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2015年12月18日

中国たより(2015年12月)  『鴨緑江』

井上 邦久

11月末日、小春の上海から二時間、数日前の大雪が融けずに残る丹東空港に着きました。遼東半島の東の付根の丹東は、朝鮮半島の西の付根でもあり、黄海に注ぐ鴨緑江を挟んで向かいは北朝鮮の新義州です。東経125度近くに位置する中朝国境の丹東(同じ経度付近には長春そしてハルピンがあります)に定点観測のように足を運ぶようになってから数年が過ぎました。
中朝貿易の70%の貨物が通過する、或る意味デリケートな地域である丹東の縫製工場に専用ラインを設置しています。その為、安全保障貿易の管理規則遵守の確認が最大の出張目的となります。大連からも毎週のように担当者が丹東に赴き、管理動作を行っています。加えて今回のような出張監査によって、北朝鮮との禁輸法令に関して社内外の関係者への注意喚起やヒヤリ・ハット違反事故の抑止効果を狙います。

早稲田大学への留学後に、中国企業ではなく当社の大連現地法人で二十年余りの研鑽を積んできた副総経理と丹東での事業提携先のオーナーとの交流は到着直後の夕方から始まりました。時節柄、公的な立場の人たちとの従来のような交流は難しいことは承知の上でしたが、オーナーの尽力で、出不精・口篭りがちの昨今の市政府関係者とも面識を得ることができました。

面談前の時間待ちを利用してハイヤー運転手にそれとなく聴くと、最近の平壌(ピョンヤン)訪問の様子を話してくれました。国境の橋を渡った新義州で長時間待たされ、ようやく動いた鉄道は新義州から平壌までの300km弱を5時間余りかけて行く。線路の鋲が盗まれて緩んでいる、枕木コンクリートが劣化している、だから加速できない、と言われているとのこと。平壌はとても綺麗で清潔にしている、商品が飾られているようだが詳しくは分からない。巷間伝えられるように、平壌などの都市は見られて恥ずかしくないモデル都市であり、高官など選ばれた人たちの住む街、トイレットペーパーもある、とのことでした。

翌朝、3年前に訪れた黄金坪開発区(最近では自由貿易区構想)に向かうと、新設なったばかりの新鴨緑江大橋(3030m。中国が22.7億元出資)が見えてきました。警備員が一人だけ歩哨する小さなゲートを特別に開けてもらい、橋の半ばまで入らせてもらいました。積もったパウダースノーに轍が数本あるだけで、人の動きは未だなさそうです。橋の中央部にはゲートがあって北朝鮮側には入れません。中国側の橋のたもとには税関などの公的機関や物流・貿易企業のための高層ビルや物流センターが完成しています。しかし、12月1日現在は空っぽでした。脱北者は川向うで厳しく取り締まられ、中国から北朝鮮に逃げ出すような物好きはいないから、警備員は一人で十分なのでしょう。物好きな日本人は、河南省出身という若い国境警備員に御礼をしてから町中に戻りました。鴨緑江の上流側にある橋は戦前に日本が建設し、1953年に米軍の爆撃で「断橋」となり、現在は観光の目玉。その横に現在使われている鴨緑江大橋があります。

ちょうど一ヶ月前のソウルで、日中韓の経済フォーラムが開催され、来賓の三首脳のぎこちない握手が為されました。そのフォーラムで韓国の発言者は、日中韓三ヶ国による東北アジア開発の提案を行い、併せて「最近、北朝鮮に経済開放の動きがある」と述べ、この動きに三ヶ国が協調して対応しようと発言しました。
数ヶ月前に発表された「新義州経済特区」のことを指しているのか?もっと別の動きがあるのか? 少なくとも従来中国が自腹で受け皿を準備しているにも関わらず、北朝鮮が同じ平面でスイッチバックばかりしているように見えましたが、今回はどこが違うのか?と素朴に思いました。
美しい人工スキー場のような新鴨緑江大橋、一人だけの警備兵、ガランドウのビルを見る限り、これまでのパターンが踏襲されているように感じました。建造物だけは完成し、ヒトやモノの流れはこれから・・・の印象でした。

