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2018年6月28日

大人(おとな)になる・大人である

井嶋 悠

2020年から、成人年齢が、欧米の多くがそうであるように、18歳に引き下げられることになった。私たち[日韓・アジア教育文化センター]の仲間である韓国・中国は20歳のままであるが。現代の社会状況また教育事情、更には情報〔過多〕社会事情からも得心できる決定だと思う。

今回、「大人(おとな)」各人各様、世代、考え方、生き方によって「理想の、或いは善しとする大人像」は違うと思うが、私の大人像について自照整理したい。これも、数限りなく過ちを犯し、やっとのことで得つつある心中の、「他山の石」「人の振り見て我が振り直せ」である。

10年ほど前の発言である。
「最近、地下鉄などで老人に席を譲る若者が減りましたねえ。」
発話者は、私より少し若く、韓日で敬愛され(世代交代から主に50代以上の人々から)数年前に定年退官し、今悠々自適の日々を過ごしているソウルの高校の韓国人男性日本語教師である。彼は【日韓・アジア教育文化センター】の役員でもある。
その彼は続ける。「譲られる老人にも問題がある。譲られて当然との姿勢。そのことへの若者の反感反撥がある。韓国は儒教の国と言われているのですがねえ。」

 

「老人」を“印籠”とするかのように、社会的弱者であることに同情を寄せさせ、己が絶対の聴く耳持たず、持論を滔々と弁じ、傍若無人な振る舞い、障害者等に該当しないにもかかわらず優先駐車場に車を停め等々に、日本で、現住地で少なからず出会った高齢化大国日本の末席を汚す私は、彼の言葉に同意同感する。
これらは「好事門を出でず、悪事千里を行く」の類と思いたいが、併せて、昔は云々、とか田舎の人は善良だ、といった例の文言を言うつもりもない。それらは或る偏見だと思っている。
私たちの家は、関東北部の豊かな自然に囲まれた清閑の地にあり、この地域の居住者は10世帯。半数は移住者で、後の半数は地元の人である。移住者の4世帯は首都圏から(内1軒は別荘)、そして私たち関西からである。最近こんなことがあった。
この1年程野良猫が3匹居ついているのだが、その理由は首都圏からの移住者2人にある。1人は時折来る別荘族の老人(男性)で、来ては餌を与え己が猫愛を言い、もう一人は50代後半の男性で、こちらで単身〈家族は東京〉仕事をしている。後者は、不在中の昼になると「にゃんにゃんにゃん」と自分で吹き込んだテープを定期発信している。(さすがに今は止めている)
私たち夫婦は、その無責任に憤っているが、直接に言えず、そうかと言って市役所に言えば密告者として直ぐ特定され不快になること明々白々。
そんな中、先日6匹の子猫が現われた。当然、実に可愛い。私はひたすら抑制し、眼が合っても無視し近づかない。心切ないのはもちろんである。しかし二人とも一切知らぬ態である。二人は、それぞれに社会的上層人(何をもって上層とするかがあるが、ここでは富裕者としておく)で、一人など某国の子ども支援をしていてそれを吹聴している。
尚、私たち夫婦は、結婚以来継続して犬を飼っていて、現在5代目である。

気になって、犬や猫の「殺処分」の実態を確認してみた。
2015年度の殺処分数は、約8,2万頭(現在、哺乳動物は匹ではなく頭を使うようだ)[内、犬が1,6万頭、猫が6,7万頭。]1日に換算すると225頭。それでも自治体や民間団体の尽力で10年前の3分の1に減少しているとのこと。
放置し、殺処分に到る理由について、この調査では以下のように記されている。

『やむを得ない事情もあるかもしれないが、大半は人間の身勝手な都合による。例えば、引っ越し先に連れて行くのが面倒。世話が面倒。避妊手術をせず無計画に産ませた。可愛くなくなった。飽きた。』等々。

上記二人は、身勝手の一つの極ということだろう。
以前、殺処分の任にある人が、インタビューにその身勝手を怒っていたことを思い出した。
そしてペットショップでは、犬や猫が高値で販売されている。都心の店で、子犬、子猫が40万円50万円で売られて(この言葉自体、非常に抵抗があるが、そのまま使う)いるのを見たことがある。

一方で、東京都内でさえ問題が顕在化しつつある家庭の、子どもの貧困。更には、しばしば指摘される世界の子どもたち、大人の、貧困と内戦等による飢餓、命の危機の現在。
錯綜、不明の時代、現代……?否、永遠の!課題、難題。
高齢化と少子化の途を突き進む日本にあって、アメリカ・中国・ロシアの「大国主義」と一線を画し、「小国主義」(田中 彰[1928~2011]日本近代史研究者)「小国寡民」(老子)の再検討の時機ではないか、と思ったりもする。
反面教師だった一小市民の反時代的意見?

土地の人から「首都圏から来て山中に犬を棄てて帰る人がいる。」と聞いたこともある。他にも、大型家電製品を廃棄する人もあるとか。
言うまでもなく、ここで言う「人間」とは「大人」である。そして老人は、大人の先輩格である。

【付記】犬の養育には非常に経費がかかり、それは猫の比ではない。そして私たちは最近保険に入った。世は“癒し、癒し”の時代!?保険をもっと充実、拡大すべきと実感として願う。

いささか唐突、牽強付会の感を持たれるかとは思うが、犯罪統計を見てみる。
報道等を見聞きしていると、犯罪の過多を印象づけている人は、私も含めて多いように思うが、実際は逆である。例えば、私が25歳の時の1970年と今(2016年統計)では、特異な犯罪(例えばオウムサリン事件や相模原障害者施設殺傷事件)はあるが、刑法犯罪の全体数及び人口10万人中の発生率もおおむね減少傾向にある。「オレオレ詐欺」等の詐欺犯罪も。
なぜ過多の印象を持つのか、マスコミの取り上げ方(劇場型?ドラマ嗜好?)なのか、政治(家)の意図なのか(不安を煽ることでの支配管理指向?)、国際化のなせることなのか(不法外国人への転嫁?)…。
「島国日本」の長い歴史の自省と試練の過渡期なのだろうか。
いずれにせよ子どもに与える影響を思えば、すべての責は大人にある。
ところで、著しい増加傾向にあるのが「児童虐待」である。つい先日、あまりにも酷(むご)く哀し過ぎる『結(ゆ)愛(あ)ちゃん虐待死事件』があり、逮捕された父母は何を語っているのだろうか。
このことについては、私の教師及び親の体験からいずれ整理したいとは思っているが、ここでは参考に統計数字を挙げ、専門家の一節を引用しておく。

○相談件数  1990年    1,101件

2016年   122、578 件

虐待死   2012年   99人
(内、虐待死 58人  心中死 41人(この数は、2006年の142人をピークに以降、増減を繰り返している。)

○川崎二三彦氏・児童福祉司(1951年~)著『児童虐待』のまえがきより。

「保護者は子育てのさなかに、なぜかその子を虐待してしまい、虐待を繰り返しつつ日々の養育にたいへんな労力を費やす。他方子どもは、虐待環境から逃れたいと切に願いながら、同時にその保護者から見捨てられることを恐れ、あくまでも保護者に依存して生きていこうとする。だから児童虐待は、保護者にとっても、また子どもにとっても大いなる矛盾であり、必然的に激しい葛藤を引き起こさざるを得ない。」

「児童虐待の問題は単に関係者、関係機関、あるいは専門家等に任せるだけ
では決して解決するものではないということだ。児童虐待を生み出したのがわが国の社会だとしたら、それを克服するにも社会全体で取り組む、つまり私たち一人ひとりがこの問題に真剣に向き合い、考える必要があるのではないか、と私は思う。」

様々な場面、世相を通して、現代の大人は「カルイ・カルクなった」との苦言を聞くことは確かに多いが、では昭和の、大正の、明治の、江戸の……時代の人は[重厚長大]だったかどうか。先の犯罪統計と同じで、安易に言い切れるものではないのではないか。平成の30年間を迷宮の時代と言う人があるが。
ただ、情報の溺死寸前ほどの氾濫状況、匿名による責任回避の誹謗中傷の無軌道(と言う私は、現政府等のように制度化、管理化推進者ではない。だから難しさを一層思う)、また時間の余裕の無さは、過去にはなかったことだけは確かだろう。
メール等現代情報機器を使った陰湿ないじめ(子ども同士、大人同士、大人の児童生徒学生への)、そして自殺。石川啄木の「はたらけど はたらけど猶わがくらし 楽にならざり ぢっと手を見る」と状況等は違うが、経済大国にして先進国を喧伝する日本での[ワーキングプア]。

次代の日本は、18歳で社会的に大人として承認された若者に始まり、現20代30代40代50代60代の人々によって創られる。70代の私やそれ以上の世代は、それをあたたかく見守ると同時に、己が正負行為からの自照の言葉を送り、託し、何かの役立ちを願う立場にある。
もっとも、小学校同窓の一人(女性)は、病を抱えながらも、土日以外は毎日午前2時に起床し、自転車で仕事場に行き、現場を夫と切り回し、家事も疎かにすることなく精励している。
先日、或る70代後半の女性国会議員が、テレビ取材で意気揚々得々と現役宣言をしていたが、世の「定年」という現実、それぞれの場・世界で、悲喜こもごも心身尽くして来た人々を無視したかのような発言に、国政に係わる人の尊大傲慢を痛感した。大仰に言えば、そこに日本の病巣を見た。先の同窓生との質の決定的違い。

時代を、世相を端的に表わすと同時に、次代の創造の礎である「教育」に思い到らざるを得ない。
その私は、教師失格を自認しているにもかかわらず教育に発言しているのは、27歳の大人時から33年間の体験(私学中高校3校での専任教諭生活)が、“私の言葉”を少しは持ち得たと思っているからで、それは「反面教師」からの自照自省であり、且つ息子と娘の親としての自省の基でもある。

人間として生を得たからには、様々な欲望と自我との間で闘う宿命を背負わされていて、そこから逃れられるのは、自己鍛錬(様々な修業)か死以外にはない。葬儀の際の「お疲れ様でした。ゆっくりとおやすみください」の重い響き。
私をはじめ多くの人々は、とりわけ大人は、どこかで折り合いをつけ文字通り懸命に、一喜一憂日々刻々悶々悪戦苦闘している。私の投稿は、教師として過ごした、また親として過ごして来ている自身の整理であり、生への、自我への執着であり、そのための折り合いと言ってもいいかもしれない。

「五慾」と言う言葉が仏教にある。「五」は地球上の[木・火・土・金・水]と、天と地の交錯を表わしていると言う。「業(ごう)」と言う言葉がかすめる。

【参考】五慾
5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形態のある物質 (色) ,音声 (声) ,香り (香) ,味,触れてわかるもの (触) をいう。これらは,欲望を引起す原因となるので五欲という。財欲、性欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲の五つも五欲という。

 

大人(たいじん)になることは、難行だが憧憬でもある。しかし私は、それにはほど遠い小人(しょうじん)である。時には小人こそ人間らしいと居直ったりもしている。そんな折、この地への移住を決断した妻、それに何ら異議を示さなかった私。「婦唱夫随」。
得た座学ではない学び。自然の体感。そして6年前の娘の死。自照自省への意思が頭をもたげ始め、投稿をはじめて3年が過ぎる。と言って小人を脱け出たわけでもない。ただ私の中で何かが変わったとは思っている。

現職時代、議論の大切さを唱えながら「聞く耳持たず」の独善家、社会変革を言いながら「事大主義者」、慇懃無礼な何人かの大人(おとな)(教師)、それも社会的地位のある人々や、生徒を直接間接にハラスメント対象とする大人(教師)に出会った。小人を棚に上げ、強い苛立ち、憤慨を、そこから嫌教師観を持ったが、今、幾つかの心の層を経て、少しは澄明度が増したのか、その人たちは私の心から消えつつある。遅ればせながら、である。
因みに、前者の大人について言えば、内二人は、辞職を決意させるほどに私の人生を大きく変えた人たちである。

完全な或いは完璧な大人など、世界広しと言えども無いと思う。あれば神も仏も無いはずだから。
かの一休禅師は「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」と言ったそうだが、死に際し、盲目の側仕えの女性(森女)に「死にとうない」と言ったとか。

精神的視点からの「大人像」(条件)を記した文章(筆者不明)から、要点を順不同で挙げる。

《成熟している、思慮分別がある、感情的でない、単眼的でない、長期的大局的判断ができる、自立している、言動行動に責任が持てる、自律できる》

どうだろうか。要は、寛容にして泰然自若。これまでに出会ったそういった人たちの貌が浮かぶ。
ただ、己に照合すると、引用した言葉自体の意味確認も必要であるが、それぞれ反対表現を考えると茫然自失、頭がくらくらして来る……。
大人になって半世紀余り、大人であることの難しさ。

2018年6月16日

「迷わぬ者に悟り(・覚り)なし」と思いたい

井嶋 悠

先日、妻と、車で、福島県いわき市の海辺にあるモダンで立派な水族館[アクアマリン]に行った。
田園地帯、山間道路、小都市の千変万化の風景、人々を見、個を想い、水族館での奥深い海への畏怖を再自覚させられたり、クラゲ舞踏会に魅入られたりの往復4時間余りの小旅行。
その時々に脳裏をかすめる「色即是空、空即是色」の、生きる力への感……
相も変らぬ昏迷深い私とは言え、一方で幽かに直覚する私の中の変移の昨今。

