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2018年3月11日

風 化 ―7年の歳月[3・11]―

井嶋 悠

私の誕生は1945年(昭和20年)で、その1945年を起点に、前後の東京大空襲、45年8月6日の広島と9日の長崎、また1995年阪神淡路大震災、そして2011年3月11日の東北大震災の人為災害、自然災害を思い浮かべてみる。

「風化」を嘆き、危機感を募らせる人が増えている。そうかもしれない。しかし、例えば福島原発被災報道のカメラの前で、「同情するのは止めてください」と毅然と言った女子高校生、そういった若者たちが在ることに思い及ぼして欲しい。
時の経過は風化を惹き起こすが、直接間接問わず己が心に刻み込まれた事実、場面は決して消えることはない。日々のあれこれに追われ、振り回され、忘れているように見えるだけで、健康、年齢、時間等様々な事情から具体的行動に到り得ない人たちは大勢いる。私の娘もその一人だった。どれほど病を責めたことだろう。自身にできる方法を模索し何もできず苛立っている人も大勢いる。

世を主導する(或いは「一将功成りて万骨枯る」を地で行く)政治家の「最重要・最優先課題」との「最」表現のあまりにも初歩的な語法の誤り。対する人(人々)への愚弄。その政治家たちも(!)風化を嘆く。何という滑稽。自身の発言が風化以外何ものでもないことに気づいていない。古今東西、政治家とはそうなのだろうか。東西、政治家を論ずること自体の大愚を言う人もあるが。
と言う私自身、自身で気づかない内に幾つもの幾つものの風化を犯している。

私の息子と娘は、兵庫県西宮市立の小学校を卒業した。
(余談ながら、塾教育あっての進学(教育)の現代に懐疑的な二親の下に育ったせいか、二人とも大学以外公立校で、にもかかわらず私の生涯の勤務校はすべて私立校である。)閑話休題。
18年ほど前、娘が小学5年生ごろだったか、海外日本人学校長勤務を終え、娘の小学校に赴任して来た或る男性校長、初日の全校朝礼で、開口一番「グッド モーニング[Good Morning]と意気揚々満面の笑みで雄叫びに及んだ由。
娘曰く、ほとんどの児童は苦笑失笑し「ドン引き」したそうな。(因みに、ドン引きという表現、想像すればするほどおかしさ、馬鹿馬鹿しさが広がって愉快な表現だ。)ただ一方で、1年生の「この人誰?」のキラキラ輝く好奇心の眼も浮かぶが。

帰国子女教育に係わった一人として、この場面は(そこに居たのは娘であるが)、風化せずに確実に私の中に在る。アメリカ現地校からの帰国生徒が話してくれた「アメリカまで来てアジア人とは付き合いたくはないわねえ」との母親たちの発言への疑問と併せて。

阪神淡路大震災で、自宅から徒歩10分足らずの川での10数人の生き埋め死の場に立っていた私。神戸・長田地区崩壊の復興と現実にみる人間的なことへの欠落。
唯一の被爆国にもかかわらず、現核保有国(ロシア・アメリカ・フランス・中国・イギリス・パキスタン・インド・イスラエル・そして北朝鮮)を横に置いたままでの日本の、アメリカ隷属追従そのままの「核兵器禁止条約」反対の不可解。
これらは、私の中で静かに沈潜し、日本の危機と不安へ駆りたてる。「日本ってこういう国なのか」と。相対評価ではなく、絶対評価として、人間の奥知れぬ美醜様々な心と行いを思い浮かべながら。
しかし、それらに係る具体的行動(形)のなさから、非現実的不見識、机上の戯言として「風化加担者」として指弾されるのだろう。
「歳月人を待たず」。時間は無気味なほどまでに端然と前へ前へ進み、人は死と生を繰り返し、時に現実のあまりの重さに言葉を喪失するが、しかし言葉を探り、蘇生、再生、新生される。

東京都中央区銀座五丁目1番13号。ここに明治11年創立の、東京23区で居住人口が最も少ない千代田区の次22番目の中央区の区立泰明小学校がある。
先日来、イタリアの高級ブランドの制服話題で、賑々しい小学校である。学校区は「銀座1丁目から8丁目」だが、転入等で学校区外から入学希望者も多く、最後は抽選で入学者を決めるとのこと。

「お受験学校」との通称を聞いたことがある。人生最終目標かのように、有名(或いは高偏差値)大学を目指して、中学校高等学校は私立校を当然とする経済的に裕福な家庭(保護者)の子弟子女が集まる学校とのこと。
これは私立校での例だが、関西の某小中高校一貫教育を標榜する学校では、小学校6年次、他校(私学)入試のための塾集中受講により、学校授業が成立せず三学期は自由登校にした。
泰明小学校は、さほどでもないようだが、その系列にあると言えばあるのが現状のようだ。

それこそ“世界”の銀座の、しかも日本一地価の高い銀座4丁目近くにある、由緒正しき、きらびやかなイメージに彩られた学校。記者会見での、校長の制服の教育効果に係る矜持溢れる自尊対応。生活居住者が確実に減少している銀座。しかし入学抽選競争率は数十倍とか。
隣接する幾つかの区の「貧困世帯の子ども」の本人、保護者は、また生活保護受給世帯が最も多い足立区の子ども、保護者は、せせら笑う以外に何があるだろう?
3代続く江戸っ子で「女子はサアサア言葉を使うな」との躾を受けて育った私の妻は言う。「くだらんっ!今の軽薄日本の象徴!恥ずかしいっ!」
その妻は58年前の泰明小学校の卒業生の一人で、6年前に娘を亡くして後、ふと口にする言葉。

「小さな子はかわいそうだ。日に日に、年々、汚れて行く。」「汚す」主語は私たち大人だ。それとも、「汚れて行く」は大人への必然的道程…。

この制服問題、既に導入され、いつものようにうやむやになりつつある。風化……。

泰明小学校のことをインターネットで調べていて、卒業後の質問をする入学希望者保護者に、次のように回答する保護者(おそらく母親?)を知った。今回の制服導入について賛成派も多いそうだが、この保護者は、どのような見解を持っているのだろうか。回答を引用する。

【回答】

公立進学のお子さんもっといましたよ(私立進学が9割近い旨聞いているとの質問者に対して―引用者注)。 私立6割くらいかな。 最近増えてきているのでしょうか?
一応公立中高一貫だけ受けて、駄目なら公立というお子さんもけっこういました。 自宅から通いやすいのならいいと思いますが、受験に強いというのは違うと思います。 熱心な家庭の子が集まっているので受験率が高いだけ。 実際の受験勉強は塾で学校は関係ありません。
最初から私立受験を決めているのなら、学区内の普通の公立小の方が学校の宿題もないので塾の宿題に時間をさけるし、学校では受験のことを忘れて気分転換できていいという考えもあります。
自宅から遠いのにこちらに通わせ中学受験をする意味は私にはわかりません。 10分でも惜しい6年時、自宅→学校→塾で体力的にも時間的にも無駄ですし、6年時は学校でも受験の話題ばかりで精神的にも気が抜けません。
1.自宅から遠いが、公立小でしっかりした教育をうけさせ、中学もしっかりした公立でいい。
2.自宅から近いのでこちらに通い私立中学受験を頑張る。 こちらに通うなら私ならこのどちらか、かなと思いますが、いかがでしょう?