また日経ソウルの峰岸記者の情報によると、9月3日の北京式典に参列、10月10日の朝鮮労働党70周年記念式典では中国代表の劉雲山常務委員を接遇した崔竜海書記が、11月初めに地方農場に追放されたと韓国国家情報院が公表したようです。
2013年に同じく権力者の最側近で、中国との連繋窓口であった張成澤氏の処刑と軌を一にするのか?少なくとも中国との提携は後退するのではないか?
一方では、常に斬新な発想で新規開拓を続ける王正華氏が率いる春秋航空(本社;上海虹橋)が、週に4便の上海⇔平壌の航空路を開くとの発表に接したばかりです。

上記のことについて現地の人たちに聴いてみると、以下のような動きを知りました。

10月10日の劉雲山常務委員の訪朝時には、多くの提案項目が持ち込まれたとのこと。
中でも「一帯一路」構想を敷衍拡大した構想はスケールが大きく、釜山⇔ソウル⇔板門店⇔開城⇔平壌⇔新義州⇔丹東⇔瀋陽・天津・ハルピン⇔中央アジア・ロシア⇔欧州を高速鉄道や高速道路で繋ごうというもの。(3年前に板門店駅で、平壌行きの標識を現認したことを想起。また前述の11月1日のソウルフォーラムで聴いた発言の裏打ち?)

オーナー氏に新鴨緑江大橋はいつごろ本格稼動すると思うか?と問うと、「早ければ2016年」と即答。カンボジア等の諸国に分工場を設けるより、丹東の地の利と北朝鮮と韓国に繋がる人脈を活かした構想と願望に賭ける厳しい経営者の顔がそこにありました。
韓国経済の急減速の余波は丹東にも及んでおり、中国市場経済は「不楽観(楽観を許さない)」です。日本向けもアセアンとの競争で一進一退状態であります。平壌の大学を卒業したあと、ソウルの修士課程で学ぶ息子へのバトンタッチまで頑張る父親の顔も見ました。

丹東から高速鉄道で本渓まで1時間、瀋陽まで2時間そして大連には4時間半で到着。年内には丹東から遼東半島沿いのショートカット鉄路が完成して、大連までを1時間半で結ぶ予定とのこと。35年前に経済開放に踏み切った国のスピードを感じながら、ブリューゲルの「雪中の狩人」のような絵画世界を眺めました。窓景色の単調さとトンネルの多さもあったので、封切される映画を観る前に精読したかった『千畝In Search of Sugihara』(ヒレル・レビン著 清水書院)を手にしました。
口述歴史取材(オーラル・ヒストリー)手法重視の姿勢で、関係者を訪ねて世界を巡り(最初の妻が亡くなる直前に、オーストラリアの養護施設で「発見」して面談に漕ぎ着けたことなど)美談的、人道的な要素に流されない客観事実を優先する姿勢に終始していました。
杉原千畝がロシア語を学び、ロシア女性と結婚し、ロシアからの鉄道買い上げの折衝に心血を注いだ街、ハルピンへも今では瀋陽から2時間で着きます。

大連から東京へ移動した12月3日付けの日経新聞の電子版に、山口真典電子編集部次長による丹東に関する記事が掲載されていました。新鴨緑江大橋の写真入りで中韓物流ルートについても述べられていました。
物好きな日本人が自分一人だけなかったことが分かったので安心しました。

中国の「一帯一路」構想も結構なことです。韓国が景気梃入れと安全保障の横展開を期待することも有りうることです。それ以上に北朝鮮の物流門戸が開くことから経済開放が進展し、ヒトとモノの流れが隠れていた事象を明らかにしていくことを切に念じます。      (了)