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2015年2月21日

北京たより(2015年2月)   『年末年始』

井上 邦久

♪東京の空 灰色の空 本当の空を見たいと言う すねて甘えた

智恵子 智恵子の声が ああ安達太良の山に 今日も聞こえる♪

 

高村光太郎の『智恵子抄』を題材にして二代目コロンビア・ローズが唄った1964年のヒット曲です。ご存知の通り、初代コロンビア・ローズにはヒット曲も多く、なかでも『東京のバスガール』は小学生でも♪発車オーライ 明るく~明るく~走るのよ♪と唄い、映画でのサージの制服に感動した思い出があります。今は三代目がたまに「BS日本のうた」などで唄っています。さて、詩集『智恵子抄』は戦前の作品、その頃の東京の空は灰色だった。そして唄がヒットした頃の東京は光化学スモッグ前夜の時代でした。
この唄を思い出したのは、APEC BLUEから1ヶ月余り過ぎた年末の北京の空を見ながら・・・ではなくて、大倉明著『舟木一夫の青春賛歌』(産経新聞出版。2012年)の中に同じレコード会社の仲間として、二代目コロンビア・ローズの名を見つけたからです。

年末に研修の一環として「危機対応」の模擬記者会見の訓練がありました。現役記者から厳しい突っ込みや答えに窮する質問を浴びせられ、事後講評や心得伝授をしてもらいました。その場を設営し指導を頂いたのが大倉明氏の会社でした。
事前に配られた略歴には、「・・・夕刊フジ代表などを歴任。著書に『舟木一夫の青春賛歌』」と書かれていました。
研修後にご挨拶をして、本題の舟木一夫関連の突っ込み「一番お好みの曲は何ですか?」と質問をしたところ、大倉氏は淀みなく「『哀愁の夜』です」。当方からは「『水色の人』が好きです」とお伝えしました。

前者は舟木一夫自身が最も好きな曲だとされ、コンサートでは最後までお預けされて、観客はヤキモキ。フィナーレに前奏の口笛が流れると最高潮に。さらに原曲にはなく加筆された4番まで聴けた時は幸運に思う曲です。後者はデビュー曲『高校三年生』のB面の曲です。ともにバラード系で、舟木一夫の声質と解釈力と表現力が三位一体となった名曲だと思います。
大倉氏とは短い遣り取りでしたが、ピッタリの呼吸で切っ先が接した感動がありました。日を置かず「青春賛歌 大倉 明」と達筆で書かれた著者署名付きの本が届きました。年末年始の枕頭の書として昧読し、精神的な「危機対応」をさせて頂きました。

戦前の北京市井での生活者、中江丑吉の足跡を少しずつ辿っています。

秋には長富宮ホテルからも遠くない所に住居跡を見つけました。ただ、父親の中江兆民との関係を知らなくてはと、「咽頭癌のため余命一年半の宣告を受けた自由民権運動の指導者兆民(1847~1901)の遺書」と岩波文庫の表表紙に書かれた『一年有半』を探しましたが、本棚にも書店にもありません。
探し物は、探すことを止めた時に見つかることも良くある話という井上陽水(彼のルーツは兆民の忠実な弟子の幸徳秋水に繋がるらしい?)の教えにも随い、「困った時の後藤センセ」にお尋ねしたら、正月二日の初狂言の会場でヒョイと手渡してくれました。

自由党の変節や伊藤博文への批判などの社会批評とともに、文楽(津大夫、大隅大夫の語り、吉田玉造、桐竹紋十郎の人形、そして広助の三絃を神品と評価)に通い続けての批評、梅ヶ谷,大砲、常陸山の三横綱へのご意見・注文など、幅広い世界について談論風発。泰然冷静な本人以上に気丈な夫人にもさりげなく謝意をしたためています。
ただ兆民の病重篤なるを知らぬ子供達からの手紙に心動かされることもあり、時に丑吉十一歳。幸徳秋水が浄書、編集、巻頭に引(=はしがき)を記した「生前の遺稿」初版1万部は3日で売り切れ、23版20万部を売り尽くす世紀のベストセラーになったと解説に書いています。

