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2014年4月28日

北京たより(2014年4月) 『郭隗』 ―「日中友好活動をしなやかに続ける日本人大学生 その2」―

井上 邦久

菜種梅雨の上海から、12日土曜日の昼便で北京に移動しました。
空港のタクシー乗り場には白い綿毛が沢山飛んでいました。乗車整理員に「柳絮?楊絮?」と訊ねたら「柳のワタの柳絮だよ」と教えてくれました。
粉雪、櫻吹雪そして柳絮と、この時期の北京は、大げさに言うと白色系飛来物が2週間ごとに変身し、そして季節が巡ります。
寒気が緩みかかって以降は、大連から天津への移動の途中で北京に立ち寄るということはあっても、ラフな服でのんびり過ごす北京好日はありませんでした。

例年3月は中国の会計事務所による2013年度監査に始まって、日本からのJ-SOX・公認会計士監査対応、そして大連から香港までの現地法人の決算役員会が月末ぎりぎりまで続きます。
加えて今年は、人事総務の責任者に急遽中国に来てもらい色々な意味での環境がより厳しい北京・天津(山東2拠点代表も参加)そして上海で、駐在員・帯同家族・ナショナルスタッフとの交流を企画設営したので帯同移動が増えました。
大気汚染に留まらず子弟教育や生活環境への理解共有が目的。
危機管理の視点も絡めて現地と本社が具体的にどんな「解」を導き出せるかがテーマでした。また月末には香港でグループ会社全体の会議が開催され、昨夏に続き出席報告したので、その為の準備も大変でした・・・と、
それなりに仕事もしています。

4月1日、恒例の東京での期首集会、入社式で一区切りをつけます。
その間に横綱が3名となり雲竜型の土俵入りを夏場所から楽しめることになりました。
その間にセンバツは古豪平安高校が優勝。ベスト4の内の2校は想定通りでしたが。
その間にバッファローズとカープが渋い監督の采配と投手力の整備で開幕ダッシュ。

3月10日夕方、北京大学留学中の渡辺航平君と北京飯店のロビーで待ち合わせました。
歩いてすぐの王府井『東来順』で羊肉火鍋が沸騰するまでに「僕らの日中友好@北京」の活動状況の報告をしてくれました。
メンバー手作りの合唱曲の初稿楽譜も見せてもらいました。また昨年の上海に続いて北京での路上フリーハグ実施に向けて、各方面への確認手続きを進めているとの説明には、法学部学生らしい緻密な側面も窺わせました。

湯気が上がり、羊肉や野菜や豆腐に火が通ってくると、二鍋頭(庶民の味方の北京地酒。倹約令対象外)を呑みたくなり、成人祝いというもう一つの目的を思い出しました。
あとは問われるままに好みの文章や座右の書を語り、吉行淳之介と加藤周一の共通点、戦中の北京での中江丑吉の生活、歴史上唯一の哲学者で第一権力者であったローマ皇帝の書いた『自省録』を温家宝前首相が読んでいたらしいことなどをお喋りしました。
気がつけば独り酒になっていましたが、4月1日、新入社員向けのオリエンテーションで渡すつもりの中国地図を閉店間際の書店で買うことは忘れず、地下鉄ホームで別れました。

4月になって、10日と13日に北京フリーハグ。12日に活動報告会と合唱曲の発表を北京大学の記念ホールで行う旨の連絡を貰いました。
奇しくも12日の昼には北京に戻る予定をしており、空港到着後19;30まではフリーなので、15;30の開場時間には空港快速と地下鉄で北京大学東門駅に間に合わせることを伝えました。
人事を尽くしたあとの飛行機の遅れは天命である、といういつもの開き直りで何とか時間までに駆けつけて、会場の隅で静かに拝聴しようと思っていました。

前夜は銀色の雨降る上海。午後から面談、会議そして懇親が続き(上海でも仕事をしています)携帯電話を無音状態のままにしていました。
移動途中で渡辺さんからの電話着信そしてメールの記録を見て、翌日の会場が諸事情により北京大学から日航ホテル系の京倫飯店へ変更されることを知りました。・・・委細了解です。こちらも時間に余裕ができて助かります。新会場は馴染みの場所です。直前の「諸般の事情」による変更で大変ですね。メゲズに頑張って下さい・・・と取り急ぎの返信をしました。

従来から良くあることだから慣れて(いや、「馴らされて」が正しい)いますが、約束事を直前に、分かりにくい理由で引っくり返すやり方は実に宜しくない。
冷静かつ論理的に反論しようにも、当事者が不在になったり、過程を知らずに決定のみを伝達する役目の人間しか出てこなかったり。しかも直前に告知されることが多々あります。物事を決めるプロセスの透明性が低く、しかもルール解釈を強引にされて強い者の意図に巻き込まれる。
万古不易とまでは言いませんが、変わらない一つの底流だと思います。
西欧諸国が政治経済の分野で表面的に接近しても、最後に跨境できない壁がこの「決定プロセスの不透明性」にあると思います。

30年以上前の北京空港で或る年配の方が「この国にはカントが居ないね」とポツリと語られたことをずっと憶えています。旧制高校で学んだ西洋哲学の理性尊重や合理主義とは異質のシステムや発想に違和感を覚えたのでしょう。
もちろん今回の会場変更について、当局には諸般の事情があったのでしょう。或いはもともと欧米式の発想やスタイルを何とか理解許容しようと無理をする日本人とは異なり、伝統的な発想の根っこを大事にして学生の動きを規制したのかも知れません。