1967年(昭和42年)刊行された「人生の本 全10巻別巻1の内の一巻『懐疑と信仰』」で12人の日本人作家、宗教家、思想家を選び編んだ作家・武田 泰淳(1912年~1976年)の解説で次の二つの言葉に出会った。

――「信念」とか「悟り」とかいう単語を耳にするだけで、身ぶるいしたくなる、これら青年たちの感覚は尊いものです。彼らは決して宗教に対するときときだけ、そのような感覚を抱きしめているばかりではない。政治、経済、道徳、芸術その他あらゆる分野について、なにかしら絶対的なものに対する疑念、反撥、ためらいを手ばなすことができないのです。

――(児童文学作家小川 未明(1882年~1961年)の二つの童話《「火に點ず」「金の輪」》を選んだことに触れ)、彼[病により享年7歳の少年―引用者注―]には「懐疑」とか「信仰」とか、そのほかむずかしい日本単語も日本宗教もなに一つ知りはしなかったのに、私たちがもしかしたら見ることのできない、そんなにまで美しい金の輪を見ることができたのでした。――

私は後2か月で73歳になる身だが、歳相応云々の是非は別として、この青年と少年に今もって共感する。
前者の疑念、反撥の後ろに在る気恥ずかしさ、居心地の悪さから、後者の感性の力から、の共感。

私が教員として最初に勤務したK女学院中等高等部(女子大学を併設)は、1875年(明治8年)二人のアメリカ人女性宣教師によって創立されたプロテスタント系の、ほとんど校則のない(もちろん私服)ミッションスクールだった。
週5日制で、毎日朝8時30分から立派なパイプオルガンを備えた講堂で礼拝が持たれる。(尚、水曜日は1時限目がLHR(クラス毎を原則としたLong Home Room)のため、それが始まる前にクラス・学年等それぞれの場で実施)
讃美歌の斉唱に始まり、週毎に選ばれた聖書の一節の音読、学内外の牧師や受洗者、また生徒を含めた学院につながる人々による講話、そして讃美歌の斉唱で終わる。その間20分。

学校標語が「愛神愛隣」。
これは、『新約聖書』[マタイによる福音書22章37節~39節の、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主(しゅ)を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。隣人(となりびと)を自分のように愛しなさい。」を基としている。

17年間の勤務で、大まかに言って前半期まではさほどではなかったが、後半期から自校大学への進学者は激減し、退職後はほんの数名となった。或る年はセロもあった由。理由は他大学(それも東西の有名国公立私立大学)への進学で、心ない生徒や保護者、時には教職員までが、内部進学者は成績劣等との眼で視るまでになった。そのためか?一部では中等部3年次から、高等部ではほぼ全員が、塾・予備校との並立生活となる。背景には、中等部入試は、関西で最難関校の一つと言われ、生徒の保護者の自尊・矜持は高く、例えば中等部1年次1学期の成績で初めて下位を経験し、自尊心を大きく傷けられる生徒が出るほどにまでなる、そんな「受験(進学)知」?があるのかもしれない。

私立学校と私立塾・予備校の二重生活。保護者の経済的負担は明らか。世間で、いわゆる高偏差値大学進学家庭=裕福な家庭は実感的に理解できる。また一部で、日本国内のインターナショナル・スクール(小中高或いは中高で、基本は英語が第1言語)希望者が増えているが、その教育費もかなりのもので、私が経験した日本私学と協働校で、国際バカロレア加盟のSインターナショナル・スクールの(国籍は日本以外の外国籍が原則)保護者(とりわけ母親)で、パートタイマーで働く人は多かった。

【K女学院問題は私の退職後には一層強くなり、いろいろな場面で負の問題が生じて来ている。これについて、歴史的、教育的見地から学院全体で検討し、原点回帰を併せた変革の動きがある旨聞いている。】

彼女たちは礼拝の雰囲気(講堂‐パイプオルガン‐讃美歌が醸し出す雰囲気)には心地良さを刻み込むが、講話者への疑念、反撥は時に非常に強く、自身から積極的にキリスト教に、聖書に心向ける者は限られていた。ましてや在学中に受洗する者はまずなかった。
そんな折、校務分掌で高等部の生徒会を担当していた私は、S女子学院高等部生徒会との生徒会交流を提案し、実施できた。S女子学院は小中高一貫のカソリック系で、学院と同一敷地内に修道院があり、修道女(シスター)たちは教育の様々な分野で奉仕活動を行っている。
その時、S女子学院生徒会生徒が言った次の言葉は、K女子学院生徒会生徒を驚嘆沈黙させ、私の中では今もなお鮮明に残っている。要約して記すと以下のような内容である。

「中等部に入学して初めて知ったシスターたちの存在、その言行一致は、私たちに強い関心の眼を自然に向けさせる。自分が何かする時、例えば食事や入浴の時、シスターはどんな風にするのだろうと思い浮かべる。そんな日々が重なることで、自主参加である「ミサ」に正に自主的に参加し、キリスト教をより知ることとなる。中高6年間の在学中で受洗する人は、20人はいると思う。」

私の息子と亡き娘は、我が家の近くにあった長崎に本部を置く或る修道女会が運営する幼稚園でお世話になった。学習の前に人としての心の教育に温もりと安心を持っていた親・家庭は多く、私たちもそうだった。ただ、卒園後、現実の勉強、成績一辺倒的風潮にあたふたした子どもたちもあったが、私たち親は苦笑しつつも園の教育方針に共感していた。例えば遠足時、電車の乗り降りと車内での行儀良さの微笑ましさ。その幼稚園はもうかなり前に廃園になった由。理由はシスター、とりわけ若いシスターの減少とのこと。

S女子学院の今はどうなのだろう?
カトリック系男子校のR学院はどうなのだろう?同じくカトリック系の共学校N学院はどうなのだろう?かてて加えて、政治的、経済的、文化的等々の一極集中化、更には権力化、差別化著しい世界の?!大都市東京では、少子化高齢化に伴ってどのような変容があるのだろうかとも思う。
日本人は抽象的思考が不得手(それは想像力の欠乏につながる?)で、具体的思考を得手とすると聞くが、そうだとしてそのことと、学習の根底である生活すべてに「ゆとり」が無くなって来ているように思い、或る危機感さえ持つのは、勝手な老人の妄想なのだろうか。
しかし、今日本が先進国として誇れるものが確実になくなりつつあるという人が多いのも事実である。
それとも単にキリスト教と日本(人)というしばしば論じられることなのだろうか。

大きな夢を持って行ったからこそその公私にわたる痛撃が甚大であった、K女学院からの転身先(尚、この顛末はすでに投稿した)K国際中高校(共学化の構想もあったようだが、創設30年が経つ今も女子校)は仏教系の学校法人下にある。
その標語は「和」[聖徳太子『十七条憲法の第一「以和為貴」(和をもって貴しと為す)』]である。聖徳太子を考える上でも、「国際」をその視点から考える上でも、大きな入口となるはずだったが、時の校長の、かの国際化=欧米化と学校私物化的独善により、太子自身同じ第1条で「上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」と言っているにもかかわらず、教育現場で一切関知するところではなかった。ただ、その学校敷地内には、立派な太子銅像が立てられていた……。
そして今では、学校紹介で「国際」は言われることもなく、「進学」女子校を標榜している。
因みに、第17条は「夫れ事独り断(さだむ)むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論ふべし。」である。
敬愛し、後に確かな相互理解を持つことができ、その校長への自身の悔悟を私に言って下さった、良き仏教徒であった今は亡き法人理事長の貌が浮かぶ。

日本は、[無宗教(者)]や「無神論(者)]が多い国であることは、幾つかの調査からも確かなようである。その一人私は、仏教及び自然神道系の無宗教で、私なりの「無」の解釈からすればすべての宗教を受け容れる要素すら持っている。(もっとも、この思いは暴力的新興宗教にまで及ばないが)しかし「無神論者」ではない。もっとも私の神観は、東洋的意味合いでの「天」と、自然神道的「神」(八百万の神)と、仏教での「仏」の意味が複雑微妙に重なっているのだが、少なくとも唯一絶対神に基づく一神教信仰者ではない。

日本国憲法の第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とある。今もって私には、「象徴」の意味を整然と言えないもどかしさがあるが、感傷の危険性を承知で言えば、最近、天皇が直接登場するテレビ報道を見ると感涙さえもよおす非論理的な私がいる。それこそ迷いと言えば迷いであろうかと思うが、同時に日本的日本人の一典型?とも思っている。

虚構。英語では[fiction]。
手元にある国語辞典(新明解国語辞典)では次のように説明している。
「(文芸などで)事実そのままでなく、[作意を]を加えて一層強く真実味を印象づけようとすること。」
また英和辞典(グランド センチュリ 英和辞典)では、[①(文芸の一部門としての)小説・創作 ②作りごと・作り話・虚構]とある。と、ことさら確認したのは、ネットで調べていると「虚構と書いて、でたらめ・うそ・オチ・みせかけ・イミテーションなどと、架空のことを全面的に押し出した読み方をさせることがある」とあり、私なりの「虚構」の把握(イメージ)と大きな開きがあったためで、私としては先の辞典の説明に同意して使用する。
人間(或いは私)は、自身の意志とは関係なく生まれ、直後の記憶はなく2、3歳ごろから自我を持ち始め人生を始める。先の辞書の言葉を援用すれば、自我を加えて自身の真実を求め、自身にまた周囲に己(おの)が真実を印象づけようとする。だからこそすべての人は、人生を顧みその人の作意をもってすれば一冊の文学[芸術]作品を創り上げることができる、との先人の言葉があるのだろう。

人生はその人となりの虚構と言えるのではないか。そして様々な自・他批評。日々の喜怒哀楽苦惑…
映画好きの私は、フィクションへの想像力が枯渇し始めていて、その苛立ち、寂しさの昨日今日…
10代の鋭く瑞々しい感性の時代に大いに迷うこと、それから先の人生の礎。その意味で、この高齢時代が益々拡大化して行く中にあって、2022年度から成人が18歳になること、と学校教育の制度的、人的質的変革によって、迷いに必要不可欠な心のゆとりが生まれることと思う。(尚、変革私論は以前投稿した)言ってみれば、踊り場付き螺旋階段の低速進行の時間を経ることで、惑うこと多の年齢だからこそ孔子が言った「不惑」を活きた響きで実感できるのではないか。
と、「五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰えず。」を経たにもかかわらず、以前とは数段進歩!したとは思うが、今もって迷い、惑いにある私はつくづく悔恨を込めて思う。

そのためにも先ず、大人のたち私たちが、先日のアメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金周恩会談に関して、[テレビ・ニュース・ショー]?の一部の解説員(専門家、ニュースキャスター等)の、視聴者を無知との前提に立ち、薄ら笑いすら浮かべ、一方的且つ間断なく双方を得意気になじる姿に愕然とする。政治のうさんくささ、表裏、ホンネとタテマエ云々以前に、その人格性がますます若者を政治から離れさせるように思える。否、彼ら彼女らは或るターゲットを意図した虚構で、そのための作意を基に演じているのだろうか。

因みに、私はアメリカ・北朝鮮への同意・支持者ではないし、また中国・ロシアへのそれでもなく、かと言って日本絶対者ではないが、日本の現在について甚だ疑問を持つ一人で、なぜそういう私になるのか、ふと自問自答しながら豊潤な自然を傍に分不相応な贅沢をしている。

教師の難しさの一つとして恩師から言われた「生徒(若者)と“つかず離れず、急がずしかし時機を失せず」の見守りの姿勢の意義。それができたと言えるのは、33年間でほんのわずかだったが。

2018年5月28日

素・気

井嶋 悠

表題の二つの漢字を『常用字解』(白川 静・著)から要約引用し、読みを漢和辞典で確認する。

「素」:糸を染めるとき、糸束の結んだところは素(もと)のままの白い糸で残
る、その部分を「素」と言う。そこから[しろぎぬ、しろ、もとより]また[本来の性質、もとの状態、何も加えない]の意味となる。
[音]ソ・ス

「気(氣)」:气は雲の流れる形で、雲気を言い、生命の源泉とされ、米はそ
の気を養うもとであるという二つの要素が加わって、すべての活動力の源泉であり、大気(地球と取り巻く空気の全体)・元気(活動の源となる気力)として存在し、人は気息(呼吸)をすることで生きる。人にあらわれる性格等を気質(気だて・気性)と言い、集団や地域の人々が共通して持っているとみられ
る気質を気風という。
[音]キ・ケ

人は(或いは生物)は、素(す)に生まれ、素でありたいと思いながらも意叶わないことのほうがはるかに多い生を経、素に死を迎え、素云々の意志的・無意識的動作、作用、状態とは一切係わらない久遠の霊魂生を得る……。
今、老いを迎え、素生きたい動的願いより、素生きたいとの静的願いが私にはある。
ところで、現世から来世は視えないが、来世から現世は視えているかもしれない。来世界にあっては、無限界での無形にして透明の霊魂間だからこその自由無碍の交流、交信をしているのかもしれない。と思ったりするのも楽しい。

