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2018年6月28日

大人(おとな)になる・大人である

井嶋 悠

2020年から、成人年齢が、欧米の多くがそうであるように、18歳に引き下げられることになった。私たち[日韓・アジア教育文化センター]の仲間である韓国・中国は20歳のままであるが。現代の社会状況また教育事情、更には情報〔過多〕社会事情からも得心できる決定だと思う。

今回、「大人(おとな)」各人各様、世代、考え方、生き方によって「理想の、或いは善しとする大人像」は違うと思うが、私の大人像について自照整理したい。これも、数限りなく過ちを犯し、やっとのことで得つつある心中の、「他山の石」「人の振り見て我が振り直せ」である。

10年ほど前の発言である。
「最近、地下鉄などで老人に席を譲る若者が減りましたねえ。」
発話者は、私より少し若く、韓日で敬愛され(世代交代から主に50代以上の人々から)数年前に定年退官し、今悠々自適の日々を過ごしているソウルの高校の韓国人男性日本語教師である。彼は【日韓・アジア教育文化センター】の役員でもある。
その彼は続ける。「譲られる老人にも問題がある。譲られて当然との姿勢。そのことへの若者の反感反撥がある。韓国は儒教の国と言われているのですがねえ。」

 

「老人」を“印籠”とするかのように、社会的弱者であることに同情を寄せさせ、己が絶対の聴く耳持たず、持論を滔々と弁じ、傍若無人な振る舞い、障害者等に該当しないにもかかわらず優先駐車場に車を停め等々に、日本で、現住地で少なからず出会った高齢化大国日本の末席を汚す私は、彼の言葉に同意同感する。
これらは「好事門を出でず、悪事千里を行く」の類と思いたいが、併せて、昔は云々、とか田舎の人は善良だ、といった例の文言を言うつもりもない。それらは或る偏見だと思っている。
私たちの家は、関東北部の豊かな自然に囲まれた清閑の地にあり、この地域の居住者は10世帯。半数は移住者で、後の半数は地元の人である。移住者の4世帯は首都圏から(内1軒は別荘)、そして私たち関西からである。最近こんなことがあった。
この1年程野良猫が3匹居ついているのだが、その理由は首都圏からの移住者2人にある。1人は時折来る別荘族の老人(男性)で、来ては餌を与え己が猫愛を言い、もう一人は50代後半の男性で、こちらで単身〈家族は東京〉仕事をしている。後者は、不在中の昼になると「にゃんにゃんにゃん」と自分で吹き込んだテープを定期発信している。(さすがに今は止めている)
私たち夫婦は、その無責任に憤っているが、直接に言えず、そうかと言って市役所に言えば密告者として直ぐ特定され不快になること明々白々。
そんな中、先日6匹の子猫が現われた。当然、実に可愛い。私はひたすら抑制し、眼が合っても無視し近づかない。心切ないのはもちろんである。しかし二人とも一切知らぬ態である。二人は、それぞれに社会的上層人(何をもって上層とするかがあるが、ここでは富裕者としておく)で、一人など某国の子ども支援をしていてそれを吹聴している。
尚、私たち夫婦は、結婚以来継続して犬を飼っていて、現在5代目である。

気になって、犬や猫の「殺処分」の実態を確認してみた。
2015年度の殺処分数は、約8,2万頭(現在、哺乳動物は匹ではなく頭を使うようだ)[内、犬が1,6万頭、猫が6,7万頭。]1日に換算すると225頭。それでも自治体や民間団体の尽力で10年前の3分の1に減少しているとのこと。
放置し、殺処分に到る理由について、この調査では以下のように記されている。

『やむを得ない事情もあるかもしれないが、大半は人間の身勝手な都合による。例えば、引っ越し先に連れて行くのが面倒。世話が面倒。避妊手術をせず無計画に産ませた。可愛くなくなった。飽きた。』等々。

上記二人は、身勝手の一つの極ということだろう。
以前、殺処分の任にある人が、インタビューにその身勝手を怒っていたことを思い出した。
そしてペットショップでは、犬や猫が高値で販売されている。都心の店で、子犬、子猫が40万円50万円で売られて(この言葉自体、非常に抵抗があるが、そのまま使う)いるのを見たことがある。

一方で、東京都内でさえ問題が顕在化しつつある家庭の、子どもの貧困。更には、しばしば指摘される世界の子どもたち、大人の、貧困と内戦等による飢餓、命の危機の現在。
錯綜、不明の時代、現代……?否、永遠の!課題、難題。
高齢化と少子化の途を突き進む日本にあって、アメリカ・中国・ロシアの「大国主義」と一線を画し、「小国主義」(田中 彰[1928~2011]日本近代史研究者)「小国寡民」(老子)の再検討の時機ではないか、と思ったりもする。
反面教師だった一小市民の反時代的意見?

土地の人から「首都圏から来て山中に犬を棄てて帰る人がいる。」と聞いたこともある。他にも、大型家電製品を廃棄する人もあるとか。
言うまでもなく、ここで言う「人間」とは「大人」である。そして老人は、大人の先輩格である。

【付記】犬の養育には非常に経費がかかり、それは猫の比ではない。そして私たちは最近保険に入った。世は“癒し、癒し”の時代!?保険をもっと充実、拡大すべきと実感として願う。

いささか唐突、牽強付会の感を持たれるかとは思うが、犯罪統計を見てみる。
報道等を見聞きしていると、犯罪の過多を印象づけている人は、私も含めて多いように思うが、実際は逆である。例えば、私が25歳の時の1970年と今(2016年統計)では、特異な犯罪(例えばオウムサリン事件や相模原障害者施設殺傷事件)はあるが、刑法犯罪の全体数及び人口10万人中の発生率もおおむね減少傾向にある。「オレオレ詐欺」等の詐欺犯罪も。
なぜ過多の印象を持つのか、マスコミの取り上げ方(劇場型?ドラマ嗜好?)なのか、政治(家)の意図なのか(不安を煽ることでの支配管理指向?)、国際化のなせることなのか(不法外国人への転嫁?)…。
「島国日本」の長い歴史の自省と試練の過渡期なのだろうか。
いずれにせよ子どもに与える影響を思えば、すべての責は大人にある。
ところで、著しい増加傾向にあるのが「児童虐待」である。つい先日、あまりにも酷(むご)く哀し過ぎる『結(ゆ)愛(あ)ちゃん虐待死事件』があり、逮捕された父母は何を語っているのだろうか。
このことについては、私の教師及び親の体験からいずれ整理したいとは思っているが、ここでは参考に統計数字を挙げ、専門家の一節を引用しておく。

○相談件数  1990年    1,101件

2016年   122、578 件

虐待死   2012年   99人
(内、虐待死 58人  心中死 41人(この数は、2006年の142人をピークに以降、増減を繰り返している。)

○川崎二三彦氏・児童福祉司(1951年~)著『児童虐待』のまえがきより。

「保護者は子育てのさなかに、なぜかその子を虐待してしまい、虐待を繰り返しつつ日々の養育にたいへんな労力を費やす。他方子どもは、虐待環境から逃れたいと切に願いながら、同時にその保護者から見捨てられることを恐れ、あくまでも保護者に依存して生きていこうとする。だから児童虐待は、保護者にとっても、また子どもにとっても大いなる矛盾であり、必然的に激しい葛藤を引き起こさざるを得ない。」

「児童虐待の問題は単に関係者、関係機関、あるいは専門家等に任せるだけ
では決して解決するものではないということだ。児童虐待を生み出したのがわが国の社会だとしたら、それを克服するにも社会全体で取り組む、つまり私たち一人ひとりがこの問題に真剣に向き合い、考える必要があるのではないか、と私は思う。」

様々な場面、世相を通して、現代の大人は「カルイ・カルクなった」との苦言を聞くことは確かに多いが、では昭和の、大正の、明治の、江戸の……時代の人は[重厚長大]だったかどうか。先の犯罪統計と同じで、安易に言い切れるものではないのではないか。平成の30年間を迷宮の時代と言う人があるが。
ただ、情報の溺死寸前ほどの氾濫状況、匿名による責任回避の誹謗中傷の無軌道(と言う私は、現政府等のように制度化、管理化推進者ではない。だから難しさを一層思う)、また時間の余裕の無さは、過去にはなかったことだけは確かだろう。
メール等現代情報機器を使った陰湿ないじめ(子ども同士、大人同士、大人の児童生徒学生への)、そして自殺。石川啄木の「はたらけど はたらけど猶わがくらし 楽にならざり ぢっと手を見る」と状況等は違うが、経済大国にして先進国を喧伝する日本での[ワーキングプア]。

次代の日本は、18歳で社会的に大人として承認された若者に始まり、現20代30代40代50代60代の人々によって創られる。70代の私やそれ以上の世代は、それをあたたかく見守ると同時に、己が正負行為からの自照の言葉を送り、託し、何かの役立ちを願う立場にある。
もっとも、小学校同窓の一人(女性)は、病を抱えながらも、土日以外は毎日午前2時に起床し、自転車で仕事場に行き、現場を夫と切り回し、家事も疎かにすることなく精励している。
先日、或る70代後半の女性国会議員が、テレビ取材で意気揚々得々と現役宣言をしていたが、世の「定年」という現実、それぞれの場・世界で、悲喜こもごも心身尽くして来た人々を無視したかのような発言に、国政に係わる人の尊大傲慢を痛感した。大仰に言えば、そこに日本の病巣を見た。先の同窓生との質の決定的違い。

時代を、世相を端的に表わすと同時に、次代の創造の礎である「教育」に思い到らざるを得ない。
その私は、教師失格を自認しているにもかかわらず教育に発言しているのは、27歳の大人時から33年間の体験(私学中高校3校での専任教諭生活)が、“私の言葉”を少しは持ち得たと思っているからで、それは「反面教師」からの自照自省であり、且つ息子と娘の親としての自省の基でもある。

人間として生を得たからには、様々な欲望と自我との間で闘う宿命を背負わされていて、そこから逃れられるのは、自己鍛錬(様々な修業)か死以外にはない。葬儀の際の「お疲れ様でした。ゆっくりとおやすみください」の重い響き。
私をはじめ多くの人々は、とりわけ大人は、どこかで折り合いをつけ文字通り懸命に、一喜一憂日々刻々悶々悪戦苦闘している。私の投稿は、教師として過ごした、また親として過ごして来ている自身の整理であり、生への、自我への執着であり、そのための折り合いと言ってもいいかもしれない。

「五慾」と言う言葉が仏教にある。「五」は地球上の[木・火・土・金・水]と、天と地の交錯を表わしていると言う。「業(ごう)」と言う言葉がかすめる。

【参考】五慾
5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形態のある物質 (色) ,音声 (声) ,香り (香) ,味,触れてわかるもの (触) をいう。これらは,欲望を引起す原因となるので五欲という。財欲、性欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲の五つも五欲という。

 

大人(たいじん)になることは、難行だが憧憬でもある。しかし私は、それにはほど遠い小人(しょうじん)である。時には小人こそ人間らしいと居直ったりもしている。そんな折、この地への移住を決断した妻、それに何ら異議を示さなかった私。「婦唱夫随」。
得た座学ではない学び。自然の体感。そして6年前の娘の死。自照自省への意思が頭をもたげ始め、投稿をはじめて3年が過ぎる。と言って小人を脱け出たわけでもない。ただ私の中で何かが変わったとは思っている。

現職時代、議論の大切さを唱えながら「聞く耳持たず」の独善家、社会変革を言いながら「事大主義者」、慇懃無礼な何人かの大人(おとな)(教師)、それも社会的地位のある人々や、生徒を直接間接にハラスメント対象とする大人(教師)に出会った。小人を棚に上げ、強い苛立ち、憤慨を、そこから嫌教師観を持ったが、今、幾つかの心の層を経て、少しは澄明度が増したのか、その人たちは私の心から消えつつある。遅ればせながら、である。
因みに、前者の大人について言えば、内二人は、辞職を決意させるほどに私の人生を大きく変えた人たちである。

完全な或いは完璧な大人など、世界広しと言えども無いと思う。あれば神も仏も無いはずだから。
かの一休禅師は「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」と言ったそうだが、死に際し、盲目の側仕えの女性(森女)に「死にとうない」と言ったとか。

精神的視点からの「大人像」(条件)を記した文章(筆者不明)から、要点を順不同で挙げる。

《成熟している、思慮分別がある、感情的でない、単眼的でない、長期的大局的判断ができる、自立している、言動行動に責任が持てる、自律できる》

どうだろうか。要は、寛容にして泰然自若。これまでに出会ったそういった人たちの貌が浮かぶ。
ただ、己に照合すると、引用した言葉自体の意味確認も必要であるが、それぞれ反対表現を考えると茫然自失、頭がくらくらして来る……。
大人になって半世紀余り、大人であることの難しさ。

2018年2月13日

『日韓・アジア教育文化センター』回顧   ~韓国・高校・日本語教科書DVD制作の節目に感謝をもって~

井嶋 悠

                はじめに

昨年(2017年)夏、7回目[内、6回は本センターの仲間で、日韓を越えて対話の出来る韓国人男性の高校日本語教師・朴(パク) 且煥(チャファン)先生が主幹で、1回は中学校用を含む。もう一件は、急な事情でセンターの仲間ではない別の韓国人日本語教員主幹のもの]となる、韓国の高校用日本語教科書映像版【DVD】制作に携わった。
[附:文末に撮影の「実際」のリンク先を掲示]

 

私にとってこの活動[事業]の最後になると考えていて、また朴 且煥先生も恐らく最後の教科書執筆になるだろうと話していたこともあり、一つの節目として、今回この撮影活動の顛末と私感をまとめることにした。
これが、現在の日韓問題への、また“未来志向”への日本での有用な参考となることを、更には日本として、アジアを、「国際」を考える何らかの示唆となることを願っている。

 

『ソウル日本語教育研究会』との出会い、或いはDVD制作に到るまでと私

そもそも『日韓・アジア教育文化センター』なるもの、少数の限られた人だけが知る、いわゆる知る人は知る、知らない人は知らない存在ではあるが、発足者の一人として自己史と重ねた概要を記す。本センターの骨格の一部であるとの自負も含め。

尚、活動内容、活動実績の詳細は、ホームページ【http://jk-asia.net/】を視ていただければ具体的且つ全体的に理解いただけると思う。

Ⅰ 或る学校法人理事長の厚意、或いは苦境が幸いをもたらす

日韓・アジア教育文化センターの源流は、1990年までさかのぼる。
当時、私は公務の、それが私事にまで及ぶ自身が招いた艱難辛苦を実感する時期にあった。その時の支えは、私の公私すべてを呑み込み、言葉で表わすことなく、日々を『一日生涯』精神そのままに、二人の幼少児の母親である妻であり、幽かに光明感じさせる言葉を与えて下さった数人の方々である。

私が自身を「日本語知らずのモノリンガル国語科教師」であることに、身をもって知らしめたのは、ひときわ偏差値の高い生徒が集まる女子中高校に赴任したこともあるが、外国人高校留学生やインドシナ難民への日本語教育体験、また帰国子女教育の体験が大きい。
それがあって、私は国語(科)教育と日本語教育(日本語を第2、第3…言語とする人への教育)の、“タテ(縦)”のつながりではない、“ヨコ(横)”のつながりからみえて来る国語(科)教育の在りようを考えたい、と小中高大のごく一部の教員と研究会『関西日本語国語教育研究会』を発足させ細々と活動を続けていた。尚この国語(科)教育と日本語教育の関係は、今もってタテ関係、別領域として当然のように意識されている。

一方で、私の教師原点である勤務校から、夢を追って飛び出したはいいが、赴任先の校長とその人物に追従(ついしょう)する一派の社会的虚偽に強い懐疑を持ち、彼らから言わせれば後ろ足で泥をかけるようにわずか2年で退職した。
しかし、組織の不可思議さとでも言うのだろうか、退職したにもかかわらずその学校を含む法人(小学校以外、幼稚園から大学までを開設)理事長の厚意で、法人全体の『国際理解教育センター』を創設し、非常勤講師として同法人の別の高校に在職し、家族の糊口をしのいでいた。

そのような折、二つの貴重な機会を、やはり理事長の厚意で持つことになる。
一つは、1993年、韓国との出会い。
一つは、1995年、カナダでの福祉教育或いはその社会的実践の見聞。

