え、心(想像、感性)を馳せることで成立するのだから、人の生の一切合財が「もの」を表わしている。 しかし、生まれ、かな(悲・哀・愛)しみの生にあって、人は「浮き・憂き世」そのままに幾多の哀しみを自覚し、孤独を思い知らされ、もがき、何かの、誰かの力を借りて何とか昇華し、紆余曲折漸(よ)う漸う生きようとする。 とは言え、「有限」の知情意動物のかなしみ、“無常”に圧倒され、「悲・哀」を直覚することがはるかに多い。だから「愛しみ」に私たちは心躍らせ求め、生きようとする。
これは古今東西多くの人々が言う、そのことへの私の体験からの確信的主観で、だから春夏秋冬を人生になぞらえるとき、秋の気配、それも夕暮れ時の清澄な静けさに身を委ね、寂寥に包まれ、時にそこに耽溺さえするのではないか、と思ったりしている。
それがあっての、八甲田山・八幡平の秋の天の気魄であろうと思う。

このことは、人である限りいずれの文化にあっても、不変にして普遍ではないかと思うのだが、東アジア人の中でも、また知り得た西洋人と比しても、その叙情性が日本人は強いように思える。
感傷的“人種”日本人……。

私は歌謡曲の愛好者ではないが、或る時出会った帰国生徒の父親(海外駐在員)の言葉、「週末、現地周囲から家族を放ったままでと非難を受けながらも、駐在員同士で飲んでいるとき、美空ひばりの『川の流れのように』を聴くと、止めどもなくなく涙が溢れ出るんです」に、海外駐在員経験がないにもかかわらず心激しく揺れ動かされた私があった。

叙事の世界の一方の雄かのような政治の世界が、理念等々「合理」以前のこととして生理的に不適応で、それは33年間事ある毎に教師不適格を痛覚していた背景でもあるのではないか、とも思っている。
続けられたのは、そういう教師が在ることの有効性を、稀少数派とは言え、直接間接に私に発した生徒、保護者、教職員そして家族があってのこと。ことさら言うまでもない。

ここで私が固執する叙情とは、日本の梅雨から夏の風土にある高温多湿のそれではなく、秋の清涼澄明な大気に突き抜け漂う心で、それは私の中に色濃く流れる高温多湿体質を忌避したいとの願望の裏返しであるのかもしれない。近年「泣ける映画(作品)」がごとき、叙情(心)を叙事(事としての言葉)で脅迫、抑え込もうとするかのような摩訶不思議なキャッチフレーズとは真逆にある感覚。 叙情か叙事ではない。叙情と叙事であって、但し叙情あって叙事、との私の生理である。

中高校国語教科書にしばしば登場する近現代を代表する詩人の一人、三好達治(1900~1964)の以下の詩が持つ響きである。

乳母車

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり (以下、第2連~第4連、略)

 

甃(いし)のうへ

あわれ花びらながれ
おみなごに花びらながれ
おみなごしめやかに語らいあゆみ
うららかの跫(あし)音 空にながれ
おりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるおい
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしずかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうえ

[引用者注:季節は春であるが、ここにも清澄な叙情が流れている。
「甃」(井戸瓦。敷き瓦)
漢和辞典[大修館書店『漢語林』]での「解字」
―秋はけがれを去り飾るの意。井戸水の清潔を保つために内壁や周囲に敷く瓦。

同じく近代詩を代表する詩人萩原 朔太郎(1886~1942)の詩集『月に吠える』の序で彼は言う。
―詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
―すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。 これを詩の  にほひといふ。
―私は自分の詩のリズムによって表現する。(略) リズムは以心伝心である。
―詩は言葉以上の言葉である。
―詩を思ふとき、私は人情のいじらしさに自然と涙ぐましくなる。

言うまでもなく私は詩人でもなければ、詩の篤く、熱い読者でもない。神社の狛犬が表わす「あ・うん」に魅かれる元中高校国語科教師(言葉を最も弄する教師)であるがゆえに、上記の詩人の言葉に強く引き入れられる私がいて言葉を借用した。詩の生を想像し。

学校社会は社会全体を映し出す鏡であり、縮図である、との言説に、33年間の中高校学校教員体験から実感として同意している。
しかし、そこには感傷はあっても叙情はない叙事の世界であると、内省自省からとは言え、過言を承知で思う。 そのことが日本の教育の総論/各論での改革で、欧米の教育を最優先する発想の一因なのではないかと思ったりもする。合理と非合理における東西異文化?
1945年を原点に、憲法と教育基本法の遵守と実践を主張する社会意識の高い(強い?)或る教育学研究者の言葉(叙事)に、知として同意しながらも、心の脈動(叙情)と一体化しない「理解」の段階で止まっている、そんな私のもどかしさ。