私は58年前に中学校を卒業した。その卒業アルバムでの[日々の学校生活]の一枚を、今も鮮明に思い出すことがある。それは同窓の或る男子生徒が、教室の元気溢れた!?騒々しい中で、独りもの静かに座っている一枚である。そのタイトルは、おそらくアルバム製作会社が付けたのかとは思うが、「忙中に閑あり」。このことわざをここで使うのは誤用のようにも思えるが、私たち10代前半の多くが周囲に同調し、孤独を避ける、そんな中学校時代という微妙な年齢時を象徴するかのような光景と映り、意図的に使ったのかもしれない。と言う私は、クラス集合写真(野外)で、好々爺のクラス担任の横に同じポーズで立つという「おちょけ」をやっている。

大人の事情で東京の小学校を卒業し、関西に戻り、当時荒れに荒れていた公立中学校に入学し、入学の日から卒業の日までの波瀾万丈!社会の裏面?を思い知らされ、身をもっての社会《体験》学習の3年間をすごした。本来独りであることを好み、例えば対立間にあっては、いずれにも一分の理ありと思う私がいたからこそ、彼が素でそうしている姿を羨しく見、鮮明に記憶しているのかもしれない。
振り返れば、人生に必要なことは、教科学習内容以外、すべて中学校で視、聞き、体で学んだと言っても過言ではない。それは例えば或る社会問題や教育問題を観念的、概念的に滔々(とうとう)と弁ずる人々をどこか胡散臭く思う私の原点とも言い得るように思える。私の素(そ・もと)?
もっともそこに私の独善と言う落とし穴があるのだが。だから、友人がいるようでいない…。
そして今。巡り巡って、関西から遠く離れた関東北部栃木県の豊かな自然の下、自他虚飾に満ちた煩わしい人との関係もなく、妻との、また素で懸命に人間三歳時そのままに生きる犬との断片的会話を気ままに交わしながら、私流晴耕雨読の生活を得ている贅沢三昧!

教師現役渦中では自己主張とは距離を置き、しかし個の内部では主観性強く居た自身が、中学校時代の怒涛をくぐり抜け、高校、大学、自由社会人数年後教職に就き33年間の教師生活。それらの複合が私の素に加わり、自他を、学校世界を客観的に視る視線を培ったように思っている。
それらがあり、娘のことがあり、ここ数年、漸くにして自他の「KY」(空気・雰囲気を読む(め))の自照自省できる時間が迎えられたのかもしれない。
西洋の哲学者は「孤独は、知恵の最善の乳母である」と言っているそうだ。
素(す)で生きようとして来て、素(そ)の自然に心委ねようとしている私。

前回の投稿で拠りどころに使った芥川 龍之介の、25歳の時の作品『孤独地獄』の最後の一文は「…或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。」で、10年後の自殺時でも孤独を地獄と言ったかどうか、家族を心優しく受け止めていたにもかかわらず、愉悦の心境を直覚したのではないかと、まだまだ情緒浮沈は日替わり的浅薄な私だが、孤独の素に生きることを思い描く私は、想像する。

ここ何年か「癒やす・癒やし・癒やされる」との言葉は頻(ひん)用(よう)され、人によっては(とりわけ個・自我を確立している人)辟易(へきえき)し、遠ざけているほどである。
それほどまでに世は殺伐となり、人と人の関係は稀薄になって来ているということなのだろう。
そういう私は、言葉はますます一時的記号化して、日本の技術の高評価とは真逆の「軽・薄・短・小」化の日常に、老人化も手伝って屈折(へそまがり)は一層強化され、自身から使うことなどあり得ない。
個性・自由の尊重が強調されているにもかかわらず、制度化、管理化はたまた切り捨て化は“粛々と”進んでいる現実。だからこそ癒やす表現に象徴される憐れみの危険性を、更には若者を中心とした受動化(保守化)の現実を、思い知らされてしまう。

未曾有の少子化×高齢化×国際化の式から導かれる解答は何か。日本の主導者は日本の過去と現在の素と気を確認し、実効的、具体的、主体的日本の姿を明確に、老人は去る者と言わんばかりの視点を捨て提示して欲しい。誰しも承知している次代を担う教育の重要性が、塾ありきの教育、学力優秀観で良いのか、と同様に。
国会や行政の昨今の実状から、思想、信条を越えて危機意識を持たなくてはならないのではないか。負の「歴史は繰り返す」など望む者はないが、人間の限界ということなのか。諦観こそ賢者の証し?
「素(す)気(げ)ない」と言う。(「素(そ)っ気ない」の語源との説もあるようなので含める)
「思いやりがない」との意味だが、類語(連想語)を調べると、次のような興味深い言葉を見い出した。

[潤いのない。色彩のない。余韻がない。無関心・無愛想・無情《新“三無主義”?》]

すげないは、古代から用法があるので言葉として古いが、世の中そのものに言い当てるのは現代的ではないかと思う。
「不登校児童生徒が、改めて増えている」との報告や言葉・情報の洪水氾濫による溺死感、自由と個性尊重と裏腹の制度化管理化傾向への虚無感等々が、そうさせるのだろうか。
このことは、私たちが実施した[日韓また日韓中高校生・大学生交流]からも、なるほどと思う。

自身や国・地域が混迷し行き詰ると外に向かい、個人は外に何かを求め歩き、権力者は人々を外へ、他へ向けさせる。「内向き」発想はその閉鎖性、独善性から批判の対象になるが、自照、内省ととらえれば緊要の意と変ずる。

国政の長の方またそこに従属、隷属される方々、なぜ今に?と広く国民(納税者)が納得できない海外訪問は、私費で行かれますように。それが国民への思いやりだろう。

以前勤務していた「新しい教育」を標榜する中高校の保護者会で、学校論、教育論を弁じていた管理職に対して或る母親が言った言葉「おっしゃることは良く分かります。だからこの学校に入学したのです。ただ子どもは今日明日の日々がすべてであることに思い及ぼしてください。」が、思い返される。その時、私は素気なく…管理職側の席に在った。

2018年5月5日

「死を選ぶ自由」ということ ―日・韓での悩ましき課題―

井嶋 悠

       はじめに

 

そもそも、『日韓・アジア教育文化センター』は、1991年、私と韓国・ソウル市を中心とした韓国人日本語教師の公的研究団体である『ソウル日本語教育研究会』(現在は、この研究会を基に創設された韓国全土の『韓国日本語教育研究会』と並立運営されている)との出会いに源を持つ。
今回、その両国で抱える厳しい課題について、あくまでも一日本人としての私の視点から、日本に向けて拙文を投稿する。いつか日韓比較をしてみたいとは思っているが。

【参考】世界の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)〈2015年〉

◇順位[2010年前後までは、日本は韓国より上位にあった。]

1、リトアニア 2、韓国 3、スリナム 4、スロベニア 5、ハンガリー
6、日本    7、ラトビア 8、ウクライナ 9、ベラルーシ 10、エストニア                                                                                                                  (米国は20位)

◇日本に関して
・上記について、6位であるが、男女別では女性が3位
ただ、日本内に限定して言えば、男性の方が女性の2,5倍
・1998年に3万人を越えたが、以後減少傾向
・青少年[若年層]の自殺が顕著

 

「哲学とは、人生は苦しんで生きるに値するか否かの判断をすること」といった意味のことを、西洋の作家が言っている。
人間が社会的動物であるかぎりにおいて、死を自己選択したその人の判断の社会的意味は大きいはずで、その人の数が多ければ多いほど所属する社会に不備、欠陥が多いとも言える。
しかし、その「死を選ぶ自由」を人の弱さ、甘えと言い、時に卑怯だと厳しく指弾する人が、少なからずある。私が知る、教師でも文化人?でも、いわんや知識人でもないごく普通の人もその一人である。
なんでもかんでも「問題は社会に起因する」と言うほどの安直さはないが、先の前者に与(くみ)する私がいる。と言っても、事の善し悪しは別に、頭と心のどこかでの直覚に過ぎず、身体全体で与するほどの成熟はなく、当然実践への決断力もない。
だからこそ「健康年齢(寿命)=私の平均寿命」などと、自己本位に、病に、貧困に苦悶している人への非礼そのままに思ったりする、その驕慢は承知している。

ここで、用語について確認しておく。一般的用語は「自殺」「自死」「自決」であろう。
アメリカでは州によっては「自殺」そのものを犯罪とみなしていて、幇助(ほうじょ)、教唆(きょうさ)はいずれの州でも犯罪とのことで、日本では前者は不問ではあるが、後者は同様である。そもそも「自らが自らを殺す」との用法からも理解できるように、統計等の所管は警察庁である。
「自死」は、自殺の語感が持つ酷(むご)さの印象とは違い、自から己が「死」を引き寄せる、との静的印象で使われているように思う。
ただ「自決」は、そこに或る集団的なもの、集団性があっての用語と考えられ、私のここでの意図とは違うので除外する。(例えば、三島 由紀夫の場合)
私は「自死」の静寂に心魅かれ、一時は自死を敢えて使っていたが、「死」に到る(未遂も含め)激情、葛藤そして決断を思う時、法云々とは関係なく、「自殺」がふさわしいと思うようになっている。

その自殺について、20代のころから考えさせられることもあり、後4か月で73歳となる身、先進国と言われる日本にあってなぜ自殺が多いのか、自身の事として考えを及ぼしてみたい。
考え及ぼす?
6年前になるが、新聞書評で、作家・柳 美里(ユウ ミリ)氏(1968年~・在日韓国人)の、女子高校生を主人公にした小説『自殺の国』が採り上げられ、同じく作家・江國 香織(えくに かおり)氏(1964年~)の書評文に次のような一節がある。

「…自殺する理由がない、ということが、自殺しない理由、すなわち生きる理由になるのかどうか――。さらに、仲のいい家族というものの、仲はほんとうにいいのか、友達だと言い合っている人間を、信じる根拠はどこにあるのか。そんなことを考え始めれば、少女でなくとも途方に暮れる。何か考えるのは危険なことだ。でも、考えない危険より、はるかに安全な危険だ。」

私は、考えるに際して、芥川 龍之介(1892〈明治25〉~1927〈昭和2〉35歳で自殺)の『遺書』『或る旧友へ送る手記』を拠りどころにする。
尚、芥川が「死を選ぶ自由」を行使する1か月前に、友人久米正雄宛てに書かれた『或る阿呆の一生』という、己が人生をかえりみる全51章の短文作品があるが、今はそれには触れない。(因みに、最後の第51章の表題は「敗北」である。)

彼の自殺はほぼ100年前のことであるが、現在でも十分に共有できると思う。否、現実の政治・経済・社会の混迷度が増し、タテマエとホンネの乖離が一層強くなりつつあるように思う一人としては、なおさらである。
その私が、芥川龍之介を拠りどころにする理由は以下である。

○元中高校国語科教師らしさを出すため?

○『蜜柑』を読んで“目からうろこ”的に共感したため。

○文(子)夫人への結婚前の愛(ラブ)の手紙(レター)[はがき]に溢れ出ている人柄に魅入られたため。

○写真で息子二人の良き父であったことを彷彿とさせる姿を見たため。

○繊細に、鋭敏に、知を、時代を、感知し、認識していた人と思うため。

○優れた人をみることは、その人でもそうなのだからいわんや、と逆説的に己をみるにふさわしいため。

○西洋の文学者たちのことなど無知な私にもかかわらず、「遺書」及び「或る旧友へ送る手記」に不遜にも共感したため。(因みに、「手記」では、自身を「大凡下(だいぼんげ)」と言っているが、芥川が言うから通ずるのであって、私が言えばそのままである。)

時代(社会)の、家庭の、環境は、人間の心に大きな影響を及ぼす。その深浅或いは内容は人によって違うが、芥川の場合、生来の、そしてその後の勉励、人との出会いが、より鋭く、より深く刻まれた。だからこそ、私は『蜜柑』に共感(と言えば高慢だが)し、「繊細に、鋭敏に、知を、時代を、哀しみを感知し、認識していた人」と信じている。そして、芥川の二つの遺書は過去の遺物とならず、今も私を、多くの人々を惹き込む。
芥川の自殺に立ち入る時、しばしば引用される言葉が『或る旧友へ送る手記』(以下『手記』と記す)の中の「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という箇所であるが、その前に彼の自殺そのものに係る発言を、両書から引用する。

『遺書』より

「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。」

「僕は勿論死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。」

『手記』より

「僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つてゐない。仏陀は現に阿含(あごん)経(きょう)の中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲学阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧(むし)ろ勇気に富んでゐなければならぬ。」

どうだろう?
曲学阿世に限らず、マスメディアに登場する評論家・解説者(コメンテーター)・ジャーナリズム関係者の多くは、弱さを、憐れみを言い、地域での、学校での、通信での、救済機関の充実を指摘するだろう。相談相手に恵まれ、死を思い留まる人も確かにあるだろうし、それは一時的に自殺者数が減ることにつながるかとは思うが、そこには根底的に日本を再考する視点がないように思う。
芥川の時代を概観してみる。彼の主な活動期は大正時代15年間(1912年~1926年)である。
大正時代=大正デモクラシーのイメージが、私の中で浮かぶが、実際はどうだったのか、手元の年表から主だったことを挙げて整理し確認してみる。

1912年(大正元年) 第1次護憲運動・天皇機関説論争・オリンピック初参加

1913年      「大正政変(桂内閣総辞職)」

1914年       シーメンス事件(海軍汚職事件)・第1次世界大戦勃発
(ドイツに宣戦布告)

1915年       中国への21か条の要求提出・抗日運動起こる・大戦景気

1916年       憲政会設立・大隈重信狙撃

1917年       「西原借款」(中国政府反革命的武力統一援助)で侵略
政策との批判

1918年       シベリア出兵宣言・賃上げ要求スト・米騒動

1919年       朝鮮での日本からの「三・一独立運動」・国際連盟に加

1920年       恐慌襲来[1927年、1930年と続く]

1921年       原首相暗殺・市川房枝ら新婦人協会結成

1922年       中国に関する「九か国条約」に加盟・治安警察法・全国
水平社創立

1923年       関東大震災・甘粕事件[大杉栄・伊藤野枝虐殺事件]

1924年       第2次護憲運動

1925年       治安維持法公布・普通選挙法公布

1926年       大正天皇崩御・川端康成『伊豆の踊り子』発刊

1927年(昭和2年) 第1次山東出兵・金融恐慌勃発

これらは過去の事実である。そしてこれらはその時点で終了[完了]したこととして年表に記されているだけなのだろうか。
人間は、それほどに日進月歩、高次に途上しているだろうか。人類誕生以降「歴史は繰り返す」……?!