Ⅱ カナダの障害者教育と実践の見聞[1995年]

後者は、カナダのモントリオールを基点に、主にダウン症の青年たちで構成されるレストランと彼らによる影絵ミュ-ジカル上演事業〔団体名「Famous People Players」〕活動である。本国だけでなくアメリカの心ある人々に支えられ、ブローウエイでの上演実績もある。
私に与えた感銘は大きく、彼ら彼女らから、阪神淡路大震災(1995年)で浮かび上がった社会的弱者の問題への啓発を得たく、日本(神戸)招聘を試みたが、私の能力、力量を遥かに越え、私の中では頓挫した。ただ神戸の福祉団体・機関の尽力で来日が実現した。このような事情から、それがどのような波及効果をもたらしたかは詳らかではない。

Ⅲ 『ソウル日本語教育研究会』との出会いと『日韓・アジア教育文化センター』発足へ

1990年、一衣帯水の韓国・ソウルで日韓国際理解教育(或いはオープン教育)が開催された。
ここで言う国際理解教育とは、『国際理解教育事典』(1993年刊)の「国際理解教育の目的」から要約すると、「宇宙船地球号」の一員として「経済大国」の日本は、何をしなければいけないのか、どのようなパートナーシップをもって、国際意識を育成するのかをテーマとした教育なのだが、私は参加を希望し理事長の許諾を得た。
しかし、「国際(社会・人)」の意味理解が不十分だった私は(今は私なりに得心できる解釈要素はあるが)、世界の日本語教育の約40%を占める東アジア地域の中等教育機関[中学校・高等学校]で最も多い韓国の現状を、この機会に知りたく思い、韓国人日本語教師の紹介を知己の日本人教育研究者に依頼し、実現した。
そこで出会った一人が、創設間もない『ソウル日本語教育研究会』の役員で先の朴 且煥先生である。この出会いが、中国や台湾の日本語教師との出会いにつながって行く。
『日韓・アジア教育文化センター』の名称由来が理解いただけると思う。
名称決定時「教育・文化」との思いもあって、以後1994年から始めた「日韓韓日教育国際会議」「日韓アジア教育国際会議」では、2011年まで続き、広く文化視点からテーマも採り入れている。

その時、私の心底に岡倉天心の『東洋の理想』の冒頭に触れた時の興奮、また鈴木大拙の「日本的霊性」との言葉への直覚が、夢想的憧憬として非現実性を重々承知しながらも横たわっていた。
と併せて、江戸時代の朝鮮通信使一行と彼らを迎える江戸の人たちを描いた木版画に登場する、好奇心(野次馬性)と感嘆の一市井人と同様の感情。

ここであの「大東亜共栄圏」に触れておく。
「あれは当時の私たちにとっても理想だった。ただ日本は行動において大きな過ちを犯した」
これは、阪神地域の大韓民国民団の、阪神淡路大震災で心身疲弊の極に達した親交のあった或る団長の言葉である。

【余談・後日談】その1

朴 且煥先生ともう一人の先生との夕食後の言葉。「会長命令で女性[ホステス]のいる酒席への案内を言われている。いかがでしょうか。」との問いかけに私が辞退したところ、「これまでに来られた日本語教育関係日本人は、ご自身から願われる場合もあったのですが……。」と。
朴 且煥先生曰く「お断りにならなかったら、今日の交流、協働はなかったかもしれない。」
私たち相互理解の会話の唯一無二の潤滑油は酒で、その場には女性教師もいた。

Ⅳ 映像作家たちの出会い

1994年に始まった交流(国際会議)の過程の中での、若手の映像作家たちとの出会いが、或る時の会議の映像記録制作となり、それが教科書のDVD制作につながって行く。
その作家たちとの出会いを創ったのが、苦境を経て当時『新国際学校』(2001年に日本で初めて創設された、私学一条校《私立学校》とインターナショナルスクールとの協働校)と称されていた中高校在職時に出会った、インター校在籍のS君である。彼は卒業後、ニューヨークの大学で映画を学び、帰国し、東京で活動を始めていた。
更には、初期の会議での朴 且煥先生の模擬授業「歌って学ぶ日本語」の講師をしてくださった方も、先の知己の人の働き掛けで実現し、その方とは現在も交流が続いている。

【余談・後日談】その2

S君との出会いは、彼が中学3年次での日本側の国語授業への参加〔彼の父は日本人・母はイギリス人〕と、在籍の大阪インターナショナルスクール(第1言語、共通言語は英語)で実施されていたIB[国際バカロレア]教育課程での「日本語」である。
ここ数年、IB教育が一部の教育関係者で話題になることが増え、本来はフランスが出発点で、世界の多くのインターナショナルスクールで展開されているが、日本の私学一条校でも採用されつつある。
ただ、その相違については、「日本語」プログラムが或る条件のもとで実施されているとは言え、十分な検討、確認が必要であろう。尚、昨年(2017年)日本で「IB学会」が創立されている。
日本で、10数年前、「横断的総合的学習」(総合学習)が導入されたが、「ゆとり教育」総批判と歩調を合わせるように過去の遺物と化した感がる。とりわけ「横断的総合的学習」(総合学習)にはIB教育に通ずる内容もあり、小中高校一体で考えなければならないにもかかわらず、それぞれの現場任せにしての対症療法的施策には、他の施策同様、日本の限界を感ずると言えばあまりに傲慢か。

日本語教科書映像補助教材[DVD]制作

韓国では、大統領が替わる毎に、教育課程の見直しに合わせ、教科書の改訂が行われ、その都度、教科書編集と新たなDVD制作が必要になる。ただ、DVDはあくまでも補助教材であり、編集・制作の必要条件ではないので、筆者や出版社によってはないところもある。
改訂とは言え、根幹はほぼ同じで(中学校用も含め)、日本への1年間の留学生(女子生徒)を中心に、学校・ホームステイ先・街等での、様々な会話で日本語基礎習得が図られる。

以下、撮影に入るまでの経緯と私なりのコメントを記す。
撮影日数は3日~4日に凝縮して行われる。多くは11月~12月にかけて。一度だけ夏に撮影。
スタッフは、先述したS君を端緒として知り得た、映像作家、デザイナー、著述業等5人で、彼らはすべてフリーランスで活動している。

学校探し[発音の関係、東京の街であること、との希望から首都圏に限られる]

受け入れ校(撮影許可、協力校)が決まれば、3分の2が達成できた感があるほどであるが、それは言い換えれば最大の難関でもある。国際交流団体、機関に打診、依頼する方法もあるが、私自身が意思疎通に不安を持つこともあり、それは最後の最後の手段と考えている。主人公の留学生役は、許諾いただいた学校の生徒を基本に決定するが、希望者等ない場合、一度、外部機関(例えば、日本語学校等)に打診し、選出したことがある。(有償で)学校関係での撮影内容 [以下、その都度いささかの変更もあるが、基本共通事項を記す。]
そのような中、埼玉県内の公立中学校・高等学校、神奈川県内の高等学校、東京都内の私立高等学校に、知己の教員の尽力で実現した。
基本は、これまでに出会った学校関係者で、私たちの良き理解者への打診であるが、私の教職時代がすべて関西であることもあって、首都圏の場合、非常に限られて来る。

※ホームルームクラス
※職員室・図書室・保健室等
※部活動
※昼食(食堂)
※登下校

【許諾された校長からの苦労談】

○学内協力者(生徒・教職員)の決定

○交流が韓国となることでの保護者会の不一致[嫌韓・反韓感情…]

○ホストファミリイの決定(保護者会への依頼)

○教職員、保護者への周知徹底と合意形成

○学外撮影(羽田空港・浅草等都内)での引率問題

○公立校の場合、教育委員会との連絡、手続き

 

ホストファミリでの撮影内容

※父母兄弟(姉妹)との会話、また外出
※食事場面

【許諾された家庭の苦労談】

○父母の出演[不可の場合、学校教師も含め外部者に出演依頼した
ことがある]

○食事等での材料また出前等調達
[ほとんどの場合、私たちが事前に購入準備]

○韓国側の希望部屋への対応[時には若干の模様替え。
もしくは学校内の和室等を代用]

 

街中での撮影内容

※祭りと露天(夏祭り、たこ焼き等)
※食事(お好み焼き、カレー等)
※部活動試合
※見物(浅草、スカイツリー等)
※空港での送迎

【スタッフの苦労談】

○事前場所確認と場合によっては事前予約

○撮影の際の関係者以外の人々への細心の注意と配慮

○時期外れ(部活動試合、祭り、露天〈金魚すくい等〉)の場合の写真
との合成作業
[金魚すくいの場合、スタッフが金魚卸店を事前に見つけ、そこで
撮影(冬期)]

○撮影器具等の管理と運搬

 

《撮影終了後の韓国・出版社との編集作業に関して》
これは、上記スタッフの監督が中心となって行うが、韓国の「直近文化」(これはこれまでの経験で、何事も直前に怒涛のごとく行動するのが韓国国民性と思える、私の勝手な表現)と日本的慎重さと締切の問題から、なかなか微妙な問題を抱えることになる。
経費問題
これまで為し得たのは、先述のスタッフ5人の理解と献身、そして出演等、時に無償で、受け容れて下さった方々の協力以外何ものでもない。

日本円と韓国ウオンの交換比率が概ね1:10の経済事情、及び教科書出版会社[韓国]の予算構成から、制作費は出版社予算と日本の一般的予算はほぼ1:2で、妥協点をどこに求めるかが、現実的なもう一つの大きな課題となる。

撮影は数日の限られた時間だが、その瞬時々々の何と濃密なことか。終了したときの安堵と喜びと疲労がそれを証している。
私の役目は、無事故で終わるよう遠目から見守ること、休憩時、昼食時に買い出しに行ったり、会計をすること、そしてロケ隊が出掛けたとき荷物の見張り番留守番役といったところだろうか。
私の到らなさからの関係者への失礼、失態は察して余りある。
一方、
出演を承諾した生徒たちの活き活きした表情。監督・スタッフの指示を聞き、心から楽しむ姿。DVDを見聞きしはしゃぐ韓国の高校生の姿が眼に浮かぶ。無意識の国際交流の実践。

或る協力校で教員が言った「この子たちは褒められたことがないんです」との言葉の重たさ。

出演した高校3年生の或る生徒が言った「まだ将来の見通しが立たない」との言葉の重たさ。

協力くださった学校関係者、それ以外の方々への深い感謝は、あらためてここでことさら言葉に表すまでもないだろう。
私の教師時代とそれ以降の私を、幾多の様々な貌(すがた)を思い浮かべ静かに省みる時間を持てる幸い。

ありがとうございました。

 

DVD内容のリンク先   https://vimeo.com/255377059/ca13e62d62

2017年5月17日

[犬好き・猫好き] ―元教師の学校回顧方々―

井嶋 悠

プッシィ キャット[pussy cat]。かわいい人(主に女性への呼びかけ)[『グランドセンチュリ英和辞典(三省堂)。]「主に」との真意も、せいぜい「かわいこちゃん」ぐらいしか知らないが、子猫のあの表情、姿は犬に優るように思う私は、しかし犬好き“派”である。時の流れは、愛も変容するとは言え、「かわいさ」に上下区別などあろうはずもないが、である。このかわいいを、漢字交じりにすると「可愛い」。「愛」を[いとおしい・かなしい]の両意を想う私としては、それが「可・できる」との変換には、ふと微笑みが起こる。
その私は40歳前後以降犬を途絶えることなく飼い、今、1歳の男の子がいる。夫婦で「私たちにとって最後かもしれないね」と言いながら。

因みに、先の英和辞典で[cat]を引けば、二つ目の語義に「意地悪女」とある。意地悪、とは凄いが、世智的に賢い人は、男女を問わず概ね意地悪とも思える。もちろんこれは私の劣等心の為せる独善で、女性の強さへの男性からの一方的的印象に過ぎないが、“母性”を憧憬する男性に共通するのではないかとも思ったりする。女性の意地悪さに快感!?を覚える現代日本の男性?
猫は賢い。犬はバカだ。(関西人の私だが、私の語感としては「あほ(う)」よりバカなのだ。)

夏目漱石は、自宅に迷い込んだ黒猫を主人公にして傑作を著す。内容の思索性は主たる猫で、おかしみは犬、と言えばあまりに牽強付会か。漱石は猫の死に際して墓碑をつくり、死亡通知を知人等に送付したとのことだが、自身は二者択一的に言えば犬好きだったとか。
かの、映画『男はつらいよ』の名セリフの一つ、おいちゃんが寅さんに言う「バカだねえ、ほんとバカだねよねえ」の、あの響き。

雑文に余談を加える。
あの響きは森川 信(1912~1972・何と還暦の若さ!で亡くなっている。才子は短命!?)だからこそ出せた響きだ、と後継の二人には悪いが思う。そう思って渥美 清(1928~1996)を思い浮かべると、日本伝統大型犬の秋田犬の風貌に似ている……。
私は3か月後に人生72年を迎える。その間自身を賢いと思ったことはない。もちろん、親(とりわけ父親)はもちろん、生徒学生時代の教師を含め他者から賢い評をされたことは皆無に近い。だから、私は犬に(無礼を承知で)感情移入するのかもしれない。子猫時代を終えたあの賢い(醒めた)風情はどうも近づきにくい。

[『男はつらいよ』からの更なる余談。]
妹「さくら」役の倍賞 千恵子さんの猫的、氏の実の妹・倍賞 美津子さんの犬的な、その女優性。かつて千恵子さんの演技力、存在感に圧倒され、心酔していた私だが、最近、美津子さんに千恵子さん以上のそれを感ずる。それが表現の直接(直截)性、間接(象徴)性と加齢(老い)そして死への嗅覚につながるのか、単に私の気ままなのか、よく分からないが。)
世で多く言われている「犬好き・猫好き」の特性をインターネット情報から勝手に要約すると、以下のようである。

【犬好き】
感情表現が豊かで積極的で行動的・寂しがり屋・思いやりが深い・尽くすことが好き・安心感への希求が強い。

【猫好き 】
物静か・マイペース・ツンデレ好き(このツンデレという言葉は初めて知ったのだが、「つんつん」と「でれでれ」を複合した言葉だそうで、要は気分屋と私は理解している)・心配性だが冒険好き。
また、或る研究結果では次のような指摘もあるとのこと。 「猫好きは犬好きより内向的で感受性が強く、独創的な発想を持ち、猫好きの方が、知能指数が高い。」 自照し、旧知の人々を思い起こせば得心できることは多く、且つ33年間の中高校教師生活が見事に甦る。ただ、「知能指数」については、知能指数そのものに懐疑的だから全く疑問ではある。

日本の古代からの絵巻物を見るとそこかしこに登場する犬と猫、人とのつながり。歴史としては犬の方が古く、生活(実用)と愛玩(この愛玩の用法、手元の『現代国語例解辞典』・『漢語林』及び『グランドセンチュリ英和辞典』(pet)でも軽侮的説明はないが、「玩」の意味にはあって、「愛玩」は時に軽侮の意味合い(ニュアンス)で使っている思うこともあり、猫好きは女性のイメージ(smart & cool)が強いだけになおのこと抵抗が湧くが、他に適切な用語が見つけ出せないのでこのままにする)で言えば、犬は生活(実用)との併用傾向があるが、猫は愛玩であろう。

清少納言は『枕草子』で、犬に係ることを2か所(それも生活と愛玩それぞれ一つ。やはり才媛だ)で書いている。 章段順で言うと、9段で彼女の犬好きを偲ばせる「愛玩」を、23段で「生活(実用)」に係る彼女の感性として。

【9段の要旨】清少納言が仕える一条天皇が溺愛していた猫を、同じく飼われていた犬(名:翁丸)が、周囲の者たちのからかいに、まるで言葉が分かるかのように乗って脅かせたことで打たれ、棄てられる。しかし、あろうことか帰って来て、作者も含め翁丸を案じていた人々と感動 の再会を果たす。

彼女は、その翁丸を「しれもの(痴れ者:バカ者)」と、打たれ棄てられる段階で形容しているのだが、それは「あのおバカさん」との、犬好きからのニュアンスであることは、翁丸との再会での翁丸と彼女の心の交流描写からも明らかだと思う。おいちゃんの寅さんへのあの表現と重なって私には響く。