ホテルューオータニ系の「長富宮飯店(万里の長城と富士山由来の命名)」と並んで、早い時期に開業した「京倫飯店」は国際貿易センターにも近く、1980~1990年代には頻繁に利用させてもらいました。久しぶりにロビーに入ると、合唱練習の声が聞こえて場所はすぐに知れました。報道関係の人が多いなあと思いながら、離れた場所で待機していたところ、渡辺さんから「木寺大使が来られるので一寸待っていて下さい」と言われ、ちょっと驚きました。更に導かれて会場に入ると来賓席があり、正装の大使夫妻一行の横に座らされました。主賓が大使と二人だけということには、かなり驚かされました。

海南島でのアジア・フォーラムから前夜北京に戻ったばかりの大使と上海からラフな格好で何とか駆けつけた軽輩が「来賓」というのもこの会らしいなあと徐々に納得していきました。
大使から、この会への参与のきっかけを聴かれたので、昨年末の清華大学日本語スピーチ大会への賛助と渡辺さんたち三人のグループとの遭遇を伝えました。

程なく活動報告が始まり、作曲者挨拶、そして合唱が行われました。
最後に渡辺代表からの挨拶がありました。
冒頭に直前の会場変更により迷惑をかけたことへの真摯なお詫びの言葉がありました。
万古不易などという進化に乏しい大人の義憤などと異なり、一言の言い訳も、恨み節のかけらも無いシナヤカな姿勢はいつもの通りでした。

「言い出しっぺ、そして(だから?)代表の渡辺です。仲間が3人になり、24人の運営委員、そして150人まで膨らみました。最年少の自分をリーダーとして盛り立ててくれて有難う」という仲間への感謝の言葉が印象的でした。
途中、感極まることも何度かありましたが、外国語学院の女子学生がとても冷静に自己制御しながら、抒情的な日本語を母国語にしていきました。
女子学生ご本人も泣きたい気持ち(自らの感動と三人の日本人男性の翻訳しにくい情的表現)だったようですが、要点は外さず会場の流れも考慮して簡潔明瞭に役目を果たしていました。

清華大学でのスピーチコンテストに続いて、今回も女子学生の目立たずとも大切な実務的貢献によって会の感動が深まりました。

木寺大使のスピーチもとてもユーモアに溢れ、垣根を低くする語り口で満場の共感を呼びました。
記念撮影のあとは、握手よりもフリーハグでお開きでした。大使より別れ際に「若い人たちをしっかり支援してくださいね」と強く握手をされました。そこでシナヤカにハグをする機転が利かなかったので、次回の別の会合での愉しみに残しておきます。

「隗より始めよ(先従隗始)」。

本来の『戦国策』での郭隗さんの昭王への建策(就職活動?)の意味とは、異なった用法が一般化しています。曰く、大事業を起こすには、身近なところから着手するべし。言い出しっぺから動きなさい。
渡辺さんが、両国の関係はこのままではいけないと考えたこと(0→1)
身近な仲間が話を聴いてくれたこと(1→3)
3人が動き出して、賛同者が増え、分業が進んだこと(3→24)
更に賛同者が増え続けていったこと(24→150)

このプロセスはどれも重要ですが、やはり(0→1)に無限の可能性を感じます。

二日後の深夜にメールが届きました。
「突然の会場変更などありましたが、多くの方のご支援、ご指導により無事開催することができました。当日は、中国人学生30名、日本人学生30名の計60名の参加でした。当初、当活動には中国人学生109名、日本人学生41名の計150名が登録していました。ですので、報告会には100名ほどの参加を予想していたのですが、急な会場変更などで参加人数が減ってしまったのではないかと考えています。
ただ、当初予定していた100名の合唱を披露することができませんでしたが、私たちの想いは伝えられたのかなと思います」

太閤園、大横川、富岡八幡宮、柳橋「大黒家」店先、代々木上原からの小田急線沿線、茨木弁天と、今年は櫻に恵まれました。櫻狩の仕上げは北京西方の玉淵潭。金朝時代から続く景勝の地。石碑によれば、東湖と西湖に分かれた敷地北西の一角に、1973年日本から多くの大山櫻が植樹された、それ以降に山東櫻などを植え足して「櫻なら玉淵潭」と呼ばれるまでになったようです。
湖岸の八重櫻の下で、焼き栗を剥きながら、対岸から流れてくる毛沢東賛歌の懐メロ斉唱を聴くとも無く聞いていました。

                (注:在北京日本人大学生「その1」は、2014年1月17日のブログ、「国際」項で、
『北京たより』 骨格 その2 清華大学中日友好協会日本語スピーチコンテストに観る「骨格」、
として掲載されています。)(井嶋)

 

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■「僕らの日中友好@北京・我们的中日友好@北京」
・Flickr(写真):https://www.flickr.com/photos/109475294@N02/sets/
※これまでの活動全てを振り返ることが出来ます。
チェックしてみて下さい!

■「僕らの日中友好@上海・我们的中日友好@上海」※2013年3月に行った上海での活動
・优酷(映像):http://v.youku.com/v_show/id_XNjI4NDE2ODEy.html
・YouTube(映像):http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=jWOfNwIAzJc

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