真に博識博学な人は寡黙で謙虚である。些少狭小な私はついつい多言、おしゃべり!になる。教師には(特に文系?)多弁家が(と言えば聞こえはいいが)多い。私もその一人だったから寡黙な人を憧憬した。良き教育は教師の謙虚さが先ず初めにある。
そういう中にあって、一度(ひとたび)話し出すと流れるが如く言葉を編み出す英語との完璧なまでのバイリンガルにして博識博学な教師(女性)と職場を同じくしたことがあったが、私の印象は寡黙な人としてある。

言葉は怖ろしい。キリスト教圏・イスラム教圏では、[神の言葉]は論理である。日本では言霊。
そこに日本の感性の国をみる。だからなおのこと、国際化=英語教育なのだろうが、どこか本末転倒の感があるように思えてならない。
あの理知研ぎ澄まされ、西洋文学、芸術にも造詣の深かった芥川は、『手記』の中で次のように書いている。

―自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。―

「ぼんやりした不安」……。
自身の生への、作家であることへの、日本社会への、「ぼんやりした不安」。
俊秀であっただけに響き入る言葉。感性。
先の年表と彼の生い立ち、生活から、それを視るのはあまりに我田引水過ぎるだろうか。
そして彼は「死を選ぶ自由」を行使する。葛藤に葛藤を重ね。

『遺書』の中の言葉

「他人は父母妻子もあるのに自殺する阿呆を笑ふかも知れない。が、僕は一人ならば或は自殺しないであらう。」

《息子への言葉》
「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。」

『手記』から

「…僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。それは誰も一しよに死ぬもののないことに絶望した為に起つた為ではない。寧ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ死別するにもしろ、僕の妻をいたわりたいと思つたからである。同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも容易であることを知つたからである。」

「我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる、所謂生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦(あ)いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに澄み渡つた、病的な神経の世界である。[中略]若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。」

 

日本は先進国であると標榜し、私たちの多くもそう信じている。しかし「先進国」とは一体何をもってそう言い得るのか。経済力?技術力?……。
OECD[経済協力開発機構]が運営する学習到達度調査(PISA)に、結果としての順位にその都度、一喜一憂、安堵と焦燥の論評が繰り返され、教育指針再検討が持ち出される。
各学校種段階の入学試験で「記憶する(暗記する)力」から「考える力」へ、と何とも遅ればせながら緊要の課題として言われ、入試方法が変わる。

“1点が合否の境目”にあっての、問題作成、そして客観的評価(採点)の難しさの解決が今後の課題とのことだが、そもそも「小論文」入試でもその視点があったにもかかわらず、今では形骸化的となり、かてて加えて、すべての学校とは言わないが、【塾・予備校】頼りがますます強くなることが予想されている。
それほどに学校とは何なのかが問われ、高校義務教育化も話題となり、大学の大衆化の負の側面が露わになり、専門学校指向が増えている現在、今も子どもたちはひたすら時間に追われ、振り回され、追い詰められている。(都鄙での違いは程度差の違いで、本質的には同じと思うので一括りに言い表す)

それでも先進国と評されるならば、そこにあるのはモノ・カネ社会、或いはほんの一部の「超エリート」の功績ということなのだろうか。
自照自省の私的経験で極論的に言えば、問題作成側教師(集団)の児童・生徒受験者の学力観は、塾に拠りかかった学力観であり、教育観とさえ思える。
そして学校世界(より限定的具体的に言えば教師世界)の権威意識或いはその指向また聖域意識。
今もって不登校生、「いじめ【ハラスメント】」問題(児童・生徒同士、教師から児童・生徒、その逆、そして教師間))の多発状況は変わらない。

眼を学校外の大人社会に向ければ、政治家の、行政者の、不埒ぶり。
ごく最近で言えば、朝鮮半島の歴史的転換の可能性、米朝会談の高い実現性にあって、日本の拉致問題を最重要課題と言っていた我が国の宰相は夫人共々、なぜか今この時期に中東へ。数千万円の税金を使っての病的としか思えない媚び外遊。更にはこのゴールデンウイーク中に、10数人の閣僚が心・頭・体を休め、己を振り返り、学習する姿勢を感ずることもなく、同じく税金数億円を使って外遊とか。

一方で、とりわけ中高年世代が苛立ちを募らせる、子どもの貧困の深刻。老人介護の貧富化の深刻。
青少年の「テレビ離れ」が増えているにもかかわらず、お笑い芸人・タレントを多用し、繰り返される同系番組の画一化、低次元化。当たり前過ぎることを「視聴者は無知」に立って大仰にもの言う、多くの解説者(コメンテーター)・評論家等、専門家と称される人々の言葉の垂れ流し……。そこに跋扈(ばっこ)するカネ・カネ…。
30代40代の働き盛りの人々の厳しい仕事・家庭環境の現実。公務員と大企業社員[=財界の別表現]以外の中小企業関係者たちの実感しない好景気、賃上げ報道、それに引き替え体感する物価値上げ。駆け巡る「働き方改革」の言葉遊び(戯言)。

それらを10代20代の感性が、感知しないはずはない。
瑞々しい感受性と「ぼんやりした不安」。
少子化になればなるほど“隠れる場所”が狭められる子どもたち。少子化による子どもたちの息苦しさ。
少子化が一層もたらす高齢化での老いの孤独。人生経験が導く日本社会懐疑と「ぼんやりした不安」

「国際的学力」(例えば、一部で流行的!?に採り入られている[英語を主言語とする国際バカロレア教育])では、常に論理的思考力、表現力が求められるが、それは先ず「感じる力」があってのことではないのか。そこから「考える力」の必要性が自然に自覚され、それが自主的学習を生みだす。「記憶する力」の自然育成。
かつて国際バカロレア教育に、また帰国子女教育に、外国人子女教育にわずかながらとは言え携わった一人としては、日本がその風土、自然そして歴史から培って来た感性こそ、複雑な国際化社会の今だからこそ一層必要性が求められるように思えるのだが、これは時代錯誤だろうか。老いの証し?

以前出会ったアメリカからの帰国女子生徒の言葉が思い出される。「一時帰国した際、クラスメイトのお土産に持ち帰った動植物等をかたどった小さく色彩感豊かな消しゴム等の文房具への、歓声と賞讃と憧憬」
1000年余り前の清少納言の言葉が、ふと甦る。
「なにもなにも、小さきものは、皆うつくし」
「うつくし」の古語辞典での漢字表記は「愛し・美し」である。

2018年4月14日

貧すれば鈍す 或いは 「ありし日に 覚えたる無と 今日の無と さらに似ぬこそ 哀れなりけれ」(与謝野 晶子)

井嶋 悠

主に首都圏の人々が羨む、北関東の自然豊かな地に移住して10年が経つ。一中高校教師(校長でもなんでもない)だった身として、あまりに分不相応とは思う。寒さが苦手な私にとって冬は堪(こた)えるが(一方で、雪国の人々の生活、鬱々とした生活により実感的に思い及ぶ)、春夏秋の、草花、樹々、菜園に時を忘れる至福。怠惰な私の私なりの晴耕雨読生活。

大人の都合からの幼少時の寂しい日々、思春期での継母や父との葛藤、生母への思慕と現実、引きこもり等々、確かに翳(かげ)があって今があると言ってくださる人もあるが、私のような10代、20代を過ごした人が、すべて今の私のようとは言えるはずもない。ただただ、人々に恵まれた結果である。
それでも、現職期(中高校教師)は、それまでの自身への負い目もエネルギーとなって、結果としての「一日一生」(この語については、「一日生涯」を1年ほど前から使っていたが、源は天理教にある旨知り、広く宗教信仰者ではない(非・反宗教者との強い意志ではない)こともり、今後は「一日一生」を使う)そのままに、或る人が「まぐろ」と呼称するが如くに、過ごして来た。
時にふと無に思い及ばせる慌ただしい日々。
そのためもあってか、移住後の数年間は、40代以降に発症することの多かった偏頭痛、うつ病に襲われ、不安定の波にさらされた。そして、娘の心身悪戦苦闘の末の23歳での他界。

私自身への、その私が見知った教育への、憤怒は一通りではなく、その時私に冷静な力をもたらしたのが『日韓・アジア教育文化センター』活動であり、ブログ投稿と言う「書く」ことでの自照時間である。何度となく立ち止まる私。「まぐろ」は群れを離れ独居を愛するようになる。まぐろそのものはそこで死を迎えるが、私は生きるもう一つの姿を知った。

つい先日のこと。
妻が見ていたテレビ画面の下に出ていた数字72、175(165?)歳の文字。それ見た瞬時、私の中の心の、肩の力が洗い流され、自責し、叱咤し、かつてとは明らかに違う「無」を自覚した。
その数字は平均寿命ではなく、恐らく「健康年齢(寿命)」のことなのだろう。しかしその理由づけは、私にとってなんでも良かった。その数字は昨年72歳を迎えた私の数字であった。72年×365日×24時間×60分…との膨大な時間。

「一日一生」の真の実感。死生一如。「自然」[天と風土・気候の両意]の直覚と、そこに一切を委ねることへの得心。その瞬間現在が、私であるとの体感。過去への、未来への思いの一切の消滅。
私の中の「まぐろ」の終焉。大仰に言えば解放と自由の味わい。
種田山頭火(1882~1940)の句「何処でも死ねる体で春風」の境……。
昨年秋の全身を襲った数度の痛みは、この予兆だったのかもしれない。

十全に到れるかどうかはこれからの己次第だが、確実にその一端に入ったとの、或る悦びと安堵。そこから視えて来る周辺の、社会の様々な事象。放棄でも切り捨てでも自棄でもない眼差し。
その感覚は「不老長寿(不死)」を希う人々にとって冒涜であり、失笑冷笑をかうことを承知しつつも、私の健康寿命(家族を含め他者に負担・迷惑を掛けることなく自身一人で生きられる年齢)を平均寿命としたい身勝手な安らぎと喜び。その上で今日がある。今日がすべてで明日ではない。
暴論を重ねれば、「不老長寿」の願いは「自然」に背くとの意味において人間の驕りとも取れる。
改めて人の人であることの「哀・悲・愛(しみ)」の清澄が広がる。
何という晩生(おくて)!