【23段の要旨】すさまじきもの(興ざめするもの・不快感を与えるもの)の冒頭、彼女が挙げている事。
ほゆる犬。」

今日、愛玩が主流で、猫にしても犬にしても家族の一員、それも家族構成者として、との感覚は、家族内間の呼称表現からも日本的とも言われる。だから無責任な飼い方は非人間的(非人道的)と糾弾される。更にその入手、飼い方が、欧米と違ってあまりに情的(感傷的)なこともあって、結果からの糾弾にはより拍車が懸る。

先の[犬好き・猫好き]が、学校社会を彷彿とさせる私的根拠は以下である。

先ず学校。
家庭のしつけまで学校に委ねられるほどに家族的なことを善しとする時代。(その善し悪しは、小中高大の組織上のこと、塾との関連を含めた学力観、また時代様相或いは日本の方向性等考慮しなくてはならないことが多いので今は立ち入らない。)
生徒。
中学2年生前後あたりから、猫派に行く者、犬派に行く者が、はっきりし始める萌芽思春期前期の昂揚。尚、中学2年生前後は心身急成長もあって、自・他へ“厳しい”時期であることは今も変わらない。

教師。
教師間にあっても、生徒間にあっても孤独な存在で、極一部に神的(仙人的?)な人もなくはないが、つまるところ一介の人間で、「教室では殿様(大将)」と言われ、時には体罰までして従わせるのはその裏返しとも思える。そういう教師を教育熱心と評する人もあるが、それは教師であることの甘えと驕りを助長するだけだと思う。
職員(教員)会議・教授会のタテマエとホンネ、総論と各論の交雑した時間は、何度かの会議議長経験からも否めないし、周知のこと…?
もちろんこれらも自照自省での発言。

その教師に先述の犬好きの[感情表現が豊かで積極的で行動的・寂しがり屋・思いやりが深い・尽くすことが好き・安心感への希求が強い]を重ねると大いに得心できる。
とすれば、猫好きの教師は犬好きより精神的苦労(悩み)が多いことが考えられるが、「猫好きは犬好きより内向的で感受性が強く、独創的な発想を持ち、猫好きの方が、知能指数が高い。」は、高校生に支持される可能性が高いように思える。
私の女子校、男女共学校体験(男子校はない)で言うと、学力優秀生徒は概ね女子ではあった。

あらためて教育の難しさとの当たり前のことに行き着く。公・私立学校の別なく種々多様な学校。一例を挙げれば、中高校(13歳前後~18歳前後、人生80年の現代日本で人生15%ほど終えた年齢)段階で、学力差(勉強ができる/できない)からの“不明”の謙虚さに、疾風(しっぷう)迅雷(じんらい)の速さで諦めに、少年少女を追い込むほどの学校差。

学校が多様であれば、「良い」先生像も多様なはずで、ここでも形容語の主観性、私感性に思い及び、教師晩年期の少しは自身の言葉で話す余裕が持てた時、生徒たちに、とりわけ「表現」に関して、形容語はその人の生き方・価値観を表わすからくれぐれも要注意と繰り返し諭したことが懐かしい。これは私に言い聞かせているだけだったのだが、
いつも思う。どうして大人は、大人による子ども・若者への、教師による児童生徒への【いじめ】の、調査の有無に始まり、実態を積極的に世に問わないのか、と。既に公表されていれば私の不勉強。
[国づくり・世づくり・人づくり]の形容語はいつも!「民主的・平和な・優しい」……。
教師資格取得の必修科目『教育論』関係の観念性は、当然批判の対象にあるが、理論と実践(現場)を知ってこそ批判できるとの弁(わきま)えも、おびただしい失敗と試行錯誤から持ち得たこと。
犬も猫も人の心を痛切に癒す。人は、私は切々と「哀・愛(かな)しみ」を直覚する。以心伝心…。

深く心沁(し)み入る叙情歌(バラード)『You raise me up』(『シークレット・ガーデン』〈アイルランド人の女性/ノルウエー人の男性のデュオ〉・2002年)「あなた(おまえ)は私を元気づける、奮い立たせる」の意。
「ストレス」との言葉が、日本社会で常用語となり、心身不調の自然にして当然の弁解語とさえなって、どれほどの年数が経つだろう。

大都会の犬・猫販売店では、当地での一般的価格は破格的廉価で、40万円50万円は当たり前のようになり、中には100万円の評価!?を受けた子犬、子猫が特別ボックスに鎮座?する。血統とか、コンクール賞等々でそうなるのだろうけど私にはその差はとんと分からない。

更には医療費の膨大さ。我が家の最近の犬2代が世話になっている医院は、非常に良心的とされているが、1回の診療費が1万円以下は珍しい。昨年飼い主の娘を追って逝った犬の晩年期の医療費を教訓に、保険に加入しているが、それでも特に春先の予防接種等初期必要額は、年金に大打撃を与える。
その医院でのこと。若いお母さんが子犬(娘さんが拾って来た犬とのこと)の予防等診療支払時の呆然絶句していた顔が忘れられない。帰宅後家庭内会話はどうであったろう?
私の家から車で30分も行くと、そこは那須連山の麓の温泉湧き出る高原(リゾート)地で、宿泊関連等レジャー施設、別荘、ペンションが幾つも在る。大都市圏から来た一部の人が、愛玩しているはずの、犬や猫(多くは犬のようだが)を棄てて帰る、との話を土地の人から聞いたことがある。そのとき妙に納得し、同時にそういう自身を懐疑し、嫌悪する感覚に襲われる。しかしこの感覚はいつしか過去のこととなる無惨。

自然との共生を己のものとし、行動しなければならない時代に生き、私は、花を、野菜を、そして犬を育て慈しむ幸いに、5年前23歳の娘を天上に送ったとは言え、今在るが、どれほどに言葉(観念)を弄んでいることだろう。
デジタル・国際社会にあって私のような英語もできない(学習から逃げていた)アナログ人は、黙って立ち去って行くべきなのかもしれない。それでも、学校改革、教育改革は、社会改革があってのことではないかと、理屈的にはその逆なのだろうけれど、想う。

日本はいつごろからこれほどに成金の、放言の「幸(さき)はふ(栄える)」国家となったのだろうと、昨年秋、九死に一生を得、幸いにも先月古稀を迎えた妻と、氾濫するマスコミ情報下、溺れ死なないよう何とか息を継いでいる。
ここには、“三代続く”江戸っ子下町育ちのカミさんと一応京都人の私の間に異文化はない。「下町の人情」の、「京都人」の、負の変容への残念さとさびしも加え。

2017年4月5日

「汝、自身を知れ」 ―那須・茶臼岳での遭難事故からの自照自省―

井嶋 悠

後悔先に立たず。
人生、経てば経つほどに後悔幾重にも、と思うは私だけだろうか。
後、1週間もすれば娘が、23歳にして憂き世穢土から浄土に旅立って5年が経つ。「一日一刻が永遠」の浄土にあっては、悪業宿業にも似た後悔など、その言葉さえあろうはずもないのだろう。
親としての後悔。教師としての後悔。そして生きて来た途での後悔。
娘に憂き世穢土を知らしめた一つに学校教師があることを思えば、私が教師であったことの「後悔先に立たず」の天のとんでもない皮肉。難詰。

子が親より先に死に向かう、子の、親の、極まりない哀切。
恥ずかしながら、この歳になって『かいなでて 負ひてひたして 乳(ち)ふふめて 今日は枯野に おくるなりけり』(良寛)との歌を、『日本の涙の名歌100選』(歌人:林 和清氏編(1962年生)で知った。

因みに、『わが人生に悔いはなし』は、石原裕次郎、1987年のミリオンセラー曲[作詞:なかにし礼、作曲:加藤登紀子]。大ヒットしたのは、後悔ばかりの苦い人生がいかに多いかの証しではと、歌詞の「はるばる遠くへ 来たもんだ」に向かえば、中原 中也の『頑是ない歌』に向かい、「桜の花の 下で見る 夢にも似てる人生さ」に向かえば、西行の、「願わくは 花のもとにて 春死なむ その望月の 如月のころ」(娘も愛誦していた)に向かう、へそ曲がりの私は思う。
石原裕次郎は、52歳で肝臓がんで亡くなり、私は今夏73歳を迎える……。

先日(3月27日)、家からほど近い(車で30分ほど)那須連峰の一山茶臼岳で、栃木県内の7校山岳部の合同雪山訓練中、雪崩で、7人の男子高校生と引率教員の1人(すべて私たち居住地の隣市にある県立大田原高校)が亡くなり、40名が負傷した。
事前の手続き、携帯品等準備、現場での判断・対応を、責任者の記者会見等報道で知る限り、教師の、惰性(馴れ合い)・過信、要は「驕り・傲慢」以外何ものでもない、と女子サッカー草創期(1980年前後)に中学・高校の女子サッカー部監督[顧問]やスキー講習(中学校3年生以上の希望生徒が対象で、指導は引率教員)行事をしていた元教師として思う。私の場合、たまたまこれほどまでの社会的問題になる事故がなかっただけのこと。
世の災害の大半は「人災」で、「天災」はごくわずかである、と自覚し始めた昨今だからなおのこと自省自責に駆られ、様々な過去の場面が私の内を駆け廻る。「自然」その意味の再自覚の緊要。
ところで、160mにわたって生じた雪崩の起点は、「天狗の鼻」とか。これも天の采配なのだろうか。

蛇足を加える。
これは教師だけのことではない。人が、“大人”が、「絶対」との言葉を安易に、しかも自信と気概に満ち溢れ使う感覚、意識の怖さでもある。罵詈雑言を叱咤激励と言い、打ちひしがれ、死すら想う若者に、“軟弱”と追い打ちをかける。
そこまでして日本は、世界の、経済大国によるリーダーでなければならないのか、とやはり偏屈な老人私は思う。

「汝、自身を知れ」
紀元前4世紀、人の善・悪・真を美の華から求め、華開かせたギリシャの時代、アポロンの神殿の入口に記されていた言葉。それから25世紀、2500年。死は一切の例外なく訪れるが、自身を知る、「無知の知」は途方もない苦行難行を経た者だけが知り得る。
私は? 正真正銘の無用の自問。

元中高校国語科教師の或る時期、古典授業の易さをうそぶいていた無知・無恥を正直に告白し、古典の、もっと限定すれば国語教科書の重さを、あらためて自身に言い聞かせたく、吉田兼好『徒然草』134段から、その一節を、少々長くなるが、引用する。
人一人一人が謙虚であってこそ社会・国は謙虚になる。「市民」「国民」そして「子ども」「大人」と言う時のそれぞれの具体像の確認のために。と他者(ひと)に言う前に「後悔先に立たず」を繰り返す私のために。

【古文のため、読みづらさを思われる方があるかもしれないが、せっかくの名文、引用部分の大意要旨を参考に、その音調、律動を味わってほしい。】

《備考:吉田兼好・鎌倉時代末期13世紀から南北朝時代中期14世紀の人。『徒然草』は、筆者50代の、1330年~1336年にかけての著作と言われている。今から700年近く前の文章である。》

《補遺:芥川 龍之介(1892~1929)は、35歳で、妻と二人の児を置き、自ら死を引き寄せた、その2年前に刊行した箴言集『侏儒の言葉』の中で「つれづれ草」として、次のように書いている。

「わたしは度たびこう言われている。――「つれづれ草などは定めしお好きでしょう?」しかし不幸
にも「つれづれ草」などは未だかって愛読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」
の名高いのもわたしにはほとんど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにも
しろ。」

※〔上記補遺私感〕
稀有の才を天与され(後に、それが本人を苦しめたと私は思っているが)、今の私の半分の年齢で命を絶ち、社会様相、学校制度等環境の相違から同じ地平から比較できないが、肯んずる私もいる。しかし、当時の中学校は現高校で、「大学の大衆化」に象徴される学校教育現状と少子化、効率優先の、モノ・カネ本位社会、更には知識偏重の限界的弊害の今、彼が生きていたらどのように言ったか想像の興味が湧く。
ただ、彼のような俊才にとっては、教科書は所詮教科書で、私の自省「教科書で教える」驕りではなく「教科書を教える」ことを再考している立場とは相容れないかとも思うが。

【引用部分の大意(要旨)】

人は、他人にばかり眼を向けるが、最も分かるはずの自分自身のことに眼を向けない。自身の姿形(風貌)、心の、また技芸の在りようを自覚している人こそ優れた人である。だから他者(周囲)の誹りにも気づかず、すべては、利己の貪欲が自身に与えた恥、辱(はずか)しめである。
これを、先の『侏儒の言葉』で言えば、「阿呆はいつも彼以外の人人をことごとく阿呆と考えている。」ということになるだろう。

【引用本文】

―賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己を知らざるなり。我を知らずして、外(ほか)を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、己を知るを物知れる人といふべし。

貌(かたち)醜(みにく)けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病のをかすをも知らず、死の近きことをも知らず、行ふ道の到らざるをも知らず、身の上の非を知らねば、まして外の誹(そし)りを知らず。[中略]貌を改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞ閑(しづ)かにゐて身をやすくせざる。[中略]

すべて、人に愛(あい)楽(げう)(親愛の意)せらずして衆に交はるは恥なり。貌醜く、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪(ふかん)(下手の意)の芸をもちて堪能(かんのう)の座に連なり、雪の頭を頂きて、盛りなる人にならひ、況んや及ばざる事を望み、かなはぬ事を愁へ、来たらざる事を待ち、人に恐れ人に媚(こ)ぶるは、人の与ふる恥にあらず。貪る心にひかれて、自ら身を辱しむるなり。[後略]―

娘が与えてくれた自照自省、その拙文を投稿する私。赤面羞恥するばかりで、兼好の言う具体例である。それでも、娘の鎮魂があっての自己整理を続けなければ、との私もいる。それが私の老いに生きること、と「咳をしても一人」(尾崎放哉(1885~1926)の鬼気にはほど遠い肝に銘じている。

後悔は、動物のドキュメンタリー映画を観ていると人間だけの所為(所業)とも思えないが、人間ほど繰り返す愚かさはないようにも思う。それは明日命に直接に関わるからだろう。理屈[言葉]を弄する暇(いとま)などないということなのだろう。
そう考えると、『侏儒の言葉』から繁く引用される「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」との表現は、書き手が古今東西の文化(芸術)に精通した、近代叡智の人だっただけに再びあれこれ思い巡らせたりするが、私の時間は限られている。
やはり「後悔、先に立たず」に帰着する……。

 

2017年3月15日

遊び、その二つの字義、解放と隙間が育む、想像・創造力 [学 校]

井嶋 悠

前回に続く表題が、今回の駄文投稿の主点である。
末席を汚すとは言え一応京都人であるということで言えば、私の「京わらんべの口ずさみ」でもある。ただ、あくまでも教師及び親の体験からのそれではある。
[注:私の教師体験[専任教諭としての3校(内2校女子校、1校共学校]の制約或いは限界;
大都市圏の私学で、中高一貫校(内1校は大学併設)、自由の標榜、全員が大学進学希望]

10代での「解放と隙間」としての「遊び」、自我を、教師・他者と模索し確認できる、1時間が1分ではない1時間は1時間の時間。
10代を卒えた後、先進国、文明国、経済大国等々、世界を導くと矜持(喧伝)する国の一日本人として自由・自主の人生に向けて。怜悧聡明は愚直であってこそ。蝸牛の争いを直覚できる広量。対症療法の、しかもモノカネ施策の貧しさ、まやかしへの嗅覚。古稀は稀でなくなり、後期高齢者まで5年ある長寿大国の現代日本。
私はその視点から18歳選挙権に同意するし、併せて18歳成人とし、中学高校を8年制とし、原則20歳高校卒業、との学校制度下で、自律への自己確認の時間を願う。高校義務化も視野に。〈自由と言う言葉の使い方は難しい。義務教育との言葉が持つ拘束性ではなく、陰陽ない選択肢が可能な学校の意として〉
(「原則」としたのは、自己確認と志向の多様を思えば長短の幅は必然で、ただ、そこでは[基礎・基本]と教科のこと、教師意識、改革のための社会意識の転換等、総括的に考えなくてはならない。ただそれらに係る現状、私案は教師として、親としての体験と自省を基に以前投稿したので省略して以下進める。)