私の中で突き刺す現代日本社会の鏡・縮図としての「学校社会の叙事優先或いは叙情のない叙事」を、二つ挙げる。

それらは、以下の学校体験(専任教員としての3校)が基盤であり、あくまでもそこからの管見である。
【3校の共通項】
・私立中高一貫教育校(但し、内、2校は女子校、1校は共学校)
・ほぼ全員(生徒・保護者・教員)が大学進学を自明とする
・自由を謳い、国際教育、英語教育、海外帰国子女教育、外国人子女教育を標榜する

見る人によっては羨むイメージを持つかもしれないが……。

大学進学の頂点(極み)東大進学から見えること

東大卒業者(親族も含め)との出会いは多い。しかし、人格的に敬意を表し得る人物は多くない。 かなりの部分で、権威性を、独善性を、閉鎖性を直覚するのだが、本人は無意識化している。そこが「上意識」なのだろうが、その人たちが、創立時の明治時代ではない、現代日本社会の各領域で指導的立場にあることを自他当然としている場面に思い及ぶと末恐ろしい。 彼ら彼女らの自負と偏差値という数字との関係。 1980年代以降「教育の商品化」は止まることを知らない。経済的豊かさが進学を保証するとの図式。塾産業無くして進学なしの異様。 進学者の保護者(特に母親)の会、いわゆる「ママ友」の一つで、東大進学を誇る某私学のそれの、例えば「食事会」に見る虚飾に浸る母親をどう見るのか。 これらの事象(叙事)に、どんな叙情があるのだろうか。少なくとも私には全く分からない。 この事象を悪しとし、無くすための入試方法、学力評価法はあり得ないのだろうか

《補遺》 当時、“やんちゃ”の高校生が集まる学校(男子校で、中学校でのやんちゃ連[社会的呼称は不良或いは非行中学生]が、中学校での進路指導でその高校への進学を奨められると、多くが泣き崩れたと言われていた)の、当該教員(男性)から聞いた事例。
「1年生での自暴自棄もあっての心身壊滅的様相の日々、2年生での連帯意識の芽生えと共同体  作りの上昇志向、3年生での見事なまでの一体化と学校行事等への取り組み、を間の当たりにした感動は比類がない。」と。
彼らを見守り、支えるその教員(たち)の器量を持たない私ではあるが、そこに叙情があっての叙事の素晴らしさを見る。
尚、その学校は世の変化(その内容と良し悪しには今は立ち入らない)からなのか、今は中堅?進学校となっている旨聞いている。

AO入試等の入試方法から見えること

○×式画一的入試方法から、一人一人の個を吸い上げたいとの視点から編み出された、「小論文」「自己推薦」「学校(長)推薦」また「面接」重視の入試方法。
1980年前後から導入された「小論文」、見識ある人々が当初より危惧していた新たな「画一化」が進んでいる。
知識と形式からの論説文表現指導。そこに見る塾産業の競い合い、学校教師を含めた“プロ意識”による自身の「雛型作り」の現状。
国語科教師として生徒の作文鑑賞と指導は、相当の時間と体力を必要とされるが醍醐味でもある。 そんな中での、私の理解さえ及ばない二つの事例。
一つは、某予備校の「上級」小論文講座に見る高度な知識の要求とそのことでの自尊意識形成。
一つは、某高校での、語句選択から方法・内容の微に入り細に至る指導。
そこに在るものは、結果を求めての叙事(担当者は叙情と言うかもしれない)であり、そのことでの進学実績上昇の事実とも併せた教師のカリスマ性?からの指導という名の強制ではないか、と思う。 それとも、ひょっとすると、これは教師と生徒双方の限られた時間にあって他にどんな方法がある?との、身をもっての提言と言うことなのだろうか。
それによって作られた小論文かそうでないか、大学側はどのように判断しているのだろうか。
そして思う。 長寿化社会にあって、大学教育また大学院教育とは一体どうあろうとしているのだろうか、と。

 

上記二つの現実は、海外・帰国子女教育や外国人子女教育とも重なって来る、正に日本を映し出す一面であり、当事者の生徒たちにとって、更には心ある教員にとって、困難極まりない問題でもる。
そこに、かの「英語ペラペラ」が加わる時、それから外れる彼ら彼女らの心中は、多くは「世の中そんなものよ」とは言うが、本音はどうだろうか。 ペラペラの持つ狭隘にして薄っぺらな響きにどれほどの叙情性があるのだろうかと思うし、その用語が一般化している現代日本に寂しさを思うのは老いの身ゆえだろうか。