 

時は春。
「水色」と「白雲」の空(天)を背景に、「久方の光のどけき春の日に」静かに咲き誇る「桜色」は、私たち日本人を陶酔させる。
先日、樹齢1000年以上と言われる枝垂れ桜の銘木、福島県三春町の「滝桜」を観に出かけた。(我が家からは車で1時間半ほどの所)さすがにその威容に魅入られた。
桜は見下ろすより見上げる方が大自然との一体感に浸れる。これまた何という晩生。

 

桜の種類は何百種類もあるとか。あの「染井吉野(そめいよしの)」は明治時代に改良された品種だそうだが、山間(やまあい)に一樹広がる山桜の得も言われぬ気品漂う存在感に魅かれる。
与謝野晶子の「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」の桜は何だろう?淡い紅色の枝垂れ桜だろうか。もちろん「人」は、女性でなくてはならない。
江戸時代の古典文学研究者にして思想家の本居 宣長の、しばしば引用される歌。

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

春の澄明な久遠に思い馳せる朝日と静寂。
桜の「潔く散る」姿と日本人(武士道?)を結び付る人が多いそうだが、桜はただ自然に委ねているのであって、だからこそ諸国を漂泊した12世紀の西行法師の、

「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」が、今も人々の心に響くのではないのか。

西洋の代表的春の花であるバラも自然に委ねて落花するが、桜の落花が醸し出す羽衣のイメージとは程遠い。淡泊と濃厚。和食と洋食の違いと言ってもいいかもしれない。水と油。

桜は、花弁が道一面に広がった後若葉が陽光に映え、そして夏陽の下の緑樹と輝き、やがて紅葉し落葉し冬を迎える。その間樹内では次の花弁のための準備が進んでいる。樹皮からは桜色の染料が採れる由。
その桜を古今日本人はこよなく愛する。

 

観光地(国)としての日本。「爆買い」も一段落して、地方探訪・再発見組が増えていると言う。工業化、近代化、合理化、国際化の狭間での安息願望…?外国人観光客だけでなく、国内日本人観光客も…。
私が居住する地の20代の、大学や就職で首都圏体験をした青年たちは異口同音に言う。「東京は住むところではないですね。」
しかし、東京に行かざるを得ない現実。専門学校・大学進学や就職の一極集中。
これは日本だけではないだろうが、そのこととは別に、日本の主体は今、ますますもって国際化=西洋(欧米)化の二番煎じになりつつある…。

日本は古代以来、久遠の平和国家であったと言うほどに、無恥にして無知ではないつもりだ。酷い権力闘争、内戦、異民族排斥、海外侵略等、そして戦後生まれ(1945年〈昭和〉8月23日)の結果論言辞であることを思いながらも、あまりに無謀で、驕慢で、哀切極まりない太平洋戦争と敗北。
そして、漁夫の利よろしく他地域の二つの戦争[朝鮮半島・ベトナム]特需の恩恵での高度経済成長を遂げ、更にはアメリカの核傘下があっての平和国家であることを認識し、再確認すべきと思っている。
それがあってこその日本の戦後であり、現在であり、今後ではないか、と。

そこに日本の「伝統と革新」を考える重さを思うのだが、最近それと裏腹の三つ+一つの「現在事実」を突きつけられた。ますます諦めと政治離れに拍車がかかるのではないか。それをほくそ笑むの誰なのか。

【三つの事実】

○心肺停止の高齢者を救急搬送した消防機関の内、46機関で蘇生措置を希望しない意思表示があった、との事実の背景にあること。

○貧困対策としての『子ども食堂』が、全国に2286か所あり、一位が東京の335か所、以下大阪の219か所、神奈川の169か所と続く事実が表わしていること。因みに私の居住県栃木は23か所。

○税制改正関連法が成立したが、M新聞の長期視点での、富裕層にとっては減税、貧困層にとっては増税になるとの指摘通りならば、政治家が目指す日本とは一体何なのかとの疑問。

これらの根底に在る姿勢を考える時、北欧三国[スエーデン・ノルウエー・フィンランド]の、税制、国の(或いは政府の)指向が比較される。しかし、税の在りよう、税率の大きな違いが比較され、或る解説では、「三国の『大きな政府』と日本の『小さな政府』の根本的違いを言い、日本ならではの良さがあるのも事実である」と記してある。
しかし私は思う。
日本の目指す『小さな政府』は現在の姿が、そうなのかどうか。
少子化と高齢化の現代日本、教育と福祉の津々浦々徹底した充実への税使用が明確ならば、増税(例えば消費税増税)もやむを得ないと言う人は、少なくとも私の周りには多いが、これは誤った認識なのか。

【+一つの事実】

自身の身辺で複数の重要な問題が顕在化しているにもかかわらず、訪米しゴルフをする我が国の宰相。このことに世界の、日本の良識ある人々は嘲笑しているが、もし強行するならば、せめて以下のことを公表してもらいたい。もっとも私の現職時の体験では、出張報告は必要不可欠だったので、いわんや宰相となればではあるが。

□随行者全員の氏名と所属
□一切の経費詳細及びその際の税金使用の有無

(心)貧すれば(心)鈍す、の日本になってもらいたくないのは、国民すべての至極当然な願いである。
これも我が自照自省自戒からである。

2018年3月30日

「天賦の才」 ~自己発見の悦びと未来への可能性~

井嶋 悠

スポーツは観るより為(す)る方が好きだったが、加齢もあってか、観ることで心洗われることが増えて来ている。スポーツそのものを観るのは当然のことながら、それを為る人に心揺さぶられる私がいる。
ラグビーは、実践経験はないが、好きなスポーツで、若い時は観ることで羨望の感涙を起こしていた。しかし、2015年のワールドカップで、南アフリカに劇的勝利等快進撃で私たちを興奮のるつぼに落とし込んだ、[田中 史郎選手][堀江 翔太選手][五郎丸 歩選手]ら、鍛え抜かれた肉体、磨き上げられ高い技術、チームとしての構成の流麗さはもちろんのこと、併行して彼らの個性・人間的魅力に心惹きつけられ、観る醍醐味を知ったように思う。
スポーツに限らず芸術全般等、観るなら、聴くなら、読むなら「一流に接せよ」である。
その観ることで私はいろいろなことに気づき、考える機会を得た。今回の投稿はその一端である。

このことを決定づけたのが、今回の「平昌オリンピック・パラリンピック」での、[小平 奈緒選手][高木(姉)菜那選手/(妹)美帆選手][村岡 桃佳選手]である。

小平選手の謙虚な大人(たいじん)性、高木選手の姉の社会性を弁えた広量性、妹の天衣無縫の質朴、村岡選手の父の献身と絆、三人に共通してある、或る時に己が天賦の才を自覚し、そのきっかけをつくった人・事があり、彼女たちの、ひたすらの精進を支えた人々、導いた人々、そしてそれを更なる精進の源泉とする心。厳しい鍛練に打ち克つ意志が創り上げた、肉体、研ぎ澄まされた技術。無心の集中力、果断の力。日本人らしい和の構想力。そこに到る心の浮沈、軌跡と克己。

オリンピックや世界選手権といった場になると、必ず起こるメディア主導の、代表になるまでの人生、鍛練での制約、障壁等一切なかったかのような無責任極まるメダル狂騒。繰り返される、選手の精神的圧迫と結果と日本人性の話題。無責任の幾重もの塗擦、そして忘却……。

そのメダル。
今回のオリンピックでの獲得総数は13で、小平選手の2、高木選手姉の2、妹の3をそれぞれ1と数えれば、延べ20人の内、女性が15人、パラリンピックでは、獲得総数10で、獲得選手は4人、村岡選手が一人で5獲得し唯一の女性である。彼女たちの偉業は想像を絶する。あの羽生 結弦選手の偉業が、かすんでくるほどだ。

余談ながら、14世紀に吉田兼好法師は随筆『徒然草』の中で、一つのことに秀でた「道」(茶道・華道・歌道・弓道等々)の人を採り上げ、その人たちのモットー(指針・信条)を記している。
(例えば、高校の教科書でしばしば登場するのが『高名の木登り』。木登りの名人が、高い木から降りる人に、「下るる時に、軒(のき)長(たけ)ばかりになりて」掛けた言葉「あやまちすな。心して下りよ」の箇所)
「スケート道」?「スキー道」?に秀でた彼ら彼女らのことを兼好なら何と批評するだろう?

因みに、日本人はその「道」が好きな国民性だとはよく聞くところで、「武士道」にはじまり、「相撲道」「野球道」「芸道」はたまた「パチンコ道」?等々。

恥ずかしながら、この歳になるまで、私は「天賦の才」とは、天が或る特定の人だけに与えた特別の才能・資質、「天才」「英才」と同列に考えていたが、間違いだと気づき始めた。そのきっかけの一つにも『平昌オリンピック・パラリンピック』がある。
天(広義の神)は絶対正義であり、絶対公正の存在であるはずだ。でなければ、「天網恢恢、疎にして失せず」との表現は生まれないのではないか。
この言葉は、老子の言葉であるが、東洋学者金谷 治(1920~2006)の、『老子』の訳注、解説によれば、次のように説明されている。引用する。

――人間のさかしらによって、利害にとらわれた立場で裁断することをやめて、無為自然の天の摂理にゆだねるのがよい。――

無為自然に人の好悪、美醜、善悪等は一切ない。絶対透明の世界。それがゼロの世界観につながると私は思っている。これは「老いの幼児帰り」につながるとも思う。幼児はその生そのものが透明であり、老いは意図的に透明に戻ろうとし、自然に没入しようとする。「隠棲」は老いの世界のことである。そして死を迎える。久遠の静寂世界への旅立ち。死後の世界があったとしても、それは無色透明霊魂の世界である。
と、考えれば、やはり「天賦の才」に特別、特殊の意を込めるのは矛盾する。
誰しもが天賦を“与えられ”生まれている、と考えなくては直覚でも理でも通らない。

しかし、そう思う私は一方で、「障害をもって生まれて来た子どもはどうなのだろう?」と止まり、前へ進めない。たまたま障害を持たずに生まれ来た者が、障害を抱え日々刻々過ごす本人、家族、医師、看護師等々の厚意を心に留めて過ごすことで免罪されるとも思えない。
身近に障害を持っている子ども(すでに40代)と共に過ごす母親(80歳になろうとしている)があるだけになおのことを思うし、己が脆弱さに思い到るだけである。
それでも、天賦の才はすべての生命に注がれ、すべての人が世に生れ出てきていると思いたい。

この強引さの上で、今、日本に求められていることは、子どもたちの「時間」ではないか。
学校授業、長期休みの形骸化しつつある宿題、学校課外活動、塾、稽古事、スポーツ活動、遊び、子どもによっては家庭経済補助のためのアルバイト……と。
教師の多忙、過労(死)が緊要の課題とされ、改革が為されつつあるが、子どもたちもあまりに忙し過ぎるのではないか。それも1+1=2をすべてとする合理的?実利的?の思考にして指向を善しとした、人生の“幸い”に行く着くための土壌造り期20歳前後までの考え方の、溢れる現実にあって。
その中で、己が天賦の才の自己発見は可能なのだろうか。
それは違う、多事多忙だからこそいろいろな場面に、人に遭遇するのだから天賦の才を自覚する機会は多いはずだとの反論もあるかもしれない。

学校世界の旧態然としたピラミッド構造は崩れつつあるとは思うが、一方で「学校格差」はより深刻になっているのも現実ではないか。
入試方法が、各学校教育段階で変わりつつあるが、その現実化で生じて来る困難な問題を前に、塾産業は今以上に子どもたち・保護者たちに頼られるのではないか。「対症療法」に対する塾産業の実績と歴史は、学校世界が到底太刀打ちできるものではない。その理由には今は立ち入らない。

少子化、高齢化の真っ只中にある日本だからこそ、学校世界の構造、本質の根治治療の千載一遇の時機ではないか、と再び思うが、所詮私の独り善がりか。
その私なりの学校社会の制度、内容の変革については、以前に投稿したのでここでは要点だけを記す。
尚この私見は、神戸・大阪の大都市圏での私立中高校教師と言う限られた体験からのものであるから、環境、風土によっては既に当然のこととして改革されているかもしれないし、いかにも都鄙の格差を忘れた大都会的発想との批判を受けるかもしれない。

○義務教育としての学校教育期間を、初等教育(小学校)・中等教育(中学/高校)に2分する。
[注:この「義務」との言葉はどうも抵抗があるが、他に思い当たらないのでこのままとする。]

○初等教育期間は現状と同じく6年間とし、中等教育期間を6年~8年とする。

○初等・中等教育機関では、初歩・基礎・応用・実習・体験等、2年を1サイクルとする。
その際、各教科が主張する「基礎・基本」内容の再構築、再整理を図り、「必修科目」を最小限に留め「選択〔必修・自由《特に自由選択》〕を大幅に採り入れる。
課外学習、体験学習充実のために、各地域のコミュニティ・クラブを拡大、充実させ、そこでの専門家と学校教師との連携を強化する。必要な諸経費、予算は税金で運用し、原則無償とする。
そのためにも教育と福祉での税金運用と他領域での税金運用を徹底して整理、明確化する。

○「遊び」についての、その多面的意味、重要性を再考、再確認する。

○最長20歳で高校卒業とし、例えば4年制大学は「教養課程」を基本廃し、廃した講座を高校段階におろす。要は「高等教育」の本来に戻した専門教育機関とする。その上での大学院とする。
尚、18歳~20歳の間の卒業年齢、及び大学卒業、専門学校卒業、就職での社会的視点を再検討する。

○入学(選考)に関して、各学校教育機関での教科学習を含め日々の活動を重視し、諸々推薦制度での形骸化した「内申書」や事前提出「小論文」を廃し、各学校教育での学習で対応できる「入試問題」を課す。

 

『平昌オリンピック・パラリンピック』での、ここで名前を挙げなかった彼女たちも含めその存在感は、私の中で途方も大きなものであった。
羽生選手のフリーでの、最後の音楽と彼の演技(技術)と気魄に鬼気迫るものを直覚したが、にもかかわらず私の中ではその存在感は女性群にあった。