管理・放任でも、全体・画一でも、また今日の差別的使い方ではない個にとっての「主要」教科の自覚への、個が個として活きる教育。次代の創造的日本のために、少子化の今だからこそ、財政を理由にした中高校の統廃合は甚だしい矛盾、モノ・カネ効率第一主義の勝手な統制で、ましてや都鄙の格差是正を正論として言うならばなおさらのこと。例えば、校舎等の養護施設、保育所等への有効利用での教育効果は計り知れない。
教育現場から退いて10年、限られた情報しかない私ながら、現在も生徒は「ギチギチでギスギスと生き」(前回の投稿で使用した表現)のままだと思う。そのとき私の脳裏に浮かぶ生徒とは、或る“英才”を見い出された「特待生」やそれに類する待遇を受けたり、「優秀な子どもはどこの学校にいても優秀」、また要領が良いとの意味での優秀者ではない、その他の圧倒的多数の“普通の”生徒である。

 

学校は、塾・予備校は広報・説明会で声高に言う。「個を大切にする、活かす教育」。
それを言う時の恥ずかしさと罪悪感、そして時間(多忙!と時に誇らしげに言う時間)を持ち出す不遜。これは、何人かの生徒への献身で自得満足していた管理職或いはそれに準ずる職を経験した私のこと。それらの記憶が鮮やかによみがえる。教師という大人の勝手と観念(言葉)遊戯。
学校にとっては多数の中の(相対の)一人(個)だが、親にとっては絶対の一人(個)を、教師としてはもちろんのこと、親としても、親族等知人の事例からもどれほど痛み知らされたか。
最後の奉職校は「絶対評価」を信条としていたが、授業の集成である定期試験の内容や方法、各生徒の把握等、巨視的且つでき得る限り客観的にできたか、少なくとも私には自信はない。
(尚、10段階評価の奉職校で、全員〈1学年3クラスで学年生徒数約140人前後〉常に全員「9」評価をする教師があり、一時教員会議で議論されたがうやむやとなった)

「歳月人を待たず」。すべては時間(時が経てば忘れる)が解決する?
「風化」書くことで改めて気づかされる自然の悠久な歴史と[ふうか]との音声的響きへの高慢。

 

「考える力」(想像を広げ、考え、試行し、創造性を養い、自身を知ろうとする力)を、との「当然」を初めての真理のように言い、入試での出題をインタビューで驕り高ぶる上級学校の管理職等の相も変らぬ無恥。その橋渡しをし、進路指導まで司るほどの絶対的信頼度を誇る塾・予備校の不変?の構図。
(因みに、学習塾通学(ここでは英語等外国語学習塾は視野に入れていない)は日本独特かと思いきや、ソウル・北京でも高く、「東アジア」独特の文化?との視点から考えてみるのも興味深いかもしれない。)
この狂騒にも似た受験戦線に人生の土台となる競争原理があり、それに打ち克ってこその素晴らしい10代そして未来との感動談、美談。それを引き立たせる?悲談と劣等、敗者意識、諦め。前者<後者は言い過ぎか。

 

「遊びをせんとや生まれけむ  戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば  我が身さへこそ揺るがるれ」

これは、前回冒頭に引用した書と同じ『梁塵秘抄』に収められていて、今日(こんにち)度々引用される一つ。
無心に遊ぶ子どもの声を聴く老境からの感慨と解説される。老いでの生の終わりを自覚し、己が生涯を回顧する姿を思えばそうであろうが、年齢を離れ“大人”になった、との複雑な感慨ではないか。出会う幼な子すべてに神々しい愛らしさを実感する我が身に狼狽(うろた)え慌てる今。

上記では、「遊」と「戯」の二つが使い分けられている。白川静『常用字解』で意義を確認してみる。

「遊」:もと神霊があそぶこと、神が自由に行動するという意味であったが、のち人が興のおもむくままに行動して楽しむという意味に用いられるようになった。
「戯」:もとは軍事・戦に関わる語であった。(説明を要約して引用)

現在、私たち多くは「遊ぶ・遊(ゆう)」を使っている。
日本は、古来ありとあらゆる場に宿る八百万の神々と交会し、春夏秋冬豊潤な自然との共生が産みだすアニミズム(精霊信仰)の国。[幽・かすか・はるか「幽玄」]につながる「遊」。

【余談】私の名は「悠」(悠々・悠然)。1945年(昭和20年)8月23日、長崎市郊外で出生。父は海軍軍医で被爆者治療に従事。その父がこれからの日本を願っての命名。「名は体を表わす」の一つ?と、父母慈悲の恩をどこか知識的なまま天上に送った者として自嘲的に思ったりする。

 

日本人は「遊び下手」と言われる。
それは「真面目人間」ということなのだろうが、古人曰く「過ぎたるは及ばざるがごとし」に限りなく近づくことさえ多々ある。先人の多忙=充実・苦行(の愉悦?)の働きがあっての高度経済成長と今の恩恵があるとはいえ、今日の若い世代には頭の中の感覚のようにも思える。10年余り前に某大手企業幹部から聞いたエピソード。部署で新人歓迎会を上司として企画したところ、主役の新人が揃って参加せず、理由を聞いたところ「どうしてアフター5まで同僚でなくてはならないのか」との返事だったとのこと。
とは言え、数多の海外進出企業を含め、日本人は今もって、遊びと仕事・勉強(労働)の明確な区別、切り替えがあいまいで、いつも労働を引きずり、仕事と遊びの合理的切り替えこそ善、と承知しつつも徹しきれず、中には後ろめたささえ持つ、中高年はもちろん、多いのではないか。何にでも「道(どう)」をつけ、禁欲的指向を真善美とする。色の道も「色道」。「道楽」「極道」また「好色」の用法に見る日本的、日本性おもしろさ?

中国やヨーロッパの、仕事と遊びを切り離して人を視るのと違って、仕事の優秀さ、実績があっての遊びを評価する日本性を言い、江戸時代の文化に担い手に「遊び人」の存在を指摘する、例えば樋口清之(1909~1997:歴史学者。日本史関係の啓蒙書を多く執筆し、その一つ『日本人の歴史8 「遊びと日本人」』)のような人もいる。
世界が公認する勤勉なその日本人が何年か前から郷愁する江戸時代町民生活・文化。近代化と日本人。明治維新への心情を根っ子にしての賛否両論。
先日の「プエミアム・フライデー」。このネーミングも含め、政治家と官僚の「国民」基準の偏向の再びの露呈、街頭インタビューに応える若い社会人(おそらく時代の先端等大手企業や役所の人たち?)の応え(もっとも、それらはマスコミの取捨選択であろうが)の心の貧相。それらに苛立つのは私だけか、と思えば、愚策と怒り心頭の人々も少なからずあって一安心。

 

旧聞ながら、国文学[日本文学]の卒業論文で、女子学生に人気の近現代作家は太宰 治(1909~1948)とのこと。理由は彼の美男振り[見てくれ]と母性(本能?)を刺激する[甘え]からとのこと。その太宰の、作家自身と思われる父[私]の生活断片を描いた作品に『父』と言うのがある。
「義のために、わが子を犠牲にするといふ事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。」(『旧約聖書』創世記を土台にしての表現)に始まり、「義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている。」で終わる短編小説である。
主人公の父[私]は、どうにもならない見栄っ張りの女好きの家庭をかえりみないとんでもなく小心な男として描かれている。(だから母性をくすぐる?)。その彼が「義のために遊ぶ」と嘆く(居直る?)。彼自身、その義の正体を探しているのだが、非常に日本的と思え、「私」の死に急ぐ姿が視えるようでもある。と、どこか得心する私がいる。ただ、39歳で道連れ的情死した太宰と違い、妻に言わせれば、変で妙で屈折的なそれだとのこと……。

ところで、「遊び」には二つの字義がある。[いずれも『ウイキペディア』より引用]

一つは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、を満足させることを主たる目的として行うもの。【解放】

一つは、機械や装置の操作を行う機構(ユーザーインターフェイス/マンマシンインタフェース)に設けられる、操作が実際の動作に影響しない範囲のこと。あるいは、接合部などに設けられた隙間や緩み。【隙間】

ギチギチにしてギスギスの生の刻々、融通性のない、謹厳実直の日本人? 老荘が言う「無用の用」を憧憬するが頭だけに留まってしまいがちな日本人……。明治維新での、「脱亜入欧」、無条件降伏からの奇跡の復興と高度経済成長での、「(欧米に)追いつけ追い越せ」から、「追いつかれ、追い越され」に。襲われる不安と焦燥、そして謹厳な責任感。
民主党《現民進党》政権時代、現党首の「二番ではだめなんですか」発言とその場の微妙な反応を報道で見、非常に愉快な、しかしどこか違和感を持った記憶が過(よ)ぎる。

英語に次のようなことわざ(『マザー グース』の一節)があることを知った。

「All work and no play makes Jack a dull boy. [dull:鈍い、退屈な]

※念のために「play」を英和辞典[『ライトハウス英和辞典』研究者]で確認するが、その多義から、一面的にとらえる危うさを思うが進める。

遊びの二つの価値[解放]と[隙間(余裕)]。解放があってこその遊び。隙間があっての遊びの成立。
1973年の交通標語「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」をもじれば「先進長寿の経済大国日本そんなに急いで どこへ行く」……。
日々の束縛から解放され、たとえ一時であれ自由の時間と空間に浸り、自己を問い、明日の生の活力を得るはずの「遊び」にもかかわらず、疲れ、そんな自身に苦笑する日本人…。
子どもと大人の、それぞれでの、また相互での、『いじめ・虐待』も遊びの欠如が一因とさえ思う。
言葉が、記号の形式だけに堕した頭でっかちの世界。直ぐに条例化、法制化し、それで事足れりとする安易さに潜む全体主義化の不安と人間不信の現代。

1970年代から使われるようになり、今では日本語化しているとも言える「レジャー」[leisure:暇な、余暇]の軽薄な響き。しかしこれらの感覚は「時間つぶし」との言葉に抵抗感を持つ私の、旧態然発想なのかもしれない。

 

フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者である、ロジェ・カイヨワ(1913~1978)は、遊びの基本的な定義を以下の通り記述している。                           (その著『遊びと人間』の解説からの孫引き。下線は引用者)

  1. 自由な活動。すなわち、遊戯が強制されないこと。むしろ強制されれば、遊びは魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。
  2. 隔離された活動。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。
  3. 未確定な活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。
  4. 非生産的活動。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。
  5. 規則のある活動。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。
  6. 虚構の活動。すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。

 

この遊び観、学校にあてはめてみると、私感が論外のデタラメとも思えない。
その学校。(中学校・高等学校)
日常的にして非日常的世界。(この日常・非日常という言葉、私が20代・1970年代、頻りに耳目に触れた言葉で、私の中で明確な理由を説明できない或る抵抗感が伴うのだが使う。)
「俗」にして「聖」の、「ケ・褻」にして「ハレ・晴れ」の、「私」にして「公」の、「普段」にして「祭り更には政(まつりごと)」の、思えば不思議な世界。その両極間を行ったり来たり彷徨う生徒、教師。

体験での知見例。キリスト教主義の学校で、プロテスタント系(私の勤務校)よりカソリック系で多い在学中受洗者。

私的(個人的)自由、公的(集団的)自由の接点への模索と試行、そこで知る抑制、規制、束縛。神経脈の細分的発達と不安、理想への憧憬と葛藤。心身発達の不調和と混乱。「青の時代」。疾風怒濤の10代。それぞれの方法で駆け抜けようとする生徒たちと大人然と居る、或いはそう在らざるを得ない教師たちとの協働社会
「家庭内暴力」「いじめを含めた校内外暴力」は、中学2年14歳前後をピークに中学高校に多いことは、今も昔も変わらない。人間発達の自然? しかし、低年齢化して小学校高学年で増加傾向にある今。
個人の複雑化に拍車を掛ける過剰情報、社会の複雑化。その中での“勝ち組・負け組”との、旧時代の感覚のままにマスコミが煽る風潮作り。一方での観念的正義、道徳。後ろでそのマスコミを操る人たちについて「青の若者」はどれほどに察知承知しているのだろう。
長寿化、少子化と世界の、国際化からグローバル化(地球船時代)指向にもかかわらず。

かつて、心通じ合い協働していた識者たちが懸命に提示した「新しい学力観」との言葉がよみがえる。その識者たちの多くも既に引退した。繰り返される、そのときどきでの「新しい」学力論。風化……。
中学生の英語の時間「過去完了」との表現に出会い、驚き、半世紀以上が経った。

2017年2月21日

遊び、その二つの字義、解放と隙間が育む、想像・創造力 [序]

井嶋 悠

今回、2回に分けて「遊び」の二つの側面について、自照、自省加えて後悔と併せ、整理したい。
「毎日サンデー」(これは、私が最初に勤務した私学女子中学高校で敬愛していた校長[英語科・男性]が定年退職後に言われ、当時30代前半の私の心に、その実態は今もってよく分からないが、妙にこびりついた言葉)の日々に在る、元(私学)中高校教師の一日本人として。

「われらは何して 老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ 今は西方極楽の 弥陀の誓いを念ずべし」

これは平安時代後期、後白河法皇が編集した、当時の今様歌(流行歌)集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』にある一つ。
7回目の年男を迎えた一人ながら、まだまだ「弥陀の誓い」に到らない世俗者(同書の表現から援用すれば「心澄まぬ者」)だが、少しは心情を共有できるようになっては来ている。
これも高齢化(長寿化)現代の為せること、と人の、生の痛みが十全に分からぬ私の晩稲(おくて)を慰めている。

誰しも合点承知していずれ来る死を迎えたいのは、古今東西共通の願いにもかかわらず、その“自然”を、意図的に己が手で断ち切る人は決して少なくない。その恐るべき勇気……。哀し過ぎる。
日本の自殺者は、徐々に減りつつあるとはいえ、文明国、先進国(二つの言葉の吟味は措く)で(最)上位にあることほぼ20年が経つ。今、再び10代が増える兆しとのこと。

10代、小学校高学年から高校卒業後2年ほどの時代。かのピカソ(1881~1973)19才の時、親友カサヘマスの自殺での激しい哀しみから青色を基調に、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を描いた「青の時代」。孤独で不安な青春時代。だからこその「青い鳥」に切なくきらめく夢。
経済至上志向、物質文明あっての文明観への懐疑と批判を、感傷!と、排斥する社会であり続ける限り増えはすれど減りはせず、と私は思う。

社会を、更には政治を映し出す鏡としての学校教育。その主構成者である教師。
愛知の中学校で教師のいじめで自殺した男子生徒のこと、また横浜での福島からの転校小学生への150万円恐喝!を当初いじめとしなかった教育委員会がいじめと認めたこと。繰り返されるこれら哀しみは、学校社会の一部大人の逸脱で済むことでなく、「学校の正義」の傲慢につながることで、学校社会の聖域的特別・特権意識を背にした権威主義と閉鎖性を端的に表わしている。
上記の二つの事例は、折ある毎に中学校・高校の教師が一因で、5年余りの心身苦闘の末、母親の刻々の献身及ばず天上に旅立った娘の怒り、哀しみ、悔しさを層一層思い出させ、教師であった私に幾層幾重のことを詰責して来る。
更に加えれば、国際教育の大きな領域の一つ「海外・帰国子女教育」、日本の教育の重要課題と意識され半世紀経つにもかかわらず、何かにつけての「英語!英語!」発想、帰国子女=英語話者の羨(うらや)み嫉(そね)み、いまだに根強く残る日本。併せて、在外日本児童生徒教育機関(日本人学校・補習授業校等)での管理職を含めた教員の非常識、無恥。
これらは一部で、感銘と敬意の諸例が多くある、で済むことではない、と私は思い、敢えて挙げている。

次代を担う若者が、担い終えた老人が不安を抱える日本。少子化と高齢化の日本で、今顕在化している負の諸問題が、カネ発想の対症療法で解決すると日本主導者は本気で考えているのだろうか。一方で、国益、地域益のためとの錦の御旗を問答無用にかざしての主導者、中でも政治家たち、の湯水のごとく公費を使う金銭感覚。