この文庫本を携えて、文楽劇場での正月興行・国技館での初場所に参りました。
文楽の切符も後藤センセのご好意で、贔屓の富助の三味線を目(耳)の当りで聴きました。
人間国宝であった師匠の吉田玉男が逝って数年、春の興業でその名跡を襲う吉田玉女も白髪が目立つようになりました。師匠の代役などを忠実に務めてきた玉女さんもようやく男になり、吉田の立ち役の伝統を立派に継承してくれることを祈ります。

高校の同級生、金井良輔さんは毎年年始に神戸で個展を開きます。以前に頒けてもらっていた絵画も好きでしたが、最近は石と木の造形作品の展開に闊達な印象があります。「最近は創作が愉しくて仕方がない」と言う金井君の表情は高校時代に戻った気がします。「これも家内のお蔭」と昔はあまり聴かなかった同級生の雅子さまへの感謝を口にします。
雅子さまは芸術家のマネージャーとしてのしっかり者の顔と、文化祭でフォークグループのボーカルとして参加してくれた頃の表情を交互に見せてくれます。

お二人が拠点である四条畷から離れた神戸で、この時期に個展を続けるのは聴くだけ野暮の「鎮魂」に違いありません。そのお蔭で、今年も一日遅れでしたが、鎮魂の文字が刻まれた東公園の慰霊碑に赴きました。知り合いの名前を読み、多くの無辜の人たちに頭を垂れました。

新神戸駅で最近ごひいきの「味の幕の内」(淡路屋製。小豆ご飯、蛸めし、牛肉すき焼きなどどれも美味しくて、しかもお茶と一緒に買ってもお札のおつりがあるのが嬉しいです)弁当を買って、一路東京へ。

秋葉原で乗り換えて、両国駅は二駅目。駅の構内に飾られた大きな優勝写真額(今は三重の海、二代目若乃花、白鵬)の前を速足で過ぎ、枝豆・煎餅・清酒瓶を鞄に潜めて堂々の入場・・・切符モギリ担当の北陣親方(元麒麟児)から「今日は荷物検査を丁寧にしています。ご諒解ください」と小声の助言。確かに安全検査はありましたが、こちらは北京やウルムチでの安全検査に鍛えられているので、難なくパス。入り口が妙にガランとしているな? もしかして! 松戸大相撲同好会の皆さんに暖かく迎えられて、すぐに今日は4年ぶりの天覧相撲のようだと知りました。

そういえば私服SPが視界を遮り、座布団を投げないようにとの場内放送が頻繁に流れていました。下克上の番狂あわせのない順当な相撲が続きました。特に幕内後半から貴賓席に北の湖理事長がご案内してからは、いつもより仕切り時間が短く、力士も心なしかよそ行き顔でした。
確かに横綱が負けて、座布団が乱舞するとSPも理事長も慌てるだろうなあと思いました。百歩譲って蒸留水相撲でも可とした上での注文として、先代天皇のように土俵入りから立ち会って、横綱の四股踏みによる地鎮の祈りをともにして頂きたいと思いました。

前日は神戸での追悼慰霊の儀式で祈り、翌日は東京で大相撲が犯した八百長・賭博の禊が済んだお墨付きを与えるというお二人の日程もタフなものと思いますが。
好角家(相撲=角力)だったといわれ、植物学者としても「雑草と言う名の草はない」という言葉を残されたという先帝の時代のような緩やかな空気が少なくなっているのかも知れません。また競馬やサッカーに天皇賞・天皇杯があっても、天覧庭球試合は知りません。

同じく好角家の兆民先生なら、どのようなご意見を残したでしょうか?

青春の舟木一夫は奇跡の復活で死地窮地から甦り、現役歌手として古稀を迎えています。
白秋の中江兆民は堀内博士の見立て通りの『一年有半』でこの世を留守にしました。
鎮魂の形はさまざまであって良いと思います。
生き方は更にさまざまであって良いのだと思います。

日本の年末年始のあと、ウルムチ、大連、天津を巡り、北京や上海でも農暦の年末気分の中で過ごしながら、さまざまな想念が浮かびました。

昨夜の天津駅前広場からの月と星は切れ味のよい輝きでした。北京は快晴。空気汚染はなく、米国大使館発表も「GOOD」が続いています。高い煙突からの煙は直角に南へ向けて流れています。強い北風まかせの空気模様だと思います。本当の空とは思っていません。                             (了)

 

ps;
『KANO 海のむこうの甲子園』が1月末からロードショー。
台湾での大ヒットから1年待たされましたが、好球必打でお見逃しなく。