直近の時代に日本で、政治・社会・経済の委員会等ニュース報道に、多くの女性たちが、欧米のように、ごく自然態で登場することを願わざるを得ない。男女共同参画社会日本として。「共同」が平等、対等の上に立った競争であることにおいて。
その意味からも旧態のままで“男”立場にしがみつく男性にとって大きな警鐘になったのでは、と一人一人が天賦の才を自覚する端緒に少なからず関わる教師の一人でいた男の私は自照自省する。後悔先に立たず。

駄文に加えて蛇足の二重愚を。

選手たちのオリンピック出場に到る、いわんや入賞、更にはメダル獲得への道程での、心身の計り知れない労苦に思い及ぼし、一部の政治家、CM企業を含めたマスコミ関係の、賞讃と労わりの言葉の結果的に利己的善意が、またストーカーまがいの“追っ掛け”が、どれほどに選手たちの休養と平安に土足で踏み込むことになり、未来を阻害することになるか、慮りたいものである。

2018年3月11日

風 化 ―7年の歳月[3・11]―

井嶋 悠

私の誕生は1945年(昭和20年)で、その1945年を起点に、前後の東京大空襲、45年8月6日の広島と9日の長崎、また1995年阪神淡路大震災、そして2011年3月11日の東北大震災の人為災害、自然災害を思い浮かべてみる。

「風化」を嘆き、危機感を募らせる人が増えている。そうかもしれない。しかし、例えば福島原発被災報道のカメラの前で、「同情するのは止めてください」と毅然と言った女子高校生、そういった若者たちが在ることに思い及ぼして欲しい。
時の経過は風化を惹き起こすが、直接間接問わず己が心に刻み込まれた事実、場面は決して消えることはない。日々のあれこれに追われ、振り回され、忘れているように見えるだけで、健康、年齢、時間等様々な事情から具体的行動に到り得ない人たちは大勢いる。私の娘もその一人だった。どれほど病を責めたことだろう。自身にできる方法を模索し何もできず苛立っている人も大勢いる。

世を主導する(或いは「一将功成りて万骨枯る」を地で行く)政治家の「最重要・最優先課題」との「最」表現のあまりにも初歩的な語法の誤り。対する人(人々)への愚弄。その政治家たちも(!)風化を嘆く。何という滑稽。自身の発言が風化以外何ものでもないことに気づいていない。古今東西、政治家とはそうなのだろうか。東西、政治家を論ずること自体の大愚を言う人もあるが。
と言う私自身、自身で気づかない内に幾つもの幾つものの風化を犯している。

私の息子と娘は、兵庫県西宮市立の小学校を卒業した。
(余談ながら、塾教育あっての進学(教育)の現代に懐疑的な二親の下に育ったせいか、二人とも大学以外公立校で、にもかかわらず私の生涯の勤務校はすべて私立校である。)閑話休題。
18年ほど前、娘が小学5年生ごろだったか、海外日本人学校長勤務を終え、娘の小学校に赴任して来た或る男性校長、初日の全校朝礼で、開口一番「グッド モーニング[Good Morning]と意気揚々満面の笑みで雄叫びに及んだ由。
娘曰く、ほとんどの児童は苦笑失笑し「ドン引き」したそうな。(因みに、ドン引きという表現、想像すればするほどおかしさ、馬鹿馬鹿しさが広がって愉快な表現だ。)ただ一方で、1年生の「この人誰?」のキラキラ輝く好奇心の眼も浮かぶが。

帰国子女教育に係わった一人として、この場面は(そこに居たのは娘であるが)、風化せずに確実に私の中に在る。アメリカ現地校からの帰国生徒が話してくれた「アメリカまで来てアジア人とは付き合いたくはないわねえ」との母親たちの発言への疑問と併せて。

阪神淡路大震災で、自宅から徒歩10分足らずの川での10数人の生き埋め死の場に立っていた私。神戸・長田地区崩壊の復興と現実にみる人間的なことへの欠落。
唯一の被爆国にもかかわらず、現核保有国(ロシア・アメリカ・フランス・中国・イギリス・パキスタン・インド・イスラエル・そして北朝鮮)を横に置いたままでの日本の、アメリカ隷属追従そのままの「核兵器禁止条約」反対の不可解。
これらは、私の中で静かに沈潜し、日本の危機と不安へ駆りたてる。「日本ってこういう国なのか」と。相対評価ではなく、絶対評価として、人間の奥知れぬ美醜様々な心と行いを思い浮かべながら。
しかし、それらに係る具体的行動(形)のなさから、非現実的不見識、机上の戯言として「風化加担者」として指弾されるのだろう。
「歳月人を待たず」。時間は無気味なほどまでに端然と前へ前へ進み、人は死と生を繰り返し、時に現実のあまりの重さに言葉を喪失するが、しかし言葉を探り、蘇生、再生、新生される。

東京都中央区銀座五丁目1番13号。ここに明治11年創立の、東京23区で居住人口が最も少ない千代田区の次22番目の中央区の区立泰明小学校がある。
先日来、イタリアの高級ブランドの制服話題で、賑々しい小学校である。学校区は「銀座1丁目から8丁目」だが、転入等で学校区外から入学希望者も多く、最後は抽選で入学者を決めるとのこと。

「お受験学校」との通称を聞いたことがある。人生最終目標かのように、有名(或いは高偏差値)大学を目指して、中学校高等学校は私立校を当然とする経済的に裕福な家庭(保護者)の子弟子女が集まる学校とのこと。
これは私立校での例だが、関西の某小中高校一貫教育を標榜する学校では、小学校6年次、他校(私学)入試のための塾集中受講により、学校授業が成立せず三学期は自由登校にした。
泰明小学校は、さほどでもないようだが、その系列にあると言えばあるのが現状のようだ。

それこそ“世界”の銀座の、しかも日本一地価の高い銀座4丁目近くにある、由緒正しき、きらびやかなイメージに彩られた学校。記者会見での、校長の制服の教育効果に係る矜持溢れる自尊対応。生活居住者が確実に減少している銀座。しかし入学抽選競争率は数十倍とか。
隣接する幾つかの区の「貧困世帯の子ども」の本人、保護者は、また生活保護受給世帯が最も多い足立区の子ども、保護者は、せせら笑う以外に何があるだろう?
3代続く江戸っ子で「女子はサアサア言葉を使うな」との躾を受けて育った私の妻は言う。「くだらんっ!今の軽薄日本の象徴!恥ずかしいっ!」
その妻は58年前の泰明小学校の卒業生の一人で、6年前に娘を亡くして後、ふと口にする言葉。

「小さな子はかわいそうだ。日に日に、年々、汚れて行く。」「汚す」主語は私たち大人だ。それとも、「汚れて行く」は大人への必然的道程…。

この制服問題、既に導入され、いつものようにうやむやになりつつある。風化……。

泰明小学校のことをインターネットで調べていて、卒業後の質問をする入学希望者保護者に、次のように回答する保護者(おそらく母親?)を知った。今回の制服導入について賛成派も多いそうだが、この保護者は、どのような見解を持っているのだろうか。回答を引用する。

【回答】

公立進学のお子さんもっといましたよ(私立進学が9割近い旨聞いているとの質問者に対して―引用者注)。 私立6割くらいかな。 最近増えてきているのでしょうか?
一応公立中高一貫だけ受けて、駄目なら公立というお子さんもけっこういました。 自宅から通いやすいのならいいと思いますが、受験に強いというのは違うと思います。 熱心な家庭の子が集まっているので受験率が高いだけ。 実際の受験勉強は塾で学校は関係ありません。
最初から私立受験を決めているのなら、学区内の普通の公立小の方が学校の宿題もないので塾の宿題に時間をさけるし、学校では受験のことを忘れて気分転換できていいという考えもあります。
自宅から遠いのにこちらに通わせ中学受験をする意味は私にはわかりません。 10分でも惜しい6年時、自宅→学校→塾で体力的にも時間的にも無駄ですし、6年時は学校でも受験の話題ばかりで精神的にも気が抜けません。
1.自宅から遠いが、公立小でしっかりした教育をうけさせ、中学もしっかりした公立でいい。
2.自宅から近いのでこちらに通い私立中学受験を頑張る。 こちらに通うなら私ならこのどちらか、かなと思いますが、いかがでしょう?

2018年1月12日

刺青(ほりもの)・入れ墨・tatooタトウー ―文化理解の難しさ或いは“2020年”を前に―

井嶋 悠

魔性の女という言葉を聞いて、男女それぞれにどんな女性を思い描くのだろう?
私は江戸浮世絵群を思い浮かべたりもするが、そういう女性に幸か不幸か?直接に会った経験はない。

「(江戸期の)刺青師(ほりものし)に堕落してからもさすがに画工らしい良心と鋭感とが残っていた元浮世絵師清吉」は、或る時、「駕籠の簾のかげから、真っ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた。(略)その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉」と映じた、その女性こそが、「彼が永年たずねあぐんだ、女の中の女であろうと思われた」。
それから5年後の晩春、「馴染みの藝妓の使い」で、年のころ「16,7の、近々座敷に上がる娘」がやって来て、それがあの女性であることに気づかされる。清吉は絵を見せ「この絵の女はお前なのだ」と「一本の画幅を展(ひろ)げた。」そこには次のような絵が描かれていた。
「画面の中央に、若い女が桜の幹に身を寄せて、足下に累々と斃れている多くの男たちの屍骸(むくろ)を見つめている。女の身辺を舞いつゝ凱歌(かちどき)をうたう小鳥の群、女の瞳に溢れたる抑え難き誇りと喜びの色。(略)「それを見せられた娘は、われとわが心の底に潜んでいた何物かを、探りあてたる心地であった。」清吉は娘を説き伏せ、彼女の背に「巨大な女郎蜘蛛」を彫り込んだ。
「その刺青こそは彼が生命のすべてであった。その仕事をなし終えた後の彼の心は空虚(うつろ)であった。」

これは谷崎 潤一郎の短編小説「刺青」からの抜粋である。(「 」は「元浮世絵師」の「元」以外、本文を引用。)

刺青とは、あくまでも彫り物であり、罪人への或いは虜囚の身に貶(おとし)められた人番号としての「入れ墨」ではない。美の領域に係ることとしてのことでありものである。
これを読んで、妖艶な美麗を直覚するのか、嫌悪を直覚するのか。私は自身のこととしての経験はないが、清吉の心を直感し、美麗に傾く。江戸の職人たち[男たち]や藝妓は、粋の領域として刺青をしたと言う。私の中では、女尊男卑そのままに女性のそれが鮮やかにイメージされる。そこには私の偏った芸術美(美感)があるのかもしれない。

古今世界の様々な民族の中には、神から授かった身体だからこそ彫り物をすることで神に献身する心を、また災難等からの護身への神仏願望[「倶(く)利(り)伽羅(から)悶々(もんもん)〈不動明王・剣・炎の図柄〉が刺青の別称のように」を表していることを否めることはできない。日本古代での縄文期の土偶に、またアイヌの民俗に通ずることとしても。
そして今、英語「tatooタトウー」との言葉を使って、直ぐに或いは何年か後に消える技術(技法)も産み出されたこともあってか、若者たちにファッション(おしゃれ)文化として受け入れられ、反社会的集団の徒の象徴ではなくなりつつある。

因みに、亡き娘は刺青を美しいと思う派で、時に憧憬しシールを貼ったりして、私の心中を一層複雑にしていたこともあった。

しかし、そうは言っても刺青はどこまでも入れ墨であり、それをしている者=「やくざ(者)」であり、またその情婦であり、との意識は根強く残っている。裏の、裏への哀しみ、視線…。
谷崎自身、浮世絵師を志していた清吉を「刺青師に堕落して」と記している。

日本の観光資源の一翼を担っている温泉文化。
10年程前から住んでいる北関東のこの地は、歴史的にも古い温泉郷の一角で、車で2,30分も行けば××温泉と呼ばれる湯元地が数か所ある、旅館、ホテル産業激戦区でもある。
日帰り入浴もあちらこちらで楽しめ、私もその恩恵に浴しているのだが、必ずと言っていいほどにある「刺青・入れ墨・タトウーお断り」入浴注意書きの掲示。中にはこともあろうにその部分のみ太字で表わされている。
少なくとも私の子ども時代にはなかったと思う。刺青をしている人が浴場にいても「へえーしてるんだ」であって、誰も怖いもの見たさといった好奇心すらなかったと思う。これは東京・新橋の生まれ育ちの妻も同感者である。

どうしてこの掲示が必要なのだろうか。風呂場でやみくもに喧嘩を売ったり、賭場ご開帳に及ぶとでも思っているのだろうか。清浄な場への不浄(者)の闖入(ちんにゅう)と。
暴力団撲滅に係る社会からの「排除」の一環でのお上からの指示なのだろうけれど、私にはなぜ世界に冠たる温泉文化のしかも湯浴みという限られた場所での、時に有名無実の(現に刺青の人を何度か見ている)、あの掲示に今もって釈然としない。暴力団・やくざ擁護者ではないから、更には「あれは芸術《アート》なのだ!」と声高にまくしたてる気もないから、なおのこと釈然としない。

2020年.東京オリンピック・パラリンピック。
なぜ今日本で?との疑問は、候補地として名乗りを挙げた時から現在もそう思っている一人だが、とにかく莫大な資本を投じて行われる。投資以上の経済効果があるそうだが半信半疑である。