数年ほど前からフィンランドの教育を評価する日本人教育関係者等が多いようだが、そのフィンランドがかつて自殺大国であったにもかかわらず優れた教育国になったのはなぜか。
「ゆとり世代」の若者を慨嘆し、非難する大人が多い。しかし、その「ゆとり教育」を主導したのは、ゆとりの意味を数合わせのようにしたその大人、官僚・政治家・研究者、ではなかったのか。
ただ、これらのことは何度も投稿していることであり、これ以上立ち入らず先に進む。

最近、妻から、娘が好きだった歌手・音楽グループの一つが『Kinki Kids』であったと聞かされ、初めて幾つか聴き、「青の時代」(1998年・作詞作曲canna)という私好みのバラードを知った。“ジャニーズ”系と言うそうだが、老人にとってはかなり気恥ずかしい歌詞が多い中、この歌詞は硬化した頭を刺激し、想像を掻き立てる詩情に溢れ、何度も聴き返した。時代や世代の乖離を越えて共感は成り立つということなのだろう…。
娘は、この曲をどんな思いで聴いていたのだろう。彼女が、天上に昇って5年近くの時間が過ぎるが、錯綜する感情が脳天を突き抜ける。幾星霜との言葉の重さを思い知る。

私たちはあまりに余裕(ゆとり)を持てなくなったのではないか。ギチギチでギスギスと生き、そんな自身にふと疑問、虚しさに襲われる。感受性瑞々しい10代の、少なくとも私の出会った、若者(生徒)にとっては、なおさらのこと。「青春期・青の時代」「思春期・“春”を思い願う時代」。
大人は、社会は、その若者に自主、自己責任を、忍耐と努力を、手を替え品を替え説諭するが、高速・効率優先での情報氾濫社会、特別の資質を授けられそれを自覚しまた見い出されている者、要領が良いと言う意味で優秀な者以外の、ごく普通の若者にとって、その説諭がどれほど有効なのか、私は首を傾げる。
中学校・高校に、自身を問い、思い巡らさせ、挑み、自・他でそれを確認する、そんな時間(余裕)がどれほどあるだろうか。塾[進学塾・補習塾]があっての進路進学の狂騒時代。
「遊び」の決定的不足。ギシギシ音が溢れる時代。「人情は愚を貴ぶ・愚直であることの美的戒め」は、遠い過去の追憶に過ぎないのだろうか。

高齢化(長寿化)、少子化の、そして時代の転換期明らかな現代日本にもかかわらず厳としてはびこる、旧態然の社会・学校社会意識・構造。対症療法でない体系・制度を含めた根底的変革の時機に在る日本。(その具体的私案は以前投稿しているのでこれもここで止める。)

「遊ばない」「遊べない」日本人。時にそれを誇らしげに言い、時に讃美さえされる奇々怪々。「遊びが遊びにならない」日本人。この日本人がほんの一部とは到底思えないし、例外ではない同じ日本人の私の、狭く偏った人間交流、情報の為せることとも思えない。
世は「働き方改革」とか。きっと遊びも、仕事・学習(労働)に係るすべての人にとって時代に合った本来の姿のもとなるのだろう……。
その改革によって日本経済状況がどう変わり、人々の生活状況にどのように投影するのか、労働時間、賃金、産休育休を含めた休暇等々の労働環境が、企業規模や雇用体系また都鄙分け隔てなくどう変わるのか、「毎日サンデー」にかこつけついついそれに浸るだけの私だからか、よく視えないが。

2016年11月30日

「人情」のこと ―現代日本社会と私―

井嶋 悠

 

「生兵法は大怪我のもと」
人生71年、教師生活33年、死に到らず怪我で済んだことで善しとしている私。老子が言う「不言の教・無為の益」「無為自然」は憧憬だけで彷徨(さまよ)い、「無用の用」の境地にはほど遠く、折々に出会う人に恵まれ救われ今日まで生きて来られた。そんな私とは言え、娘の死に向き合うことで沸々と湧き上がる自と他への、社会への忿(いか)り止み難く、愚者はいつも後塵後覚よろしく人・親・教師からの自照自省。
妻は先月心臓手術で九死に一生を得る。妻と優れた医師や看護師との出会い。これほどの粛然たるべき時間にあっても、私の表現・人物の空疎さは、怠惰な半生が日毎に露わになり、立ちはだかる「文は人なり」。天意の私への酷(むご)いまでの厳罰、断罪……。
「七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を越えず」との孔子の述懐とは裏腹に、憫笑ものの牽強付会。粗悪文。それでも親愛の微笑を信じての得意な我田引水。書くことでそこはかとなく自己浄化(カタルシス)を感じ、2004年にNPOに認証された『日韓・アジア教育文化センター』の【ブログ】に性懲りもなく生兵法の投稿を続けている。老いだからこそできる恥を死語化しての遊(すさ)び……。しかし私なりの必然からのこと。と言ってもこれは私事。
それに引き替え、「国際」での大怪我は戦争に、日本の、地球の壊滅につながる。

例えば日本のアメリカ姿勢。大統領選挙戦から連日連夜報道され、喧々囂々(けんけんごうごう)(当事者たちは侃々諤々(かんかんがくがく)?)のマスコミ。マスコミを奥義知悉、免許皆伝の集まりとは思っていないからなおのこと、反戦ではない、非戦の日本の大怪我に、反米国の標的に、ならなきゃいいが、と小人小心な私は不安に駆られる。
アメリカを最大の同盟国にして世界最大(この大の意味には触れない。肝心要なことだが)国との偏愛がもたらす生兵法の危惧。
週1回定期的に放送される1時間のテレビ報道番組で、こんな場面に出くわした。アメリカ大統領選挙中の現地から「アメリカのあの良識はどこに行ったのでしょう!?」と憂えを浮かべ知り顔で締めくくった某大手新聞社記者(論説員?)。両候補が言っていた「Great」の意味が同じなのかどうかの説明もなく。その語り手に見たことは尊大と独善の選良(エリート)意識で、アメリカはそれほどまでに良識溢れる理想の国なのでしょうか、と難癖をつけたくなる私がいた。

我が国首相は、一番!?(だけ)を名誉勲章に、就任前大統領に「夢を語り合いたい」と何と夫人同伴で出掛け、TPP問題でアメリカなしでは意味がないと断言した記者会見直後に、その大統領が脱退を明言。私は結果的に!この人を首相に選んだ一人であることの、日本人としての恥ずかしさを再自覚。
その後ロシア大統領との会談等々、何十回目かの今回の外遊でも数千万円(海外援助の約束を含めれば一億数千万円?)の国税が使われた。そして22日、復興途上の福島で強い地震。その時その人は外遊中。なぜ直ぐに帰るとの姿勢を示さないのか。高度情報時代、現地からの指示で十分と考えたのかもしれないが、あなたがいなくとも何ら問題ないとも取れる。
世界のリーダーを果たす日本と公言してやまないこのような人物を、カネ以外の理由で支持するのは世界のどういう人たちなのだろう。カネあってこその平和であり、幸福であるというのが「国際」倫理であり、その実践者という矜持への拍手喝采なのだろうか。「夢を語り合いたい」の夢を想像すると身の毛がよだつ。そして大怪我をするのはいつも平民。中でも次代を担う青少年たち、老人たち。させた大人たちは恒例の儀式陳謝会見で一件落着。「水に流す」のあってはならない醜悪さの一面。

ところで、私は中国政治支持者でもなんでもないが、中国主席のほぼ同時期にアメリカ現大統領と会う深謀遠慮。したたかさ。“義理”堅さ。

更には、第1回「駆けつけ警護」(このネーミングを考えた人は凄い?人だと思う)に出発した自衛隊員。その出陣式での、首相隷従者にしてネオナチの日本代表?日本人男性とのツーショットで物議をかもした、防衛大臣の意味深長な式辞の怖しき権力者意識の露呈。これも小人小心者の杞憂?
こういう人たちは、ベトナム戦争のドキュメンタリー映画『HEARTS & MINDS』(1974年・アメリカ制作・アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞)の内容とタイトルをどうとらえるのだろうか
閑話休題。

 

「今の世の中って人情みたいなものを軽んじていないかって思うんです。少し恥ずかしいものみたいにね。でも人情がなくなってしまったら、社会は崩壊してしまう。」

これは、映画『深夜食堂』[原作:安倍夜郎(やろう)(1963年~)の漫画。2006年から連載され、2009年からテレビドラマ化。2015年劇場映画化]の監督・松岡 錠司(1961年生、現55歳)氏のインタビューでの言葉である。

尚、原作者の安倍氏は、影響を受けた漫画家としてつげ義春氏(1937年~)と滝田ゆう(1931~1990)を挙げている。なるほどと思う。

舞台は、東京・新宿裏通りの大衆食堂。私にとっても懐かしい場所の一つ。と言っても、裏通りが表通りのような脚光を浴び、一方で国際的!に益々“怖い”場所と化しつつある今日、単に郷愁に過ぎないのだろうが。しかし変移のあまりの急激さだからこそ作品に老若を越えて魅かれるのではないか。近代化、都市化が猛進する日々にあって、ふと心の隙間を埋める、人であることの自照自問の時間。明日の自身への慰め、生きる力へ。という私もその一人。
政財界では「これからはアジアの時代」と喧伝されているが、この作品は韓国、中国、台湾の東アジアでも共感され、今年世界190ヶ国に配信されたとのこと。

何に共感するのか。人が人であろうとすればするほど己が生きて来たこと、今在ることに思い駆られるが、それを合理・(自身の)言葉で説明できない。心に襲い掛かる孤独。ふと情(じょう・なさけ)という言葉が駆け巡る。行間の情に想像を巡らせるときのあの陶然に通ずる心持ち。それを日本的ヒューマニズムと言う人もあるが、190ヶ国への配信者には、世界に通ずる日本文化発信と同時に、母国日本への警鐘にも似た呼び掛けの意図があるようにも思えて来る。
これは山田洋次氏と渥美清の二人三脚が為し得た『男はつらいよ』にも通ずることであろう。

因みに『日韓・アジア教育文化センター』では、古今の精神文化から東アジアを再考したいと考えたが、日本語教育に終始して今日かろうじて生き続けている。その意味では、2006年、韓国の池(ち) 明観(みょんがん)先生をお招きしての、上海での『第3回日韓・アジア教育国際会議』は私たちなりの活動の頂(いただき)だったかもしれない。にもかかわらずの停滞は、ひとえに私の諸限界ではあるが、韓国・中国・台湾との出会いを通して日本・日本人・日本文化を再考再認識する時間ともなっている。

近代化、都市化、工業化、技術化…「文明」化の「化」は人の所為で、その人が、或いは創り上げた人工物が人を圧し、時に死に追い込んでいる現代。「死ぬまで働け」「ヒトはカネへの歯車だ」「お前が辞めても代わりはいくらでもいる」等々、罵声を浴びせ掛ける上司への追及はそこそこに、時に評価さえもされ、繰り返される過労また鬱々とした自責による自殺者、またその潜在者の、外国人労働者を含めた増加。つぎはぎ療法としか言いようのない対症療法で得心する行政、立法関係者。そこに視える言葉の力の意図的計算的悪用。そして麻痺。
ふと、中国の映画監督ジャ・ジャンクー氏(1970年~)の作品、『長江哀歌』(2006年)『罪の手ざわり』(2013年)が思い出される。
学校は人生のほんの一端との功利的「通過点」指向に徹し得ない不器用者と重々承知していても、学校教育は次代の礎との言葉の虚しさを思う人は少なくない。私も妻も娘もその一人で、私は元教師。

学校は児童生徒学生・保護者・教師(正しくは教職員)の三位一体あってこそと言われるが、現実には、公立は校長・教育長・文科相を、私立は校長・理事長を頂点に、教師が構築するピラミッド世界がほとんど。(もっともそうならざるを得ない現状、環境があることは経験上重々了解しているが、これについては別の機会にする。)
大学の遊園地化、社交場化との嘆きの言葉は何年も前からだが、その要因を子どもに、安易に求めれば先に挙げた憂い顔のジャーナリストと同じ穴のムジナに過ぎない。社会を映し出す子どもたち、社会の下部構造としての学校。

先日公表された福島から横浜への小学校転校生のいじめも然り。対応する学校、教育委員会、文科省の、権威を背にした善処善導と言う自己弁護と責任転嫁の上での達成感。それぞれの優越意識。言葉を弄していることへの無感覚。もちろんこれも自省。
横浜のことは氷山の一角と断言して言える。そこに公私立の区別はない。今回の一件、何度も投稿している教師の児童生徒学生へのいじめにつながることで、教師そして親の自照自省、その時だと思う。

私は感傷的(センチメンタル)人間だと自認しているから、他者から揶揄的にそれを指摘されまいと気構えて過ごして来た。思いもかけない幸いを得て、隠棲的生活に入って10年を経た今、「人間(じんかん)」を離れ、清閑に自照する日々にあるからなのだろう、時代(社会)の行き詰まりを直覚、思考する人が増えている。ただ、「昭和」を郷愁とかロマンに、「下町」を人情の篤さに一面的に結びつけるような感傷に耽溺しないようには注意している。これも人生過程での「生兵法は大怪我のもと」から得たこと。

政治に確かな姿勢を持たないにもかかわらず憤慨することの多い私は、国際的有為な人材育成としての教育は理解し、実践もして来た。しかし、例えば自己(自我)を主張する大切さに、私自身子ども時代からその要因はなく、教師になってもそれは変わることなく、時に違和感や恥じらいを持つ、その後ろめたさがある。
だから、アメリカに留学した日本人大学生の体験から、「自我を主張する文化」西欧文化と「共感の文化」日本文化に思い巡らせたり、江戸時代の儒学者で、孔子の言う「仁義礼智」の最高善「仁」から「愛」に高め「和合の世界」を説いた伊藤仁斎(1627~1705)について、彼が生きた時代は「政治の時代」で「材、能力が何よりも重んじられ」、「ヒューマニズムの思想の儒教世界における発達はとまり、…国学者・本居宣長(1730~1801)によって近世社会におけるヒューマニズムの思想的立場ははじめて確立した」といった表現に接すると己が心を慰撫し、得心する尊大な私がいる。
この「  」は、日本近世・近代思想史研究者・源 了圓(りょうえん)氏(1920年~)著の『義理と人情』(1969年刊)からの引用で、刊行されて半世紀経つ。

人情について著作から少し引用する。
71歳の私の引用箇所について、96歳の氏はどのように思われ、10代後半の高校生は何を感ずるのだろう。

 

「……情はものに感じて慨歎するものなり。……」との本居宣長の言葉を引いて、「この「情」が日本のヒューマニズムの中心的位置を占めるのである。人間が人間らしくあることを、情を知ることのうちにわれわれは求めたのであり、そしてそれは、王朝文化の歌や物語の中に体現された人間の理想的な生き方であった。……」

(注:「慨歎」との言葉に魅入られる。ただ、「そしてそれは」以下については、全的に共感できない私がいる。これは学校教育を考える時に、どのような学校、児童生徒学生を思い描いて語るのか、とも通ずることである。)

 

(本居宣長が唱える)「「物のあはれ」とは、(1)物や事の心をわきまえ知る、(2)わきまえ知って、それぞれの物や事に応じて感ずる、という二つの心的作用から成り立っている。分析的に言えば、知ること、さらにそれを知性や理性の層から感性の層に沈殿させることを意味する。」

(注:すべての人に公平に与えられている沈殿に必要なものこそ時間であろう。だとすれば、現代の世も学校もあまりにも忙し過ぎる。子ども大人も一緒になって忙しくさせている。)

 

「情が物や事に触れて感動することによって生まれたのが「物のあはれ」であるとすれば、情は他者に向かって発動することにおいて「情け」となる。そこでは情は人や物への共感となる。……「物のあはれ」という美的理念を生み出したとき、西欧ヒューマニズムとはちがった仕方ではあるが、そこには個人の完成への志向があったと言ってよいであろう。しかし個性の尊重という点については、われわれは日本のヒューマニズムが不十分であったことを認めざるを得ない。」