こんな出会いがあった。台北日本人中学校卒業後入学した生徒。 日本人学校での限られた授業と日常生活で身に着けたわずかな中国語力。しかし、漢文授業で押韻説明の時、その生徒の音読でもたらされたクラス生徒の感嘆と説得力。私が説明すれば叙事の叙事に過ぎないが、その生徒がすることでの叙情からの叙事が持つ力を思う。

先日、都心のいつも多く人が訪れる、或るペットショップ(子犬と子猫)で出会った風景を思い出す。
明るく清潔な、特に広くない店内に設けられた椅子に、凛と背を伸ばし浅く腰掛け、膝には生後数か月くらいであろうか無心に餌をほおばる愛くるしい子犬を置き、手のひらに収まるほどに畳んだハンカチで、瞳の動きから周囲を気にしているのは明らかなのだが、こみ上げてくる涙を抑えきれず拭っていた40代とおぼしき婦人と、彼女が醸し出す清楚な漂い、空間。
横の同年代或いはそれ以上の男性(会話から夫君とは思えなかったが)が、薄っすら微笑みを浮かべて言う「昨日一晩、この子は何も食べなかったんだ…」との言葉が聞こえ、彼女は何度も首をタテに振る。 私はその直後、前を通り過ぎ勝手に想像する。
「昨日、この店で購入した子犬が、環境の変化で一晩何も食べず、心配でたまらない彼女は、医院に行くより購入先に相談に来たのだろう。そして、膝の上で旺盛に食する子犬を見て、安堵、安らぎの喜びの涙がいっときに溢れ出たに違いない」と。
当たり前のように、この子犬の、彼女のような人に飼われることの幸いと犬ならではの慈愛でこれからいつも彼女に寄り添う姿が浮かんで来た。
三好達治の詩に通ずる叙情。確信する。清楚のない叙情はあり得ない、と。だからひたすら清楚を憧憬する。叙情から叙事へ。

私にとって戦後の清楚な女優は誰だろう?と、手元にある「女優ベスト10」(『日本映画ベスト150』文芸春秋編・1989年刊)を観たり、そのベスト10にはないが香川京子さんかなあ等々思ったりもするが、しっくり来ないなどと妄想していたら、先のベスト10の第1位の原節子さんが亡くなったとの報。 映画での彼女に清らかな妖艶さを感じていた一人ではあるが、清楚とは違うようにも思え。 そのとき、彼女の突然の引退後の53年間が、ひょっとして清楚の叙情ではないか、とふと過る。

《蛇足:以前、やはりこのブログで、小津安二郎監督の『東京物語』が、私にとっての最高の映画と記したが、作品中に、母の弔いの後、
香川京子演ずる末娘が姉や兄の俗性を謗(そし)り、戦死した次男の嫁役の原節子が諭す二人だけの場面がある。この一か所が、当初から私にどこか違和感を与えているのだが、その理由が、清楚の叙情に入り込んだ世俗の道徳(叙事)の浮き上がりなのか、とも思ったりする。》

結びに、『古今和歌集』(905年)の序から冒頭部分と他の部分一節を引用する。
1200年余り前、すでに日本人の叙情が、歌(文芸)創作を通して的確に表現されている。 自然と人間と表現と。そして、いつの時代も「徒(あだ)」の「はかなさ(儚(はかな)さ)」、虚しさに、彷徨(さまよ)い昇華しようとする人間を、到底そこに及ばないがゆえに私は、一層の敬愛をもって見る。

〔冒頭部分〕

やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける 世の中にある人 ことわざしげきものなれば 心に思ふことを 見るもの聞くものにつけて 言ひいだせるなり 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女のなかをもやはらげ 猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

 

〔他の一節〕

今の世の中 色につき人の心花になりにけるより あだなる歌 はかなき言のみいでくれば 色好みの家に 埋れ木の人知れぬこととなりて まめなるところには 花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり

(引用者注:ここにある「色好み」については、当時の貴族社会での美意識、倫理観など現代のそれとは違うことを理解して読む必要があると言われているが、ここでは省略する。)

《大意》今の時代、昔の真実を求める姿とは変わり、華美になり、歌も浅薄で、空虚なものと化してしまった。そのため歌は、真善美を愛す
る個人一人の中でのみ生き、公からは遠ざかってしまっている。