因みに、以前このブログに投稿したことを繰り返す。
IOC総会(理事会?)での招致スピーチの義足ランナー佐藤 真海さんの、その内容[一語一語重みある優れた内容]、表情[時にこみ上げる哀しみを自然な笑顔で抑制する表情]、声の響き[明快な発声(英語)]、間[聴き手にしかと伝わる間]のすべてにおいてどれほど世界の人々に感銘を与えたことだろう。
それに引き替え、拳(こぶし)をあげキャッシュで500万ドル用意できると叫んだ当時都知事のスピーチの下劣、下品さ。(その知事、後にカネ問題で辞職するという痛烈な皮肉)
私は佐藤さんのスピーチが委員の心を揺さぶり、東京への投票に向かわせたと堅く信じている。

世界から優れたスポーツ選手《アスリート》が、そして観客が、多種多様な文化を心身に携えて日本に参集する。私たちは日本的善良さで人々を迎え入れる。『おもてなし』。
日本で放送される機会の多いスポーツとして、例えばサッカー・ラグビー・野球の中で、母国ではもちろんのこと、日本等々世界各国・各地で人気・実力ともに秀でた刺青をしている選手《トップ・アスリート》は実に多い。そして日本でそれを咎(とが)めたり、貶(おとし)めたりする人はまずいない。異文化として観ているからだろう。
その人たち、また試合観戦方々観光で来日した、刺青をしている人たちが、温泉文化[とりわけ自然と一体化した温泉文化]に関心を寄せたとき、あの掲示は日本文化としてそのままで入浴できないのだろうか。「おもてなし」を逸脱する異文化として[郷に入っては郷に従え]なのだろうか。例えばイスラム圏で豚肉を食することはできない、と同じ次元のこととしてとらえることが、私の中でどうしてもできない。

日本は明治時代の幕開けとともに、近代化に向けて官[お上]からの同化政策で突き進み、一億一心を善しとし、異議申し立て者を抑圧し、時に封殺して来た歴史を持つ。そして今でさえも、日本は単一民族・単一言語の国と誇らしげに言う人はいる。
2020年東京オリンピック・パラリンピックのことでも、苦境問題が生じると施策者は「オール・ジャパンで」と言う。どこか共通点を視る私がいる。私の非国民!?の表われなのだろうか、と。
多文化教育・異文化〔間〕教育が重要テーマの現代日本にあって、例えば教育内容、入試方法といった身近な問題は、どれほど知識理解の限界を越えて自身のこととして在るだろうか。そもそも、「知識」との言葉が持つ多文化性・異文化性を、どれほどに心に降ろし得ているだろうか。言葉の上滑り。少なくとも私自身は心もとない。

現役時代、海外・帰国子女教育、外国人子女教育と出会った。30年ほど前のことである。彼女ら、彼らから学んだことは実に大きい。多分その頃から私の国語科教育態度は変わったと思う。
例えば、帰国子女保護者[母親]の言った言葉「私たち親、大人はいいのです。逃げ込める場所があるから。子どもたちにはそれはないのです。」(ヨーロッパで現地校、日本人学校を経験した男子生徒の母親)、「アメリカにまで来てアジア人であるなんて嫌よね」、
教師大人側に当たり前のようにあった《今もある?》「帰国子女=英語ペラペラ」の「ペラペラ」との用語と併せた軽薄。
留学生の日本語を担当して実感したこと。[日本語を母語とするにもかかわらず日本語を知らない国語科教師の私]

文化相対との考え方と現実の溝(ギャップ)。それを自身の内で相対化する難しさ。国際人と言う言葉の重み。国・際(きわ)を克服し、生きる人。辺境(マージナル)の人。日本は極東の島国であることの甘え?を痛撃する富山県が作成した『環日本海諸国図』(日本列島を上(北)に、中国、千島、朝鮮半島を下(南)にした図。
そこから想像される古代人の国に囚(とら)われない自由な往来、交易。また中世の対馬を基点としての日本人・朝鮮人・中国人の往来と交易。「倭人」「倭語」の持つ意味。
近現代人の知識と当時の日々生を営んでいた人々。私(たち)の想像力の偏り。不足。学びの薄さ。学校教育の意味。メルティング・スポット的人間(同化型)とサラダ・ボール的(多元型)人間。

2020年を契機に、日本はいずれの方向に明確な舵を取るのだろうか、と厳しい冬、家に引きこもりがちな(鎖国型?)老齢初期(72歳)の私は無責任に想う。

 

 

2017年12月22日

「母性」「父性」の私的再考 ―分かって分からない母性・父性―

井嶋 悠

現代日本(私の場合、他国・地域を賞揚することはあるが、浅薄な知識や体験で批判することは無礼と思う一人で、あくまでも母国日本を意識してのことである)で、母性(原理)と父性(原理)について、再び?父性優先が加速され、離反しているように思えてしかたがない。そんな私の母性と父性を確かめ、そもそも母性とか父性とは一体何なのかを再確認したく、小さくまとめてみることにした。
『父性の復権』『母性の復権』『日本女性が世界を変える』(いずれも既刊の書名)といった意気込みではなく、当然の前提としてあるかのような母性=女性、父性=男性に疑問を持っている一人としてである。

先の前2書から母性と父性の条件を確認してみる。筆者は共に深層心理学者の林 道義氏(1937~)。尚、引用に際しては筆者の表現を基に私の方で要約している。

まず母性。
あくまでも子どもの母(主に実母)を前提に「母性の条件」として以下を挙げている。

○子どもを可愛いと感ずる心
○母性のより良い発揮のための心の余裕
○安定した心
○盲目的な愛ではなく、自発的に判断し、臨機応変に判断する理性、賢さ

次に父性。
家族の長としての父を前提に「父性の条件」を以下のように言う。

○家族を統合する力・構成力
○自身の内面及び外の世界にあっても自分なりの中心を持ち、それを基準に家
族を組み立てて行く力
○自然との融和的な付き合いもあって形成された日本人特有の繊細で美しい感
覚を伝える役割
○その感覚で創られた日本文化への愛着とその継承者としての自覚と伝える力
○公平でかつ正義の立場に立って、全体的、客観的に視ることができる力

この拙稿は書評が目的ではないが、どこか腑に落ちない私がいて、氏の言う諸条件を自身に重ねてみるとほぼ「父性失格者」に思い到る。
では母性についてはどうか。
出産と言う生理的身体的な決定的違いから心理的違いもあると思うので、自身のこととして言えないが、上記を母性に限定することにどこか疑問が湧く。

ただ、一つ目の「可愛い」については、私の見聞に限って言えば「可愛い」の質的違いは確実にあると思う。しかし、それが「本能的」(この表現には、いろいろと議論があるようだが)なそれなのかどうかは分からない。
それ以外の諸項については、父性においても同じく思うことで、極限的に言えば、要は「人」としての問題で、林氏説くところは、外側に表われること[例えば、態度、表情、言葉遣い、響き等]の違いと受け手の年齢、気質等に係ることではないのかと思えてしまう。
「母性幻想」「父性幻想」との指摘に私が得心するように。このことは「女らしい」「男らしい」とは、につながることでもある。男女平等の本質を考え、自覚する意味でも。

ちなみに、今、パンダ「シャンシャン」は、どんな偏屈頑固爺も眼に微笑みを生じさせるほどの国民のアイドルになっている。私ももちろん笑みこぼれる一人だが、母親(シンシン)の表情、しぐさに私は典型的な「母性」(語感的に言えば「おかあさん」)を感じている。それも「本能」との表現で括られるのだろうか。

こういった見方は、私の生い立ち[個人史]での母(生母と継母)との関係、父との関係、10歳前後での伯父伯母宅に預けられた生活時間が為せることなのかもしれないが、しかしそういった私的なことを越えて、取り巻く社会からの情報、教育の結果からいつしか或る概念に染まり切っているのではないか、画一的に判断しているのではないか、と。

このことは、儒教色のはるかに強かった明治時代、今もって光彩を放つ二人の女性・平塚 らいてう(1886~1971)、与謝野 晶子(1878~1942)の次の文章にもそれが読み取れるように思える。私の読み方の恣意性、牽強付会を承知しつつも。
二人は〔母性保護論争〕の当事者で、現在もこの問題は引き継がれて来ているが、妊娠、出産[できる・できない・する・しない]のことは措いて、母となる性を受けて在る女、との前提での「保護」に係る論争なので、ここでは立ち入らない。

初めに平塚 らいてうが、仲間と立ち上げた雑誌『青鞜』(1911年刊)の冒頭を飾る「元始女性は太陽だった」から。

――元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。

【この表現は、中程近くの「久しく家事に従事すべく極めつけられていた女性はかくてその精神の集注力を全く鈍らしてしまった。」との文の少し前と、終わりの方で繰り返される。】

(中略)

思うに自由といい、解放という意味が甚だしく誤解されてはいはしなかったろうか。(略)しかし外界の圧力や、拘束から脱せしめ、いわゆる高等教育を授け、広く一般の職業に就かせ、参政権をも与え、家庭という小天地から、親といい、夫という保護者の手から離れていわゆる独立の生活をさせたからとてそれが何で私ども女性の自由解放であろう。なるほどそれも真の自由解放の域に達せしめるによき境遇と機会とを与えるものかも知れない。しかし到底、方便である。手段である。目的ではない。理想ではない。

(中略)

女性よ、芥の山を心に築かんよりも空虚に充実することによって自然のいかに全きかを知れ。――
日本神話では、イザナギの命・イザナミの命の愛憎劇の末、イザナギの命の禊によって、左眼(平安朝頃まで左右は左が上位)から女性神天照大神が、右目から男性神月読の命が、鼻からスサノオの命が生まれた。しかし、西洋思想・歴史にあっては、母権制では愛と秩序がもたらされ、夜・月・左・大地・物質・死・集団などが重視され、次の父権制になって、母権制は「根こそぎ破壊され、完全に抑圧されたため、昼・太陽・右・天上・精神・生・個人が重視されることになった」と哲学者中村 雄二郎(1925~2017)は、『術語集』(岩波新書)の「女性原理」の項で記している。

これらを思い巡らせてみると、出発点は男性隷属(父権制)からの女性解放へのトキの声であった彼女の言葉は、日本文化を前提に、父権制の価値観を逆手(とは変な言い方だが)にとって、女性に限定せず男性の覚醒をも願って「真正の人」との表現を使ったのでは、と考えられるのではないだろうか。

次に、与謝野 晶子のエッセイ『「女らしさ」とは何か』から。

――論者はまた、「女らしさ」とは愛と、優雅と、つつましやかさとを備えていることをいうのである。

(中略)

しかし愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思います。それは特に女子にのみ期待すべきものでなくて、人間全体に共通して欠くことの出来ない人間性そのものです。それを備えていることは「女らしさ」でもなければ「男らしさ」でもなく「人間らしさ」というべきものであると思います。

(中略)

人間性の内容は愛と、優雅と、つつましやかさとに限らず、創造力と、鑑賞力と、なおその他の重要な文化能力をも含んでいます。そうしてこの人間性は何人(なんびと)にも備わっているのですが、これを出来るだけ円満に引き出すものは教育と労働です。

(中略)

「女らしさ」という言葉から解放されることは、女子が機械性から人間性に目覚めることです。人形から人間に帰ることです。もしこれを論者が「女子の中性化」と呼ぶなら、私たちはむしろそれを名誉として甘受しても好いと思います。――

「中性化」とは母性と父性の調和に通ずることであると思うし、だからこそ現代という時代にあって、母性とは、父性とは、を母性=女性、父性=男性を払拭した上で、再吟味する必要があるのではないか。
母は父であり、父は母であり、女性の中の男性性、男性の中の女性性を自己確認することで、旧来からの「母性」「父性」に何か新しい光が当てられることを、今の私には未だ言い得ることはないが、願う。

母性・父性からそれるが、その基となる男女平等・男女同権性について、「世界経済フォーラム」なる機関が、世界145か国を対象に「経済活動への参加と機会」「教育達成」「健康と生存率」「政治的発言力」の4項目からジェンダーギャップ(男女の差)を数値化し、差が小さい国から順にランキングした2016年版によると、日本は111位とか。 また、大学以上の学位を持つ男性の92%が就業しているのに対し、同等の教育を修了した女性の就業は69%にとどまっており、OECD平均の80%を大きく下回っている。 日本は、教育読み書き能力、初等教育、中等教育(中学校・高校)、平均寿命(余命)の分野では、男女間に不平等は見られないという評価で世界1位だが、労働賃金、政治家・経営管理職、教授・専門職、高等教育(大学・大学院)、国会議員数では、男女間に差が大きくいずれも100位以下との由。 元中高校教員として、男女不平等は確かにないと思うが、その教育内容、環境と将来性での成果はどうなのだろうか、とつい本題から更にそれて危惧してしまう。