(注:氏は、明治時代の詩人・思想家北村透谷(1868~1894)を挙げ、近代的自我の主導者である“浪漫派”の彼の、自我の没却への転向と自殺について,日本人の「甘え」も視野に述べている。 ところで、同時代の夏目漱石(1867~1916)は“高踏派”と言われているが、高踏派の生き方を思う時、漱石の代表作の一つ『草枕』の冒頭「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」は、意味だけでなく自身の在りよう、自我或いは個性に思い到れるかもしれない。)
私・個の在りようとしての情・情けを説いた後、氏は公・社会の在りようとしての「義理」について述べているが、私の場合「情」の場合と違って「義理」について「「知性や理性の層から感性の層に沈殿させる」には、かなりの時間を要する。しかし、政治的時代の、非政治的な一人の人間の生きよう、在りようが視えて来るようにも思える。

 

先日こんな歌、歌人を知った。[歌人・林 和清氏(1962年~)編『日本の涙の名歌100選』所収の100首目の歌]

「終止符を打ちましょう
そう、ゆっくりとゆめのすべてを消さないように」

2009年26歳、心臓麻痺で他界した歌人笹井 宏之の歌。

林氏の鑑賞に次のような言葉が書かれていた。

「…なぜか生きることの苦手なわかもののかなしさやさびしさ、くるしさが、かろやかな言葉にのって歌われている…」と。
この歌を、歌人をもっと前に知り、2012年に他界した娘に伝えることができていれば、と自責的に想う。

『深夜食堂』の原作者安倍夜郎氏が影響を受けた漫画家つげ義春氏の作品集の解説[映画研究者・佐藤 忠男氏(1930年~)執筆]に、かつての文学少年・青年と現代の漫画少年・青年の同意性のことが書かれていた。私が4コマ漫画(例えば、サザエさん、フジ三太郎等)以外、漫画・劇画が苦手な理由に、はたと気づかされ、そこから我が身をかえりみることにつながっている。
私は中高校国語科教師であったが、文学少年でも青年でもなかった。だから「国語教育は、畢竟言語の教育である」との言葉に、「目からうろこが落ちる」驚きを持ったのかもしれない。

 

2016年10月2日

小人閑居して大人の気を倣(なら)う…… ―長寿化と少子化と教育と―

井嶋 悠

 

カミさん(“妻”より、私が今在り得るに相応しい響きゆえこう書く)が、8月以降、糖尿病と心臓病の精密検査と集中治療で3回入退院を繰り返し、来月20日に心臓弁膜及び不整脈の手術と、手術後3週間ほどの療養のため14日から長期入院する。
在住市が行なう毎年の集団検診で、何度か要精密検査の連絡があったものの、女は男より忍耐強いとの母性自覚と痛い苦しいを言うは江戸っ子の恥で、聞き過ごすこと3年、体と志は別そのままに天が下したのがこれ。
経験豊かな医師曰く「40年程医者をして来たがよくまあ生きておれたなあ。病院に行くのはめんどう、も分からなくはないが、度を越すのも困りものだねえ」の重症。近々に障害者1級手帳が交付される!能力の高さを直覚させ、和み滲み出る医師、看護師に恵まれ、快復の光明を信じているとは言え。

「医は仁術」との言葉が浮かぶ。仁愛の仁。慈しみ。博識の、技術の讃ではない。人の根幹への讃。それは、とりわけ「師」が付く職にある人の必須ではないか、と元教師は自省強く思う。知識、博識で惑わせられるほど若者の感性は薄っぺらではない。もっとも、私的印象ではあるが、教師前半期と比べて後半期(1980年代後半以降)、多知識(者)=優秀の傾向が確信になって来たように思える。
カミさんを導く医師・看護師が醸し出す「気」には一切の衒(てら)い装いはない。私たちに染み入るゆったりした命の響き。大都会ではとうに喪失しているが、「69歳の東女に71歳の京男」の私たち夫婦の一致した思い。

当の本人、江戸っ子気質は三つ子の魂、一日一刻生涯、五月は鯉の浮き流しは健在で、病膏肓(こうこう)に入るは烈し過ぎるし、担当医師に甚だ無礼な表現であるが、大事(おおごと)との自覚は言葉や表情の端々に表われていて、入院に向けた身の回りの準備は正に用意周到。ただ、その態様はまるで子ども時代の遠足準備のようでもある。これをどう取るか。
「私はこのまま。オモテウラない」との常日頃の自負をそのまま受け入れるのか、いや彼女なりの精一杯の気遣いなのか。私はもちろん先の吹き流しの後に続く「口先ばかりで腸(はらわた)はなし」、オモテがすべて、ホンネで生きてこそ気概をただただ信じ、「車なしには生きて行けない車社会」の当地での生活、通院で、「走らない、混雑場所では車いすを使う、1㎏以上の物を持たない、一日の食べ物摂取カロリーは1400キロカロリー以下」等々、幾つもの禁止令を遵守する健気なカミさんに付き添っている。
6階建ての病院の正面入口を入ると、総合受付や薬受け渡し場所等々がある広く明るいロビー(待合室)で、多くの人が行き交う。私は妻の診療が終わるまでそこで待つ。時に2時間くらいになることもあるが、行き交う通院者、入院者、職員、医師は、私に貴重な自照をもたらす。とりわけ老人や幼児は、私を叱咤し、来し方が巡り、今日や明日を思うのだが、それは感謝であったり、悔悟であったり、得心であったり……。

今回の大事も、娘の死による自照自省と同じように、夫婦して気づかされ、見えて来ることは多い。

世は健常者の視線で組み立てられ、動いているとの実感。思い知らされる私の想像力の貧困と字義知識だけの言葉で過ごして来たこれまで。
以前にも書いた、被災後のニュースで知った福島の或る女子高校生の「同情の眼で見るのは止めてください!」が突きつけた厳粛が甦る。昭和10年代の癩病(当時、ハンセン(氏)病との言葉はなかった)作家・北條民雄の「同情ほど愛情より遠いものはない。」の叫びと共に。これは私の中で今もって未解決で、自身の言葉で言えないのだが。
一方で、障害者手帳申請時での説明で知った医療補助制度の厚さ。より具体的場面で実態はどうなのか、また都(と)鄙(ひ)での格差の有無についての確認等は今後のことではあるが。等々。

「慌ただしく」「忙しく」過ごさざるを得ないのが現代で、それが「現代人」の矜持と覚悟はしていても、そういう自身の虚しさに苛(さいな)まれている人は年齢を問わず多い。
都鄙の格差はますます強く厳しく指摘されるが、文明と人、文化と生に思い及ぼすとき、鄙の価値への回帰が確実に始まっているのではないか、それも喫緊のこととして、とこの地に移住して10年、思う。
因みに、カミさんの心臓手術医師団は3人で形成され、3人とも地方出身の地方大学出身者で、カミさんはこよなく3人を親愛している。

「ふくよか」なやさしさ。「しなやか」なやさしさ。「たおやか」なやさしさ。湿潤な土の香り漂うやさしさ。遥か昔、西から、南から、北からやって来た“原日本人”が、海に囲まれ、山川草木に溢れ、四季豊潤な温帯((正しくは亜寒帯から亜熱帯だろうが温帯とする)の日本列島で、何代かの時間をかけて育んだ言葉。和語。やまとことば。
やはり日本は母性の国だと思う。母性=女性の安易さではない原理として。

氷川 玲二[1928~2000:英文学者。1970年、大学教員職を辞し、スペインに定住。ヒッピーの指導者にしてスペインの大学教員を経て帰国。]の、『意味とひびき―日本語の表現力について―』(1995年)(『池澤夏樹個人編集・日本語文学全集30』(2016年)の一巻、《日本語のために》所収)と言う、ひらかな・漢字・カタカナ、和語・漢語・カタカナ語を入口に日本・日本語・日本人を自由自在、示唆豊かに語るエッセイを読んでいたら、こんな言葉に出会った。(私は、筆者についてこのエッセイ以外、経歴的な事しかしか知らないが、天は時折“凄い”人を創る、そんな一人だと思う。)

「ひらがなで生活し、漢字で思考するぼくたちの言語活動」

そして私は「母性で生活し、父性で思考する」と勝手に広げ、日本史の女性男性の幾人かを思い起こし、私の現代日本観に重ね、心を亡くす「忙しさ」、心を荒げる「慌ただしさ」への警鐘ととらえる。
10代のあの瑞々しい感性を確認し、培い、未来を思索し、試行する時間としての学校時間、教育(中でも小学校から高校までの)の本質的(ラジカル)な再考と改革が、長寿化、少子化の日本だからこそできるのでは、との期待を持つ。

私は、なぜ現政権を支持する、政治家、専門家・マスコミ人、官公吏等の大人が、相変わらず50%前後在ることに知情意から受け容れられない一人で、ただ有り難いことに周囲に同意見者は多い。
「金(かね)と武」をもって強い国、大国とする独善を正義と心得、財政難を理由に増税を言い、国民の税金の海外での大盤ふるまい、そのための史上最多の外遊経費の濫費の上記リーダー(首相)が、先日アメリカで、金融関係者を前に「日本の高齢化や人口減少は、重荷ではなくボーナスだ」旨講演したとのこと。
「日本はこの3年で生産年齢人口が300万人減少したが、名目GDPは成長した」「日本の人口動態にまったく懸念を持っていない」「日本の開放性を推進し、一定の条件を満たせば世界最速級のスピードで永住権を獲得できる国になる。乞うご期待です」と意気軒昂に語った由。
聴衆が金融関係者、それも絶対追従の憧憬国アメリカの、と言うことで舞い上がったのだろうが、日本の、貧困にあえぐ子どもやその親(多くは母親)は、更には災害大国日本にあって自身の過失ではないにもかかわらず被災再建の借金を強いられ途方に暮れている人々は、また憂愁と理想の間(はざま)で苦悶する若者は、この意気軒昂をどうとらえるのだろうか。
報道の見出しに「ボーナス」を見、一瞬期待したが見事なぬか喜びだった私は、同じ日本人として首相の厚顔無恥を恥じ、仕事で出会った思慮深いアメリカ人の失笑が浮かぶ。

先日、文化庁の調査で、メールなどで「OK」という単語をひらがなで「おけ」などと表現することがある10代の若者が半数に上る、とのニュースがあった。そこで、或る専門家は「若者の間で入力ミスであろうと、とにかく早く返信したほうが仲間に信頼されるといった思いが強い。若者が常にせかされた社会で生きていることの表れだ」と言っていた。
そこに、なぜ「せかされている」のか、急かすことをさせるのは何なのか、更には誰なのか、との発言がない。(あったのかもしれないが少なくとも放送にはなかった)。マスメディア(マスコミ)が依頼する専門家だからなのだろうか。非常に残念に思う。

教育は(学校教育)社会の、国の礎とは常に言われることである。

【蛇足】私が教育を述べるときは、中高校国語科教師であったので中等教育、国語科教育を糸口にした文系教育からのそれで、理系には甚だ疎い。

教職時、直接に聞いた現教育に係る言葉の幾つかを採り上げる。

その場で嫌悪感を沸々とさせながらも異議申し立てすることなく聞いていた私は、私なりの理由はあるのだが、お前は一体何なのか、との難詰を思い描きながら。

教育関係者の言葉。

「高学歴にこしたことはない。」

或いは、
最近の若者の知的レベルの劣化、低下を嘆き憂い、自身が立つ教育現場の前の教育現場(大学なら高校、高校なら中学校、中学なら小学校)の教育を批判する教員の言葉。
或いは、
学歴社会批判論を展開しながら、己の高学歴を誇示しエリートを自任する一部?の大人の言葉。ウラオモテ。ホンネとタテマエ。
私は、高学歴をひとまとめに一蹴するほど図式的ではないが、有名大学に合格した段階で“終了”し、校名を権威にしての闊歩が多過ぎやしないか。その頂点?と自他?認める東京大学。親族を含め何人かの卒業生と出会っているが、なるほどこれはほんものだ、と思った人はほんのわずかである。
「批判はそこに入学して言え」との叱声は、今もあるかどうかは知らないが、塾在っての進学の現代、所得高額者の子女の高学歴化傾向の現代、にあってはたしてどうなのだろう?それもあっての「大学入試改革」なのだろうが、そのことについては後で触れる。

教育関係者の言葉。

「企業が求める教育でなくては教育の意味はない。」

企業内管理職者の言葉。

「学校で学を教えるのは止めて欲しい。教育は私たちがする。」

「“有名大学”と“無名大学”出身者の協働開発がユニークな製品を産む。」

資本主義社会の悪しき一面として企業を視る人はあるだろう。私はそこまで言えるものはないが、教育を企業と言う一面から視ることに強い違和感がある。国際社会での共存と競争だからこそそういう視点になるのか、とも思ったりするが、発言者が常日頃、多様性の教育、個性伸長等を強調している人たちなのでなおのこと拒絶する私がいる。

[私の中で上記と重なる或るエピソードを。]
当地で出会った当地出身の高卒学歴を卑下する自営業の50代男性。大阪で修業するもその商法・経営法に馴染めず戻り、今ではウラオモテのない真摯な人柄から多くの敬愛を集めている。その男性が或る時、私たち『日韓・アジア教育文化センター』のホームページをざっと見て一言。「日本の教育を変えたいのでしょう」。どれほどの励みとなったことだろう。

金と武の強大性を確固たるものとすることが、不安定極まりない国際社会・グローバル社会での自立となり、先進国として指導的立場となるが、日本の命題であるならば、教育は息苦しいものにならざるを得ないし、「慌ただしい」「忙しい」も「急かされる」とも合致する。
日本は豊饒の、しかし同時に人為をはるかに越えた危険な、自然風土の国。そこにあって、自然と人為の共存共生への伸長は、金と武とどうつなげようとしているのだろうか。

1868年.近代化の大号令から今年で148年。大東亜戦争(太平洋戦争・15年戦争)敗北から71年。1972年沖縄が様々な制約拘束の下アメリカから返還されて45年。
604年の「17条の憲法」の制定から1412年。1603年江戸時代の始まりから413年。現代日本語の源流を知るには室町時代(1348年)からで良いとの説に立てば668年。それぞれの経った時間。
平均寿命80歳の現代日本の文明・文化は、何が基層で、或いは何を基層にしようとしているのだろうか、その起点(基点)とする歴史は、どこを拠りどころにするのだろうか、そして私は何を、どこを?と。

先に引用した「ひらかなで生活し、漢字で思考する」が、「カタカナで生活し、カタカナで思考する」化しつつある現代にあってはなおのこと。

「学歴がすべてではない」を、学歴で苦難の人生を強いられた一部を除いて、全的に否定する人は今では数少なくなっていると思う。しかし、学歴の終着点の一つ大学入学のための教育費過負担と入学後の学費高騰による経済格差、また出身大学歴としての大学格差は歴然としている。大学進学より資格取得度の高い専門学校に進学する若者が増えている。定員割れの危機的状況の大学は、専門学校と連携している。多くが何のための大学進学?と考える。それほどに大学は多い。大学の大衆化による大学の危機。

私の親族の例を挙げる。
精神的問題を抱える青年(男)がいる。某私立大学に事前相談に行ったところ大学側は快く受験を薦め、入学できた。しかし1年後、受講教員から退学を求められ退学した(させられた)。親は未だにその理由が(核心の理由)が分からないと言っている。たまたま家庭の経済等環境がよく、親の元で生活しているが既に30歳を越えている。親は自身たちの死後の彼の在りように心を傷めている。

学歴社会を非とするならば、少子化でますます余剰気味の大学現状なのだから減らせばいいとも思うが、学生保護者教職員等々一命に係ることで、事はそんなに安易ではない。だからこそ求められる質の改革と卒業生の存在・活動成果の、美辞麗句や見てくれの広報ではない広報。論より証拠、と幾つもの学校浮沈を見て来た私は実感する。証拠の一元的価値観残滓(ざんし)を払拭させ新生させるためにも。
私の思考の矛盾は承知しているが、大学が変われば高校も中学校も更には小学校も変わる。変えるのは教師という大人であり、その教師は変える意思によって自身が変わる。教師は生徒によって育てられる。教師が変われば、生徒も保護者も変わる。社会があっての教育から教育があっての社会への教師の明確な意識変革。などと考えるのは私だけかと思うが、少なくとも教師不信に喘(あえ)いだ亡き娘は首肯してくれると思う。