「母性」「父性」と、家庭教育、社会・地域教育、そして幼児教育、中等教育、高等教育、共学教育、女子校教育、男子校教育、知識教育、知恵(叡知)教育、はたまた宗教教育……。どれほどに私たちは、明確に自身のことばを持っているだろうか。それぞれの学校の主体性と、国の方向性ともつなげながら。 そうは言っても、私の中では整理の試みは容易ではなく、もつれた糸のままだが、先の『術語集』の同じく「女性原理」の項に記されている「包み込む(氏が指摘する束縛し、捕獲し、呑み込むの側面も含めた)という母性原理」「断ち切ること、分割することとしての父性原理」との言葉は、ボーダレス、国際化世界とは言え、極東アジアの列島国日本から欧米・アラブ・アフリカ・南米・オセアニアそして日本以外のアジアの諸情勢を視ていて、或る説得力を持って響いて来る。そして日本の役割について。

男女平等、男女同権といった言葉が死語になるほどの自然な男女共同参画社会の実現のためにも「母性」「父性」の再検討、再認識は一つのきっかけになるはずだと思う。と同時に両者の調和とその実現への自覚した社会の方向性の明確な確立。
このような眼で今日の日本を、現実の諸問題を見て行くと日本は今、重要な転換期にあるように思える。

2017年12月8日

若者の保守化 ―その賛否を言う前に―

井嶋 悠

「革新」はその目標が達成された瞬間「保守」になる、との言葉に以前接し、甚(いた)く得心したことがある。いわんや精進とはほど遠いナマケモノの私だからなおのこと。と併せて加齢(72歳)の為せることかもしれない。
ただ、『智恵子抄』の詩人にして彫刻家の(当人からすれば彫刻家にして詩人と言うべきだろう)激情と波乱の人生を歩んだ高村光太郎(1883~1956)の辞世の言葉と言われている「老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。」と言えるほどには達し得てはいないが。それでもほんのりと伝わって来るものがある。
私が居た教師世界(中高校)には、文系理系問わず、中でも男性教員に、理想(夢)を熱く子どもたちに語りながら、自身は保守的な人は意外と多い。
そもそも、保守=後衛的マイナスイメージ、革新=前衛的プラスイメージがあるのはなぜだろう。
二つの辞書で意味を確認してみる。

『日本語国語大辞典』

「保守」:①正常な状態などを保ち、それが損じないようにすること。
②旧来の習慣、制度、組織、方法などを重んじ、それを保存し
ようとすること。

「革新」:習慣、制度、組織、方法などを改めて、新しくすること。

『新明解国語辞典』

「保守」:①(機械などの)正常な状態が保てるように絶えず注意するこ
と。
②伝統を守り、物事を急に変えようとはしないこと(態度)

「革新」:(因習的な)古い体制をやめて、新しいものに変えること。

日本の国語辞典は個性に乏しいが『新明解』は例外的、とのことだがなるほどとも思う。具体的には「保守」の「急に」と、「革新」の「(因習的な)」の形容語。形容語には価値観が表われる。尚、念のために「因習」を同じ『新明解』で確認すると「昔からの習慣のうち、今は弊害を与える以外の何物でもないもの。」とある。
どうだろう?
自民党の正統王道保守政党との矜持とそれへの嫌悪の輿論をなるほどと思う人は多いのではないか。

批判は、言葉の巧拙、多少、深浅はあるが、容易(たやす)い。現に私の投稿は批判(愚痴?)が随所に現われる。革新には途方もないエネルギーが求められるが、肝心要は批判、実現のその後である。

若者のテレビ離れ、新聞離れが顕著なことはつとに知られたことである。インターネットの方が容易に且つ表裏広く情報が得られる。ただ、そこでは醜悪なサイトや個(プライバシー)への傍若無人な侵害等、発信する側の、受け取る側の自由と倫理が並行線をたどりうやむやとなり繰り返される。しかし、私のこの物言い自体そのものが保守的なのかもしれない。
日々是好日、大過なく過ごすこと、人生快不快ゼロで終えることこそ全うの道、と現代の若者は覚醒しているのかもしれない。大人の老いは「刹那的」と説諭するが、若者の感性は刹那=その瞬間なくして過去も未来も更には現在もない、と釈迦の教えを無言実行して異論を唱えているようにも思える。一日生涯。一日一生。大志を抱くことへの一歩退(ひ)いた心根。平凡であることが非凡なのではないかとの直覚。

高校現代文教科書に必ずやといっていいほどに採録される中島 敦(1909~1942)の、内容と文体いずれも秀逸な作品『山月記』や『名人伝』を現代の多くの高校生は、そうとらえているのではとも思ったりする。
公私一線をはっきり画する指向。「ああはなりたくない」との、大人や社会を反面教師として視る視線。それらができず呻吟する若者は弱い者なのだろうか。人間(じんかん)の渦中での孤独。現代への無言の疑問。
だから大人たちの批評句「三無はたまた五無主義」でも、浅薄な虚無でもない、敢えて言えば「空」感。

尚、私が中高校生と言う際は、例えば既に志をもってそれに向かっている者や天賦の才を与えられた者といった生徒ではなく、学校教育理解度表現で使われる[七五三]の数的に最も多い生徒を描いている。補習塾やそれに類する私設教育機関の存在意義を思う一人だが、進学塾・予備校については、生徒在籍学校教育内容と進学先入試内容に教師から視た疑問を持っている一人である。もっとも、根本的変革はほとんどゼロに近い不可能の現状は承知しているが。

【参考】『山月記』から、この拙文で是非引用したいと思った表現を二つ記
す。

「この気持ちは誰にも分からない。誰にも分からない。おれと同じ身の
上に成った者でなければ。」

「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」

 

『働き方改革』によって多様な若者はどう変わるのだろうか。呻吟する彼ら彼女らは救いを見い出しているのだろうか。日本経済の、社会の行く末について、その主導者たちは具体的に何を語り、「財界」はどう導こうとしているのか。一方で起る[時短ハラスメント]問題は、かの“痛みなくして改革なし”の単なる一過性に過ぎないと考えているのか、その主体である若者と、どこで、どのようなう和を持ち得ようとしているのか。個我と国の関係の日本的なあなあ性の怖ろしさ。「いつか来た道」とここで言うのはあまりに早計に過ぎるか……。
以前の投稿でも挙げた、私の出会いでの貴重な事例を2例再び出す。

或る大手企業(この企業は学歴志向が強く、限られた私立大学以外、主流は国立T大と国立K大)の一部署での新人歓迎会の逸話。部署長が歓迎会企画をしたところ、主人公は欠席。曰く「どうしてアフター5まで行動を共にしなくてはいけないのですか。」

もう一つ。

やはり大手企業での製品開発に係る責任者の体験談。尚、この事例は、個としての受身性及び自由さと偏差値教育の視点から出している。
「某国立高名大学出の社員の指示に対する遵守と仕事の緻密さ、と某高偏差値でもない私立大学出身のユニークな発想、この二つの組み合わせが生み出す企業成果。」

上記の事例に、個我としてのエネルギーの強さは想うが、社会変革へのエネルギーとは結びついていない。あくまでも今自身が置かれている個の問題としてあって、それを善しとすれば、社会変革?は自然な心で、刹那の本来的釈迦の戒めとは全く異質なそれでしかない。
しかし、次の刹那[近い未来]で、私が(と同時に、職業としての有無から離れればすべての人が)係わった、係わっている教育から視て、はたして変革は不要だろうか。

例えば、少子化と高齢化(長寿化)時代にあっての、
制度と内容両方からの構造改革の時機にもかかわらず緩慢な保守改革でしかない教育課題。(具体的私案は既に投稿したので省略)
また「教育の無償化」が、どれほどに富裕階級をほくそ笑ますか承知してのことなのかどうか。
老人介護と介護士等待遇に係る国家としての敬愛心のない施策。
施策実現のための財源不足を理由に増税を正論とする安易な政治。
超借金大国日本の不可解。
西洋⇔欧米観ではないアメリカ追従(ついしょう)の被嘲笑外交と、日本の風土と歴史を水に流すかのような国際観。

これらは己が生時間内で解決解消することができるのだろうか。

人は多く利己にして功利それがあっての利他、を笑殺するほどの“智”など無い私だが、これらは負の遺産以外何ものでもないのではないか。
保守とか革新を超えた必然、普遍と思うのも、老いの大人の鬱陶しいお説教なのだろうか。
私の周囲に上記の幾つかの理由を挙げて「日本は終わった。一旦原点(ゼロ)に戻してやり直すべきだ」と呟く母親は何人も居て、それに同感する私が居る。

 

現代は情報社会で、玉石混淆そのままに片時も休むことなく押し寄せ、氾濫し、青息吐息で、いつ窒息しても、主客顚倒してもおかしくない。
電車内でひたすらスマホを降車ギリギリまで見入る青/中年は(ゲームも情報の一つと考えても)、そうでない人を数えるほうがよほど早い。
知識人[インテリ?]は世を善導する人として期待されたのは昔のことと思えるほどの〔一億総知識人〕社会の現代日本。或いは世界の趨勢。
だからこそ知識の内容が問われ、マスコミに繁く登場する「専門家」「知識人」「有識者」の発言は、時にそのお粗末さ(誰でも言える内容)で、何であの人が?と、若者、中高年の嘲りの対象となる。知識の言葉と智慧の言葉は10代の若者も直感的に聞き分けている。私自身、教育関係で何であの人が?と思うこと多である。

国語科教師に就いたときの、恩師の初めの注意「授業の終了時に三分の一が、お前から眼を離さず、傾聴していたら稀有の大成功と思え」が思い出される。そして33年間の教師生活で恩師の墓前で報告できるのは一桁数でしか記憶がない。
では、そう言う私は何者で、何者像に向かっているのだろうか。
【日本の保守主義―『心』グループ】(『戦後日本の思想』久野収・鶴見俊輔・藤田省三著〈1995年刊・岩波書店・「同時代ライブラリー236」に出会った。その時、かつて高偏差値国立大学出身・岩波書店・朝日新聞はインテリ三要件だったそうだが、今やその神話は崩れているとはいえ、古世代の私は少なくともインテリでないことが確認できた。と言うか客観的?に立証ができた安堵。
本題に戻す。

雑誌『心』に1948年、参集した知識人は42人で、国語・社会・美術の中高校教科書に少なからず登場する人は、内26人。その中には、先の高村 光太郎や韓国でも信頼度の高い民芸論者・柳 宗悦(むねよし)もいる。(尚、この雑誌は1981年に終刊する。)

教科書には新旧の時代の知性が映し出されるとすれば、42人中6割強の先人から生徒時代、教師時代に人格陶冶の時間を持ったと言える。いわんや教師時代は予習と複数回の授業(生徒との対話による復習)。その驚愕と影響力。
改めて視えて来る或る同意共感と異議申し立て。私の限界、矛盾。幾つか引用する。

「反俗的エリート主義」

「本物か贋物かを見分け、大衆を代表して何かものを言う連中を嫌う、自分た
ちを最高の文化層と考えるインテリ主義、一流主義、指導者意識」

「人間の文化が経済や政治を動かすという文化主義」

「国民の中にある超政治主義や秩序感覚」

「個人主体を認めた上で、その相互の具体的な結びつきの仕方、体験の結びつ
きの理解を深める方法が伝統」

「伝統を有として所有しないという特色が、日本の伝統で、逆に伝統は絶対無
としては、一切の外来物を消化しつくし、自分のものをそれから生み出す」

「理論を軽視する思想=教養主義」

「分裂や対立は悪で、超対立、超葛藤が善で常態とする共同体的民主主義」
では私はどういう自身像を理想としているのだろう?

―山路を登りながら、こう考えた。  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生  れて、画が出来る。  人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。―

「高踏派」と称された夏目漱石『草枕』冒頭部分  (下線は引用者)

 

1970年、比叡山延暦寺千日回峰行(ほうぎょう)を成し遂げた大阿闍梨で、2005年70歳で逝去した、光永 澄(ちょう)道(どう)が著した書の標題は『ただの人となれ』である。(ただ、今回、この書が在住市の図書館になく未読)
(下線は引用者)

「ただの人」とはどんな人だろう? 改めて老子に心が向く。

日本の若者は、感性鋭く絶対無を直覚し、超政治的社会的生=保守に在ることが伝統的自然態なのかもしれないが、ボーダレス化し、同時に求められている「国際(化)」=「西洋・欧米(化)」の偏在的視座を正す中で、日本形成者の一人としての個我の刹那とその積み重ねへの次代を考えるべきだと思う。
その私の願いも含め一端を表わす詩を一部分現代仮名遣いにして引用して終える。

引用元は高村 光太郎の詩集『典型』(1950年・死の6年前)所収の『暗愚小伝』(戦後、岩手県花巻で疎開独居生活を送る中で作られた自照自省の詩。尚、この詩編は当時強い非難の対象となった由)

                  山  林

私はいま山林にいる。
生来の離群性はなおりそうもないが、
生活はかえって解放された。
村落社会に根をおろして
世界と村落とをやがて結びつける気だ。

(中略)

美は天然にみちみちて
人を養い人をすくう。
こんなに心平らかな日のあることを
私はかつて思わなかった。
おのれの暗愚をいやほど見たので、

(中略)

決して他の国でない日本の骨格が
山林には厳として在る。
世界に於ける我らの国の存在理由も
この骨格に基ずくだろう。

(中略)

過去も遠く未来も遠い。