【付記】改革のための中高校制度変革の私案要点を。

○中学校高等学校期間を8年とする。数年前から機能している中等教育学校視点の8年制。
8年間を4期に分けて、入門⇒基礎⇒発展Ⅰ⇒発展Ⅱとし、「卒業論文」をもって終了とする。入門期ですべての科目の「気」を感じ、知り、そこから自身を知ることの重さと発見する楽しさ、感性想像力の涵養が生み出す未来に向けた思索と試行。もちろん、そこには大学受験を意識した「主要5教科目」とか「芸能科目」といった一部の学校関係者が使う差別用語はない。
選挙投票機会が在籍最後の2年間にあれば、緊張感を持った有終となるのではないか。それは高校卒業後就職を選択する者にとってはなおさらのことではと思う。そして、卒業が成人式の年でもある。

○4年制大学の専門性の徹底を意図しての教養課程の廃止と大学院前期(修士)課程の学部移行での4年。
短期大学での専門性前期の浸透、徹底。

○「支援」から「共生」へ、に向けた障害者の受け容れの義務化。(これは先述の私の未解決の課題「同情と愛情」につながることである。)
入学後の共生内容・方法の学校・保護者での合議。その前提となる国の指針。当該生徒の教育及び学校生活上で必要な人員(教員)の人件費等経費の国・地方自治体補助金による保障。)

或る全国紙で、『新大学入試』との表題で、「公平」「安定」は確かかとの見出しを付けた社説(9月15日)を読んだ。

「2020年度から始まる予定の新しい大学入試について、文部科学省が検討状況を明らかにした。」との書き出しで始まり、「思考力、表現力をみる記述式」の国語と数学での導入、そこへの課程(「学習指導要領との整合性」等)と合否採点(「教員負担」の過剰や「採点基準のばらつき」等)での問題が、英語の「話す」「書く」の民間機関の資格試験等結果導入と併せて論じられている。(「 」は記事内の表現)
4年後からのことであり、本質的変革への一歩として是非、実現させて欲しい。
かの「(横断的)総合的学習」の、学校・教師社会の構造改革を措き、「(横断的)総合的学習」と相似の欧米の教育構想を持ち出したり、場当たり的な無節操な糾弾や、更には「基礎・基本」内容を雲散霧消のまま続けられる学習と進路といった過ちを活きた礎石に。

その上での二つの疑問を記す。

○塾の問題

今日、進学成果は塾が必要不可欠であることは、入試問題内容からも明明白白で、そのことへの「理」なくして、「学習指導要領との整合性」云々はどう考えれば良いのか。因みに、“有名大学”進学を誇る“有名進学校”の生徒もほとんどが塾を力にし、海外在留子女のための現地での塾(現地開設や日本の塾の海外塾)の生存競争は、時に国内以上に厳しいその現状への明瞭な視点がないかぎり、「思考力、表現力をみる記述式」は塾・予備校あってのことになる怖れを思う。「小論文」導入とその後、同様に。
こんな疑問も湧く。「この社説を書いた記者及びこの稿を良と判断した上司は、塾に行ったことがないのだろうか」。それとも「塾は成果のための道具に過ぎない」と言うことなのだろうか。
私は、「補習塾」には必要性を思うが、「進学塾」は必要悪と思っている。この必要悪表現はあまりに非現実的暴言だろうが。

○「大学教員負担の過剰や採点基準のばらつき」について

なぜ負担を過剰とするのか。「教育」への大学教員の考え方は、やはり小中高校教員の教育観とは違うと言うことなのだろうか。そうならば大学・大学人の構造・意識改革が必要なのではないか。
また、採点基準のばらつきがなぜ問題なのか。人が人に教え育む人為としての教育での、主観と客観に係る問題かと思うが、思考と感性の記述評価での内容と方法(構成、語彙等)への視点が混在しているのではないか、と入試採点での教師間議論経験から思う。このことは「個性伸長」「多様性への寛容」といったことともつながるであろう。

記者には、「慌ただしい」「忙しい」も「急かされる」も増幅されるばかりだが、現代はそういう時代であることを受け容れなければならない、それほどに厳しい時代であり、長寿化と少子化だからこそ自己を一層深められる千載一遇の機会である、との意識があるようにも思える。

長々と書いて来たが、これらは老いの繰り言と言えばそうかもしれない。人生、喜怒哀楽、欣喜雀躍することも何度か?ある。しかし浮き世は結局憂き世と、差別はなくならないと思う今の私には強い。しかし減らすことはできる。それが人為の素晴らしいところだ、と娘の苦しみを、続く若い世代の人たちが取り込まないことを願う私もいる。

 

 

2016年6月7日

「教科書を教える」 「教科書で教える」 ―教師にとっての教科書・生徒にとっての教科書―

井嶋 悠

前回の投稿で、或ることでの発心から駄文の投稿を続ける二つの理由を改めて私に確認した。
ただ、駄文を綴るにしても私のこれまでのささやかな職業・人生そして学習体験からだけでは、単なる思い付きに過ぎず、少しでも「70にして自照自省、学?に志す」!?の勝手な感得のために、古(いにしえ)の、今の魅惑的な人々の感性をいただいている。
その主典拠は、33年間私を生かしめるに不動の!支柱であった「教科書」である。それは、例えば豊富な読書体験を持つ人からは嘲笑ものかとも思うが、後悔先に立たず、やむを得ない。
今回、その教科書のことを少し書く。それが表題である。

ここで書く教科書に関しては、中高校(私学)の国語科必修科目としての体験からの言葉で、選択科目(必修・自由)でのそれではない。尚、選択科目について、私は以下のことを踏まえ、もっと自由選択を拡充すべきとの考え方である。

国語科教育の目標は、母(国)語である日本語の確かな「理解と表現」(学習指導要領では「表現と理解」)とそのための「言語事項」である。
その目標が達せられるなら「を教える」「で教える」どっちでもいいことなのだが、少なくとも私の知見では、
①教科書だけでは進学受験がおぼつかない ②教師によっては教科書を軽んじている、との現状は確実にある。①を充足方向にしようとすれば問題集に軸足が移るのは必然である。

【蛇足】

この問題集優先指向は、55年前の私の高校時代も同じで、進学校だったからなのか与えられる問題集は『難問集』と銘打たれ、これは他の教科でもその傾向があった。因みに、問題集にも『教師用指導書(とらのまき)』があって、答え(結果)から指導(教授)する教師がほとんどであった。これは、要領のいい同窓が、問題集の出版社からそれを取り寄せて知った。更に蛇足を加えると、期待をもって異動した某校・上司に幻滅、憤慨し退職した後、家族生活のための一方策として塾教師を2年間した折、この方法で良いのか経営者・同僚に確認したところ、何を今更との冷ややかな視線を受けた。
②については、大学併設の一貫校の、特に高校で多い。

①について。

なぜそうなるか。各段階での入試問題に表われる上級校教師の学力観と教育観、その背景に在る社会・教師の年齢(学齢)適応学力観、それがために今では必要不可欠ともなっている“進学”塾(予備校)、といった“異常”については既に投稿した。
その結果、例えば中高大一貫校で、志望学部が無い等の理由から他大学受験を希望する生徒は、在籍校授業を軽視し、塾授業に傾注するといった事例は多い。

②について。

人格、教授術共に優れた教師の場合、国語好きを増やすかとも思うし、在職中憧れに似たものを持ったこともあるが、自照自省の今、後述するように、遅れ馳せながら?疑問の方が強い。

 

「教科書を教える」「教科書で教える」

これは、在職中に知った表現で、あくまでも教師側からのもので、在職中“ダメ教師”と同僚や同職者から揶揄されることも多かった私だったことも手伝ってか、後者を憧憬していた。
しかし、70歳を越えての過去と現在と未来の思い巡らせに在って、後者は傲慢尊大そのもの、前者こそ在るべき教師像と思うに到っている。

「で」教える。 何を教えると言うのだろう? 人生? 文学? ……

そういう教師が、10代の生徒の心に、ずけずけと誇らしげに、多くは問答無用で押し入り、また時には過度に迎合し、どれほどに傷つけていることか。瑞々しい感性は、そんな教師の人としての愚劣さを、とうに直覚しているのだが、不器用な生徒は苛(さい)なまれ、もがいている。今は亡き娘もその一人であった。
自身も元生徒だったことなどどこにもなく、事実かどうかは別にして模範的優等生であったことを、或いは己が高学歴を矜持するかのように「今の子は何を考えているのか。到底ついて行けない」と言う。
私は劣等生との自覚があったので、さすがに矜持はなかったが、自身が気づいていないだけで彼ら彼女らの心を傷(いた)めつけたことは数限りなくある……。
それでもそのときどきで心を尽くした思い出もあり、少数であれ、私を良しとする同僚・同職や教え子・保護者に励まされ、交流を続け、それがあって33年間勤められ、そして今在る。

教科書は、何をおいても教科書を教えるべきだ。
日本文学(国文学)・国語(日本語)に造詣の深い人の、教科書への不満はしばしば耳にした。しかし、それらは選択科目で講ずれば良いことで、教科書に掲載されていることの確かな理解が確かな表現を導き、確かで広い関心興味が喚起され、後続の選択講座に向かう、それが各人の自己個性化につながる。そのことがそれぞれの学齢・年齢での、知識からその人の智慧への昇華だと思う。漢字が多く読め、多く書けることは素晴らしいことだとは思うが、誤解を怖れずに言えば、それは国語力の真髄へのほんの一部のことに過ぎない。

国語教科書の出版社は5,6社あるかと思うが、これも私的感覚ながら、大同小異である。
教科書は1年間で終えるのを基本としているが、掲載作品すべてを終えることは到底不可能で、ましてや整理された丁寧さで教授するとなればなおさらである。にもかかわらず、あれほどの掲載量があるのは、学校特性、教科特性そして教師特性による採択学校の個性の発露ため教材選択への配慮であろう。後は、学校・教師の姿勢の問題である。そしてそこに具体的で現実的な「基礎・基本」が炙り出されて来るのではなかろうか。
私は「整理された丁寧さ」と、羞恥心もなくしたが、ここには「教えることは学ぶこと」また「教師は向き合っている生徒に育てられる」との思いが込められている。

散文であれ、韻文であれ、教師は教科書掲載作品について、あれがない、あれがあるべきだ、と言う。それは仲間内での談義であって、教科書では不毛な議論である。
編集者・監修者またそれを選ぶ出版社の良識、良心を信じ、豊かな教授を目指し、その後は個々の生徒に一切を委ねるべきだ。そのことで国語科教育の「基礎・基本」、国民の共有が生まれるのではないか。
そこから、現在の入試制度、内容、また在籍期間を含めた単位履修等の学校制度、内容の変革が視えて来るだろうし、高校の義務教育化、大学の大衆化といった今日的課題への視座も明確になるのではないか、と思う。
日本が長寿化、少子化の道を歩んでいる今、カネ・モノ発想からの諸施策ではなく、だからこそできる可能性を思う。それこそ次代を担う子どもたち、若者のために。若年と老年が「哀しみ」から「愛しみ」溢れる世界に冠たる国へ。

最後に一言。教科書検定制度について。
私は、学校(主に私学)、地域(主に公立)それぞれが責任をもって検討、採択することの有効性を考える制度反対の一人であるが、国語科の場合、例えば社会科のような難しさはまずないように思う。

 

 

2016年5月27日

水、その天恵と現代日本私感 ~自然と日本人の感性と教育~

井嶋 悠

「ブログ」への投稿には、繰り返しになるが、二つの理由がある。
一つは、娘への鎮魂であり、遺志の共有であり、他者との共感への期待である。
一つは、遺志とも重なる、私の独り在ることへの糧とすること、そしてこの私を今日まで生かせてくださった、妻をはじめ多くの方々への贖(あがな)いでもある。

前回、五月にちなんで〔皐月の鯉の吹き流し〕と日本(人)について、私の中の小さな整理を試みた。
今回、「水無月」(旧暦6月)にちなんで、水と日本(人)について、新たに小さな整理を試みる。
二つの投稿理由とつながることを、小さなが私にとって大きくなることを願いつつ。

「日本人は水と安全はただだと思っている。」これは、イザヤ・ペンダサン(筆名)(山本 七平氏)が、1970年に刊行し大きな話題となった『日本人とユダヤ人』の中の一節である。
私の場合、海外旅行や出張の体験から「なるほど」と思ったが、ここでは「水」の方にだけに関してで、今では毎日当たり前のように飲んでいるミネラルウオーター(有料)との出会いもそうである。
私が初めて行った外国は35年ほど前、外国旅行を生きる力にしていた父親の、ネパール旅行の付き添いで、そこでの体験は鮮烈な爽やかさと日本を考えるに満ちていて、今の私の心の底にその体験から得た智恵は確実に息づいている。ただ、今回の趣旨とは外れるのでここでは立ち入らない。

私は、海外・帰国子女教育や外国人子女教育に、国語科教師であったがゆえになおのこと、私の日本語・日本文化への無知蒙昧さ、そしてそれを端緒とした日本理解の浅薄さを自覚させられた一人である。
その海外・帰国子女教育や外国人子女教育との出会いは、最初の勤務校私立神戸女学院で、最後は日本で最初のインターナショナルスクールとの協働校・私立千里国際学園で、その関係から海外に出張する機会があり、とりわけ後者での校務「入学センター[アドミッション・オフィス]」上、非常に多かった。
(この出張、特に後者の場合、内容と経費そして成果に、当然厳しいものが求められ、それまでの実施やその都度の批判等に応えるべく、事前事後に学内全教職員に内容を学内メールで配信するよう努めたが、ここでも教師(間)の意識のズレの問題を具体的に思い知らされた。)

日本の水道は、安全性また味覚性からも世界的に優れていると言われている。それがあって、大都市圏では「水道水の安全性」について約70%の人が安心と感じていて、「水道水」以外の水(ミネラルウオーター等)を飲んでいる人は25%前後、また「水道水」をおいしいと感じている人は約55%とのこと。
阪神間に住んでいた時は、日々の生活でのミネラルウオーター使用頻度はそんなに高くはなかったが、ここ栃木県北部に移住し、水道水が以前より舌に心地良いにもかかわらず、当初あったミネラルウオーターへの「何という贅沢」との気持ちも麻痺し、水道水を飲まなくなっている。 味覚は感覚の中で保守性が強いとは言われているが、調理は以前と変わらずほとんど水道水なのだから、子ども時代の水道水=不味いがこびり付いて離れていないのかもしれない。それとも加齢も加わっての自然への回帰が強くなっているのかもしれない……。

水道水は、主に河川の水や地下水を厳しい基準に基づいて殺菌消毒して各家庭等に配水される。日本の自然水(天然水)は、ほとんどがカルシウム・マグネシウム含有の少ない軟水で、当然国産のミネラルウオーターは軟水で、農業国の多くはそうとの由。因みに、欧米は含有量の多い硬水とのこと。
軟水の特性として、日本料理向き、石鹸の泡立ちが良いとかで、インターネットで「水道水」を検索するとそこで見た情報の一つには、両者の特性から人間特性まで言及していてなかなかおもしろい。

日本の国土は、森林山岳 : 66.4%  農用地 : 13.2%  宅地: 4.7%  道路: 3.3%  水面・河川・水路 : 3.5% その他 : 8.9%で、日本がいかに豊潤な水の国であり、その水が私たちの文化、心を育み、沁み入っているかにやはり思い及ぶ。

「水は与え、水は奪う」。水田が瑞穂の国を創る一方で、水害は多くの命を呑み込む。
5年前の東北大震災、今も続いている熊本・大分地震、また毎年必ずある自然災害からも明らかなように、日本は、その位置,地形,地質,気象などの自然的条件から,台風,豪雨,豪雪,洪水,土砂災害,地震,津波,火山噴火などによる災害多発国で、生命、生活を繁く「奪う」。だから春夏秋冬と人生、命を重ね、自然からの賜物に心研ぎ澄ますことが自然体でできるのだろう。
にもかかわらず、私たちは、国を主導する人々は、自然災害への深謀遠慮があまりに無さ過ぎるように思えるし、ここでも対症療法でのその場しのぎ的対応で政治家等は善政と大見得を切っている。
例えば自然災害からの事前整備、また事後救済支援の「国土防衛費」の最優先による、国の方向性への本質的見直しが、どれほど行われているのだろうか。 平和理念と実践の己が正義のイタチごっこが今も続く現在、軍事防衛費不要との観念論は持ち合わせていないが、この私見は非現実的観念論の域を出ないのだろうか。 ただ、昨今、政治家だけでなく、日本経済のためにとか、人々の安心生活のためにといった抽象的大義名分の下、様々な領域での自己特別・独善意識からのカネにまつわる醜態が、多過ぎやしないか。
主点の「与える」(天恵)に話を戻す。

山紫水明。その美しい響き、心休まる想像への誘い。
この美称は、まず京都への表現として生まれ、後に広く流布するに到ったのは、江戸時代の儒教思想家で幕末の尊王攘夷者たちに影響を与えた頼山陽が、自身の居宅(京都・丸太町)の書斎を「山紫水明処」と名づけたことによるとのこと。
京都・四条大橋の下を流れる鴨川(賀茂川)のほとりにたたずめば、北山・東山・西山(もっとも今日西山は望めないが)の京都三山に囲まれた京都の風情を感じ、これほどに近代化としての都市化が進んでいても山紫水明はそこにある。
現職時代の教室、清少納言が書き留めた「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」を授業するとき、彼女の目線に沿って拙い説明をしたことを、また鴨長明の人生観「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」を、ほろ苦い懐かしさで想い起こす。
それは私の心底に川、水に、澄明な美しさと人生を直覚する日本人の感性があってのことと思う。

生徒たちにほとんど教科書『を』教える域ながら(だったからこそ?)私自身が学んだ、例えば以下の歌は、私に名歌と思わしめるに十分だった。

『萬葉集』「東歌」の一つ

(この歌には、母音子音や「さ」行音の組み合わせによる音感の美しさがより醸し出す、多摩川で布をさらしている若い女性の澄明な輝きに心奪われ、それを「愛(かなし)」と見ている男性(やはり男性だと思う)に強く共感する私がいる。)

多摩川に さらすたづくり さらさらに 何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき

『百人一首』の一つ  在原業平の歌

千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在平 業平)

ただ、この場合、つい古今亭志ん生の貌が浮かぶ私もいるが……。

これまた或る因縁なのだろうか、今住む地の近くに日本で一番長い伏流水の川と言われている、蛇尾川(さびがわ)と言う川がある。伏流の後、下流地のあちこちで湧水として貌を出すことを聞くとき、心をときめかしながら想像を広げる私がいる。
私が想う川は、せいぜいで鴨川ほどの大きさ(川幅)で、例えば上海で観た揚子江下流のような巨大な川ではない。その中国で言えば、日本人が心の糧を得て来た一つ、山水画に多く描かれている川、或いは川に到る前の渓谷の流れである。

これも古典教科書常連の、中国4世紀の田園詩人・陶淵明(陶潜)の『桃花源記』(桃源郷を詠う詩)で、その地に行くに、主人公は渓谷の川(谷川)に沿って進んで行き、水源の地に到る。
人びとは上流山岳地に滝を想い、見、滝のある所を聖地として崇め、そこは命の源(母)であり、同時に常世(永遠の生)の国「蓬莱」は東海の東に在るとの信心となり、死(仏教信仰では「渡海」は死を意味する)の絶対平安の世界に下って行く姿にまで思いを馳せる。その水は、天と地(海・河川・湖沼)を循環し、私たちはその恵みと怒りに与(あず)かる。
人間の体の約60%は水で構成され、この世に現われる前、未だ神の元のままに生命(いのち)に終止符を打たざるを得なかった幼子を私たちは水子と呼ぶ。

そんな想像の回遊の先に、現代への啓蒙者であり警鐘者である、紀元前6世紀前後の中国、孔子(『論語』)への批判者でもあった思想家老子の貌、姿を視る。
老子が「最上の善」を説くにあたって「水」を比喩として使う箇所を引用する。

【書き下し文】 上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

【現代語訳】 最上の善とはたとえば水の様なものである水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。

老子の天意、自然への謙虚な同一化を想い、現代文明社会人への啓蒙にして警鐘に同意共感する。併せて、古(いにしえ)の中国人の「外では孔孟、家に帰れば老荘」に同じ人間としての膚(はだ)の温もりにほっとする。 老子は、母であり、母性の人である、とやはり思う。

「聖水」の日本的、東洋的?心象の広がり。 にもかかわらず在るおぞましい現実。その一つを身近なことから挙げる。
私の家から車で南に40分ほどに、塩谷(しおや)町と言う地がある。環境庁(現環境省)が1985年に選出した『日本名水100選』の一つ、尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)の地で、日光国立公園の一角でもある。(因みに栃木県では名水地はもう一か所ある) そこの国有地を、福島第一原発災害の放射性廃棄物の最終処分場候補地にしたい、と国が言明し、町が拒否し1年半が経つ。国は執行官を使って強制調査に入ろうと試みたり、現地の理解を得るべく真摯に話をして行きたいと言う。いずれ強制執行の可能性もある。沖縄同様に。
私は塩谷町の一事に、この国の意識、姿勢に、政治(家)の傲慢、独善の象徴を、そして 言葉の嘲弄を見る。そこにある意識こそ官僚的そのものではないか。文明の繁栄とは、この理不尽を絵に描いたようなデタラメをも呑み込まなくてはもたらされないということなのだろうか。これも現代の信条、合理と効率なのだろうか。 西洋の言語観には、人々の精神的支柱のキリスト教『聖書』にある「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」(新約聖書『ヨハネによる福音書』の冒頭)があると言われているが、日本では「言霊信仰」である。両者は表現の違いだけであって、言葉の力の背にあること、根底に在ることは同じではないかと思う。どちらも言葉に唾(つば)するなと言うことにおいて。
言葉は、人間が自身の利己的正義に使う道具のために創り出したものではない。

韓国では「八方美人」は多才としての褒め言葉だそうだが、日本では軽薄の誹りは免れ得ない、と私は思っている。もっとも時代の高速的変容からこの私の考え方は旧時代的かもしれない。『転がる石に苔むさず』の日・英解釈と米解釈の違いと現代の変容のように。前者は人間観で後者は人生観ゆえ、同列でみるのは無理があると思うが。
日本は自他公認の経済大国であるが、瑞穂の国がゆえのそれではなく、明治時代の殖産興業・富国強兵施策による工業振興があってのそれである。そこに《農魂工才》があるかどうかは分からないが。日清、日露両戦争勝利が、一部良識ある人々の不安と危惧を排斥し、“大日本”推進施策は加速され、太平洋戦争敗戦にもかかわらず、謹厳実直、勤勉な国民性に、1960年代から70年代の朝鮮戦争、ベトナム戦争特需が追い風となって高度経済成長を遂げた。しかし、それは水俣病をはじめとする人と自然の命の人為としての収奪、公害で犠牲になった人々、今も苦しんでいる人々の上にあることを、ついつい忘れてしまう私がそこにいるのだが、しっかりと心に銘じておく責任を思う。
その現在の産業別割合は、第1次産業 5,1%、第2次産業 25,9%、第3次産業 67,9%である。

日本人の国民性?としてしばしば採り上げられる「水に流す」は、時に痛烈な批判対象となる。 日本の侵略、植民地支配の正統性を昂然と主張する然るべき立場の人々がいるが、公害問題でも同様の主張があるのだろうか。福島原発爆発による自然と人間への災害は明らかな公害だが、政府財界協働しての原発稼働推進が行われているのはなぜなのか。文明の進歩のためには犠牲はやむを得ないとの恐るべき論理が正義ということなのだろう。水を汚す権利は誰にもないはずにもかかわらず。

一方で、国民一人当たり800万円の超借金大国でもある。専門家は「借金だが借金ではない。」と専門家や教師にまま見られる上から目線で、総額約1049兆円の借金を慰める。
学校世界で「(あの生徒は)優秀だが優秀ではない」と言えば、学力観視点からその意味は承知できるのだが、この「借金」論法については、他にもまして勉強不足ゆえここで留める。
もっとも、政治学者から政治家に転身した、今話題の人物[知事]の「表現と理解」力があれだから、凡夫の私などは「触らぬ神に祟り無し」「生兵法は大怪我の基」こそ生きる知恵とすべきなのだろう。
尚、上記「表現と理解」は、文科省が提示している『学習指導要領』の国語科教育目標の要諦で、その本文は「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」である。

現代日本は長寿化、少子化で、国際化と言われ始めて随分経ち、今ではその「化」が取れ、ごく自然に国際と言われているように、いずれ長寿・少子と言われることが自然になるだろう。そのことを危機ととらえている(のかどうか)政治家たちは、カネ・モノそのままに対症療法を重ねている。そして同朋の約半数がその政府施策を支持するのが現実だが、私は今こそ日本再建の絶好の機会ではないかと頑なに思っている。 私の公私体験的言葉として言える一つであり、冒頭に書いた投稿理由でもある、学校教育(私の場合は(私学)中高校教育)について、これまでに具体的提案も含め何度も投稿して来たので簡約して記し、今回の「水」を入口としての駄文を終える。

学校は人間で構成される。教職員、生徒、保護者。私は元教員で、劣等生がひょんなことでなった“偶々教師”からか、そこに娘のことが重なって、尊敬・敬愛する先生方(小中高大)があるにもかかわらず、自照自省、教師(学校ではない)印象はすこぶる悪い。娘の心に寄り添えば憎しみにも近い。その私を、或る人は偏屈と言い、或る人は屈折と言い、痛罵する。 但し、私と違って寛容さを持ち得ていた彼女は、天上から哀しげに見てくいると、生前の彼女の私への言葉から思っているが。
戦後、日本は民主主義になった。しかし、民主主義の難しさは、例えば教室での多数決は、確かに討議を経てのことではあるが、それは限られた時間内でのことで、はたして実質、内容においてこれが民主主義なのかどうか、生徒そして教師は思い巡らせることも多い。
では、その学校社会そのものは民主主義社会か、と聞かれ、私は胸張って「そうだ」とは言い切れない。対生徒に、対保護者に、対職員に、そして対教師に、事が先に進まないとの現実があるとは言え、民主主義の持つ「専制性」は否めないのではないか。

学校社会の、教師世界の、閉鎖的で権威的との批評は、戦前の目に見える姿ではない中で確実に聖域観が生きていているからなおのこと、一層深刻とも思えなくもない。
学歴社会が大方理屈だけのことで(このことは学歴批判するマスコミの報道姿勢を見れば明らかである)、しかも、長寿化にもかかわらず「18歳人生決定観」は脈々と生き、その学歴獲得に塾産業(「進学塾」と「補習塾」が考えられるが、ここで私がとらえているのは前者である)が必要不可欠で、そこに知育・徳育・体育三位一体教育論が声高に覆いかぶさり、文武両道とは違う八方美人的「ひなたの人生」論が主流となれば、閉鎖的権威的学校社会は当然の帰結かと思う。
教育費は途方もない比率となり、一方で「子どもの貧困」が年毎に増え続けている現代日本。民主主義の「民主」の「民」とは、どういう人々を言うのだろう。富者の、強者のそれであり、それに疑義を呈するのは、競争社会の敗者ということなのだろうか。 教育議論で学校・生徒学生を言うとき、その具体像がそれぞれ違うにもかかわらず議論が一見収斂するかのように。

日本が「山紫水明の国」であったのは過去のことで、「文明の発展と幸福」のためには「水に流」したと言うことなのだろうか。近代化の範として来た欧米諸国が疾うに自省し、日本の伝統に学ぼうとしているにもかかわらず。このことは政府等の「外国人観光客誘致」施策の視点とも関わる。
『G7首脳会議』が日本で開催され、それに先立ち先日教育相会議が開かれ、日本の文科相は「教育は未来への先行投資。あらゆる子どもが社会から排除されない機会をつくることが重要だ」と述べたとのこと。
他国の教育相がこれをどう聞いたのか、日本はどういう先行投資を考えているのか、その前提としての日本の未来像はどう描かれているのか、あらゆる子どもが排除されない機会を日本はどのように設けるのか。一つ一つ、具体的に聞きたいことばかりだが、【形容語】はその人の価値観の表出につながることを怖れてか、いつものように抽象的美辞麗句でしか返って来ないだろう。

旧知の人物も含め「企業人養成が教育の主たる目的」と断ずる人は少なくない。そう考えた時の教師像ひどくさびしい。少なくとも私には。
学校教育にあっては、各個が自由に、広汎に自身を探索し、人生設計を試み、挑戦する場であり、教師はその補助者であり、助言者であると言う意味での指導者で、だからこそ教え育む「教育者」である。
しかし、中学校教師は小学校教師を、高校教師は中学校教師を、大学教師は高校教師を、「何を教育しているのか」と批判し、時に絶望の響きさえ発し、進学塾教育を無意識下に前提として(或いは絶対必要との信念に立って)入試問題を作成し、その上に入学者の学力不足に(だから一層?)絶望の響きさえ漂わせ嘆く。
管見では、それはとりわけ高校教師、大学教師に多い。 一長一短。大学の大衆化の短所なのは明らかだが、では、大衆化の長所として政府は、何を期待し認可したのだろうと素朴な疑問がある。これも「対症療法」なのだろうか。

大学教師は小中高教師と違って学歴不問である。のはずである。しかし現実はこれも周知のことである。
くどくど言うまい。私の体験、知見から二つの事実を挙げる。これらは、決して稀有な事例ではない。

○2003年初刊の、日本古典文学啓蒙書の執筆者・首都圏の私学教授(1947年生)の序のことば。  「日本古典文学への関心低下を危機的壊滅的、と嘆きこの書の意図を述べる中、次のように断ずる。

―日本文学・国文学の基礎を教える中等教育、中学・高校の国語教師の読書離れと古典文学オンチ    が目を覆うほどであるからにちがいない―」と。

私はこの発言に大学教員の特権階層意識の象徴を見る。教育をどう考えているのだろうか。数年前まではなかったと思うが、とみに増えている「大学院教授」との呼称はそのことと関連があるのだろうか。

○或る私学中高校。この学校は今日の塾教育を鋭く批判し、新しい(学内の問題意識高い教員の言葉では、本来の)教育を旗印にしていたが、教員間で出された苦悶の発言。「本校生徒の学力では望む教育ができない。」

これに対して入試方法の変更意見もあった由だが黙殺されたとのこと。理想と現実の一例ということで処理されるのだろうか。 その学校教員の学歴は、いわゆる高学歴で校長をはじめそのことを矜持自得する人は多い。
因みに、新興私学は高学歴教員を多く採用し、それを広報しているが、中途退職者も多い旨、知人の某私学生徒だったお子さんの体験として聞いたことがある。

世の光を受け20年前後に到る10数年間、言葉(論理)より先ず心(感性)がほとばしり、それに理知を懸命につなげようとする人生の基礎時間。
「個を育てる教育」。
この標語が言われて何(十)年経つだろう。私の小さなそして無責任な経験では、“その他大勢”の生徒にとっては有名無実、と言っても極端ではないと思う。
(これまた管見にして、経験のない無責任ながら、世に言う「底辺校」に教科学習と言った狭隘さから  離れた確かな学習への、教師の、その教師・学校に誘発された生徒の確かな成果があるように思える  ことも少なからずあった。)

日々の生活に、将来の生に、心平安に自と他に広く思い及ぼしながら自問する時間こそ教育であろう。その時、一部?の中高各科教師、大学教師やマスコミ人が、それぞれに言う基礎基本の独善を洗い直し、生徒の自主自発からの「自由選択」の大幅導入や、「主要(5)科目」の「主要」表現使用への異議申し立てにつながる、多知識=優秀の一面的等式から脱する意義を、老若学外者が生の言葉でもっと厳しく指摘し、中高校大学の在籍期間も含め根本的見直しのその時を迎えているのではないか、と思う。
70年前の決定的敗戦と悔悟を再出発に、経済大国となり、今では世界に冠たる長寿化にして少子化の、水と自然が育んだ歴史と伝統を自然体で持つ日本だからこそ、なおのこと私は思う。

【追記】 今日、オバマアメリカ大統領が、広島平和公園で予想をはるかに越えて17分間の平和への願いを語った。 その中で、韓国朝鮮の人々の犠牲に触れたことに、氏の国際への自覚と豊饒な人格と、そこに到る幼少からの道程(みちのり)を思うと同時に、ノーベル平和賞を受けてからの現在への、アメリカの大統領であるがゆえの途方もない苦悶を見た。